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【乃亜の章】
フクロウの鳴く夜①
牧場の従業員だという初老のヒスパニック系男性・ホセに案内されて、乃亜は与えられたキャビンに入った。
小さい丸太造りのログキャビンが三棟ほど連なっていて、ウィリアムとダグラスの邸宅から徒歩で二分とかからない距離に並んでいる。
乃亜はそのうちのひとつを使わせてもらえるという。
「あんまり豪華じゃないけどさ、ダグラスの旦那は自由に使っていいって言ってるよ。若い子が楽しむようなもんは少ないが、景色はいいし空気はうまいし、この牧場での滞在を楽しんでくれ。キッチンはここで……」
ホセはちょっと舌を巻くスペイン語訛りの英語で、にこやかにキャビン内を説明して回ってくれた。
「ありがとうございます、ホセ。しばらくお世話になります」
「こちらこそよろしくな、かわい子ちゃん」
ちょっとコンプラ的に怪しいことを言い放つホセを見送ったあと、乃亜はキッチン兼居間にあるソファに座り込んだ。
「ふぅ……」
どうしよう。
まだ心臓がドクドクと痛いくらい強く脈打っている。
まさかこんな……。こんなことになるなんて。
乃亜は気だるい体を投げ出すようにして、八十年代の香りがプンプンする焦茶色の革張りソファにどさりと寝転んだ。
たかがコロラド、されどコロラド。文字通り地球の裏側からの長旅に、乃亜は疲れ果てて天井を仰ぎ見た。
(そりゃあ、なんでもかんでもとんとん拍子に進むとは思っていなかったけど……)
まさかレンタカーがなにもない牧草地で煙を吹いて昇天し、ウィリアムの息子に助けられた挙句、そのウィリアムが心臓発作で入院中……いつまでここに残ればいいのかわからない状況になるとは、夢にも思わなかった。
(なにもなければ今頃、ウィリアムさんとちょっと感動的な面会をして、パゴサで温泉を見たあと、コロラド・スプリングで観光中だったはず……)
しかし、お洒落な観光地の代わりに乃亜の目の前にあるのは、古色に染まった丸太の壁と、そこに掛けられたのは埃を被ったバッファローの頭部の剥製……。
(ほ、本物……?)
無料で提供された宿に文句を言うつもりはないが、さすがにバッファローの頭はどうにかして欲しい気がする。
ここは従業員用の住まいで、全体的に必要最小限の家具しか置いていないが、壁だけは様々な……馬への愛に溢れた品々が飾られていた。
馬の写真。馬の絵。使い古した馬の蹄。馬のオブジェ。馬の……。
幸いキッチンだけは比較的馬フリーの空間で、ちょっとレトロなポットやコーヒーメーカーが並んでいるだけだった。
小さい冷蔵庫もきちんとある。馬のマグネットがいくつか貼られているけど。
来週になればもっと綺麗な客用のコテージを空けてくれるとのことだが、乃亜はそこまで長居するつもりはなかった。
乃亜をあまり快く思っていないダグラスに、迷惑をかけるわけにはいかない。
「養子……。そっか、養子だったんだ」
ポツリと独り言をつぶやいて、床に置いておいたバッグから曽祖母の手紙を取り出した。
ソファに座り直すと、じっと封筒を見つめる。
──ウィリアムはずっと独り身だった。この牧場に「春」の名をつけて、他の女性の影は一切なく……。
「俺は許さない、か……。うん、でも、そうなっちゃうよね……」
曽祖母とウィリアムが離れ離れになってから実に八十年近くが経っている。その間、少なくとも乃亜の知る限り、ふたりは一度しか顔を合わせていない……それも一瞬だけ。
曽祖母は結婚してひ孫までいるのに、ウィリアムはおそらく、そんな彼女を思い続けて生涯独り身で、家族は養子のダグラスだけ。
ウィリアムを父と慕うダグラスが、春子とその子孫の系譜を恨めしく思ったとしても、それはごく人間的な反応なのだろう。
だから乃亜は、ダグラスが多少自分にきつく当たってきても、一種の自然の摂理として甘受する覚悟をした。
「春子おばあちゃん……なにを書いたのよぉ……」
乃亜は突っ伏して、曽祖母のしたためた手紙に向かって泣き言をつぶやいた。乃亜は手紙の内容を知らない。開封していいのはウィリアムだけだと念を押されたのだ。
──なんで今更なんだ、とダグラスは言った。
おそらく彼は正しくて、お互い百歳に近くなった現在、いったいなにを告げる必要があるのだろう。
たとえ一度は血の繋がった子を成した仲といっても、半世紀以上も会っていなかった相手に、地球の裏側にひ孫を仕向けてまで伝えたいことが……?
