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アリアドネの繭・前編
第7話 シンクロ率低下─①
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「おっ、いい服買ってきたじゃん。ワンピースに……ドレス?」
「エレンに似合いそうだから、全部私が買ったげた」
「いいじゃん」
ベティはワンピースを体に当て、サイズが合うか確かめる。目測だと肩で詰まりそうだ。それほど伸びる材質でもなかった。リリスがワンピースを奪い取ると、エレンに手渡した。
エレンは二人に背中を向け、着替え始める。
ワンピースを着たエレンは、街で恋人を待っている年頃のおてんば娘のようだった。ここに帽子を添えれば、二人が想像した通りの情景が浮かぶだろう。二人は座りながらエレンがポーズを取る様子を眺める。エレンは興奮を抑えられない様子でリリスに感謝を伝える。
リリスは軽くあしらい、右手で顔を隠した。
「次はドレス着てみてよ」
ベティが袋からドレスを取り出した。
ワインレッドの生地を見ると、彼女の動きが止まる。その目は、どこか懐かしさを感じているようだった。過去を振り返り、思い出に浸っている時と同じような目をしていた。
「どうしたの?」
「あ、いや……昔を思い出してね。私は白いドレスを着たけど、赤も似合ってたかもしれないな、って」
「……そういえば、そうだったね」
エレンは疑問の表情を浮かべる。
「ベティさん、結婚してたんですか?」
「んーまぁ一応ね。全然想像つかないでしょ」
「優しい旦那さんだったんだよ。会ったことないけど」
リリスがフォローするように続けた。ベティは窓の外を眺め、自嘲気味な笑みを浮かべた。そこには過去の自分への冷笑を感じ取れる。
「エレンと同じ歳に結婚したんだよね。本来だったら特に何も考えずに軍隊に入ってたはずなんだけど、あの人を好きになってから……色々なことを思うようになっちゃって」
「旦那さんとは別居中なんですか?」
エレンはハッとしたように口を閉じた。しかし既に遅かった。ベティはしばらく黙り、近くに置いていたコップの水を飲み干した。深呼吸をし、次に出す言葉を頭の中で巡らせている。
やがてゆっくりと口を開いた。
「死んだよ。結婚二年目だったかな、知り合いの凱旋を見たいって、私があいつをセクター九に連れていったんだ。そしたらさ、撤退中だったみたいで、ネクストルムが追いかけてきたんだ……」
ベティは言葉に詰まる。
思い出したくなかった記憶が鮮明に蘇り、小さく嘔吐く。冷たい液体が逆流したようだ。
「私が軍に入ったのは、あいつが守ってくれた命に……それ相応の価値があるってことを証明したかったからさ。復讐心もあっただろうけど、今はそれがメインだね」
ベティは口を閉じると、明るい声を出してエレンにドレスを着るよう言った。エレンは快く承知し、その生地を身にまとった。その雰囲気は神秘的で、先程のおてんば娘から一変し、美しさを漂わせていた。
リリスたちは彼女を眩しそうな目で見る。ベティは一瞬だけ悲しそうな表情を浮かべ、すぐいつも通りの笑顔に戻った。
「うん、最高に似合ってる。いいセンスしてるよ」
「あんたよりはね」
リリスは軽口を叩くが、視線をエレンから離さなかった。
最初は部屋の隅でガタガタ震えているような臆病な少女だったが、こうして過ごしてみると歳相応の女の子だということがわかった。自分たちで選んだ服を着て、自分たちの前で、確かにこうして幸せそうに笑っている。
(絶対に守らなきゃ……)
リリスの中で誓いが強固になるほど、昼間にエリヤから言われた言葉が重しになっていく。脳裏に浮かんでは消え、また浮かぶを繰り返していた。リリスは自分なら守れると何度も繰り返し、半ば洗脳のように自分を言いくるめていた。
