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【乃亜の章】
君を愛せない理由④
「そんなふうに慰めないでください……。余計に辛いから」
「まあ聞いて。もちろん俺が知っているのは部外者視点の話だけだ。ダグラスは一切語りたがらないし、絶対に言い訳をしない男だから、本当のところは奴だけが知っている」
ネイトは車を走らせはじめた。
乃亜はまだシートベルトをしていなかったので、慌てて締める。可笑しな感覚だった……だってダグラスだったら、絶対に車を走らせる前に乃亜のシートベルトを確認する。
笑ってしまうくらい小さいことだけど、乃亜はそんな些細なことにもダグラスの愛情を感じてしまった。こんなときに。
「ノア……ダグラスが四年間米軍に従軍していた話は知っているだろう?」
「はい、聞きました。ちょうど反抗期だった、みたいな話も……」
「そうだな。まあ年齢的に、多かれ少なかれ誰でも親に反抗している時期じゃないか。ただダグラスとウィリアムはそれまでが本当に仲が良かったから、お互い余計に気になったんだろう。とにかく──」
ネイトはハンドルを握っているので、時々右折や左折に集中するために話を区切る。
乃亜は辛抱強く続きを待った。
「ダグラスが入隊するとき、ジョッシュというダグラスの親友が一緒に行くと言い出した」
「ジョッシュ……」
「そう。ソフィアはそのジョッシュの恋人だったんだよ。たしか中学生くらいの頃からずっと思想相愛で、本当に仲が良かった。ただジョッシュの家は貧しいイタリア系で、ソフィアの家は……まぁ、いわゆる典型的なワスプのエスタブリッシュメントだ。だから身分違いだったんだ」
乃亜は小さく笑ってしまった。
「二十一世紀ですよ。身分なんてあるんですか?」
「ここはコロラド州のワイルド・ウエストだよ。あるに決まってるだろう。君が思う以上にね」
「そうかもしれませんね……」
別にコロラドに限らないのかもしれない。人種。身分。人間の性だ。
日本でだって、乃亜はもう血が薄いのと、世代的にすでにそう珍しくないので滅多に言われないが、クォーターである母は若い頃に結構苦労した。
外では少し空模様が怪しくなってきている。
もしかしたら例のサンダーストームがまた近づいているのかもしれない。
あの仔牛は大丈夫かな……。もしかしたら雷を怖がったりしないかしらと、ふと心配になった。こんなふうに感じて、乃亜はこの土地を……あの牧場を、平常心で去ることができるだろうか。
そんなふうに思いながら濡れる窓の外を見つめる。
「別にダグラスだけがジョッシュの入隊理由じゃない。元々軍人の多い家系だったし、四年の任期を終えると結構色々な奨学金制度があるんだ。ジョッシュの両親じゃ学費は出せなかったから」
「ええ……」
「年の割に大人びていたせいもあって、ダグラスはジョッシュの兄貴分みたいな感じだった。いつもついて歩いてたよ。ソフィアはジョッシュの入隊に反対していたが、ダグラスも一緒だったらってことで最終的に同意したんだ。ダグラスに『ジョッシュを頼む』と言ってね。三人一緒によくつるんでいたから」
ああ……。
なんだかもう続きを聞くのが怖くなってきた。
ソフィアには会った。ダグラスは口をつぐんでいる。ジョッシュはどこにもいない……。
その答えは?
