二度目の永遠 ~ある夏にコロラドで見つけた牧場主との運命の恋~

泉野ジュール

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【乃亜の章】

新しい日々②


 最初の七時のオーダーを出し終えた頃、乃亜はすでに余裕ができていた。

 八時半のオーダーのための下ごしらえは済ませたし、できるだけ温かいものを食べてもらうために直前に火を通すだけだ。
 だから、乃亜はあり合わせの食材を使って、ダグラスと一緒に食べるための朝食も用意しておいた。

 八時半のオーダーをダグラスがコテージまで届けたあと、ちょっと彼としては珍しいくらいの明るい雰囲気を漂わせて帰ってきた。

「どうかしました……?」
「これを見てくれ、ノア」
 朝食のセッティングをしているところだった乃亜に、ダグラスがスマホの画面を見せる。乃亜も使ったことのある宿泊施設検索サイトが表示されていた。

『スプリング・ヘイブン・コテージは最高! 部屋は清潔で広々としているし、景色は素晴らしくて、スタッフも親切よ。でも、なんといっても一番素晴らしかったのは朝食だわ! これを見て! ──パメラ・B』

 新しいレビュー欄に、ついさっき投稿されたばかりの書き込みがある。
 文章のあとには写真が三枚ほど投稿されていて、乃亜が七時のオーダーで作った料理が写っていた。

「わあ、すごい! もう書き込んでくれたの? 本当に?」
 乃亜は思わずダグラスからスマホを奪っていた。

 彼はそれに気を悪くすることはなくて、むしろ乃亜の興奮を楽しんでいるみたいだった。
 乃亜はすでに数年プロの料理人として働いてきたから、自分の料理を紹介されたことはある。でもレストランは──特にフレンチは──名を冠したシェフがその功績を受けるから、こうして乃亜だけの仕事が認められたのははじめてだった。

「やったぁ! ありがとう!」
 ここはアメリカだ。
 ハグくらいは許されるだろう。

 そう思って乃亜はダグラスに向かって大きく両手を広げた。おそらくダグラスはぎこちなく抱き返してくれる程度だろうと思ったのに、彼がしたのは乃亜の脇を掴んで高く抱き上げることだった。
 そしてクルクルと乃亜を回転させる。

「ダグラス!」
 信じられない!
 あのダグラスが……。数日前まで乃亜を訝しがって倦厭していたダグラス・マクブライトが、蕩けるような笑顔で乃亜を抱き上げて笑っている!

 ダグラスは背が高かったから、乃亜のつま先はかなり高くまで上がった。
 そして、その腕の力強さといったら……。

 バレエの演技で、こうして男性ダンサーに持ち上げられたことはあった。
 相手に全体重とすべてを預けるのだから、お互いに信頼の必要な行為だ。そして男性側のそれが、どれだけ難しくて責任が重いのかも、乃亜はよくわかっている。
 でも、ダグラスの腕にはすべてを安心して任せられる誠意があった。
 誠実さが。
 言葉で説明できる種類のものではない、本能からすべてを任せられる……むしろ任せたい、そんな強さが。

「礼を言うのは俺の方だよ」
 ダグラスの息はまったく上がっていない。
 まるで元バレリーナの料理人をクルクル回すのが日々の日課だと言わんばかりの冷静さで、乃亜の瞳を見つめている。

「報酬を……と言いたいところだが、君にこの国での労働許可はないだろうから、代わりになにか奢るよ」

 すぐにストンと床に下ろされるかと思ったのに、ダグラスはまだ乃亜を抱き上げたままだった。なんだか、まるでこの体勢を気に入ってしまったみたいに、乃亜を抱いて離さない。
 おかげで顔が近い──近すぎる。

 冷たい灰色だと思っていたダグラスの瞳は、この至近距離で見るとわずかな緑や茶色が混じっていて、不思議な温かみを感じた。
 光に透かした水晶のような、複雑で、でも優しい色だ。

「そんなのいいんです。無料で滞在させてもらっているんですから、これくらいは」
「君の曽祖父の家にね。普通、金は取らないだろう」
「じゃあ、奢ってもらう代わりに、昨日約束してくれた乗馬レッスンをお願いしてもいいですか?」
「喜んで」

 ──喜んで! ダグラスが! 喜んで乃亜に乗馬レッスンを!

 なにかに納得したのか、ダグラスはやっと乃亜を床に下ろしてくれた。
 乃亜はひと息ついて、今一度スマホの画面にじっと見入る。
 美味しそうに撮ってくれている写真だ。アングルなどもこ馴れた雰囲気で、もしかしたらインフルエンサーとかなのかもしれない。だとしたら、他のSNSでもコテージや朝食について投稿してくれる可能性がある。
 すごい。
 誇らしさと充実感で胸がいっぱいになった。

「明日もやらせてくださいね」
「こちらから頭を下げて頼みたいくらいだよ。そうしてもらえると助かる」

 ダグラスは明日のオーダーについて説明してくれた。
 だいたい今朝と同じくらいの時間帯に、三件、計八名分である。なんでもコテージ内にはミニキッチンが付いているので、宿泊客全員がオーダーするわけではないという。

「……もう一品くらいオリジナルを加えてもいいですか?」
「予算内で収まるなら、好きにしてくれていいよ」
「ちなみに一食分の料金は……?」
 ダグラスは答えてくれた。
 外食の物価が違うのはわかっているけど、結構いいお値段だった。工夫すればもっと豪華にできるかもしれない。
「頑張ります」
 明日の朝を想像して、乃亜の腕が鳴る。

 そんな乃亜のやる気溢れる姿を、ダグラスは可笑しそうに眺めていた。そしてダイニングテーブルにすでに並んでいる朝食を見つけて、あんぐりと口を開けた。
 ……かわいい。

「オーダーに使ったものの余りばかりの賄い飯みたいなものですけど、どうぞ。今朝はまだ食べていないでしょう?」
「そうだ。くそ、ノア……」
 ダグラスは感極まった感じに頭を振った。
「あの旨そうな飯をデリバリーする間、どれだけ自分で食ってしまいたかったか……」
「よかった! じゃあ、一緒にどうですか?」

 そんなふうに、乃亜の新しい生活は軌道に乗っていった。

 ──朝のケータリングと、そこから続くダグラスと一緒の朝食。
 ダグラスはもうしなくていいと言ったが、乃亜は厩舎の掃除を日課とした。馴れてくると馬たちが可愛く思えて、彼らと同じ空間にいるのが楽しかったからだ。
 午後になるとダグラスが乃亜に乗馬を教えてくれて……。
 夜は、ネイトやホセとも一緒に食事をしたあと、フクロウの鳴き声を言い訳にして湖の周囲を散歩する。

(春子おばあちゃんとウィリアムも……最初はこんなふうに……はじまったのかな)

 思わず、そんなことを想像してしまうくらいには、甘酸っぱい日々のはじまりだった。
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