* * * * *
「あれ、なんか任務あったっけ?」
「訓練。まだノルマ達成してないの」
「んー」
ベティは本に目を通しながら返事をする。まだ夜が明けきらぬ内にリリスは支度を済ませ、演習場に向かった。最低でも週三回の訓練が義務付けられており、今週はあと一回だけやればノルマ達成だ。
一週間ほど戦っていなかったため、トレーニング代わりに彼女は模擬訓練を選択した。迫り来るネクストルムを撃破する、ほとんどゲームのような内容だった。ゲームと決定的に違うところは、仮想現実に入ってシミュレーションを行うため、痛覚がリアルタイムで伝わるところだろう。
「シンクロ・リグ、接続を確認。リバースシステムを起動」
冷たいボディースーツ越しに、リグの神経系がリリスの脊髄に接続された。仮想空間に展開された戦場は雪山。四方からネクストルムの咆哮が聞こえるが、景色と同化出来ていないためとても見やすい。
シンクロニティを構え、引き金を引く。
ストライカーのように小型であれば重機関銃の援護射撃も必要ない。数発命中すればそれで終わりだ。
普段であれば指先の延長線上にある照準。しかし今日は何故か視界が微かに揺れ、照準が上手く定まらない。
(あれ……もしも外したらどうなるんだろう。エレンは……またキャリアーのポッドに入れられるのかな……)
ふとした瞬間、リリスの脳裏に浮かんだのはエリヤの言葉だった。呪いのように絡みつき、何度も頭に響く。
血が落ちやすいといいわね、これは明らかな宣戦布告だった。
「……っ!させないよ!」
雑念を振り払うように叫び、強引に引き金を引いた。
だが、放たれた弾丸は雪原を無駄に耕し、迫り来るストライカーを掠めることすら出来なかった。
熱い薬莢が落ち、雪を僅かに溶かす。
警告音と共にリグから声がした。
【警告:脳波の乱れを検知。シンクロ率、42%……36%……危険、危険】
無機質な機械音声が焦りを増幅させる。
がむしゃらに撃ち続け、弾倉が空になった。
シンクロ率の低下は、リグをコントロール出来なくなることを意味する。最低でも半分を超えていないと、自分の四肢のように操ることが出来ず、今の状態だと重い鎧を振り回しているのと何ら変わらない。
「動け……!動けってんだよ!」
軽く数メートル跳ねれるはずの脚が、泥に足を取られたように重い。
マガジンを取ろうとする腕が重い。
まともに照準を合わせることが出来ない。
ストライカーはこの機を逃さず、ゆっくりと確実に距離を縮める。既に奴はリリスの不調に気づいていた。喉を鳴らし、唾液を垂らす。雪を巻き上げ、リリスの懐に飛び込んだ。
「──あっ」
銃を構えようとした腕が重さに負ける。
次の瞬間、ストライカーの強靭な爪がリリスの横腹を薙ぎ払う。存在しない痛みが、焼けた鉄を押し当てられたような衝撃となって脊髄を駆け巡る。
衝撃で雪原を転がり、あちこちをぶつける。視界の端で破損インジケーターが点滅し、数値が上がっていく。
獣は獲物を逃さない。
ゲームならここで終了画面が表示される。しかし今の彼女には、眼前に迫る死の文字と、エレンの喪失が重なって見えている。リリスは絶望で目を見開く。見れば見るほどストライカーは醜悪な姿をしていた。
創造神はなぜこのようなものを作ったのか。リリスは宗教を信じていなかったが、今この瞬間だけは神に尋ねたかった。
「嫌っ……!来ないで!来ないでよッ!」
爪がリリスの腹を突き刺す。臍を深く抉り、痛覚の数値が限界まで達した。バイザーが真っ赤な画面で覆われる。むき出しになった神経系に直接溶けた鉄を流し込まれたような激痛が走る。
叩きつけられ、抉られ、息もほとんど絶えそうだったリリスはもはや悲痛な叫び声を上げることしか出来なかった。リグはもはや動かない。
