56 / 68
【ダグラスの章】
手紙①
次の日、朝日と共に目を覚ますと、ダグラスは自分のベッドの中にいた──ひとりで。
一瞬の意識の空白があって、すぐに正気に戻ると、ダグラスは慌てて上半身を起こした。服は……着ていない。ただトランクスだけは履いていた。
ホッと、妙な安堵を感じたものの、すぐに動揺がとってかわった。
──乃亜はどこだ?
シーツの上を探しても彼女はいない。
部屋の中を見回しても影さえ見当たらない。
ダグラスはすぐに一種のパニックに陥った。隣にいるべき彼女の姿が見当たらないということが、まるで魂の一部をもぎ取られたような不安に繋がる。
──そんなことでどうする、ダグラス。もしかしたら乃亜は荷物をまとめて地球の裏に帰ってしまうかもしれないのに。
頭を振って立ち上がったダグラスは、手近にあったジーンズだけ履いて、寝室を出た。
二日酔いは確実にあって、痛いほど喉が渇いているうえに、悪魔がダグラスの頭を金づちで叩いているような頭痛がした。でもそんなものより乃亜が必要だった。
フラフラと階段を下りると、ダグラスの救いはそこにいた。
その場でひざまずいて愛を乞うてしまわないように、ダグラスは深く息を吸って己を律した……つもりだった。
乃亜はいつものように台所に立ってこちらに背を向けていた。
「ノア?」
ダグラスが名前を呼ぶと肩越しに振り返る。またしても下にジーンズだけで上半身裸だったダグラスについて、なにを思ったのか、彼の天使は小さく微笑んだ。
俺の天使──やめろ、ダグラス・ジョンソン・マクブライト。そうやって広瀬乃亜をあらゆる神聖なものに脳内変換して崇めるのを。
乃亜にとってのお前は、ただの二日酔いのカウボーイだ。それを忘れるな。
「おはよう……ございます。その……大丈夫?」
ダグラスは片手で髪をかき上げた。
「それは俺の台詞だ。昨日はあれから──」
くそ。
頭痛とウィスキーのせいで記憶が曖昧で、どこからが夢でどこまでが現実だったのか、すぐには整理できない。
「覚えてないなら……あれから、厩舎で二回目までしたあと……ちゃんと服を着直してピックアップトラックでここまで連れてきてくれましたよ。ネイトさんのピックアップトラックには二度と乗るなとかなんとか……ブツブツ言ってましたけど、ちゃんと紳士にしてましたから、安心して」
「…………」
「それからあなたの部屋に入って、もう一度だけ」
「ノア、すまない」
もううなだれるしかなかった。ダグラスがそのまま近づくと、乃亜は身体ごと振り返って対峙した。彼女の可愛らしい顔は明らかに傷ついた表情をしていた。
「どうして謝るの?」
「あんなふうに君を抱くべきじゃなかった。おまけに二回目……さらに部屋でも……」
「素敵でした」
「ノア!」
「お……怒らないで! 確かにあなたが酔っているときに誘ったのは反則でした。でも、この責任を取ってとか、恋人になってとか、鬱陶しいことは言いませんから安心してください」
「鬱陶しい?」
衝撃的な頭痛が襲ってくる。二日酔いからくるのか、乃亜の言葉に思考がパンクしたせいかはわからない。
鬱陶しい……ダグラスが?
乃亜が?
「ノア、君にとって俺が鬱陶しい男だというのはわかる。まったくその通りだ。でも俺が君を鬱陶しく思うことはない」
「でも……」
「でも、じゃない。昨日のことは……」
昨日のことは……?
