二度目の永遠 ~ある夏にコロラドで見つけた牧場主との運命の恋~

泉野ジュール

文字の大きさ
66 / 68
【ウィリアムの章】

Jealous of the Angels ①


 ウィリアムの人生には三つの機転があった。
 ひとつは春子と出会った瞬間。
 もうひとつは春子と別れたとき。

 そして最後のひとつは、ダグラス・ジョンソンという名の孤独な少年がスプリング・ヘイブン牧場に辿り着いた日だった。

 *

「これを運ぶのを手伝えばいいんですか」
 質問というより、確認といった感じで七歳の少年がウィリアムに言った。

 少年の手には、大人の男でも手に余るような、重い飼料の麻袋が握られている。
 凛とした顔つきは大人びていて、背も高かったため、もし七歳という年齢を事前に知らされていなかったら、十は超えていると勘違いしただろう。

「ダグラス……これは君のお父さんの仕事であって、君の仕事じゃないんだよ。君はキャビンで宿題でもしていなさい。もしくはバックヤードで遊んでいてもいい。探せばボールくらいはあるだろうから、ちょっと待っていてくれ──」

「そういうわけにはいかないんです」
 ダグラス少年は詰まる喉から無理に押し出すような、震えた声で遮った。

「……父さんはお酒を飲んでキャビンで寝ています。起こそうとしたけど、起きませんでした。だから僕が代わりに働きます」
「ダグラス……」
「だから僕たちを追い出さないでください」

 ジョンソン親子がスプリング・ヘイブン牧場に来てから、三日目の出来事だった。
 ウィリアムはその人生の中で、『心が破れるハートブローケン』と言われる状況を何度も経験してきていた。

 春子との別れ。
 ほぼ無実の五年間の投獄。その間の両親の死。
 ただひとりの我が子とは二度しか顔を合わせることができず、二十年以上前に亡くした。

 それ以降のウィリアムの人生は生ける屍も同然だった。
 唯一、この生にしがみつく希望は、春子がまだこの地上にいることと、彼らの孫がどこかで息をしていること……それだけだった。
 しかし。これは。

「……わかったよ、ダグラス。君には厩舎の掃除をしてもらおうか。ちょうどひとを探していたんだ」

 ダグラス少年は目に見えて安堵していた。
「はい。喜んで」

 自分の体重よりも重い麻袋をどうやって持ち運ぶのか、不安だったのだろう。「喜んで」厩舎の掃除をする七歳がいていいものか。ウィリアムの心は沈んだが、このダグラスという少年には感心した。

 ダグラスは厩舎の掃除を完璧にこなした。
 ちょっと、七歳の少年としては不安になってしまうくらいに、塵ひとつ残さず、文句ひとつ言わずに与えられた仕事をやり遂げた。

 一方、ダグラスの父親はといえば、酒さえ入らなければ真っ当に仕事をこなした。そしてなによりも馬の飼育に関しては天性の才能があったので、この分野をできるだけ伸ばしたいと考えるウィリアムは彼を重宝した。

 スプリング・ヘイブン牧場は決して赤字ではなかったが、もっと大きく儲けるためにはどうしても土地が足りない──月子のために、湖畔周辺の最も肥沃で広大な土地を手放したからだ。
 土地というのは売るのは一瞬だが、買い戻すのは本当に難しい。限られた土地でできるだけ利益を上げられるのが競走馬の飼育だったのだ。
 そのためにジョンソン親子が必要だった。

 ダグラスにも父親同様の才能があるのに気づいたのは、彼が九歳になる少し前だった。
「どう、どう。大人しくしていろ。あとで乗ってやるから」
 当初は厩舎の掃除だけだったものが、気がつくとダグラスは完璧に大人の馬をひとりで乗りこなして世話していた。

 何頭かの馬は、ダグラスが学校で二泊のフィールド・トリップに行き牧場を留守にしたとき、餌を拒否して他の飼育係を困らせたほどだった。

 この頃になると、ダグラスは例の飼料の麻袋さえ難なく背負えるような体躯にもなっていた。

 しかし──中身はまだ子供だ。
 子供でなくてはならないんだ。

 ウィリアムはこの少年を守りたかったが、血の繋がった実の父親が隣にいる限り、ただの雇い主であるウィリアムの権限は限られている。
 それでもできる限りのことをした。
 学校の送り迎え。勉強の手伝い。夕食を出してやること。

 どうしてだろう……。
 おそらくウィリアムは、少年のダグラスに自分自身の影を見たのだ。

 不遇の風に吹かれても弱音ひとつ漏らさず、黙々と目の前に与えられた運命に挑戦していくその姿に、年甲斐もなく憧れたのかもしれない。自分もそうでありたいと。

 しかし、その強さも虚栄であり、ダグラスが彼自身の周りに張り巡らせていた壁でしかなかったことがわかったのは、九歳のときだった。

 しばらく行方不明になっていたダグラスの父親が、オクラホマとテキサスの州境で遺体になって見つかったのだ。最初に連絡を受けたとき、飲酒運転が原因だろうとウィリアムは予想した。
 しかし、ギャングが関わっていたと聞き、さすがのウィリアムも言葉を失った。

 ウィリアムは一時的に、ダグラスを従業員用のキャビンからマクブライト邸の客室に移動させた。ひとりにさせておくべきだとは思えなかったからだ。

 最初の数日から……葬儀が済むまで、ダグラスは時々ひと粒かふた粒の涙を見せた以外、平静を装っていた。もしくは、彼自身、どう現実を受け止めていいかわからなかったのだろう。

