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第十二話
しおりを挟む萌が意識を取り戻した時、あたりは悲惨な状態だった。
倒れ伏す父と母。
真っ赤な血だまり。
しばらくはぼんやり座り込んでいたんだと思う。
ふと、警察に電話しなきゃと思い立った。
サイレンの音を響かせて到着したパトカー。
続々とやってくる警察官たち。
でも、萌の心にほっとした感情は湧かなかった。
ただただ恐ろしかった。
やってきた刑事には色々と話を聞かれた。
辛いことを何度も話した。
萌が犯人と対峙したことを話すと、犯人の特徴を詳しく聞きたがった刑事たち。
でも、萌はどうしても犯人の顔を思い出すことができなかった。
犯人の特徴を思い出そうすればするほど、記憶は黒い靄に覆われた。
おそらくそれは自己防衛の一種なのだろう。
七年たった今でも、萌の記憶は封印されたままだ。
小学生の頃は、両親の死を考えない日はなかった。
毎日のようにうなされ、叫び、自分だけが生き残ってしまったことへの罪悪感にさいなまれた。
犯人の顔を思い出せない自分を許せなかった。
虐待が始まると、萌は自分の存在意義を見失った。
絶えない暴力に悪夢、死ぬかもしれないという恐怖。
なぜ自分が存在しているのか本気で分からなくなった。
虐待から救い出され、病院に通院するようになっても、初めのうちはフラッシュバックに苦しんだ。
でも、薬を飲み続けることでそれらを抑え込むことができた。
両親が殺されるシーンを夢に見ることが少なくなった。
忘れたわけじゃない。
悲しくないわけじゃない。
薬のおかげもあるが、萌の心が自身を守るために記憶にふたをしたのだ。
でもそのふたに鍵はついていない。
いつ中にがこぼれてしまうとも分からない、薄氷を踏むかのように頼りない状態の上で、萌は生きてきた。
――そして。
その箱が壊れたのだ。
*~*~*~*~*~*~*~*~*~*
真っ赤な記憶を夢に見て、萌は声もなく飛び起きる。
嫌な汗が止まらない。
ここ何日も満足に眠れていない。
学校では相変わらず周りの視線が萌を苛み、あれだけ楽しみにしていた潤たちとの勉強会も参加することなく週末を迎えてしまった。
あの時の、犯人に頭をなでられた感触がよみがえる。
真っ暗い部屋の中、萌は一人身体を震わせた。
本当だったらテスト前ということで雅也との打ち合わせは無しにしてもらっていた萌。
でも、無性に会いたくなった。
抱えている恐怖や不安、絶望を和らげてほしいと思った。
思い浮かんだ顔は雅也で。
萌にとって困ったときに頼れる人は、あの夏からずっと変わらず雅也なのだ。
「もしお時間あれば、今日会えないでしょうか。相談したいことがあります。場所や時間は指定していただいて構いません。」
ためらいながらもラインを送ると、即返信が返ってきた。
「十一時にマスターの喫茶店でどうかな? 今日俺仕事休みだから遠慮なく相談して! 頼ってくれて嬉しいよ」
心底安堵した。
噂が出回ってたった五日だが、萌の心はもうボロボロだった。
過去の記憶に苦しんで、訳も分からぬ恐怖に襲われる。
そんな日々に萌の心は悲鳴を上げていた。
「だいじょうぶです、ありがとうございます」
施設にいるのも辛い萌は、朝ご飯を食べるなり公園で時間をつぶす。
ベンチに座って暗記科目の勉強を頑張ったが、寒さが限界になってきたので、少し早いがマスターのカフェへと向かった。
土曜日なだけあってカフェはマダムたちで賑わっている。
「いらっしゃいませ」
と言ったマスターは、入ってきた萌の様子がおかしいことに気づく。
だが、忙しさで萌に声をかけることはできない。
ただ心配そうに視線を送るのみだ。
「ごめん、おまたせ」
紅茶を飲みながら英語の勉強をしていた萌は、雅也に肩をたたかれてハッとした。
「雅也さん、急に呼んでしまってごめんなさい」
「大丈夫だよ。それより、どうした? 元気ないけど」
務めて気軽に優しく問いかける雅也だが、内心危機感を抱いていた。
萌の瞳が虚ろで、クマも酷く、憔悴しきっているのが一目瞭然だったからだ。
「あの、こんな事言われても雅也さんに関係ないし、困らせるっていうのは分かってるんです。でも、もうしんどくて。
最近学校でうまくいってなくて、夜も悪夢でうなされて、怖くて」
ぽつぽつと話す萌。
「えっと、いじめを受けてるってことかな?」
「……私の両親が亡くなってるのは話しましたよね。事故死とか病死じゃないんです。……殺されたんです。その場に私もいて、お母さんが殺されるのも見てて。犯人と接触したのに一人生き残ったんです」
ボロボロと涙を流し、しゃくりあげながら話す。
「私、そのことを誰にも言ったことなくて。なるべく思い出さないようにしてて。でも最近なんでかクラスの子にそのことを知られて、学校で噂が広まっちゃって。今まで押さえつけてた記憶がどんどんどんどん溢れて何度もお母さんが殺されるシーンが蘇るんです。寝るのも怖くて。そういう記憶は蘇るのに、見たはずの犯人の顔は思い出せなくて。苦しくて」
雅也は萌の告白に衝撃を受けた。
当時萌は小学生だったはずだ。
そんな幼い少女が殺戮の現場を体験したのだ。
壊れなかったのが奇跡と言っていいだろう。
――そして、萌はまだ十六歳の女の子なのだ。
「萌。萌が経験した過去の出来事はなかったことにはならない。でも、それにおびえる必要はないよ。萌には俺がいるだろ? 潤君たちもいるし、大泉さんも萌のことを娘のように思ってる。マスターだって萌の味方だ。
犯人の顔を思い出せないのは当然のことだよ。心を守るためには仕方がないことなんだ。だから罪悪感を感じる必要は全くない。月並みな表現になっちゃうけど、ご両親は何よりも萌が幸せに生きていくことを願ってる」
雅也が真剣に萌に向き合い、その恐怖や不安を否定せず受け入れる。
真剣に萌と向き合ってくれる雅也に萌は胸がギュッとなる。
「でも私、潤君たちにもよそよそしい態度をとっちゃったんです。拒絶されるのが怖くて……」
「それこそ無用の心配だ。潤君たちは萌の大事な友達だろ? 信じなきゃだめだよ」
「萌、忘れないで。俺は萌の味方だ。どんなことでも、萌が不安に思うようなことがあったら相談してほしい。いつでも電話していいから」
萌の不安は無くなったわけじゃない。
恐怖はきっとこの先も萌に付きまとう。
――でも。
少しだけ勇気を持てた。
今まで見ないようにしていた過去と向き合おうと思えた。
それはきっと、雅也が萌に寄り添い、萌の不安や恐怖を否定しないでくれたからだ。
「ありがとうございます。話を聞いてくれて、受け入れてくれて、少しだけ心が軽くなりました」
泣きすぎて止まらない嗚咽をこらえながらお礼を言う萌。
その瞳にもう涙はない。
気づけばすっかり時間が経っていて、萌のお腹がぐぅ~と鳴った。
「はは、お腹空いたね。もし嫌じゃなければ一緒に昼食食べない?」
笑われて恥ずかしい萌。
でも誘いは嬉しい。
「一緒に食べたいです!」
萌はそう言うと、久々に笑顔を浮かべた。
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