二度目の永遠 ~ある夏にコロラドで見つけた牧場主との運命の恋~

泉野ジュール

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【乃亜の章】

「君のすべてが欲しいから」② ※ダグラス視点


 ダグラスは目の前の乃亜をじっと見つめた。
 仔牛を蘇生させたあとに笑っていた童女のような無邪気さは薄れて、覚悟を決めた大人の女性がそこにはいた。
 まさか……。

「本物……なのか……?」
「なんだと思っていたんですか? 幽霊?」
「俺の欲望が見せた幻かと……」

 ダグラスは少しずつ尻を引きずってあとずさった。乃亜はそのままの姿勢で、包むものがなくなった手を所在なく宙に浮かせた。

「本物です。家にはいなかったから、多分ここだろうってネイトさんが」
「ネイト」
 する権利のない嫉妬を、ダグラスはした。

 逃げ出したダグラスに代わって乃亜を安全に牧場まで帰したのはネイトだ。英雄はネイトで、ダグラスはただの道化。感謝こそすれ、妬く資格などダグラスにはないのに、正論や理性はもう遠いどこかに行ってしまっている。
 ダグラスはウィスキーの瓶を持ったままふらふらと立ち上がった。

「俺から離れるんだ、ノア」
「ダグラス」
「そんなふうに俺の名前を呼ばないでくれ。俺は君を置き去りにするような男なんだ。近寄っちゃ駄目だ」
「でも、ちゃんとネイトさんを呼んでくれたでしょう? わたしはもう赤ちゃんじゃないんですよ……もちろん傷ついたけど」

 乃亜も一緒に立ち上がる。そしてダグラスに対峙するように向き合った。

 ダグラスは乃亜のまなざしの純真さに耐えられなくなって、逃げ場を探した。とはいえ、ウィスキー瓶を半分以上空けたあとのダグラスの足はふらつく。
 フラフラと横に移動するダグラスの醜態を、乃亜の視線が追った。
 こんなときにその資格はないとわかっていたが、ダグラスのプライドは明確に傷ついた──乃亜の瞳には明らかな憐憫が宿っていたからだ。

 ──乃亜は正しい。お前は哀れな男なんだよ、ダグラス。
 そう思うとダグラスの中にあまりにも多くの感情が渦巻いた。愛しさだけじゃない。悲しみだけじゃない。怒り。焦り。絶望。希望。
 まさに酔っ払いだけができるおぼつかない足取りで、ダグラスはすべてを捨てたくて外に向かった。

 そうだ、外は雨が降っている。
 サンダーストーム。
 すべてを洗い流して、吹き飛ばし、ついでにこの哀れな男の脳天に雷でも落として、なにかを変えてくれ……。

「待って、ダグラス」
 乃亜はついてきた。

 駄目だ、戻ってくれ、君はこの雨に打たれて熱を出したばかりだろう……良心はそう告げているのに、ダグラスの中の身勝手な野獣が、いっそ彼女を道連れにできたらという誘惑さえ思い浮かべる。

 外はすでに日が落ちかけていて、薄暗かった。
 遥か先に立ち並ぶ山脈と、豊饒な地面が続く足元。自分のものだといえる土地。ダグラスはこの場所を愛している。
 それでも離れるべき理由はいくらでもあったのに、なにか形のない力が、ダグラスを引き留め続けていたのだ。それは第一にウィリアムだったし、いつかこの女性に出会うために用意された、ダグラスの運命だった。

 今ではそれがわかる。
 ダグラスはあえて外に出て雨に打たれはじめながら、まだ厩舎の入り口に立つ乃亜を振り返る。

「来るな!」
 違う! 来てくれ!
「ダグラス」
「さっさと家に戻って、ネイトと一緒に俺のことを笑っていればいいんだよ! 俺は哀れな道化だ、親友を救えなかった役立たずだ! 来るな!」
 生まれたばかりの赤ん坊でもここまで愛に飢えてはいないだろう。ここまで……誰かの手を必要とはしていない。