 葬儀が終わった日の夜、ダグラスは大きなダッフルバッグにいっぱいの荷物を詰めて、居間にいたウィリアムの元にやってきた。

「今までお世話になりました」

 ──この、潔さは。
 ウィリアムは日本語を学ぶ過程で知った武士道のようなものを、このテキサス生まれの少年の魂に見た。

「どこか行く当てがあるのかい?」
 ダグラス少年は首を横に振って、小さくつぶやいた。「なんとかなります」

「そういうわけにはいかないんだよ、ダグラス。君はまだ未成年だ。頼れる親戚はいないのかい?」
「いません」
「ああ……ご両親は駆け落ちだったと聞いた。そのせいかな」
「おそらく……。もしかしたら探せばいるのかもしれませんが、頼りたいとは思えません」
「ここに──わたしの元に残るのは嫌なのか?」

 ウィリアムはできるだけ平静に聞いたつもりだった。しかしダグラスは下を向いて肩を震わせた。

「ど……どうやって? もう従業員の息子という肩書は使えない。僕じゃまだ給料は貰えないし……そうしたら……」

 泣いていると気がついたのは、フローリングの床に涙の染みがいくつも広がったからだ。九歳のダグラス・ジョンソンは大粒の涙を流して泣いていた。

 ウィリアムは座っていたソファから立ち上がると、ダグラスを包み抱いた。
 年齢の割に長身なこの子は、かつてこの腕に抱いた愛しい女性と、ちょうど同じくらいの背丈だった。ウィリアムは両腕に力を入れた。

「わたしはずっと子供が欲しかった」

 素直な告白をすると、胸につかえていた重い石がすっと取り除かれたような、清々しい気分になった。

「……たったひとりの娘はほとんど会えずにこの世を去った。孫には会えない。妻にするはずだった女性は他の男に嫁いでしまった。わたしは孤独で、お前はひとりで、ここまでなんとか一緒に上手くやってきただろう? わたしの息子にならないか?」
「……ぅ……」
「そうだ、泣いていいんだよ。お前はまだ子供だ。誰かが守ってやらなくちゃいけない。それをわたしにやらせてくれ」
「あ……あぁ……あああ……っ!」

 ダグラスは縋るようにきつくウィリアムを抱き返すと、大きな声を上げて号泣した。

 ダグラスを正式に養子にするには半年以上の時間がかかったが、ふたりはやり遂げた。当初、ダグラスは名前をダグラス・マクブライトにしたいと言っていたが、ウィリアムはルーツである元の苗字も残すよう進言した。

 ダグラス・ジョンソン・マクブライトの誕生だった。

 弁護士を通じて、月子の忘れ形見・直美が子供を産み、それが女児で乃亜と名付けられたと知らされたのは、ちょうどその一年後だった。

 *

 ウィリアムはゆっくりと目を開いた。
 妙に目蓋が重い……。

 ああ、そうだ、自分にはもうあの頃の若さはない。九十九歳。それでもこの歳で目を開いていられることに感謝しなくてはならないと思いながら、ぼんやりと視線の焦点を合わせようとした。

 しかしその前に、声が聞こえた。視力こそ衰えがあるものの、聴力だけはなぜかあまり悪くならず、小さな補聴器さえあれば普通に会話ができる。

「親父」
 ダグラスだ。
 しかし、あの頃の少年の声ではない。
 成長し、ときに反抗し、国を守る任務に就き、友人の死を乗り越え、土地を守り……ひとりの女性を愛した大人の男の声。

 熱い誇りが胸を満たした。思い通りにならないことの多い人生だったが、この少年を育て上げたことだけは意義があったと、胸を張って誇れる。

 ウィリアムが伸ばそうとした手を、誰かが取った。
 ──誰だろう?

「親父……ひとつ親孝行をさせてくれ」
 ダグラスが言った。
 ウィリアムは笑った。「お前は数え切れないくらいの親孝行をしてくれたよ」
十分じゃないノット・イナフ
「なるほど……?」
「ただ……これは十分だと思うよ。あなたがずっと求めてきたものだ」

 ふん……? ウィリアムが求めてきたものなど、息子となったダグラスの無事と健康をのぞけば、春子だけだ。それが……。
 それが……?

「ウィリアム……」
 まさか。
 まさか──!

『春子……?』
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす

小木楓
恋愛
完結しました✨ タグ&あらすじ変更しました。 略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。 「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」 「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」 大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。 しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。 強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。 夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。 恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……? 「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」 逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。 それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。 「一生、私の腕の中で溺れていろ」 守るために壊し、愛するために縛る。 冷酷な仮面の下に隠された、 一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。 ★最後は極上のハッピーエンドです。 ※AI画像を使用しています。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

繰り返す夜と嘘 〜【実録】既婚の僕と後輩の彼女、あの夜のキスから始まった13年の秘密〜

まさき
恋愛
結婚して半年の僕と、同じ職場の彼女。 出会った頃は、ただの先輩と新入社員だった。   互いに意識しながらも、 数年間、距離を保ち続けた。   ただ見つめるだけの関係。   けれど――   ある夏の夜。 納涼会の帰り道。   僕が彼女の手を握った瞬間、 すべてが変わった。   これは恋でも、友情でもない。   けれど理性では止められない、 名前のない関係。   13年続いた秘密。 誓約書。 そして、5年の沈黙。   これは――   実際にあった「夜」の記録。

俺様上司に今宵も激しく求められる。

藤白ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。 **2026.01.02start~2026.01.17end** ◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です! https://estar.jp/novels/26513389

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます

沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

新人メイド桃ちゃんのお仕事

さわみりん
恋愛
黒髪ボブのメイドの桃ちゃんが、働き先のお屋敷で、旦那様とその息子との親子丼。