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アリアドネの繭・前編
第8話 シンクロ率低下─②
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【警告:脳波異常、及び物理的ショックの許容値を大幅に超過しました。接続を強制解除します】
視界が真っ白に染まり、弾けた。
「っ……!はぁ、はぁっ、はぁ……ッ!」
ハッチが開くと同時に、リリスは椅子から転げ落ちた。
体に一切の傷は無い。しかし、脳が記憶した抉られた痛みは、未だ残っていた。彼女は床に這い蹲ると、激しく嘔吐をした。目眩は酷く、まともに立ち上がることすら出来そうになかった。
「リリス!しっかりして!」
倒れたリリスをベティが急いで抱える。青ざめた顔を覗き込み、脈を測る。
大量出血した時と同じくらい速い。
リリスはベティを見ると驚いたように聞く。
「べ、ベティ……なんで来たの?」
「私もついでに訓練しに来たんだよ。そしたらこの有様さ」
ベティの手のひらが背中を摩る。ハンカチで口元を拭うと、モニターの数値を見て驚いたように言う。
「酷いもんだね……脳波とかがぐちゃぐちゃだよ。何かあった?」
「……わからない。ただ、ただなんか……変な気分だったというか」
エレンのことを口に出そうとした。しかし彼女はこれと直接関係があるわけではない。ただ自分の気持ちの弱さがシンクロ率の低下を招いただけだった。リリスはぐっと堪え、喉元まで出かかっていた言葉を飲み込む。
ベティは何も言わず、リリスが落ち着くまでその不安定な体を支えていた。
「リリス、あんたもしかして……」
ベティはモニターの数値と、腕の中で震えているリリスの顔を交互に見る。
「エレンのこと、やっぱり気になってる?」
「な、何を!」
「わかる。私はあんたより長生きしてるんだからさ、色々と気にしちゃってるのはわかるよ」
何も言っていないのに、この歳上の戦友には全てを見透かされていた。
「もしも私がエレンを守れなかったら。そう考えたら……どんどん力が抜けていくような気がして」
「……今日はもう帰りな」
ベティは一呼吸置いて、優しく言う。
「ノルマは達成したと報告しておくから、あんたはエレンと朝ごはんでも食べてて。あと、そんな顔してるとエレンに心配かけるかもよ」
「わかってるよ……」
リリスは膝に力を込めると立ち上がった。低下したシンクロ率と警告の赤いランプが、まるで自分を嘲笑うかのように点滅している。ふらつく足取りで、演習場を出ようとした。
モップで吐瀉物を拭くベティに感謝を伝える。ベティはリリスの背中を黙って見送る。
演習場の帰り道、冷たい朝の風が火照った頬を撫でる。
エレンを守りたい、でも自分には守る力がない、じゃあどうする。
頭の中で考えがループした。今回は訓練だったからこうして五体満足の状態でいられたが、万が一実戦だったら。そう考えると背筋に悪寒が走る。
道を歩いていると、兵士たちがバスケットボールをしていた。
恐らくリリスと同じ訓練帰りだろう。ボールを激しく奪い合い、ゴールを決めている。歓声と笑い声。リリスは足を止めると、遠巻きに、視界の端でそれを眺めていた。
前線に出ない士官たちは、ネクストルムと戦って戦士することこそが軍人として最も名誉あることだと口を揃えて言う。しかしその死に方は、リリスにとっては絶対に避けたいことだった。
──もしも私が死んだら。
──私が食われたら誰がエレンを守る?
──誰があの子に心を込めたプレゼントを?
「あ、リリスさん!おかえりなさい!」
気づいた時には宿舎の食堂にいた。
冷たく重かった扉の向こうからは、眩しいほど明るい光が溢れ出した。
「ただいま……エレン」
リリスは無理やり口角を上げ、声が震えないように細心の注意を払った。エレンは鼻歌混じりでトーストと目玉焼きを焼いていた。演習場の血なまぐさい雰囲気は、彼女の神々しく朗らかな雰囲気に上書きされていく。
「リリスさん、顔色が良くないですけど、嫌なことでもありましたか?」
「ああ、これ?ちょっとしたミスをしちゃってね。私、そういうの少しだけ引きずるタイプでね」
リリスは椅子に座る。テーブルの上にはスープが置かれていた。一口啜ると、温かさが喉を通っていく。胃に落ちるのが感じられた。これが血肉となり、体を維持していくのだ。リリスは少し複雑な気持ちになった。
「軍人さんたちは……いつ死ぬかもわからないのにずっと戦って、その、みんな自分がどんな感じに死ぬか考えたりするんですか?」
図星だった。リリスはフォークを置いた。
「……間違っては無いかも。でもね、そんなマイナスなことばっかり考えたら疲れちゃうでしょ?だから私たちは生きることを最優先に考えてる。死なないために戦って、今日を生きる。少なくとも私はそう」
──そうだ。
──明日死ぬかもしれない自分の姿なんて、
──考える必要はない。
「私、リリスさんがいなくなったら、買ってもらったワンピースとか捨てちゃいますよ。これは脅しですからね」
「はっはっ、ついにそんなことも言えるようになったんだ」
エレンが冗談めかして言う。リリスを想う気持ちの表れだった。
リリスは胸の奥が締め付けられるような感覚を覚え、トーストを齧る。小さく笑い、反省した。ネクストルムの腹の中で英雄になるよりも、こうして傍で質素な朝食を摂る方が何万倍も価値がある。
「勝手なこと言わないでよ。高かったんだからさ」
