月の光

ましゅまろん

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「私」

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昔から、「私」には喜怒哀楽が欠けていた。

子供の性格は遺伝だけでなく、その家の環境が形作ると言われている。
きっと「私」の感情の欠落も、育てられてきた環境によるものなのだろう。
余計な感情を持たないように、目を閉じて、自分を殺して生きてきた。

「私」は今、真っ白い建物の前にいる。
複雑な手続きが済むまで、ここで待たなければいけない。
いつも通り、目を閉じる。
とても寒い。だけど、今日はマフラーを与えてもらったからまだマシだ。
いつもは貰えないのに。
やはり、今日が最後だから情けをかけてもらったのだろうか。
本当に優しいお父様とお母様、だ。

「私」は自分の状況を全部理解している。
どうしてこんなに寒いのかも、どうしてここにいるのかも、ここが何であるのかも。

寒いのはペラッペラの薄い服1枚にズボン、いつ買ってもらったかわからない小さいサンダルしか身につけていないからだ。あぁ、マフラーもあったか。

何故ここにいるのかは、もちろん「私」が売られたからだ。「私」は目も耳も鼻も利くし、勘も良い。自分で言うのもなんだが、事実だから仕方がない。「私」が今日の計画を知るのは造作もないことだった。…………まぁ、もしかしたら知らせようとしていたのかもしれないけれど。お父様もお母様も「私」を絶望させようと必死だったもの。

そしてここは、孤児院のように見せかけた、もっと別なモノ。真っ白い外観に滲むように禍々しさを感じる。大きな建物だというのに、窓がひとつも見当たらないこともその理由の一つだろう。


「私」は、普通じゃない。
昔から、わかってた。
幼稚園の頃、周りのみんなは綺麗なお母さんやお父さんの絵を描いたけれど、「私」が描くお父様とお母様はいつも顔が真っ黒だった。
「私」は見える通りに描いただけだったのに。

お父様もお母様も、「私」が普通じゃないことを許してはくれなかった。
家では家族として扱われなかったし、食べ物を与えられるのも三日に一度くらいだった。
なぜ、今の今まで手放されなかったのか、不思議でしょうがない。


兎にも角にも「私」の今の状況は抗おうにも抗えないし、どうにもならないのだ。
だから、何もしない。動かない。

「そんな格好で、寒くないの?」

あぁ、もちろん寒いけど、どうにもならないでしょう?

「中に入ったらいいじゃん、おいでよ」

そんな訳にはいかない。「私」は手続きが終わるのをここでじっと待ってなきゃいけないんだから。



…………………え?


人の気配なんてあった?




思わず振り向くと、片目を覆ったまま肩につきそうな艶やかな黒髪と、隠れていない方のくっきりした色素の薄い瞳に目を奪われた。

「ほら、早く。新しい人でしょ?」


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