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二章 神聖国の黒ヤギさん
二人の銅級冒険者
しおりを挟むどんな場所でも、冒険者が集まれば騒がしくなる。
それはもう、冒険者たちに深く染みついた習性のようなものだ。
この穏やかな町にあっても、それは例外ではない。
レスパニアの町に建てられた冒険者組合の中は、例に漏れず喧騒の渦中にあった。
そんな喧騒に割って入るように、建物の入り口が勢いよく開く。
誰かが入ってくれば、とりあえずその姿を確認するというのも、冒険者の習性のひとつである。全員が入り口の方を振り返り、そして一瞬静まり返った。
そこに立っていたのは、二人の小柄な冒険者。それも二人とも女性である。
ひとりは黒髪に黒いシャツとズボン、そして黒のレザーブーツを履いており、その上から金属製の小さな胸当てを身につけている。腕には黒いレザーの籠手が装備されていた。
もうひとりに至っては完全に子どもだった。水色の長い髪をひとつにまとめ、黒髪の女性の後ろにピッタリ引っ付いて歩いている。紺碧のローブにすっかり身を包み、人形のような無表情であたりを見まわしていた。
場違いだ、とその場にいた誰もが思った。
厳めしい風貌の男たちが集まるこの冒険者組合の中で、彼女たちのような少女がいれば嫌でも目立つ。
それに、二人とも華がある。普通に町を歩いていれば、いい意味で人の目を集めることは間違いないだろう。
だからこそ、冒険者組合の中にいた冒険者たちは一斉に戸惑い、言葉を失ったのだ。
そんな周囲の困惑の視線をものともせず、二人は組合の受付に向かって歩いていく。響く足音は小さく、聞きなれた『ドシンドシン』という大男たちのものとはあまりに違っていた。
「おはようございます。昨日冒険者登録を済ませました、マオです」
黒髪の少女が、ズボンのポケットから銅製のプレートを取り出し、受付嬢に見せた。
受付嬢はそのプレートを確認すると、爽やかな営業スマイルを浮かべて、丁寧に挨拶を返す。
「おはようございます。お待ちしていました、マオ様。お仕事の紹介ですね?」
「ええ。何かいい仕事はありますか?」
「そうですね……初めてのお仕事であれば……」
その銅級冒険者と受付嬢は、自然とそんな会話を始める。その会話自体は特段気にするようなものではない。ごくありふれた、駆け出し冒険者のための仕事の斡旋だ。
しかし組合の中にいた冒険者の全員が、二人の少女の風貌に違和感を覚え、あまりにも馴染まない空気に揃って首を傾げていた。
「……なるほど。では、この酒場で待ち合わせればいいんですね?」
「はい。みなさんいい人たちですので、安心してください。初めてですし、くれぐれも無理はしないでくださいね」
「ありがとうございます。それじゃ、また」
依頼の受注が終わり、黒髪の女性が頭を下げて受付を離れる。
颯爽と入り口に歩いていく二人だったが、彼女たちの前に、ひとりの大柄な、というかまるまる太った冒険者が立ちはだかった。
「おい、ちょっと待てよ……お前ら、銅級冒険者なんだろ?」
「そうですが……それが何か?」
男はいやらしくニタニタと笑い、上から二人の体を舐めるような目つきで見つめている。
「仕事を探してるんなら俺らの手伝いをさせてやるよ。俺らに付いてきて酌をしな。そうすりゃ雑用として連れてってやる」
そう言いながら、男は青銅級のプレートを自慢げに二人に見せつけた。
周囲の冒険者はこの後どうなるのかと、面白そうに成り行きを見守っている。
受付嬢は男を一瞥した後、呆れたように溜息をついて、すぐに手元に視線を戻した。
「ほら、早く来い。それとも無理やり連れて行かれる方が良いか?」
丸い顔に綺麗な半円の笑みを浮かべて、男がその大きな手を黒髪の女性に向かって差し出した。
