二度目の永遠 ~ある夏にコロラドで見つけた牧場主との運命の恋~

泉野ジュール

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【乃亜の章】

「君のすべてが欲しいから」① ※ダグラス視点



 細い雨が厩舎の屋根を打つ音が聞こえる。
 雨そのものを好きだと思ったことはあまりないが、ダグラスはその雨が大地にもたらす匂いが好きだった。

 乃亜にも少し同じ香りがする。華やかではない、派手でもない、ただ心を落ち着かせるばかりの優しい芳香……。
 ダグラスはそれを吸いながら眠る権利を欲しくてたまらない。

「だからどうした、ダグラス・ジョンソン・マクブライト……。お前がなにを欲したからって、それが得られるわけじゃない」

 ダグラスは宙に向けて独り言をつぶやいた。
 もしくは、同じ空間を共有している、三十八頭の馬に向けて。
 手にはすでに半分飲み干したウィスキーの瓶があって、ダグラスはもう一度その琥珀色の液体を喉に押し流した。

 ダグラスは普段、数杯のビールしか嗜まないようにしている。酒が嫌いなわけでも、弱いわけでもないのだが、自分の中に流れる血をダグラスは信用していなかった。いくらウィリアムという法王も真っ青な清廉潔白な男に育てられたといっても、ダグラスの血の繋がった父は酒狂いで、マフィアの抗争に巻き込まれて犬死した阿呆だ。

(いや……あのひとも……昔はもう少しまともだったんだろう、おそらく……)
 ダグラスの母が亡くなるまでは。

 幼すぎて覚えていないが、少なくとも周りの人間から聞いた話によれば、ダグラスの父親が道を踏み外したのは妻の死を乗り越えられなかったことが原因だった。

 ──素晴らしい。
 自分を育てた男だけでなく、血の繋がった父親までが、たったひとりの女性に心を捧げ、そして人生を狂わせていったのだ。
 自分もその道をまっしぐらに突進している自覚はあったので、ダグラスはその孤独を紛らわすため、もうひと口ウィスキーをあおった。

 それでもダグラスにはひとつだけ、彼らになかった幸運を持っている。
 乃亜はここ、自分のすぐそばにいる。

 まだ手を伸ばせば届く距離に、彼女はいるのだ──とはいえ、そんな彼女をスーパーマーケットに置き去りにしてしまった事実は消しがたく、ダグラスは三十八頭の馬に向かって乾いた笑いを漏らした。

「お前はもう終わりだよ、ダグラス。今頃ノアは荷物をまとめているんだ」

 そうなったら、どうやって彼女を追いかけていこう?
 ダグラスはデンバー国際空港が嫌いだった。あれはダンテ神曲の地獄の門だ──この門をくぐる者はすべての希望を捨てよ。

 そういえば乃亜は一度、熱に浮かされて元カレの名前を漏らした。
 カツヒコだったか? 日本にいったい何人のカツヒコがいるのか知らないが、ミシュランレストランでシェフをしているカツヒコの数はそう多くないだろう。日本全国すべてのカツヒコを殺し歩かなくて済むはずだ。多分……。
 畜生、もうひと口、ウィスキーが必要だ……。

「ダグラス? ここにいるの?」
 急に乃亜の声の幻聴が聞こえて、ダグラスは呑む手をとめて答えた。

「ああ、ここだよ。俺の隣にきてくれ、ノア! 君が必要なんだ。俺をこの泥沼から救ってくれ」
「わかりました」

 幻の乃亜はやけにあっさり答えた。
 ありがたい。アルコールの力は偉大だ。たとえ幻でも、乃亜に居心地の悪い思いはさせたくなかったので、ダグラスは自分が座っている周囲にある干し草の山を少々整えた。

 数秒後、足音が聞こえて、ダグラスの前に乃亜が現れた。
 少し赤い目をしている。
 ダグラスの心はすぐに痛んだ。

「君を泣かせた男は誰だ?」
 と、馬鹿なことを言ってすぐに気がついた。
「……俺だな。ごめんな」
「いいんです……。あなたこそ目が赤いですよ。どうして泣いているの?」

 こんなに優しい声がこの世に存在するとは知らなかった。その声が、こうして馬の厩舎の地面に転がっている阿呆な酔っ払いに与えられるとは……奇跡だ。

 乃亜はダグラスの前にくると両膝でひざまずいて、そっと片手を差し出してきた。
 そっと頬に触れる彼女の指先が冷たくて、ダグラスは目を閉じた。

「君のすべてが欲しいから」
「でも、それで泣く必要はないのに」
 乃亜は少し笑っている。
「ノア、俺はただキスの話をしてるんじゃない……もちろん君とのキスは素晴らしいよ。でも俺は貪欲だ。もっとその先を欲しい。君を抱きたい。君の恋人でいたい。君を俺の妻にしたい。君と一緒に年を取っていきたい」

 ダグラスは目を瞑っていたから、乃亜の反応はわからない。
 少なくとも平手打ちは飛んでこなかったので、ダグラスは続けた。

「でも俺にはそれが許されない……だから泣いていたんだ」

 いつのまにか、幻の乃亜の手がダグラスの両方の頬を包んでいた。
 ダグラスは静かに目蓋を開く。
 コロラド山脈の幽玄ささえも敵わないような、澄んだ、凛とした乃亜の瞳がダグラスを見つめている。ウィスキーの匂いの混じったため息を吐きながら、ダグラスは低く自嘲の笑いを漏らした。
「好きだよ。君を愛している」

「もし他の誰かが許さなくても……」乃亜は微笑んだ。世界一美しい笑みだった。「わたしが許します。抱いて」
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