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アリアドネの繭・前編
第15話 模擬戦─①
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火曜日、リリスたちは久々のセクター二を訪れることで沸き立っていた。内地の中でも特に設備が充実し、いわゆる貴族街としてセクターの住人の憧れの対象に君臨していた。
物価は高かったが、一生涯に渡って高額な給与が支払われるリリスたちにとってそれはさほど重要な問題ではなかった。
街ゆく人々は高級なシルク製といった洗練された衣服を身にまとい、清潔な雰囲気が漂っている。街の華やかさとは裏腹にリリスの気分は滅入っていた。無理もない。今日は模擬戦当日。贅沢で豊かな街並みも、人々の華やかさも、彼女にとっては戦場の序曲でしかない。
「わぁ……すごい景色ですね。まるで違う場所に来たみたい」
隣でエレンは目を輝かせていた。全てが彼女にとっては新鮮だった。リリスの悩みは、彼女の爛漫な笑顔を見ていると消えてしまいそうだった。
一方でベティは指を鳴らしながら辺りを警戒している。サラはブティックの前で優雅に立ち尽くしていた。
「ごきげんよう、第四分隊の小鳥さんたち。わざわざここまで来て羽根を毟られにくるなんて、なんとお利口なことですの!」
柱の影から、凛とした佇まいの少女が声をあげる。
先日までの軍服姿とは似ても似つかない、カレンの姿だった。
彼女は幾重にも重なった半透明のオーガンジー素材のロングボレロを着こなしていた。光を透過させるその服は、貴族出身の彼女にとても似合う。少し動くと服はふわりと追従し、幻想的に彩っていた。
「……犬の代わり?」
「誰が犬ですって!わたくしが率先して引き受けたのですわ。道に迷ってこの街を汚してしまわないようにね」
カレンは顔を真っ赤にして言い返すと踵を返す。
「せいぜい目に焼き付けておくことですわ。貴女たちが二度と踏み入れることのない景色なのですから」
道中、カレンは一貫して不遜な態度を取っていた。高級ブティックのショーウィンドウを指さすと、そこに並ぶ品物が如何に自分たちを輝かせるか聞いてもいないのに饒舌に語る。
やがて一行は、第一訓練場と書かれた広大なドームの前にたどり着いた。
四方を強化ガラスに囲まれ、音一つない静寂の空間が閉じ込められている。カレンは立ち止まると振り向き、四人の顔を見渡した。
「さあ、着きましたわよ。ここが貴女たちの墓場、わたくしたちが最高のショーを見せてあげますわ」
カレンの口角が釣り上がる。
彼女はボレロの胸元にあるボタンに指をかざした。
パチン、という音が静寂を切り裂く。
ボタンが外れた瞬間、ボレロが自重に引かれるように肩から滑り、床に崩れ落ちる。
服の下から露わになったのは、リグのパイロットスーツだった。
カレンの全身に密着した漆黒のスーツは、彼女のしなやかで贅肉のないボディラインを包み隠さず描き出している。
華奢に見えた肩から二の腕にかけては、過酷な訓練と調整に耐え抜いた証である細い筋肉が浮き上がり、プラグがある背筋は鋭く美しい反りを作っている。
スーツが胸元から腹部にかけて、彼女の呼吸に合わせて密着していた。小さくも豊かな膨らみから、引き締まったウエストへの急激な曲線は、圧力によってより一層起伏を強調されている。
リリスは腹部の薄さに驚愕した。
平坦だと思っていた腹筋には、スーツ越しからでもわかる細い腹筋が見え、強靭さを感じさせる。
カレンは自分の腹部から腰のラインにかけて、ゆっくりと指を這わせた。
「その熱い視線、嫌いじゃないですわよ?」
リリスはその光景を前にして、言葉に出来ない衝撃を受けていた。
正直なところ、パエトーンを心のどこかで侮っていた。貴族という特権階級に守られ、前線に出ることなく、貴族たちが自らの力を誇示するために作られた「見せかけの部隊」なのだと。金の力で全てを解決し、実戦を知らない者のお人形遊び。そう思いたかったのかもしれない。
しかし目の前のカレンは違った。
鍛え抜かれた肉体。それは過剰なまでに研ぎ澄まされ、まさに兵器として運用されているようだった。無駄のない筋肉が、彼女がくぐり抜けてきた過酷な訓練の歴史を物語っているようだった。
「さ、見惚れるのはここまでですわ。エレンお嬢様はぜひこちらへ、ニーナが案内してくれますわよ」
「あ……ありがとう、ございます」
エレンは戸惑うようにカレンが指さした先、ニーナが待つ場所へ歩き始める。不安そうな背中を思わず追おうとしたリリスを、カレンが片手で止める。彼女は殺気を放ち、リリスも思わず一歩後ずさりした。
「他人を心配をしている余裕はありませんよ?貴女が見なければならないのは、このわたくしですわ」