黒髪の女性は一歩下がってその手を避けると、男の顔を見て言い放つ。
「いえ、結構です。仕事なら今もらってきましたから」
「ああ!? 銅級が青銅級に逆らってんじゃねえぞ! いいから黙ってついてこい!」
「嫌です。というか、本当に仕事なんてしてるんですか? 昼間っからお酒なんて飲んで……真面目に働いた方が良いですよ」
「……て、てめえッ!! 女のくせにッ!!」
黒髪の女性の言葉を受けて、男が怒りながら拳を振り上げる。
さすがに周囲の冒険者が止めようとするが、その静止の声を無視して、男は黒髪の女性の顔面に思いっきり拳を振り下ろした。
あっ!! という声が組合の中に響き、何人かが思わず目を瞑った。
『ベキィッ』と骨が砕ける音がして、周囲の冒険者たちが揃って息を呑む。
男の拳は、ほとんど女性の顔と同じくらいの大きさだ。そんなものが全力で振り下ろされれば、無事で済むわけがない。
やり過ぎたと思ったのか、男の顔がどんどん青くなっていく。
「あ……え……?」
「おいてめえ! 流石にやり過ぎだろうが!」
「組合の中で何してやがる!!」
「い、い……」
周囲から、男に向かって非難の声が浴びせられる。
そんな声を受けながら、男はプルプルと肩を震わせ、自分の拳を覗き込んだ。
そして……
「いたああぁあ!! て、手が、手がぁあああ!!」
「……はっ!?」
自分の拳を抱えながら、激しい苦痛の叫びをあげた。
周囲の冒険者たちはその光景の意味が分からず、男のことを奇妙なものを見るような目で見つめている。
骨が砕ける音は確かに聞いたのだ。それで、なぜ男の方が痛がっているのか。
おそるおそる黒髪の女性の方を見てみると、怪我もなく、痛がる素振りすら見せず、申し訳なさそうに苦笑いしながらぽりぽりと頬をかいていた。
先ほどの音は、女性の頭蓋骨ではなく、男の手の骨が砕けた音なのだろう。ボタボタッと、男の手から血が溢れ出てきた。骨が肉を突き破り、外へとび出ている。
「うぐアァアアア!! 痛い痛い痛い……」
床をゴロゴロと転がって、埃と砂に塗れながら、男は痛みに涙と脂汗を流す。
そんな男を気の毒そうに見つめてから、黒髪の女性は男の横に座りこんだ。
「あの……なんか、ごめんなさい。これ、回復ポーションです。置いておきますね」
腰に提げた鞄から取り出した赤色のポーションを男の横に置く。
明らかに男の自業自得なのだが、それでも女性は男のことを心配するような目で見ていた。その器の大きさに、その場にいた何人かが感心して溜息をもらす。
「あ、それと……僕、男ですから。間違えないでくださいね」
その言葉は、男だけでなく周囲の全員に向けて放たれていた。
若干の怒気を孕んだ声に、冒険者たちは驚愕と恐怖を同時に感じる。
綺麗な黒髪に、小柄で華奢な体躯。どう見てもただの美少女に見えるが、まさかこれで男性だとは夢にも思わないだろう。
「それじゃあ、失礼します。お騒がせしました」
ペコリと頭を下げて、黒髪の女……男性は入り口に足を向ける。
その後ろを、水色の髪の少女が付いていった。
少女は途中で冒険者の男が持っていた青銅級のプレートを拾うと、手のひらに乗せてまじまじと見つめる。そしてすぐに興味を失ったのか、ぽいっと放り投げて、駆け足で黒髪の男の元に戻っていった。
少女に放り投げられたプレートは、空中で突然発火し、勢いよく燃え上がる。そしてそのまま融けていき、床に落ちる頃には、跡形もなく消え去っていた。
「………………」
その場にいた全員が、一言も発せずに立ち竦んでいる。
いつも通りの日常のなか、突然起こった異常事態に、誰もが疑問と驚きで頭をいっぱいにさせ、そのままフリーズしてしまっていた。
そんな冒険者たちの間を抜けて、受付嬢のミナが歩いてくる。
倒れている男の冒険者を冷たい目で見下ろすと、淡々と告げた。
