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【乃亜の章】
君がいるべき場所① ☆ ※ダグラス視点
その日の午後、乃亜をキャビンまで連れ帰ってから、ダグラスは自宅の二階で冷水のシャワーを浴びた。
可能な限りの低温にしたはずなのに、効果はなかなか表れない。
ダグラスは観念して目を閉じると、自分の右手に頼ることにした。
──乃亜。
彼女を思い浮かべるのは簡単だった。
出会ってからそう長い時間が経ったわけではないのに、たとえ冷水を浴びながらでも、彼女の姿は髪の先一本からつま先に至るまですべてを想像することができる。
自分の性欲が希薄だと思ったことはないが、それ以上に自分を律することを学ばざるを得なかった人生が、これまでの禁欲生活を可能にさせていた。
させていたのだ。
過去形。
あのポンコツフォード車が牧場に続く道に現れるまで。
「……は……っ」
血管が表面に浮いた欲望の杭を手のひらに抱えて、上下にしごく。全身の神経がそこに集中して、呼吸が荒くなった。
──乃亜。どうして……。
いったいどういう幸運で、あの天使がダグラスの目の前に降り立ったのだろう。
そしてどれだけ……ダグラスと彼女の人生が出会いさえする前から絡んでいたのか、乃亜は気づいているだろうか。
「く……っ」
長く誰とも関わってこなかった陰茎が、極限まで高まるのに時間はかからなかった。
乃亜はどうにかしてダグラスの元へ辿り着いただけではない──このときまで、清いままでいてくれたのだ。なんという奇跡だろう。
前時代的だと嗤われてもいい。
なんとでも罵ればいい……それでもダグラスは、もしかしたら自分が彼女の最初の──そして最後の──男になれる可能性があるのかと想像するだけで、大量の白濁を飛ばせた。
隣の州まで。いや、もしかしたら日本まで。
くそ。
おそらく一回だけではどうにもならないのはわかっていたから、ダグラスは早々に最初の一本を抜いた。
肩で息をしながらシャワールームの壁に寄りかかる。
ああ……乃亜はここから歩いて一分の距離にいるというのに。
一分。くそ、遠すぎる。
ダグラスはすでに彼女をコテージの方へ移動させるという提案を勝手に破棄していた。もちろん彼女が望むなら、涙を飲んでその希望を汲んだだろう。しかし乃亜はなにも言わないので、この状況に甘えさせてもらっている。
もしかしたら彼女も、ダグラスから徒歩一分の距離を離れがたいと思ってくれているのではないかと、夢想しながら。
「畜生……」
いつかこの壁を背にした乃亜を貫けたら……そう想像するだけですでにダグラスのものは二回目を求めて力を取り戻した。
現実で抱いてはいけないのだから、せめて夢の中では。
その日の午後、ダグラスはこうしてマクブライト邸二階のシャワールームで三回の自慰を繰り返した。
これでなんとか人間らしく振舞うことができるかもしれない。そうであってくれ、と願いながら。
* *
その晩の夕食調理当番はホセだった。
乃亜の料理の方がよかったとブツブツ文句を言いながら、この初老の男はいつものメキシコ料理を煮込んでいた。
最初のうち、ダグラスは乃亜がいつまで経ってもマクブライト邸に来ないことを、それほど気に留めなかった。疲れているのだろう、と。
もしかしたら寝てしまっているのかもしれないと思いながら、むしろ心の準備ができるのをありがたく思いつつ、ホセの手伝いをしつつ、彼女のためにどのワインを開けようかと思考しつつ……。
約一時間後。
「今晩は遅いな。お嬢ちゃん、なにかあったんじゃないのか?」
ホセの指摘に、ダグラスもうなずいた。
ダグラスの『殺してやる』発言を恐れてか、今晩ネイトはここでは食事をしないと連絡してきて、自宅に帰ってしまった。しかしすでに他の者は揃っているのに、乃亜だけは来ない。
これまで乃亜は、たとえ調理当番でなくても先に来て談笑したりテーブル周りを手伝ったりしていたから、彼女の存在がないだけですべてが灰色に見えてくる。