(でも……それはそれで……羨ましい、かな)
ひるがえって自分の恋を思い出す。
そもそも乃亜が、お盆でもないこんな時期に日時の制限なくアメリカ渡航できるのは、ひとつの恋があっけなく終わったからだ。
あまりにもあっけなさすぎて、スマホのメッセージひとつで終わりになった恋。
(でもこの世には、八十年間ひとりの女性を想い続けられる男性が、本当にいるかもしれないんだ……)
それはひとつの救いだった。
この世には永遠の愛も誠実な男性もいないと絶望していた乃亜にとっての、一縷の希望……。
「誠実な男性……か」
と、ポツリとつぶやいてみた途端に、あるアビエイター・サングラス姿の長身カウボーイの姿が乃亜の脳裏に現れる。
そして、彼がサングラスを外した瞬間のあの衝撃が、手に取るように蘇ってきて……。
「……なっ、なんであのひとなの!」
乃亜は慌ててブンブンと首を振った。
ダグラス。
ウィリアムの息子……もとい、養子。
おそらく彼は乃亜の存在そのものを疎ましく思っているだろうし、住む世界の違うひとだ。乃亜は彼のことをまだほとんど知らないし、知らないままで終わってしまうのかもしれない。
でも……これは予想と、想像に過ぎないけれど……ダグラスはきっとウィリアムに負けず劣らず一本気なひとだ。
いわゆる「いいひと」ではないかもしれないけれど、外面の殻は恐竜の卵よりも硬いけれど、一度愛した相手には生涯誠実でいるひとだろう。
そんな気がする。
なんといってもウィリアムに育てられたひとだ。
しかし、悲しいかな……彼が乃亜を好きになってくれる可能性は百にひとつもないけれど……。
(か、「悲しいかな」って、なんで! なんでそこで悲しむ必要があるの!)
ひとりであれこれ勝手に想像して、落ち込んだり舞い上がったり真っ赤になったり、かなり重症である。相当疲れているのかもしれない。
乃亜はひとまずベッドで寝かせてもらうことにして、寝室に入った。
日本でいうなら八畳くらいの小さい部屋で、ひとり用のベッドと箪笥があるだけのシンプルな空間だった。
もちろん、ヘッドボードの上には馬のキャンバスプリント大判写真が飾られていたけれど、なんだかもう気にならなくなってきた。
こんなに馬グッズがあるのだから、きっとこの牧場には沢山馬がいるのだろう。明日になったら見て回れるかもしれない……そんなことを思いながら、倒れるようにベッドの上に身を投げる。
そして目を閉じたが最後、気を失うように眠りに落ちた。
……はずだった。
そんな乃亜が目を覚ましたのは、周囲が真っ暗闇の深夜になってからだった。
『ギャアアアアアア!!! キャアアァァァ!!!』
そんな、鼓膜を突き抜けて心臓まで刺さるような激しい悲鳴が、漆黒の夜空に響く。
乃亜は飛び起きた。
これは──誰かが殺されている! それも信じられないほど残忍な方法で……間違いない!
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