「組合内での暴行で、冒険者資格を剥奪します。プレートの処分はもうしてくれたみたいね。書類でももう除名作業は終わったから、そのポーション持ってさっさと出て行きなさい」
その言葉を聞いても、誰も男に同情したりはしない。どう考えても悪いのはこの男だし、むしろ粗野な冒険者がひとり消えてくれて、逆に喜びたいくらいである。
ミナは伝えることだけ伝えると、さっさと自分の席へ戻っていく。そんなミナに、ひとりの男性冒険者が声をかけた。
「な、なあミナ……あの二人、いったい何者なんだ……?」
「あの二人? さっきの銅級冒険者のこと?」
「そうに決まってるだろうが! あいつら、絶対に普通の銅級冒険者じゃないだろ!?」
男は声を張り上げながら、歩くミナの後ろを付いていく。
ミナは顔も向けずに返事をすると、自分の席に座って、ひとつ大きく息を吐く。
そして一拍置いてから、淡々と話し出した。
「さあねえ……私も詳しいことは知らないわ。でも、普通じゃないのは確実ね」
「そりゃあそうだろうよ……なぁ、あの男はいったい何をされたんだ? なんで殴り掛かったほうが怪我してて、顔面を殴られた方が無傷なんだよ?」
「それこそ知らないわよ。頭がすっごく硬かったんじゃない?」
「ふざけてんのかっ!!」
男が拳でカウンターを叩く。
ミナはうるさそうに顔を顰めて、小さく口を開いた。
「本人たちも言ってた通り、昨日冒険者登録を済ませたばかりの駆け出し冒険者よ。ただ、その実力がどれくらいなのかは正直分からないわ」
「分からない……? 水晶でステータスを測らなかったのか?」
冒険者として登録するためには、その適性や能力値を知るために、組合でステータスを測定する必要がある。魔力の籠った特別な水晶に手をかざして、その人の潜在的なステータスを数値として表すのだ。
その情報は組合内で厳重に保管され、仕事の紹介や昇級の際に参考にしたりする。
そのため、そこまで詳しくはなくても、大雑把な実力の検討くらいはつくはずなのだ。
「もちろん測ったわよ。でも、分からなかった」
「は? なんで?」
「だって……水晶、砕けちゃったんだもの」
「……はぁ!? んなバカな!」
男はミナの発言に驚き、思わず大声を上げる。
その声に、周りの冒険者たちも二人に視線を向けた。
「本当よ。触った瞬間、バキィって。粉々だった」
「……もともと水晶が壊れてたとかじゃなくてか?」
「新品同然だったわ。それに、その前に水色の髪の子を測定したときは、普通に使えたしね。そもそも壊れてたからって、水晶が砕け散るなんて初めてだわ」
「………………マジか」
男は口をあんぐりと開けて固まった。
そんな男の様子を面白そうに見つめて、ミナはさらに驚愕の言葉を続ける。
「ちなみにね。水色の髪の子のステータス、完全に白金級以上よ。潜在値なら白金級でも最強なんじゃないかしら」
「…………うそだろ…………」
予想通りの反応を見せた男を見て、ミナは声を上げて笑った。
顔を青くした男が、声を震わせながらミナに尋ねる。
「じゃ、じゃあ……そんな白金級以上の奴を従えて歩いてたあの黒髪の方は……マジで、いったい何者なんだよ……?」
その声は怯えているようでもあり、同時に激しく興奮しているようでもあった。
あの黒髪の冒険者はいったい何者か。そんな予想のしようもない質問を受けたミナは、真面目に考えるのも馬鹿馬鹿しく、適当に思いついたことを口にした。
「さあ。魔王かなにかじゃない?」
それが冗談であることは理解している。
だが男はなぜか、全身に鳥肌が立つのを抑えられなかった。
冒険者組合の中は静寂に包まれていた。
やがてこの二人の冒険者が、この町で大きく名を上げることになる。
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