重症だった。
「呼びに行ってくるよ。先に食いはじめていてくれ」
そう言い残して、ダグラスは玄関を出た。
キャビンに着くまでに一度乃亜に通話を試みてみたが、彼女は答えず。シャワーを浴びている……もしくは本当に深く眠りに落ちてしまっている可能性を考えて、あまりしつこくは掛けなかった。一時間近く雨に打たれた上に、あれだけ歩いたあとで、疲れているのは当然だ。
しかし、すでに日が落ちているのに、乃亜のキャビンは完全に暗闇だった。
普段の乃亜は、夕方以降になると玄関口の電灯だけは必ずつけておく。なにかがおかしい気がしてダグラスの足は急いた。
「ノア? 起きているのか?」
玄関の扉まで辿り着くと、ダグラスは軽く数回ノックした。
が、沈黙。
ダグラスは同じことを繰り返したが、無反応は変わらなかった。寝ているにしても、ここには今夜、ほとんど食料がないことは知っている(ネイトが勝手に届けたりしたのでなければ)。
実際、乃亜は別れ際、じゃあ夕食で……と言っていた。
「ノア、返事をしてくれ。なにかあったのか?」
またしても沈黙。
これまでダグラスが広瀬乃亜について学んだもののひとつに、この女性は放っておくとなにか危ないことをしている可能性が高い、というものがあった。
ダグラスは再度扉をノックした……というよりも、叩いた。
「ノア! 返事をしてくれ! 出てきたくなければ声を聞かせてくれるだけでいい!」
そこから続く三度目の沈黙に、ダグラスは耐えられなくなった。扉に顔を寄せて、キャビンの中に声が響くようにして告げた。
「これから十数える。返事がなかったら扉を破らせてもらう。一……二……」
三……。
四、五……。
七まで数えたところで、かすかな物音がキャビンの中から聞こえた。続いて小さな足音。ダグラスは安堵して「ノア?」ともう一度だけささやいた。
かちゃり、かちゃりと内側から鍵を開けようとする音が響く。よく考えればダグラスはスペアキーを持っていたのに、頭に血が上っていてそれどころではなかった。
たっぷり数秒後、扉はゆっくりと開いた。
「ダグ……ラス?」
開いた扉の隙間から現れたのは、肩からベッドの毛布を被った乃亜だった。この暗さの中でも、彼女の全身が震えているのは明らかだった。
「ノア、どうした……? 中でなにかあったのか?」
ダグラスは両手で乃亜の頬を包んで、上を向かせた。そして、そのあまりの熱さにすぐすべてを悟った。
「ご、ごめんなさい……起きられ、なくて……」
「熱があるのか? どうして俺に連絡しなかった?」
「スマホ……濡れていて……充電も切れちゃって……」
ああ……。
ダグラスは自分を殴りたい気分になった。自分が盛りのついたサルのように彼女のことを妄想しながら三本も抜いている間に、こんなことに。
しかも乃亜は夏物の薄い毛布を必死でたぐり寄せて震えている。元々一週間の滞在予定だった彼女の荷物に防寒具はないだろう。キャビン内にもこの夏用の毛布しかないはずだし、セントラルヒーティングも切ってある。
ダグラスはたまらなくなって乃亜をぎゅっと抱いた。
「ノア」
「ごめ……ごめんなさい……。実は……カーペットに吐いちゃったの……二回も」
殺してくれ。
いっそひと思いに殺してくれ、とダグラスはうなった。「いいんだよ。ノア、いいんだ。謝ることじゃない」
「……ふ……拭こうとしたの。でも、できなくて……そのまま……」
「気にしなくていい。本当に、気にすることじゃない。おいで」
ダグラスは乃亜を抱き上げた。
──どうして最初からこうしておかなかったんだろう? 広瀬乃亜のいるべき場所は徒歩一分のキャビンなんかじゃない。あの家だ。
ウィリアム・マクブライトが『ハルコ』のために建てた、あの家……。
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