二度目の永遠 ~ある夏にコロラドで見つけた牧場主との運命の恋~

泉野ジュール

文字の大きさ
37 / 68
【乃亜の章】

あなたと歩む道②


 その日の夕方、ダグラスがつけてくれた乃亜の乗馬レッスンは奇妙だった。

 まず、ダグラスの口数が少なすぎる。
 キノコの効果が終わってしまったのだろうか? もしかしたら副作用で、あとになると静かになってしまうとか……?

 ダグラスはチャンピオン、乃亜はマージュという名前の気性の大人しい雌馬で半時間ほど牧場の敷地内を乗馬したのち、厩舎に戻ってきた。幸い、すでに数日レッスンを受けていたお陰で、乗り降りだけはできるようになっている。
 乃亜はひとりで降馬した。
 そのときになってやっと、ダグラスは厩舎に戻ってきたことに気がついたみたいだった。

「ああ」
 と、誰にというわけでもなくささやき、彼もまたチャンピオンから降りる。

「今日は疲れてるみたいだから、もうここまでにしましょう? ありがとうございました」
 乃亜の提案にダグラスは反論しなかった。
 ……しなかったけれど、かといって同意もしない。

 ふたり無言で厩舎の独房に各々の馬を入れて、干し草や水を用意すると外に出た。厩舎のすぐ横にはダグラスのピックアップトラックが停まっている。
 もう慣れたもので、乃亜ひとりでも開けられるし乗れるし降りられる……けれど、ダグラスは助手席の扉だけは必ずといっていいほど乃亜のために開けた。

 南部男の矜持だ、というような話をホセから聞いた。
 これがマナーだと。

 それでも毎回ときめいてしまうのは止められない。まるで自分を特別に扱ってくれているような気がして舞い上がってしまうのは、愚かだろうか。

 バタンと乃亜の乗る助手席側の扉が閉められて、やがてダグラスが運転席に乗り込んで扉を閉める。車内にふたりきりになった。
「……?」
 すぐにエンジンをかけるかと思ったのに、ダグラスはハンドルの辺りに焦点の定まらない視線を泳がせているだけで、動こうとしない。

「どうしたんで──」
「ノア、明日の用意はできているのか?」
「へ? ああ……ケータリングですか? ええ、すでに数日分は揃えてありますから。明日は二組しかオーダーも入ってないですし」
「違う」
 ダグラスの声には苛立ちが籠っていた。「明日のピエドラへのトレッキングの話だ。ネイトとの」

 ネイト、のひと言にちょっと怖いくらいの怒りというか……怨念が感じられた。もし自分の名前をこんな風に呼ばれたらきっと震え上がってしまう。
 なんだかネイトが気の毒になってしまうくらいだ。

「なにか特別な装備が必要ですか……? そんなに険しいコースではないと聞いたので、この感じで行こうかなと……靴は運動靴にするつもりですけど」
「慣れていればね」
「トレッキングくらいはしたことありますよ」

 もう何年も前の話だけれど。
 その情報はここでは出さない方がいい気がした。誰に対してもそうというわけではないが、ダグラスは責任を持たなければならない相手に対して、「ダグラスお母さん」と呼びたくなるくらい過保護なのを、ちょっと学んでいたからだ。

「……着替えを持っていった方がいい。水に濡れるかもしれないから。あと飲料水だ。もしかしたらネイトは川から呑むかもしれないが、君は絶対にしない方がいい」
「はい」
 わかりました、お母さん。
 と、喉から出かけたのを自重し、うなずいた。
 するとダグラスはやっとエンジンをかけて運転をはじめた。

 ひとまずキャビンに戻った乃亜だが、軽くシャワーだけ浴びるとマクブライト邸に向かった。今晩の夕食当番を買って出ていたからだ。

「お邪魔……します」
 玄関から中に入ると、そこは静かで無人だった。ちょっと味気ないくらい綺麗に整頓されたキッチンが乃亜を迎えてくれる。

 エントランス以外に明かりはついていない。でもダグラスはこの家の中にいるはずだ。もしかしたら疲れて、二階の自室で遅めの昼寝をしているのかもしれない。今日の彼は様子がおかしかった。

「キッチン、使わせてもらいますね……」
 無言というのも気分的に落ち着かないので、とりあえず言うだけ言ってから照明のスイッチを入れ、冷蔵庫を開けた。今晩はハンバーグにしようと思って、冷凍されていた挽肉を朝のうちに冷蔵庫に移動させておいたのだ。

 スプリング・ヘイブン牧場は馬の飼育とコテージ経営が主な収入源だが、食用牛もそれなりに扱っていて、ホセはそちらの方の責任者だという。そんなわけでマクブライト邸はほぼ使いたい放題に肉があった。
 ダグラスやネイトの長身は、この無限の牛肉の供給からくるのかもしれない。

(でも、もしここに住めたら、小さくてもいいから野菜畑とか作りたいな……。使えそうな場所ならいくらでもあるし)

 そんなことを考えてしまい、ハッと我に返る。
 ──だから『もし』よ、あくまでも『もし』住めたら!