ダグラスにとって昨日は永遠のはじまりだった。ウィリアムと同じ道の切符を買ったようなもので、きっともうダグラスの心に「広瀬乃亜」以外の選択肢はない。
しかし乃亜はまだ二十四歳だ。
帰る国があって、無限に拓けた未来がある。ダグラスにそれを邪魔する権利はない。少なくとも……彼女を幸せにする覚悟がない限りは。
この八方塞がりな状況を打破するために、ダグラスはソフィアと話し合う必要があった。それまでは乃亜になにかを約束することはできない。
愛も、将来も、互いを恋人と呼ぶ権利も。
ダグラスが両脇で拳を握って答えずにいると、なにを思ったのか……乃亜は薄っすらと涙を浮かべながら儚く微笑んだ。
「いいんです。わかっています。わきまえているから……心配しないで」
「ノア──」
そのときだった。ジーンズのポケットに入っていたダグラスのスマホが、通話の着信を告げて鳴る。たとえローマ教皇から電話が掛かってきても応える気分ではなく、ダグラスは着信を切るつもりでスマホに手を伸ばした。
「鳴ってますよ……ちゃんと取らないと」
と、それこそ妻のようなことを乃亜が言うので、ダグラスは画面を確認した。
ウィリアムが入院している病院の名前が表示されている。
時刻は朝七時。
最悪の事態のことを考えて、ダグラスは「すまない」と断りを入れると乃亜から離れて、リビングで通話に答えた。
「もしもし」
『ダグラス? こちら、セント・ポール・キャピタル病院のミシェルよ。こんな時間にごめんなさいね』
ウィリアムを担当している顔見知りの看護婦だった。
「なにかあったのか?」
『いいえ。朝早くに驚かせてごめんなさい、ウィリアムは大丈夫よ。むしろ逆で、とても気分がいいみたいなの。珍しいくらい調子がよくて、どれくらいそれが続くかわからないから、できれば今すぐあなたと面会したいと言っているのよ。あなたと……もうひとり面会登録した女性がいたわね? 遠い血縁だとか?』
「ひ孫」ダグラスは指摘した。
『そう。ひ孫ね。彼女も連れてこいと言っているわ。どう? 来られるかしら?』
ダグラスはリビングからキッチンにいる乃亜を見すえた。
乃亜もこちらを見ながら、なんとなく内容を察したのだろう、不安そうに瞳を揺らしている。
「一時間以内に」
短く答えて、ダグラスは通話を切った。マクブライト邸にしばらく沈黙が流れる。
「ウ……ウィリアムさん……? まさか……」
時刻的に、乃亜も最悪の事態を想像したのだろう。ダグラスは彼女を安心させるためにキッチンに戻って彼女の手を取った。
「親父は大丈夫だよ。面会したいと言っている。もちろん、君とも」
「あ……」
ときが巻き戻される。
いつのまにか一緒にいることが当然のようになっていたふたりが、出会った理由──『手紙を渡したら、わたしはすぐに日本に帰ります。一日だって滞在を伸ばしたりしません』
「こ……このオーダーを出し終えないと」
「終わるまでは待つよ。今朝はその一件だけだろう」
「ええ……」
乃亜の声が震える。
春子からウィリアムへの手紙。それを渡し終えれば、乃亜がここにいる理由はなくなるのだ。
あなたにおすすめの小説
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす
小木楓
恋愛
完結しました✨
タグ&あらすじ変更しました。
略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。
「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」
「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」
大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。
しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。
強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。
夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。
恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……?
「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」
逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。
それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。
「一生、私の腕の中で溺れていろ」
守るために壊し、愛するために縛る。
冷酷な仮面の下に隠された、
一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。
★最後は極上のハッピーエンドです。
※AI画像を使用しています。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
繰り返す夜と嘘 〜【実録】既婚の僕と後輩の彼女、あの夜のキスから始まった13年の秘密〜
まさき
恋愛
結婚して半年の僕と、同じ職場の彼女。
出会った頃は、ただの先輩と新入社員だった。
互いに意識しながらも、
数年間、距離を保ち続けた。
ただ見つめるだけの関係。
けれど――
ある夏の夜。
納涼会の帰り道。
僕が彼女の手を握った瞬間、
すべてが変わった。
これは恋でも、友情でもない。
けれど理性では止められない、
名前のない関係。
13年続いた秘密。
誓約書。
そして、5年の沈黙。
これは――
実際にあった「夜」の記録。
俺様上司に今宵も激しく求められる。
藤白ましろ
恋愛
鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。
蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。
ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。
「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
**2026.01.02start~2026.01.17end**
◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です!
https://estar.jp/novels/26513389
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます
沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!