二度目の永遠 ~ある夏にコロラドで見つけた牧場主との運命の恋~

泉野ジュール

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【乃亜の章】

「君のすべてが欲しいから」③



 乃亜の中にある祖母・月子の記憶は、ただ写真と、曾祖母が語ってくれたところによる。
 可愛らしいひとだった。
 真っ白な肌で、薄い茶色の細い髪で、日本人離れした大きな瞳。
 当然だ……月子の父親はウィリアム・マクブライトで、ウィリアム・マクブライトは金髪碧眼のアメリカ人だったのだから。

「あの頃はまだ、国民皆保険なんてなかったのよ」曾祖母は語った。「本当に、本当にどうしようもなかったの。あの子を救いたかったら、きちんとしたお医者さんに診せなくちゃいけなかった。お金が必要だったの」

 ダグラスは以前、彼とウィリアムの間に秘密はあまりなかったと言った。
 ──それは乃亜と春子も同じで、曾祖母はおそらくひ孫に語るには少し道徳的に赤裸々すぎる細部まで、乃亜に教えてくれた。

 ウィリアムが強制的に帰国させられ、母国で軍法会議にかけられ……そしてなんと有罪となり数年の懲役刑が決まると、春子はひとりで出産せざるを得なくなった。
 そして生まれたのが月子だ。

 月、は……ウィリアムの愛の告白からつけた名前だろう。
 十月十日の満ちる前に生まれ、とても小さい、本当に小さい子だったと曾祖母は言った。生まれつき心臓に疾患があるとわかったのはそれからすぐだった。

 * *

「濡れるべきじゃない……中に入ってくれ、ノア」
「じゃあ、一緒にきてください」
 なんだかんだ言って、乃亜の懇願をダグラスが無下にすることはない。乃亜はすでにそれを学びはじめていたから、頑固な彼を厩舎の中に呼び戻すため、切なく願った。

 もちろんダグラスは乃亜を雨から庇うようにして、すぐに厩舎の中に入った。
 うまやとはいえ、繊細な馬たちを守るために多くの設備があるそこには、頭上に大きな赤外線ヒーターがあって、ダグラスはそれの電源を入れた。

 その行為が、彼自身のためじゃなくて、自分のためだということを乃亜はよくわかっている。
 赤々と灯る光が、雨に冷えた肌をすぐに温めた。

「抱いて、ください」
 乃亜はもう一度ささやいた。
 ダグラスは答えなかった。

 それでも彼は静かに乃亜の元に戻ってきた。ダグラスはそのまま乃亜の背後に回ると、後ろから彼女をそっと抱きしめた。今まで何度か抱きしめられたとき、いつも正面からだったから、まるでまったく新しいことをしているような気分になった。

「その……本当の意味をわかっているのか?」
 本当の意味……。
 耳元につぶやかれたダグラスの低い声に、乃亜の中の沢山の感情が反応する。恐れもあった。期待もあった。欲望もあった。
 でも一番大きいのは、間違いなく愛情だった。

「はい」
「いいや、君はなにもわかってないよ」
「だとしたら……教えてください。知りたいから……」

 ダグラスの手が乃亜の腹部をゆっくりと撫でた。男と女が愛し合うことの本当の意味。
 もう半世紀以上も前、春子とウィリアムもこうして肌を重ねた。
 誰もいない川辺で。
 互いの身体と心だけを拠りどころに。

「これが夢なら……覚めないで欲しい。君が幻なら……このまま永遠に見ていたい」
 ぎゅっとダグラスの腕に力が入る。
「夢が覚めるのを恐れないで。わたしはここにいるから」

 こんな瞬間を迎えることを……きっと多くのひとが夢に見る。
 誰かと出会って恋に落ちて、愛を知って、身体と心を繋げる。肌に触れて声を聞いて、その誰かを幸せにしたいと願う瞬間。
 乃亜は少なくともそんな瞬間を迎えた。
 たとえこれが永遠でなくても、ひと時だけの邂逅にすぎなくても、後悔するとわかっていても……手放すことはできない。

 乃亜は肩越しに後ろを向いて、ダグラスの唇に自分の唇を近づけた。
 ウィスキーと、雨と涙の混じった匂いが鼻腔をつく。一日が終わろうとしている頃だから、いつもは綺麗に剃られているダグラスの頬は少しザラザラとしていた。

「怖くは……ないのか?」
 ダグラスの問いに、乃亜は首を横に振った。
 不思議なデジャヴを感じる。そうだ……ウィリアムもはじめて春子と結ばれる前に、同じ質問をした。
「ううん。ダグラスは……?」
「俺は怖いよ」
「どうして──」
「これから俺は永遠に君を愛するようになる。でも君は、一時の気の迷いで酔っ払ったカウボーイに身体を許したことを後悔して、俺を遠ざけるようになるかもしれないから」

 本当に。
 このひとは。
 どこまで乃亜を沼に落としたら気がすむのだろう?

「もしかしたらわたしも、その酔っ払ったカウボーイを永遠に愛するようになるかもしれないのに」
「そう願うよ」
「そうなったら……」
「うん?」
「大事にしてくれる?」

 ダグラスが呼吸を止めるのがわかった。空気が変わる。優しく触れていた彼の手に痛いくらいの力が入った。

 お互いに顔を寄せ合って、静かな口づけをした。
 舌は使わない、唇だけをついばみ合うような厳かな接吻。外は雷雨が吹き荒れていて、ふたりがいるのはコロラドの果ての厩舎で、そこに未来の保証はない。それでも……。

「当たり前だろう……。この息が止まる日まで、俺は君を幸せにすることしか考えない」

 * *

 あの別れの日から春子とウィリアムが再会の日まで、実に六年の歳月が経っていた。月子は五歳になっていた。

 ずっと音信不通になっていたウィリアムがついに出所し、当然退役もして、一般人として再来日したのだ。
 春子が月子を連れて実家を訪ねているときだった。
 その瞬間のことを──その瞬間のことだけは──曾祖母はあまり語りたがらない。

 春子は涙を流しながら説明した。
 あなたを愛していました。今でも愛しています。でも、この子を守るためには仕方なかったの……。

 ──あまりにも滑稽なメロドラマだったと。
 それでもそういう時代だったのだと。

 春子はすでに結婚していた。相手はそれなりに裕福で、春子に心底惚れて、月子のことも我が子のように面倒を見て医療費を支えてくれている。
 そしてなによりも、春子はその夫との子供を妊娠したばかりだった。

 ふたりはその場で別れたという。
 ウィリアムが春子に唯一残したものは、『もし必要になったときに』という、コロラドの牧場の住所だった。

 その後、春子は一度だけその連絡先に手紙を送った──十五歳の年に、月子の心臓が悪化したからだ。
 手術が行える唯一の医者がアメリカにいるらしい。しかし莫大な費用が掛かる……もし可能なら、助けて欲しいと。
 春子は返事のない覚悟をした。自分を溺愛している夫のため、別れのときにもう会わないと約束をしたからだ。血の繋がった娘との面会さえ拒否した春子を、助けてくれるはずがないと。
 しかし、ウィリアムはその医師と連絡を取り、手術を手配し、すべての費用を払った。

 ……そのために大事な土地を売り払っていたことは、ダグラスの告白を聞くまで知らなかったけれど。

 * *

 そしてときは巡る。
 残ったものは……なんだろう。
 暗すぎる夜の果てに。長すぎる旅路の末に。ひとりの男性の愛が残したものは、なんだろう。
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