カレンが噛み締めるように笑う。
「安心なさって。エレンお嬢様には、貴女が無様に命乞いをして、ええと……とにかく!屈辱的な様をじっくりと見せて差し上げますから、楽しみにしてくださいまし」
* * * * *
「不思議ね……いつもよりスーツが肌に食い込む気がするわ。特にお尻辺りが」
リリスとベティが慣れた手つきで武器の手入れをする傍ら、サラは自身の体に密着したスーツを何度も確かめる。肩を回し、足首を曲げたりしていた。
そんなサラの様子を見て、ベティが軽口を叩く。
「そりゃそうさ。最近ずっと前線に出ないでデスクワークばっかりしてたから、ケツデカになったんじゃないの?」
「……否定は出来ないけど、ちょっとは言い方ってものがあるでしょ」
サラは苦笑いしながら言うと、壁に立てかけてあった自身の得物、SR-22「サイレント・スレッド」を手に取った。金属の冷たい感触が、マガジンを入れた時にカチリとはまるあの音が、眠っていた兵士としての本能を段階的に呼び起こしていった。
「いくらデスクワークばっかりやってても、体は闘争を求める。八年も軍隊に入ってたんだ、否が応でも思い出すさ」
「正確には九年ね……もっとも、慣れるまで何年もかかったけど」
サラは愛おしそうにボルトを引いた。排莢口から漂うオイルの匂いが、彼女を戦場に引き戻す。
ベティが勢いよくブーツを床に打ち付けた。
準備を終えた三人はいよいよ扉の前に立つ。向こうからは既に機械が動く音が聞こえる。恐らく既にネクストルムの仕掛けは整っている。ドアの向こうでは完全武装したカレン、アイリス、そして分隊長のエリヤが待ち構えている。
「行こう、みんな」
リリスの短い言葉と共に分厚い鋼鉄のドアが開いた。
眩い光が三人の目を覆う。視界が晴れた頃、パエトーンの精鋭たちが陣形を作っているのが見えた。
リリスは、観覧席の最前線でニーナの隣に座り、不安そうにこちらを見ているエレンの視線に気づいた。
エレンはリリスたちのいつもとは違う姿に圧倒されているようだった。穏やかに雑談し、食事を摂り、また適当な雑談をする。これまでの日常で見せていた優しい先輩とは違う冷徹な兵士の姿。
「準備運動は済んだか?」
「ええ、もちろん。そちらこそ声出しの練習は出来たかしら?命乞いの」
サラの問いに対して、パエトーンの二人は獣のような視線で返事をする。挑発を合図にするかのように、演習場の四隅に設置された装置が起動し、街中の風景をホログラムで描き始めた。
戦いの火蓋が今、切られた。
物価は高かったが、一生涯に渡って高額な給与が支払われるリリスたちにとってそれはさほど重要な問題ではなかった。
街ゆく人々は高級なシルク製といった洗練された衣服を身にまとい、清潔な雰囲気が漂っている。街の華やかさとは裏腹にリリスの気分は滅入っていた。無理もない。今日は模擬戦当日。贅沢で豊かな街並みも、人々の華やかさも、彼女にとっては戦場の序曲でしかない。
「わぁ……すごい景色ですね。まるで違う場所に来たみたい」
隣でエレンは目を輝かせていた。全てが彼女にとっては新鮮だった。リリスの悩みは、彼女の爛漫な笑顔を見ていると消えてしまいそうだった。
一方でベティは指を鳴らしながら辺りを警戒している。サラはブティックの前で優雅に立ち尽くしていた。
「ごきげんよう、第四分隊の小鳥さんたち。わざわざここまで来て羽根を毟られにくるなんて、なんとお利口なことですの!」
柱の影から、凛とした佇まいの少女が声をあげる。
先日までの軍服姿とは似ても似つかない、カレンの姿だった。
彼女は幾重にも重なった半透明のオーガンジー素材のロングボレロを着こなしていた。光を透過させるその服は、貴族出身の彼女にとても似合う。少し動くと服はふわりと追従し、幻想的に彩っていた。
「……犬の代わり?」
「誰が犬ですって!わたくしが率先して引き受けたのですわ。道に迷ってこの街を汚してしまわないようにね」
カレンは顔を真っ赤にして言い返すと踵を返す。
「せいぜい目に焼き付けておくことですわ。貴女たちが二度と踏み入れることのない景色なのですから」
道中、カレンは一貫して不遜な態度を取っていた。高級ブティックのショーウィンドウを指さすと、そこに並ぶ品物が如何に自分たちを輝かせるか聞いてもいないのに饒舌に語る。
やがて一行は、第一訓練場と書かれた広大なドームの前にたどり着いた。
四方を強化ガラスに囲まれ、音一つない静寂の空間が閉じ込められている。カレンは立ち止まると振り向き、四人の顔を見渡した。
「さあ、着きましたわよ。ここが貴女たちの墓場、わたくしたちが最高のショーを見せてあげますわ」
カレンの口角が釣り上がる。
彼女はボレロの胸元にあるボタンに指をかざした。
