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【乃亜の章】
「俺は誰も乗せない」①
いったん厩舎に戻ったふたりは、再びチャンピオンに乗せてもらってマクブライト邸に向かった。乗馬がこんなに気持ちいいものだなんて、乃亜は知らなかった。
家の中に入ると、ダグラスは居間で本当にすり傷を消毒してくれた。包帯を巻くことさえ提案してくれたけれど、乃亜は丁寧に断った。
(意外と……こう……誰にでも過保護なひとなのかな)
そう思うことで乃亜は自分を落ちつかせた。
「朝食はもう食べたのか?」
救急箱をしまうと、ダグラスは唐突に聞いてきた。
「キャビンにインスタントコーヒーがあったのでそれをいただきました。あと、自分の荷物にグラノーラバーがあったので、それを」
乃亜の答えにダグラスはうなずいた。
「なにか作るよ」
「え!」
「ここは牧場だからベーコンや肉ならいくらでもある。ベジタリアンではないだろう?」
「え、ええ……。どちらかというと肉より魚派ですけど、普通に食べます」
「それはよかった」
乃亜をリビングスペースのソファに残して、ダグラスはスタスタとキッチンに向かった。オープンキッチンなので彼の一挙手一投足はすべて見える。ダグラスは明らかに慣れた動きで大きなフライパンを手にした。
灰色の瞳の長身美形カウボーイ。
料理もできます。
──なんて、ちょっと完璧すぎて反則では? 乃亜は口の中に唾が溜まるのを感じた。多分……食欲のせいだけではない。
ダグラスはいわゆるベーコンエッグをさっと作って、トーストもフライパンで一緒に焼いてしまうと、新鮮な野菜をスティック状に切って皿に乗せた。ワイルドではあるけど、きちんとした料理だ。
ふたりはダイニングテーブルで向かい合って座ると遅い朝食を静かに食べた。
普通に美味しい。
いや、すごく美味しい。
肉体労働のあと。他人が作ってくれた食事の温かさの喜びを嚙みしめていると、ダグラスは彼自身もフォークを口に運びながら言った。
「旨いと思ってもらえているようで、よかったよ」
「え? あ、無言でむしゃむしゃごめんなさい。すごく美味しいです。つい夢中で食べちゃって」
「別に嫌味で言ったわけじゃないよ。そうやって旨そうに誰かに食べてもらえるのは久しぶりだ。さすが親父の──」
と、続けかけて、ダグラスは止まった。
さすが親父の……ウィリアムの。
血筋。
ダグラスはそれを口にしたくなかったのだろう。乃亜はそれを察したし、理解と共感さえした。
「……ウィリアムさんも、あなたの料理を美味しそうに食べてくれたんですね」
「親父はなんでも旨そうに食べるひとだったよ」
「でもきっと、あなたが作ってくれたものは特別だったと思います。実際、とても美味しいし」
「そうかな……」
こうしてダグラスの口からウィリアムの話を……たとえその片鱗だけでも聞けるのは、不思議な気分だった。
そしておそらく、ダグラスも同じことを思っている。乃亜にウィリアムの話をする、その運命の悪戯を。皮肉を。不思議だと。
「とにかく──」と前置きして、ダグラスは咳払いをした。「今朝、病院に連絡したところ、容態は安定しているがまだ面会できる状態ではないとのことだった」
「そうですか……」
もしかしたら落胆が大袈裟すぎたのかもしれない。
ダグラスは黙ってみっつの目玉焼きと十枚近い肉厚ベーコンを平らげると、お馴染みの厳しい表情に戻った。
「本気で親父の意識がきちんと戻るまで待つつもりなら、長丁場になるかもしれない」
「す……すみません」
「帰国の航空券チケットはいつなんだ?」
「一週間後です。でもフィックスオープン・チケットなので、航空会社に連絡すれば三十日間まで伸ばせます」
「そうしておいた方がいいかもしれない」
「最大まで期限を伸ばした方がいいという意味ですか?」
「君の予定が許すならね」