リリスは物憂げな様子で続ける。
「……私は死なないよ。あんたを置いていくなんて、死んでも出来ないから」
視界が真っ白に染まり、弾けた。
「っ……!はぁ、はぁっ、はぁ……ッ!」
ハッチが開くと同時に、リリスは椅子から転げ落ちた。
体に一切の傷は無い。しかし、脳が記憶した抉られた痛みは、未だ残っていた。彼女は床に這い蹲ると、激しく嘔吐をした。目眩は酷く、まともに立ち上がることすら出来そうになかった。
「リリス!しっかりして!」
倒れたリリスをベティが急いで抱える。青ざめた顔を覗き込み、脈を測る。
大量出血した時と同じくらい速い。
リリスはベティを見ると驚いたように聞く。
「べ、ベティ……なんで来たの?」
「私もついでに訓練しに来たんだよ。そしたらこの有様さ」
ベティの手のひらが背中を摩る。ハンカチで口元を拭うと、モニターの数値を見て驚いたように言う。
「酷いもんだね……脳波とかがぐちゃぐちゃだよ。何かあった?」
「……わからない。ただ、ただなんか……変な気分だったというか」
エレンのことを口に出そうとした。しかし彼女はこれと直接関係があるわけではない。ただ自分の気持ちの弱さがシンクロ率の低下を招いただけだった。リリスはぐっと堪え、喉元まで出かかっていた言葉を飲み込む。
ベティは何も言わず、リリスが落ち着くまでその不安定な体を支えていた。
「リリス、あんたもしかして……」
ベティはモニターの数値と、腕の中で震えているリリスの顔を交互に見る。
「エレンのこと、やっぱり気になってる?」
「な、何を!」
「わかる。私はあんたより長生きしてるんだからさ、色々と気にしちゃってるのはわかるよ」
何も言っていないのに、この歳上の戦友には全てを見透かされていた。
「もしも私がエレンを守れなかったら。そう考えたら……どんどん力が抜けていくような気がして」
「……今日はもう帰りな」
ベティは一呼吸置いて、優しく言う。
「ノルマは達成したと報告しておくから、あんたはエレンと朝ごはんでも食べてて。あと、そんな顔してるとエレンに心配かけるかもよ」
「わかってるよ……」
リリスは膝に力を込めると立ち上がった。低下したシンクロ率と警告の赤いランプが、まるで自分を嘲笑うかのように点滅している。ふらつく足取りで、演習場を出ようとした。
モップで吐瀉物を拭くベティに感謝を伝える。ベティはリリスの背中を黙って見送る。
演習場の帰り道、冷たい朝の風が火照った頬を撫でる。
エレンを守りたい、でも自分には守る力がない、じゃあどうする。
頭の中で考えがループした。今回は訓練だったからこうして五体満足の状態でいられたが、万が一実戦だったら。そう考えると背筋に悪寒が走る。
道を歩いていると、兵士たちがバスケットボールをしていた。
恐らくリリスと同じ訓練帰りだろう。ボールを激しく奪い合い、ゴールを決めている。歓声と笑い声。リリスは足を止めると、遠巻きに、視界の端でそれを眺めていた。
前線に出ない士官たちは、ネクストルムと戦って戦士することこそが軍人として最も名誉あることだと口を揃えて言う。しかしその死に方は、リリスにとっては絶対に避けたいことだった。
──もしも私が死んだら。
──私が食われたら誰がエレンを守る?
──誰があの子に心を込めたプレゼントを?
「あ、リリスさん!おかえりなさい!」
気づいた時には宿舎の食堂にいた。
冷たく重かった扉の向こうからは、眩しいほど明るい光が溢れ出した。
「ただいま……エレン」
リリスは無理やり口角を上げ、声が震えないように細心の注意を払った。エレンは鼻歌混じりでトーストと目玉焼きを焼いていた。演習場の血なまぐさい雰囲気は、彼女の神々しく朗らかな雰囲気に上書きされていく。
「リリスさん、顔色が良くないですけど、嫌なことでもありましたか?」
「ああ、これ?ちょっとしたミスをしちゃってね。私、そういうの少しだけ引きずるタイプでね」
リリスは椅子に座る。テーブルの上にはスープが置かれていた。一口啜ると、温かさが喉を通っていく。胃に落ちるのが感じられた。これが血肉となり、体を維持していくのだ。リリスは少し複雑な気持ちになった。
「軍人さんたちは……いつ死ぬかもわからないのにずっと戦って、その、みんな自分がどんな感じに死ぬか考えたりするんですか?」
図星だった。リリスはフォークを置いた。
「……間違っては無いかも。でもね、そんなマイナスなことばっかり考えたら疲れちゃうでしょ?だから私たちは生きることを最優先に考えてる。死なないために戦って、今日を生きる。少なくとも私はそう」
──そうだ。
──明日死ぬかもしれない自分の姿なんて、
──考える必要はない。
「私、リリスさんがいなくなったら、買ってもらったワンピースとか捨てちゃいますよ。これは脅しですからね」
「はっはっ、ついにそんなことも言えるようになったんだ」
エレンが冗談めかして言う。リリスを想う気持ちの表れだった。
リリスは胸の奥が締め付けられるような感覚を覚え、トーストを齧る。小さく笑い、反省した。ネクストルムの腹の中で英雄になるよりも、こうして傍で質素な朝食を摂る方が何万倍も価値がある。
「勝手なこと言わないでよ。高かったんだからさ」
リリスは物憂げな様子で続ける。
「……私は死なないよ。あんたを置いていくなんて、死んでも出来ないから」
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