パチン、という音が静寂を切り裂く。
ボタンが外れた瞬間、ボレロが自重に引かれるように肩から滑り、床に崩れ落ちる。
服の下から露わになったのは、リグのパイロットスーツだった。
カレンの全身に密着した漆黒のスーツは、彼女のしなやかで贅肉のないボディラインを包み隠さず描き出している。
華奢に見えた肩から二の腕にかけては、過酷な訓練と調整に耐え抜いた証である細い筋肉が浮き上がり、プラグがある背筋は鋭く美しい反りを作っている。
スーツが胸元から腹部にかけて、彼女の呼吸に合わせて密着していた。小さくも豊かな膨らみから、引き締まったウエストへの急激な曲線は、圧力によってより一層起伏を強調されている。
リリスは腹部の薄さに驚愕した。
平坦だと思っていた腹筋には、スーツ越しからでもわかる細い腹筋が見え、強靭さを感じさせる。
カレンは自分の腹部から腰のラインにかけて、ゆっくりと指を這わせた。
「その熱い視線、嫌いじゃないですわよ?」
リリスはその光景を前にして、言葉に出来ない衝撃を受けていた。
正直なところ、パエトーンを心のどこかで侮っていた。貴族という特権階級に守られ、前線に出ることなく、貴族たちが自らの力を誇示するために作られた「見せかけの部隊」なのだと。金の力で全てを解決し、実戦を知らない者のお人形遊び。そう思いたかったのかもしれない。
しかし目の前のカレンは違った。
鍛え抜かれた肉体。それは過剰なまでに研ぎ澄まされ、まさに兵器として運用されているようだった。無駄のない筋肉が、彼女がくぐり抜けてきた過酷な訓練の歴史を物語っているようだった。
「さ、見惚れるのはここまでですわ。エレンお嬢様はぜひこちらへ、ニーナが案内してくれますわよ」
「あ……ありがとう、ございます」
エレンは戸惑うようにカレンが指さした先、ニーナが待つ場所へ歩き始める。不安そうな背中を思わず追おうとしたリリスを、カレンが片手で止める。彼女は殺気を放ち、リリスも思わず一歩後ずさりした。
「他人を心配をしている余裕はありませんよ?貴女が見なければならないのは、このわたくしですわ」
カレンが噛み締めるように笑う。
「安心なさって。エレンお嬢様には、貴女が無様に命乞いをして、ええと……とにかく!屈辱的な様をじっくりと見せて差し上げますから、楽しみにしてくださいまし」
* * * * *
「不思議ね……いつもよりスーツが肌に食い込む気がするわ。特にお尻辺りが」
リリスとベティが慣れた手つきで武器の手入れをする傍ら、サラは自身の体に密着したスーツを何度も確かめる。肩を回し、足首を曲げたりしていた。
そんなサラの様子を見て、ベティが軽口を叩く。
「そりゃそうさ。最近ずっと前線に出ないでデスクワークばっかりしてたから、ケツデカになったんじゃないの?」
「……否定は出来ないけど、ちょっとは言い方ってものがあるでしょ」
サラは苦笑いしながら言うと、壁に立てかけてあった自身の得物、SR-22「サイレント・スレッド」を手に取った。金属の冷たい感触が、マガジンを入れた時にカチリとはまるあの音が、眠っていた兵士としての本能を段階的に呼び起こしていった。
「いくらデスクワークばっかりやってても、体は闘争を求める。八年も軍隊に入ってたんだ、否が応でも思い出すさ」
「正確には九年ね……もっとも、慣れるまで何年もかかったけど」
サラは愛おしそうにボルトを引いた。排莢口から漂うオイルの匂いが、彼女を戦場に引き戻す。
ベティが勢いよくブーツを床に打ち付けた。
準備を終えた三人はいよいよ扉の前に立つ。向こうからは既に機械が動く音が聞こえる。恐らく既にネクストルムの仕掛けは整っている。ドアの向こうでは完全武装したカレン、アイリス、そして分隊長のエリヤが待ち構えている。
「行こう、みんな」
リリスの短い言葉と共に分厚い鋼鉄のドアが開いた。
眩い光が三人の目を覆う。視界が晴れた頃、パエトーンの精鋭たちが陣形を作っているのが見えた。
リリスは、観覧席の最前線でニーナの隣に座り、不安そうにこちらを見ているエレンの視線に気づいた。
エレンはリリスたちのいつもとは違う姿に圧倒されているようだった。穏やかに雑談し、食事を摂り、また適当な雑談をする。これまでの日常で見せていた優しい先輩とは違う冷徹な兵士の姿。
「準備運動は済んだか?」
「ええ、もちろん。そちらこそ声出しの練習は出来たかしら?命乞いの」
サラの問いに対して、パエトーンの二人は獣のような視線で返事をする。挑発を合図にするかのように、演習場の四隅に設置された装置が起動し、街中の風景をホログラムで描き始めた。
戦いの火蓋が今、切られた。
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