「それは……大丈夫ですけど……滞在費がちょっと。ひと月ホテルは無理ですから。ここにずっといても大丈夫ですか?」
「ああ」
ダグラスはあっさり認めた。
乃亜はまだお皿に残っているベーコンの最後の一枚をフォークでつつきながら、ダグラスにちらりと目を向けた。
「それは……厩舎の掃除の出来栄えを気に入ってもらえたのでしょうか」
「あれは完璧だったよ。ありがとう」
なるほど……。
カウボーイの心を懐柔するのに必要なのは、同情を引くことでも色気を出すことでもなくて、完璧なる厩舎の掃除だったのだ。
乃亜は少し賢くなった。
「わかりました……。この牧場にステイさせていただける限り、厩舎の掃除と、ほかにできることがあればなんでもお手伝いします。そしてウィリアムさんの容態が安定したら、面会させていただいて、手紙を渡して……。できるだけすぐに去ります」
ダグラスは唇を一文字に引き結んだままうなずいた。
ひとまず宿は確保したし、ダグラスはウィリアムとの面会に協力的でいてくれる。とりあえず昨日のような絶望的な状況からは脱したようだった。
「あとは……故障したレンタカーをどうにかしないと……」
「あのレンタカー会社には連絡しておいたよ。夕方には引き取りに来ることになっている。悪いが勝手にキャンセルさせてもらった。もし別の車を借りたいなら、他の会社にした方が賢明だ」
ええ!
料理ができるだけじゃなくて、レンタカー会社への対応まで!
乃亜はこの場にひざまずいて「結婚してください」と懇願してしまいたくなった。ぜったいに断られるけど。
「ありがとうございま──」
「それから、もともと一週間の予定だったなら、いくらか買い物も必要だろう。昼間はホセと従業員に任せておいたから、街に車を出すよ。少なくともジーンズとブーツはあった方がいい。手伝ってくれるならうちの経費で落とすから」
な、ん、と。
乃亜はもう感謝にひれ伏したい気分になった。
しかも車を出してくれるとは……乃亜にあの巨大ピックアップトラックを貸してくれるという意味ではないはずだ。乃亜を乗せて、ダグラスが運転してくれるという意味で。
まるで……。
まるで。
デートみたいに。
(馬鹿! なにを勝手に妄想しているの!)
乃亜の煩悩など知らないダグラスは、お皿が空になると立ち上がった。
「食べ終わったら出かける用意をしてくれ」
「は、はい……っ。あ、でもお皿洗いはわたしがします」
「そこに食洗機がある。少しゆすいで入れておいてくれればいいから」
システムキッチンに鎮座ましますのは、巨大にして強力そうな某ドイツ製食洗機だった。ありがたすぎて聖ディッシュ・ウォッシャー様と名付けたいくらいの。
「大きいですね」
ウィリアムさんとふたりきりでは、大きすぎませんか……と思わず口を滑らせそうになる。いけない。そもそもここはアメリカで、スペースはいくらでもあって、家電も車も無駄に大きいのはデフォルトだ。
「いつもはここで従業員を食わせるんだ」
「ええ、すごい。本当ですか?」
「早めの夕食をね。既婚者は家に帰るから独り身の男ばかりだが……大抵、俺も入れて四、五人。調理係は交代制だ。もしそれも手伝ってもらえるなら、君も順番に組み込ませてもらう」
「もちろんです! というか、今晩からやらせてください」
乃亜は果然、やる気をみなぎらせた。
働く意欲が前のめりすぎて怪しまれるかもしれないけれど、キッチンを任せてもらえるというのは、なんだか信頼の証な気がして嬉しくなる。
それに乃亜は料理が好きだ。
コロラドの地で飢えたカウボーイ達の腹を満たすという役目は、とても魅力的に思えた。もう食材選びからこの素敵なキッチンをどう使うかまで、バーッと想像が沸いてしまう。
「じゃあ、行きましょう!」
急に意欲満々な乃亜を眺めながら、ダグラスはまた小さなため息を吐いた。
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