二度目の永遠 ~ある夏にコロラドで見つけた牧場主との運命の恋~

泉野ジュール

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【ダグラスの章】

手紙③



 ウィリアムとの面会に乃亜が選んだのは薄いピンクのワンピースで、ここしばらくの牧場生活に合わせて着ていたジーンズやフランネルシャツとは違う、女性らしいシルエットがひと目を惹いた。
 足元は低いヒールのついた華奢なサンダルで、スプリング・ヘイブン牧場では一分ともたないだろう。

 ──ダグラスにとって、乃亜は月から来た天女なのかもしれない。
 ときが来たらこの手からすり抜けて消えてしまう、特別な存在。

 乃亜のワンピース姿を眺めながら、ダグラスはそんなことを思い浮かべた。

 病院の白い廊下をふたりで進みながら、ダグラスはこれから起こるであろうことを想像して喉の奥でうなった。
 ウィリアムが乃亜を前にどんな反応をするのかは未知数だった。
 そして乃亜がなにを選ぶのか、ダグラスがどこまで進めるのか……。

 ウィリアムの病室の手前まで辿り着いたとき、今朝電話を寄こしてきたミシェルという名の看護婦が隣の部屋から出てくるところだった。

「あら、ダグラス。ちょうどよかった! 遅いからもう一度連絡しようと思っていたところなのよ。ミスター・マクブライトがお待ちよ」
 ミシェルはダグラスの隣にいる乃亜を一瞥して、人懐っこい笑みを浮かべた。

「あなたがノアね。話はミスター・マクブライトからうかがっているわ」
「ウィリアムが? わたしのことを?」
「ええ」

 乃亜が驚いたのと同じくらい、ダグラスも驚きを隠せなかった。
 ダグラスが知る限り、ウィリアムが乃亜について知っているのはその存在くらいのはずだった。

 月子が娘を残してすぐ亡くなり、後年その娘がひとり娘を産んでいるので、ウィリアムの血筋は日本のどこかに存在して生きている……その程度の漠然とした知識。少なくともそれがウィリアムがダグラスに語ったところだった……が。

「さあ、どうぞ」
 ミシェルにうながされて、ふたりは病室に入った。

 病院独特の白すぎる壁。消毒液の匂い。所々から響く心電図のモニター音。病院を好きだと思えたことは一度もないが、隣に乃亜がいるというだけでダグラスの心は少し軽くなる。
 病室は相部屋だったが、その日、ベッドを使っているのはウィリアムだけだった。

「親父」
 ダグラスは一歩先に出て、ウィリアムの枕元に立った。
 ウィリアムはベッドの背部を上げて傾斜をつけ、斜め四十五度に座るような姿勢でふたりを待っていた。

「ダグラス、来たな」

 すでに九十九歳を迎えた男として、ウィリアムは驚くほどすべてがしっかりしていた。それでもときの流れに勝てる人間はおらず、白い髪は以前よりさらに細り、肌はたるみ、声には震えがあった。

 それでも変わらないものがひとつある。澄んだ青の瞳だ。
 これに見つめられると、ダグラスはいつも心を裸にされたような気分になる。子供の頃、悪戯を見つかったとき。実の父の死が悲しくてひとりで泣いていたとき。ボロボロの心を背負って四年の軍隊から帰ってきたとき……。

「お前ひとりに任せるつもりはなかったのにな」

 なにについて──誰について──言われているのか、すぐにわかった。長年の親子としての絆は、ふたりの男に阿吽あうんの呼吸を教えていた。
 ウィリアムは知っていたのだ。

「くそ……さっさと教えてくれていたら、俺は最初の日にあんたの大事なひ孫を金目当ての女扱いして、暴言を吐くような真似はしなかったのに」
「ふん……?」
「おかげでノアは今でも俺の気持ちに半信半疑でいるよ。どうしてくれるんだ」

 深い皺がいくつも刻まれた目元を細めて、ウィリアムはしゃがれた声で短く笑った。
「自分でなんとかするんだ、息子よサン。さあ、わたしのひ孫に会わせてくれ」

 ウィリアムに告げられて、ダグラスは一歩下がって背後にいる乃亜の隣に立った。 
 自分にそうする資格があるとは思えなかった──が、ダグラスは乃亜の肩を抱き寄せた。彼女は明らかにそういった種類の助けを必要としていて、震えながら立ちすくんでいたからだ。

 乃亜は不安げにダグラスを見上げた。
 そんな乃亜を見下ろして、ダグラスは無言でうなずいた。

 おそらく締まりのない顔をしていたのだろう。ウィリアムが喉の奥で小さく笑うのが聞こえる。
 今まで散々『ハルコ』への献身と愛をからかっていたダグラスへの、ささやかな復讐なのだ、これは。
 それでかまわなかった。
 それでよかった。

『乃亜』
 ウィリアムが呼ぶ乃亜の名前は、ダグラスのそれとは少しアクセントが違った。
 それが日本語の発音に合わせたものだと気づいたのは、次にウィリアムが話しはじめたのが流暢な日本語だったからだ。

『来てくれてありがとう。どうか顔を見せてくれ』
 それを聞くと乃亜は息を詰めて、ウィリアムに一歩近づいた。
『わたしが来るのを、知っていたんですか?』
『ああ。どうもはりきりすぎてしまったようだ。まさか心臓発作など……。まだまだ若いつもりでいたのに……申し訳ない。ダグラスが粗相をしていないといいのだが』
 乃亜は涙声でクスっと笑った。
『とても紳士でしたよ』
『それはそうだろう。そういうふうに育てたんだ』
『その話は聞きました……。素敵なひとを育ててくれて、ありがとうございます』
『どうして礼を?』

 彼らのやりとりを、ダグラスは理解できない。それでもおそらく自分のことを語られているのは察せられた。
 ウィリアムはどこか誇らしそうな微笑を浮かべていて。
 乃亜は……恥ずかしそうに頬を赤らめていた。

『彼のことが好きから……。短い間だったけど、今までの人生の中で一番の思い出を与えてくれました』
『乃亜、わたしの娘……』ウィリアムは静かに言った。『思い出にしてしまう必要はないんだよ。君たちには未来がある』

 ウィリアムが点滴に繋がった腕を伸ばすと、乃亜はそこに吸い込まれるように向かっていった。乃亜の若くて白い手が、九十九歳の老人の皺と染みだらけの手に重なる。

 彼らは熱く抱き合ったりはしなかった。
 静かに手を重ねて、互いの顔をじっと見つめている。
 言葉は必要ないらしかった。
 しばらくして、乃亜がぽつりとつぶやく。

『そうだったらいいと……思います。でも、彼は色々難しいものを背負っているし……わたしは外国人だから、理由なくいつまでもコロラドにはいられなくて』
『それについては──』
 ウィリアムはそこまで言って、ダグラスに視線を向けた。

 すべてを見通す透き通った青がダグラスを見すえる。なにを喋っていたのかわからなくても、伝わるものはあった。
 ダグラスの心も決まっていた──もうすでに、きっと出会いの瞬間から。

「ダグラス、彼女としばらくふたりきりで話をしたい。お前には他にやることがあるだろう。さっさと済ませてくるんだ。それまで戻ってくることは許さない」

 会話を英語に戻して、ウィリアムは告げた。
 ダグラスはうなずいた。
 手を重ねたままの曽祖父とひ孫を病室に残して、ダグラスはその場をあとにした。
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