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【ダグラスの章】
「俺たちの二度目のために」①
広々としたホテルの客室に入ると、ダグラスはまずシャワーを浴びた。
空港へ向かう直前まで続けた牧場での仕事。長期間の国際線フライト。はじめてきた日本で最初にしたことといえば、意中の女性の実家を訪ねることだった。
彼女の曾祖母と語り合い、母親と対峙して、プロポーズじみたことまでしたのだから……一旦ひと息つくくらいの贅沢は許されるだろう。
バスルームから出ると、ダグラスはジーンズだけ履いて髪を拭きながら、メインルームのガラス窓から臨める東京の夜景を眺めた。
──美しくないとは思わない。
光の洪水は目を引く。
これだけ混沌としているのに、決して乱れないきらびやかな夜景。おそらくこの時間帯でも、この街にはいくらでも見るべきものがあり、やるべきことがあり、ひとを退屈させない誘惑がひしめいている。
かつて、ダグラスにも外の世界に憧れた時期があった。
外国。都会。知らない土地。冒険。
それらにまったく魅力を感じないとは言わないが、ダグラスにはすでにそういった刺激より大事なものができてしまっていた。
「くそ……ノア」
君の家には泊まれない──などと宣言してきたはいいものの、現在のダグラスにできそうなことは限られていた。
一、さっさと前言撤回して、乃亜の元に戻ること。たとえひと晩でも彼女と離れているのは無理そうだった。やってみてわかった。無理なものは無理だ。
二、例のシェフを探し出し、襲撃をする……いや、そこまで物騒にする必要はない。非常に平和的な語り合いをすることで、奴が失ったものの大きさを思い知らせてやれればそれでいい。ついでに手が滑って、二、三発の拳が飛ぶかもしれないが、それらはあくまで事故である。
三、…………。
トントン。
客室の扉が叩かれる音がした。
同時に、ダグラスのスマホにメッセージの着信を知らせる音が響く。乃亜からだった。
『扉の前にいます。もし裸じゃなかったら出てきてください』
ああ……。
ここまで胸が熱くなったのははじめてだった。今ならこの熱だけで冬のコロラドを温められる。ダグラスは返事を打った。
『もし裸だったら?』
じゃあ、服を着てください、という返信があるのを予想してダグラスは待った。
しばらくの間があって、広瀬乃亜は、おそらくダグラス・ジョンソン・マクブライトが一生忘れられないであろう、衝撃的な一文を送り付けてきた。
『じゃあ、わたしも今、この場で脱ぎます』
なんだって!?
ダグラスは記録的な速さで客室を突進して扉を開いた。そこには乃亜がいた。
もちろん服はまだ着ていて、妖婦のようにダグラスを惑わせたあとだというのに、天使のような笑みを浮かべて佇んでいた。
「へへ、騙されてくれました?」
膝から力が抜けて、もう少しでホテルの廊下に突っ伏してしまうところだった。
畜生……。
この……。この……女性は。
ダグラスはこれから一生、こうやって振り回されていく未来予想図を見た。それが嫌だと思えない自分がいる。もう降参するしかなかった。
「ノア……そうやって俺を惑わせていると、君がヒロセを名乗れるのは今夜が最後になるぞ」
ダグラスは警告したつもりだった。
乃亜は呑気にニコニコ微笑んでいる。
「ノア・ジョンソン・マクブライトですか? それともマクブライトだけ? ずっと聞きたかったんです。ジョンソンは苗字の一部なの? それともミドルネーム?」
「元々は苗字だったのをミドルネームにしたんだ。つまり君はノア・マクブライトになる」
「わかりました」
すんなり受け入れた乃亜が、まるで抱っこをねだる子供のように両手を広げてきたので、ダグラスはそんな彼女をすくい上げて横抱きにした。
客室の中に乃亜を運び、ベッドの手前ですとんと床に下ろす。
「わっ」
室内を見渡した乃亜は感嘆の声を漏らした。
広々としたリビングエリアと寝室の分かれたスイートで、大きな窓からは摩天楼の夜景が広がり、真っ白いリネンを纏ったキングサイズのベッドが鎮座している。
米国にも支店の多い、良質なことで有名な高級ホテルの東京本店だ。
その、さらにスイートとなると、内装も景色も見惚れる価値があった。
「どうしてこんなに素敵なホテルにしたの?」
乃亜は素直な感想を口にした。
「伊達に年三百六十五日働いているわけじゃない。この程度は払えるよ」
「違うの。あなたがこういう種類の贅沢にお金を使うタイプだとは思わなかったから、ちょっと意外だなって」
「ノア、俺は自分のためにこんな宿を取ったりしない。自分だけならただのビジネスホテルで十分だ」
「じゃあ……なんのために?」
乃亜はおそらく答えを知っている。
今のダグラスの目つきと、それよりも下にある股間の辺りの猛りを見れば、少なくとも察しはつくはずだ……。
「俺たちの二度目のために」
ダグラスは答えた。
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