二度目の永遠 ~ある夏にコロラドで見つけた牧場主との運命の恋~

泉野ジュール

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【ウィリアムの章】

エピローグ


 三日間。
 たったの三日間──それが、ウィリアムと春子に与えられた時間だった。

 後年になってダグラスは時々考える。あれは彼らにとって十分な長さだったのかもしれないと。誰かの幸せを、他の誰かが決めることはできない。

 ウィリアムは幸せだったと言った。
 春子もこれでよかったのだと答えていた。

 それが彼らの真実で、たとえすべてを見てきたダグラスでも、彼らの運命を憐憫する資格はないのだ……。



「ダグラス、ここに来てくれ。話をさせて欲しい」

 これが最後になるとは知らなかった、三日目の朝。
 春子が乃亜の手を借りて浴室を使っているあいだ、ウィリアムはダグラスを枕元に呼び寄せた。

 少々なら起き上がることもできたし、歩行器を使えば家の中を歩くこともできる状態だったにも関わらず、その朝だけは、ウィリアムは起きようとしなかった。

 再会してからこのかた、ウィリアムと春子はたとえ一時でも離れたがらなかったから、乃亜も交えて四人で歓談する以外、父息子ふたりきりで話す機会はあまりなかった。
 だから、ダグラスは大人しくウィリアムの要望に従った。

「どこから……お前に礼を言うべきなんだろうな」
 ベッドサイドに置かれた椅子に座ったダグラスに向かって、ウィリアムはつぶやいた。
「わからないなら、言う必要はないよ」
 ダグラスは小さく笑った。

「わたしは自分の言いたいことを完璧にわかっている。ただ……あまりにも多すぎて、まとまらないだけだ」
「ふうん……?」

 しばらく心地いい種類の沈黙が続いた。
 そのときのダグラスは大きな満足感に包まれていて、かつてないほど穏やかな気分だった。乃亜はここにいる。彼女とダグラスはもう何度も身体を重ねていて、その度に愛情は深まっていった。今すぐ結婚というわけにはいかなかったが、せめて婚約くらいはと、近いうちにすでに日本で購入を済ませた指輪を渡すつもりでいた。

「お前は幸せになると信じているよ」
 幸せになってくれ、でも、幸せになって欲しい、でもなく──信じていると。

「どうも」
「乃亜もだ。あの子のことは……お前に託していいな?」
「親父」
「不吉なことを言うなというのだろう。そんなふうに悲観することじゃない。お前も九十九歳になればわかる。もう一度聞く。乃亜は、お前に託したと思っていいな」

 青い瞳がまっすぐにダグラスをとらえる。
 ダグラスはうなずいた。

「この命に掛けて」
「それでいい」

 ウィリアムの唇はすでに薄く微笑んでいて、春子が戻ってくるのを待っている。どんな形であれ、どれだけ時間がかかったのであれ、最後にはこうして幸せになれたなら……。

「ありがとう……ダグラス。すべてに感謝している。わたしの元に来てくれたこと。わたしの元に戻ってきてくれたこと。そして、春子を連れてきてくれたこと」
「最後のそれはノアの案だよ」
「あの子ひとりでは難しかっただろう。お前は立派に役割を果たしてくれた。すでに話した通り、わたしのものはすべてお前のものだ。すべてだ」

 ダグラスはごくりと唾を飲み下してからうなずいた。
 乃亜が現れた時点で、もしウィリアムが遺言の類を変えたいと言い出しても、それは仕方のないことだと納得していたが……。

「お前に託すことが、乃亜に託すことでもあるだろう」
「もし彼女がイエスの返事をしてくれればね」
「諦めるな」
「諦めないよ。俺はウィリアム・マクブライトに育てられた息子だ」
「それでいい」

 二度目のそれでいい、を言い終えたあと、ウィリアムはひと息ついて角度をつけたベッドの背もたれに背中を預けた。

「ひとつ……美しい日本語を教えてやろう」

 それがダグラスとウィリアムの最後の会話だった。そこから教わった言葉を、ダグラスはおそらく生涯忘れないし、願わくは一生、使い続けていたい。
 乃亜のために。

 *

「ルナ! こっちにいらっしゃい!」
 乃亜が声を上げて娘を呼ぶと、二歳になったばかりのルナ・マクブライトは顔を上げてこちらに向かって走ってきた。

 柔らかい薄茶色の髪。同色の瞳。ダグラスは乃亜そっくりだと思うが、日本人がルナを見ると必ずダグラスそっくりだと言う。可笑しなものだ。

 ダグラス、乃亜、そして娘ルナのマクブライト一家は、牧場の南端にある湖畔にいた。
 時刻は夜八時過ぎ。
 牧場の従業員も交えた夕食を終え、夏の夜の散歩にきていた。ときはウィリアムと春子が天に召されてからもうすぐ五年になる。

「お前は本当にお転婆だな、コロラドのお嬢さん」
 ダグラスは駆け寄ってきた娘を抱き上げて、そのまま肩車にした。ルナはキャッキャと笑って、「コロラドの! おじょーさん!」と父親の言葉を繰り返している。

 乃亜は微笑みながらそんな父娘を見つめている。
 ダグラスは隣を歩く彼女の手を取った。

「東京のお嬢さんの気分はどうだ?」
「ふふ、大丈夫ですよ。ルナのときと同じで、つわりがあるのは朝だけなの。多分もう少しで終わると思うんだけど……」
「大事にしてくれ」
「はーい」

 ふたりの、ふたり目の子供はすでに十五週目に入っていて、すでに超音波検査で性別もわかっている──男児だ。
 ダグラスも乃亜もまだ口にはしていないが、おそらく心の中で名前は決まっている。まあ、それは……おいおい決めていけばいいことだ。

 ダグラスは湖畔にその姿を映す月を見上げた。
 満月だった。
 ルナ──『月』──が生まれたのも満月の夜だった。あと何度満月を数えれば、ダグラスは「ウィリアム」に会えるだろう?

 その子の生きる世界が平和であることを願う。
 その子の一生が幸せであることを信じている。

 ダグラスは父親であるウィリアムの最期を思い出した。
 ウィリアム・マクブライトは春子をその腕に抱いて、マクブライト邸のベッドの上で息を引き取った。ダグラスと乃亜が留守にしているあいだのことだった。
 世話を頼んでいたヘルパーでさえ、彼らは昼寝をしているだけだと思い込んでいたほど、静かな去り際だった。

 ──おそらく、先に亡くなっていたのは春子さんの方だったでしょう。

 病院で死亡診断書を書いてくれた医師がそう言ったときの衝撃を、ダグラスはよく覚えている。春子はウィリアムの腕の中で息を引き取っていた。
 ウィリアムには、まだいくらか時間があったはずだ……。しかし、彼の心臓は春子と供に行くことを選んだのだ。

 その行き先がどこでも。
 ウィリアムは最後まで春子の手を離さなかった。

「ノア」
「はい?」
 ダグラスと乃亜の会話は今でも基本的に英語だった。ただ、ダグラスも多少は愛する女性の母国語を嗜みはじめていて、いくらかは喋れるようになっている。

 それでもひとつだけ、ダグラスは五年前に父と仰ぐ大切な男性が教えてくれた一節を、毎日……毎晩、妻の耳元にささやいている。

 乃亜は、肩に娘を乗せた夫を見上げて微笑むと、ぎゅっと繋いだ手に力を込めた。ダグラスはわずかにかがむと、心を込めてささやいた。


『月の綺麗な夜ですね』



【二度目の永遠 ー 了】




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