「違うわ」
 乃亜は宣言した。
「なにも違わない。少なくとも俺の中では、なにも違わない」

 ダグラスはすでに濡れそぼったカウボーイハットを脱いで地面に捨てた。さらに厩舎からあとずさると、乃亜はついてくる。
 遠くで雷鳴が響いて、彼方の空に閃光が走った。

 乃亜は……。
 乃亜は、なにも知らない。
 知らせないままでいいと思っていた。しかし、滅茶苦茶になったダグラスの心は、ずっと告げるつもりのなかったことを口走りはじめた。

「ノア、どうして俺がいつも湖畔の散歩に君を誘ったか、わかるか?」
「え……」
「俺にとって、あれは君のためにある場所だからだ」

 もし酔っていなければ、もう少し賢い説明ができたはずだった。それでもダグラスの中ではそれが真実で、それ以上に飾った言葉は出てこなかった。

「ソフィアにああ言われても、俺は高齢のウィリアムのためにこの土地に残った。それでも俺はまだ二十二だったんだ。どこかへ移ることも考えた……でもできなかった。あの湖畔を買い戻したからだ。その支払いを続けなきゃならなかった」

 乃亜は瞳をまたたいて無言の疑問を呈した。
 それはそうだろう……ふたりの運命は複雑すぎて、時々めまいがしてくる。

「あれは親父が『ツキコ』のために売り払った土地だったからだ」
「あ……」
「この牧場をまともに利益を出すものプロフィッタブルにしたければ、あの土地はどうしても必要だった。そんなことは親父もわかっていた。それでも、一緒にいることさえできない娘のために親父は売った」

 春子とウィリアム。
 ダグラスと乃亜。
 その愛の種は冷たい冬の大地にまだ埋まっている。いつか春がきて、花を咲かせることを夢見ながら。この雷雨に吹かれても。
 時代が、運命が、どれだけ引き離そうとしても。

「俺は朝の五時に起きて日が暮れるまで必死に働き続けた。毎日。毎日。足を折った日でさえ休まなかった。時々、俺はなにをしているんだろうと、泣きたくさえなった──それでも」

 ダグラスは息苦しくなって思わず胸をかきむしった。
 乃亜は雨の中に足を踏み出してくる。

「それでも……俺はもう一度同じことをするよ。何度でも。何度でもだ……必要なら、俺は何度でも同じことをする。君が存在するために必要なことなら、何度でも繰り返す」

 ウィリアムの選択に苛立ったこともあった。
 彼のことを捨てたハルコ
 会うこともできないツキコ
 それを救うために、文字通り血の滲むような努力をしなければならなかったのは結局、他の誰でもない、自分自身だ。
 ウィリアムと春子の叶わなかった愛の陰で犠牲を払う羽目になったのは、よりによってダグラスだった……それでも。

 その無意味に思えた日々に意味を持たせてくれたのが乃亜だ。
 もし月子が乃亜の母を産むまで生き永らえられなかったなら、乃亜は存在しないのだから。

「君が存在するために必要な努力だったなら……俺は喜んでそれを受け入れる」
「ダグラス……」
「さあ、俺の阿呆な告白は聞いただろう。さっさと荷物をまとめて日本へ帰ってくれ」──帰らないでくれ──「もしくは家へ戻って、ネイトと仲良くしていてくれ」──冗談じゃない、あの男の喉を掻き切ってやる──「そうでなければ……」
「ダグラス、もういいの。静かにして」

 ふぅん?
 ダグラスは酔った頭で余計なことを考えた。乃亜は静かな男が好きなのか? だったら自分にもそれなりに望みがあるのかもしれない……。

 雨が降っていた。
 横に吹きつける風がふたりを濡らす。それでも。
 乃亜はダグラスの前まで来て、彼の唇に人差し指を当てて黙らせた。ダグラスの腕は勝手に彼女の腰を抱いていた。

 雨が、降り続けていた。
 
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