 もう雑念と煩悩ばかりだ、この牧場に辿り着いてから。挙句の果てにこんな妄想までしはじめるとは、かなり重症になってきている。

「だって、いつかは……帰るんだから……」
 ぼそりと独り言を吐き出して、調理に専念しはじめた。

 ダグラスに助言されたとおり、帰国の航空チケットは最長まで延期したし、帰ってもすぐに仕事があるわけでもない。実家暮らしだから向こうでの家賃もなく、ここの滞在費は無料。
 おそらくこれは乃亜の人生におけるボーナスステージだ。
 永遠にこのままではいられない……はず。

「ノア?」
 いきなりリビングの奥から声がして、乃亜は驚いて手元の包丁を床に落とした。

 だって、声がした方向に顔を向けると、そこにいたのは……お風呂上がりのダグラスだったからだ。

 まだ湿った肌の。
 バスタオルで髪を拭いている。
 上半身裸の、ダグラス・マクブライトが。

「あ、ひゃ、うぁ……」
 寛大なる神のご加護により、下の方はジーンズを履いていた──ボタンの個所は開いているけど、少なくともジッパーは閉めてくれている。

 そのまま奇声を上げてしまいそうになったけれど、はじめて彼のチャップス姿を見たときに晒した醜態を思い出して、なんとか口をつぐんだ。だって……。
 だって!

 ダグラスは髪を拭きながら近づいてきて、乃亜の目の前にくると屈んで床に落ちた包丁を拾いあげた。筋肉の鎧をまとったような背中が露わになった。あ……。
 嗚呼!!

「怪我がなくてよかった」
「あ、す、すみません……。床を傷つけちゃったかも……」
「そんなことを俺やウィリアムが気にするとでも?」

 ダグラスはそのまま静かに包丁を天板に置いた。
 すでに手を伸ばせば触れられる距離にダグラスはいて、お風呂上がりの石鹸の匂いが鼻腔をくすぐるくらいの至近距離だ。
 いつも長袖シャツが多かったから、やんわりと想像はしてもまさか……ここまで……た、たくましい……〇◎×♪△§。

「気絶しないでくれ。俺はなにもしないよ」

 ダグラスは困ったみたいな、でもちょっと乃亜をからかっているような、それでいて間違いなくその言葉を信頼できる、彼にしか出せない不思議な口調で乃亜の耳元にささやいた。

 ずるい。
 乃亜だってこのくらい、この人を惑わすことができたらいいのに。

感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす

小木楓
恋愛
完結しました✨ タグ&あらすじ変更しました。 略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。 「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」 「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」 大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。 しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。 強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。 夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。 恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……? 「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」 逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。 それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。 「一生、私の腕の中で溺れていろ」 守るために壊し、愛するために縛る。 冷酷な仮面の下に隠された、 一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。 ★最後は極上のハッピーエンドです。 ※AI画像を使用しています。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

繰り返す夜と嘘 〜【実録】既婚の僕と後輩の彼女、あの夜のキスから始まった13年の秘密〜

まさき
恋愛
結婚して半年の僕と、同じ職場の彼女。 出会った頃は、ただの先輩と新入社員だった。   互いに意識しながらも、 数年間、距離を保ち続けた。   ただ見つめるだけの関係。   けれど――   ある夏の夜。 納涼会の帰り道。   僕が彼女の手を握った瞬間、 すべてが変わった。   これは恋でも、友情でもない。   けれど理性では止められない、 名前のない関係。   13年続いた秘密。 誓約書。 そして、5年の沈黙。   これは――   実際にあった「夜」の記録。

俺様上司に今宵も激しく求められる。

藤白ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。 **2026.01.02start~2026.01.17end** ◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です! https://estar.jp/novels/26513389

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

田舎の幼馴染に囲い込まれた

兎角
恋愛
25.10/21 殴り書きの続き更新 都会に飛び出した田舎娘が渋々帰郷した田舎のムチムチ幼馴染に囲い込まれてズブズブになる予定 ※殴り書きなので改行などない状態です…そのうち直します。