覆い被さるストライカー。喉元に迫る影。死神が今か今かと心臓を握り潰そうとしていた。
「死にたくない……!エレンッ!エレン助けて!嫌あぁぁぁ!」
「エレンに似合いそうだから、全部私が買ったげた」
「いいじゃん」
ベティはワンピースを体に当て、サイズが合うか確かめる。目測だと肩で詰まりそうだ。それほど伸びる材質でもなかった。リリスがワンピースを奪い取ると、エレンに手渡した。
エレンは二人に背中を向け、着替え始める。
ワンピースを着たエレンは、街で恋人を待っている年頃のおてんば娘のようだった。ここに帽子を添えれば、二人が想像した通りの情景が浮かぶだろう。二人は座りながらエレンがポーズを取る様子を眺める。エレンは興奮を抑えられない様子でリリスに感謝を伝える。
リリスは軽くあしらい、右手で顔を隠した。
「次はドレス着てみてよ」
ベティが袋からドレスを取り出した。
ワインレッドの生地を見ると、彼女の動きが止まる。その目は、どこか懐かしさを感じているようだった。過去を振り返り、思い出に浸っている時と同じような目をしていた。
「どうしたの?」
「あ、いや……昔を思い出してね。私は白いドレスを着たけど、赤も似合ってたかもしれないな、って」
「……そういえば、そうだったね」
エレンは疑問の表情を浮かべる。
「ベティさん、結婚してたんですか?」
「んーまぁ一応ね。全然想像つかないでしょ」
「優しい旦那さんだったんだよ。会ったことないけど」
リリスがフォローするように続けた。ベティは窓の外を眺め、自嘲気味な笑みを浮かべた。そこには過去の自分への冷笑を感じ取れる。
「エレンと同じ歳に結婚したんだよね。本来だったら特に何も考えずに軍隊に入ってたはずなんだけど、あの人を好きになってから……色々なことを思うようになっちゃって」
「旦那さんとは別居中なんですか?」
エレンはハッとしたように口を閉じた。しかし既に遅かった。ベティはしばらく黙り、近くに置いていたコップの水を飲み干した。深呼吸をし、次に出す言葉を頭の中で巡らせている。
やがてゆっくりと口を開いた。
「死んだよ。結婚二年目だったかな、知り合いの凱旋を見たいって、私があいつをセクター九に連れていったんだ。そしたらさ、撤退中だったみたいで、ネクストルムが追いかけてきたんだ……」
ベティは言葉に詰まる。
思い出したくなかった記憶が鮮明に蘇り、小さく嘔吐く。冷たい液体が逆流したようだ。
「私が軍に入ったのは、あいつが守ってくれた命に……それ相応の価値があるってことを証明したかったからさ。復讐心もあっただろうけど、今はそれがメインだね」
ベティは口を閉じると、明るい声を出してエレンにドレスを着るよう言った。エレンは快く承知し、その生地を身にまとった。その雰囲気は神秘的で、先程のおてんば娘から一変し、美しさを漂わせていた。
リリスたちは彼女を眩しそうな目で見る。ベティは一瞬だけ悲しそうな表情を浮かべ、すぐいつも通りの笑顔に戻った。
「うん、最高に似合ってる。いいセンスしてるよ」
「あんたよりはね」
リリスは軽口を叩くが、視線をエレンから離さなかった。
最初は部屋の隅でガタガタ震えているような臆病な少女だったが、こうして過ごしてみると歳相応の女の子だということがわかった。自分たちで選んだ服を着て、自分たちの前で、確かにこうして幸せそうに笑っている。
(絶対に守らなきゃ……)
リリスの中で誓いが強固になるほど、昼間にエリヤから言われた言葉が重しになっていく。脳裏に浮かんでは消え、また浮かぶを繰り返していた。リリスは自分なら守れると何度も繰り返し、半ば洗脳のように自分を言いくるめていた。
* * * * *
「あれ、なんか任務あったっけ?」
「訓練。まだノルマ達成してないの」
「んー」
