二度目の永遠 ~ある夏にコロラドで見つけた牧場主との運命の恋~

泉野ジュール

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【ウィリアムの章】

Jealous of the Angels ②


 どれだけのあいだ、この瞬間のことを夢見ていただろう。
 どれほどの孤独な夜を、この女性を求めて過ごしただろう。

 ウィリアムにとってふたりの別れは、本当の意味での別れではなかった。──この心はまだ君に繋がっている。しばらく待っていれば、そこの扉を開けて君が入ってきてくれる。そんな現実と夢の狭間に生き続けてきた。

「ウィリアム……ごめんなさい……」

 綺麗な英語だ。
 別れた頃のたどたどしさはなく、母音の重みも消えている。声だってあの頃とは違う。むしろ乃亜の声の方が、当時の春子と重なっていて驚いたくらいだ。

 しかし……わかった。
 わかってしまったのだ。彼女はウィリアムの春子だから。

「君が……なにを謝る必要が……あるんだ」

 ここはどこだっただろう? 病院か?
 違う。ダグラスと乃亜が日本に発ったあと、ウィリアムは無理を言って退院させてもらっていた。手伝ってくれたのはホセと、ダグラスから事情を聞いていたネイトだった。

 マクブライト邸だ。
 ウィリアムが、春子のことを思って建てた家。

「あなたを、待てなかったから」
「君は月子を守った……。それでいい……それでいいんだよ」

 視界の焦点が合いはじめて、ウィリアムは周囲の状況を理解していった。自分はベッドの上で、自分と同じくらい歳を重ねた春子がベッドサイドで車椅子に座り、自分の手を握っている。

「ダグラス、わたしを起こしてくれ」
 ウィリアムの言葉に、ダグラスは笑った。「こんなときに格好つける必要はないんだよ」
「馬鹿息子が。今……、今、恰好をつけなくて、いつ、つけるんだ」
「確かに」

 ダグラスは完全にウィリアムを理解していた。
 そうだ……この子はいつもそうだ。血の繋がりはなくても、ウィリアムとダグラスも魂で繋がっている。
 この世には時々、そういう縁があるのだ。

 枕元に回ってきたダグラスが、ウィリアムの背中を押して上半身を持ち上げる手伝いをしてくれた。その動きはプロそのものだった。それはそうだ……当初、ウィリアムが反対したにも関わらず従軍したダグラスは、コンバット・メディックになって帰ってきた。

 ウィリアムが九十九歳にして心臓発作を起こしたにも関わらず生還できたのは、その場にいたダグラスが正しく応急処置をしてくれたからに他ならない。
 まったく……。
 なにがどう未来に繋がるかなど……そのときになってみなければ、わからないものだ。

「ウィリアム……」
『春子さん』
 ウィリアムは日本語を選んだ。

 この美しい言語にウィリアムは、春子に惚れるのと同じくらいの愛を感じている。時間はかかったが読むことも書くこともできるようになった。

 この春の終わりから春子といくつか手紙を交わし合ったとき、春子は英語を選らび、ウィリアムは日本語で返信するという奇妙な図が誕生した。
 お互いこんなことで、会えないあいだもどれだけ相手のことを想っていたか、表現し合っていたのだろう。

『君は変わらない。綺麗なままだ』
『大袈裟ね……。目が悪くなったのかしら』
『確かに目はもう良くないよ。お陰で今の君も……十九歳の頃と同じに見える。歳をとるのも……悪いことばかりじゃない』
『もっと近くに……あなたを見せて』

 春子がそう願うと、ダグラスのすぐ後ろにいた乃亜がそれを英語に訳して伝えた。

 ダグラスは春子を抱き上げると、乃亜がベッドを整えるのを待つ。春子はダグラスの手によってウィリアムのすぐ隣に座った。

 ふたりは抱き合った。
 少なくとも、九十九歳と九十七歳ができる限りの力を振り絞って、互いをきつく引き寄せた。

『会いたかった』
 それ以上はなにも言えなかった。多分、それ以外になにもなかったから。

『わたしも……会いたかったです』
 春子は答えた。



 春子の声にすべての記憶が蘇ってくる。
 ウィリアムがはじめて春子を目にしたのはある夏祭りだった。

 いまだ戦争の傷跡が深い港町の祭りは慎ましいものだったが、人々の礼儀正しさと、たとえどんな小さなことにさえ感謝を忘れない様子に心を打たれていた。

 それらを小馬鹿にして笑う同郷の仲間も多かったが、ウィリアムの目にはこの土地の人々が敬意に値するものに映ったのだ。
 だからじっくりと祭りの様子を観察していた。

 すると、ふと目についた少女がいた。いや、女性か……。数人の同じ年頃の女性たちと一緒に、呑気な調子の太鼓と歌に合わせて踊ったり笑ったりしていた。春子は小柄だが姿勢がよく、日本人にしては大きな瞳がひと目を惹く。くすんだ赤のモンペを着ていた。