「詳しいことは俺も知らない。だから、いい加減なことは言わない」
「はい」
「中東だ。アフガニスタン。ジョッシュとダグラスは一緒にいたはずだが、ジョッシュだけ二ヵ月先に帰ってきた。その意味がわかるかい?」
「…………」
乃亜は答える代わりに涙をひと粒流した。
ネイトは理解にうなずく。
「その二か月後、ひとりコロラドに帰ってきたダグラスを、ソフィアは責めた。曰く、ダグラスが軍隊に入るなどと言わなければ、ジョッシュは行かなかった。曰く、ダグラスはコンバット・メディックで、ジョッシュを救わなければならなかったのに、救わなかった。曰く──」
「も……もうやめて、ネイト。わかったわ。ひどい」
「その通りだよ。ひどい言いがかりばかりだ。でもあのとき、ソフィアはジョッシュを失ったばかりで、彼女の家族はジョッシュの死について冷淡で、怒りや悲しみのやりどころがなかったんだろう。そして、なんといってもダグラスはダグラスだから……いくら責められても、なじられても、言い訳も反論もしなかった。実際、責任を感じていたんだろう」
「そんな……」
「最終的に、ソフィアは『あなただけ幸せになるなんて許せない』とダグラスに言い放ったんだ。彼女は一生に一度の最愛の人を失ったのに、ダグラスだけのこのこと帰ってきて、誰かと幸せになる姿を見るのは耐えられないと。田舎だからさ。ちなみにソフィアの生家はパゴサの北で、そんなに遠くない場所にある。普通に生活圏の被る範囲だ。今日みたいにね。そしてダグラスは……ウィリアムのあの牧場を離れられない」
乃亜の涙に合わせたように、ガラス窓にぽつりぽつりと細かい雨が落ちてくる。
同じ涙でも、乃亜はもう自分のために泣いてはいなかった。
──ダグラスを想って。
彼の誠実を。その悲しみや苦しみを。
でも、その先にある強さを。
「おそらくだけど、ソフィアはもうそんなふうには思ってないよ。あのとき、俺たちは皆若くて、ジョッシュを失ったばかりで傷ついていた」
確かに、そんなようなことをソフィアも言っていた。
邪魔するつもりはないと……。
「でも、ダグラスは……」
「そう、ダグラスはまだ律儀にその誓いを一語一句守っている。誰とも幸せにはならないと」
ピックアップトラックとはいえオートマなので、わざわざいじる必要はないのに、ネイトは時々遊ぶようにギアを変えながら運転を続けた。
たかがコロラド。されどコロラド。
乃亜が最初に迷い込んだ牧場へ続く一本道に入ったとき、しばらく無言だったネイトが再び口を開いた。
「でもさ、すごいことだと思わないかい?」
「え?」
「ダグラスの律義さというか、一本気さがさ。俺だったら守れないね。守るべきだとも思えない」
「……それは……」
「ウィリアムにそう育てられたんだろうな。彼もまた一途な男だったからな……詳しくは知らないが、確か……昔好きになった日本人の女がいるせいで、生涯独身を貫いてるとかなんとか……」
と、そこまで言って、ネイトは青い瞳を見開いて乃亜を見た。
あ、やっと今、気づいたんだ?
「……もしかして、ノア、君はそのウィリアムの過去の女と関係があるのか? 知り合いの娘と言っていたが……いや、ちょっと待てよ」
「はい」
「『はい』!?」
「えっと、ひ孫ですね。まだ会ってもいないんですけど……」
「ひ孫! 誰の? ウィリアムの!?」
「はい」
「だから、『はい』!? ダグラスは知ってるんだ??!」
「ええ」
ネイトはいくつか翻訳不可能な英語のスラングをつぶやいていた。しばらくして正気を取り戻すと、ピックアップトラックのスピードを上げた。
「すごい話じゃないか」
乃亜にというより、独り言のような感じでネイトはつぶやいた。
「そう言われると、確かにそんな気がしてきます」
「いやさ、想像してみなよ。君たちはすごい組み合わせじゃないか。それにダグラスはああいう奴だから……きっと一度惚れたら永遠だよ。君にその覚悟はあるかい?」
覚悟。
覚悟とは大きく出た、強い言葉だ。
でもあるかないかと聞かれたら……もちろん、ある。
乃亜だってそのダグラスに大笑いされる程度には、律義に一本気に生きてきた。広瀬乃亜、二十四歳、日本人。キスは……ダグラス・マクブライトとしかしたことがありません。
ネイトの指摘はおそらく正しい。
すごい組み合わせなんだ。
「さあ、さっさと帰ろう。いったい奴はどこに籠城しているのやら……」
ハンドルを持つネイトの手に力が入る。乃亜はただ静かにうなずいた。
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