ベティは本に目を通しながら返事をする。まだ夜が明けきらぬ内にリリスは支度を済ませ、演習場に向かった。最低でも週三回の訓練が義務付けられており、今週はあと一回だけやればノルマ達成だ。
一週間ほど戦っていなかったため、トレーニング代わりに彼女は模擬訓練を選択した。迫り来るネクストルムを撃破する、ほとんどゲームのような内容だった。ゲームと決定的に違うところは、仮想現実に入ってシミュレーションを行うため、痛覚がリアルタイムで伝わるところだろう。
「シンクロ・リグ、接続を確認。リバースシステムを起動」
冷たいボディースーツ越しに、リグの神経系がリリスの脊髄に接続された。仮想空間に展開された戦場は雪山。四方からネクストルムの咆哮が聞こえるが、景色と同化出来ていないためとても見やすい。
シンクロニティを構え、引き金を引く。
ストライカーのように小型であれば重機関銃の援護射撃も必要ない。数発命中すればそれで終わりだ。
普段であれば指先の延長線上にある照準。しかし今日は何故か視界が微かに揺れ、照準が上手く定まらない。
(あれ……もしも外したらどうなるんだろう。エレンは……またキャリアーのポッドに入れられるのかな……)
ふとした瞬間、リリスの脳裏に浮かんだのはエリヤの言葉だった。呪いのように絡みつき、何度も頭に響く。
血が落ちやすいといいわね、これは明らかな宣戦布告だった。
「……っ!させないよ!」
雑念を振り払うように叫び、強引に引き金を引いた。
だが、放たれた弾丸は雪原を無駄に耕し、迫り来るストライカーを掠めることすら出来なかった。
熱い薬莢が落ち、雪を僅かに溶かす。
警告音と共にリグから声がした。
【警告:脳波の乱れを検知。シンクロ率、42%……36%……危険、危険】
無機質な機械音声が焦りを増幅させる。
がむしゃらに撃ち続け、弾倉が空になった。
シンクロ率の低下は、リグをコントロール出来なくなることを意味する。最低でも半分を超えていないと、自分の四肢のように操ることが出来ず、今の状態だと重い鎧を振り回しているのと何ら変わらない。
「動け……!動けってんだよ!」
軽く数メートル跳ねれるはずの脚が、泥に足を取られたように重い。
マガジンを取ろうとする腕が重い。
まともに照準を合わせることが出来ない。
ストライカーはこの機を逃さず、ゆっくりと確実に距離を縮める。既に奴はリリスの不調に気づいていた。喉を鳴らし、唾液を垂らす。雪を巻き上げ、リリスの懐に飛び込んだ。
「──あっ」
銃を構えようとした腕が重さに負ける。
次の瞬間、ストライカーの強靭な爪がリリスの横腹を薙ぎ払う。存在しない痛みが、焼けた鉄を押し当てられたような衝撃となって脊髄を駆け巡る。
衝撃で雪原を転がり、あちこちをぶつける。視界の端で破損インジケーターが点滅し、数値が上がっていく。
獣は獲物を逃さない。
ゲームならここで終了画面が表示される。しかし今の彼女には、眼前に迫る死の文字と、エレンの喪失が重なって見えている。リリスは絶望で目を見開く。見れば見るほどストライカーは醜悪な姿をしていた。
創造神はなぜこのようなものを作ったのか。リリスは宗教を信じていなかったが、今この瞬間だけは神に尋ねたかった。
「嫌っ……!来ないで!来ないでよッ!」
爪がリリスの腹を突き刺す。臍を深く抉り、痛覚の数値が限界まで達した。バイザーが真っ赤な画面で覆われる。むき出しになった神経系に直接溶けた鉄を流し込まれたような激痛が走る。
叩きつけられ、抉られ、息もほとんど絶えそうだったリリスはもはや悲痛な叫び声を上げることしか出来なかった。リグはもはや動かない。
覆い被さるストライカー。喉元に迫る影。死神が今か今かと心臓を握り潰そうとしていた。
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