 視線を離せなくなった。

 どうやらそう思ったのは一緒にいた仲間も同じだったようで、春子たちに声を掛けようという算段が相談されはじめた。
 ウィリアムはそういった軽率さが嫌いだった。
 敗戦国を占領にきた自分たちが、現地の女を抱いてなにが悪い? ──そんな考えにはとてもではないが同調できないでいた。自分たちはただ偶然そういった境遇の星の元に生まれてきただけで、同じ人間である。

 だからウィリアムは日本の女性に手を出す気は一切なかった。
 ましてや、恋に落ちる気など。
 しかし──

 仲間のひとりが勝手に春子たちの踊りの輪に声を掛けに行ってしまった。もちろん日本語などできないから、最初は手こずっていた。

 そこに春子が突然、かなり重いアクセントだがしっかりした声で、英語を喋りだした。
 他の女たちはウィリアムの仲間に媚びるように腰をくねらせたり、逆に怖がって逃げ腰になっていたりしたが、春子だけは妙に堂々としていた。

 どうも彼女たちが踊っていた囃子は大勢で盛り上がるものらしく、あなたたちも一緒にどうですかと誘っている。というか、そう誘っているらしい友人の言葉を訳していた。

 感心してその様子を遠くから眺めていたウィリアムに、ふと春子が顔を向ける。
 仲間が、あいつも誘ってやろう、的なことを言ったのだろう。

 どういうわけか春子はパッと満面の笑みを浮かべて、ウィリアムに向かって走ってきた。
 春子は息を切らせてウィリアムの前までくると、彼の手を取った。

「あなたも、どうですか? 一緒に、おどりましょう!」

 単純だと笑ってくれていい。
 その笑顔に……屈託のないまっすぐな瞳に……すべてに。ウィリアムの人生は変わった。



 記憶の波から浮上すると、ウィリアムは腕の中で肩を震わせて泣いている春子を抱きしめた。

「ダグラス……お前たちは少し席を外してくれ。少しのあいだでいい」
 ダグラスは少々躊躇したが、しばらくすると納得して、乃亜の肩を抱くと部屋から一緒に出ていった。

 長年ウィリアムが使ってきた寝室は二階にあるが、今は年齢と体調を配慮して一階にある小さな客室に寝起きしやすい高齢者向けベッドを入れていた。
 大きな窓があり、外が広く見渡せた。

「泣かなくていいんだよ」
 ウィリアムは英語に戻してささやいた。
「ええ、でも……」
「どんな道を……通ったのだとしても……わたしたちは今……互いの腕の中にいる。それを忘れないでくれ」
「ふ……っ」
「愛していたよ。ずっとだ……ずっと君だけを想っていた。それが……わたしの人生の中でたったひとつの真実だ」

 春子はおそらく、わたしも、と言ってくれるつもりだったのだろう。
 しかしウィリアムは春子の唇に人差し指を添えて、しっ、と先を遮った。

 どんな経緯があったにせよ、彼女にはかつて夫があり、その間にできた子供がいる。ウィリアムの人生のように単純な一本線ではないのだ。

「いいんだ。君はここに来てくれた……それだけでいい」

 ふたりは静かに抱き合っていた。
 しばらくすると、窓からダグラスと乃亜が外でじゃれているのが見えた。笑い声さえ聞こえてくる。ダグラスがこんなふうに腹の底から笑うのを本当に久しぶりに聞いた。
 もしかしたら、はじめてかもしれない。

 春子も同じように窓に顔を向けると、目を細めていた。そして涙ぐむ。
 ウィリアムは彼女の髪をゆっくりと撫でた。

「泣かないで。あの子を見てくれ。可愛い子だ」
 窓の外の乃亜に視線を向けながら、ウィリアムはさささやいた。「君が産んで……育ててくれた子の証だ」
「ええ。そうね……本当にいい子よ」
「そして……彼女の隣にいるあの青年を見てくれ。立派でいい若者だろう?」
 ウィリアムはダグラスについてそう語った。
「ええ」

「……わたしが選んで……育てた子だ。きっと俺たちの乃亜を……生涯守り続けてくれる。あのふたりが……わたしたちが過ごすはずだった、この春の楽園で生きていく。それでいいじゃないか」

 ウィリアムが誓った永遠はこうして続いていく。
 それでよかった。
 それがよかった。

 ダグラスと乃亜──それがウィリアムと春子の愛に意味を与えてくれた天使で、ウィリアムはどちらのことも大切に思っている。ただ、ウィリアムの愛はこの腕の中の女性にしか向かない。

「ただ……今だけは……あの天使たちに嫉妬したい。あんなふうに……君を幸せにしてあげたかった……一緒に歳を取りたかったよ」
「ええ、わたしも」

 その発言について、ウィリアムは春子を止めなかった。
 今だけだ……明日はもう、過ぎ去った過去はかえりみない。ただ今だけ……あの天使たちに、嫉妬させて欲しい。

 ウィリアムもああして……幸せになりたかったから。


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