ある面倒くさがりな勇者が珍しく頑張るしかなくなった話

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本気を出し始める頃かもしれない

強さ

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 セフィアは私に向かって訓練用の剣を何度も打ち込んでくる。
 切れ長の青い目は吊り上がり、だけど、とても綺麗だと思った。
 そして同時に、あの日感じた羞恥心の正体を、私は受け入れなければならないとも思う。

 チャーリーの時よりもずっと素早い動きを相手に、流石に手ぶらでいるわけにはいかず、咄嗟に訓練用の備品のラックから盾を取り、衝撃を防いだ。
 怒りの中にも冷静な動きがあって、隙がなかなかない。
 一本とれば良いとは思うも、剣を振るっていいのかという迷いもあった。

 シーアラが私に教えてくれたことは、『勇者とは何なのか』以外にもいくつかある。
 例えば、人間にはオンとオフが存在して、シーアラはそれを『勤務時間外』と言っていた事。
 シーアラは村長が思っているよりも、実はずっと悪い大人だって事。
 そして、口先だけのやつの後ろには誰もついてこないこと。
 それを実感する機会は、今思えばいくらでもあったが、単に、自覚をしていなかっただけの事だった。
 だから今、こうなってしまったわけだ。

 彼女が剣を打ち込む度に、受け止める盾が音を立てて震え、手のひらが痺れていく。
 シーアラの一撃ほど重くはないが、何度も受け止めれば、手はどんどん感覚を失っていく。
 が、何度も同じ速度で打ち込まれれば、剣先を追いかける目も段々と慣れていく。

「なんでさっ、おっと、騎士になりたいって、思ったの!」

 彼女の薙ぎを、一歩退いて避ける。

「決闘中にお喋りとはっ、随分っ、余裕ですね!舐めているんですかっ!」

 びゅおん、と耳元で空を切る音がして、口元が引きつった。
 目の前には思い切り突っ込んできた、鋭い目をしたセフィアの顔。
 当然舐めちゃいない。いや、舐められるわけがない。
 きっと悔しかったはずで、その悔しさで、一人、何千回、何万回と素振りをしてきたんだろう。
 それに引き換え私は、サイトゥルが見ていた頃から、隙あらば稽古をサボり、勉強をサボり、スライムやランと遊んでいた。
 彼女だけじゃなく、ランだって、あっち側できっと努力をしていたはずなんだ。
 じゃなかったら、「人間と手を取り合えると思った」「無理だった」なんて言えるはずがない。
 色んな人が努力をしているなかで、私は何もしなかった。
 魔物の声が聞こえる。コミュニケーションがとれる。勇者になれば友達を倒さなきゃいけない。だから何もしたくない。
 そればっかりで、何かを変えていく努力を、一つだってしてこなかった。

「舐めてないし。ただ気になっただけだし」

 数歩、後ろに退いて体勢を整えなおす。
 お飾りとして持っているだけだった剣も、今度は盾と同時に構えた。

「そうやって神託、受けたから?」

 私の言葉に、彼女の目がキッと吊り上がる。
 言葉はないが、それが問いかけに対する否定だという事は見て取れた。

「なに焦ってんのか知らないけどさ」

 一歩、彼女が踏み込んで飛び上がる。
 片手に持った訓練用の剣を振り上げるのが見えて、私は盾を構えて衝撃に備えた。
 がんっ、と大きな音がして衝撃が加わると、その瞬間に衝撃を逃がす様に膝を折り曲げて重心を下にする。
 手がじんじんと痺れるどころじゃなく、もはや、痛い。
 痛みに気を削がれない様に、彼女の力に集中する事を意識して、いっせーの、で、彼女を押しのける。
 押し返された彼女は上手い事地面に着地し、剣を構えなおした。

「もうちょっと肩の力抜いたらいいんじゃないの?」
「何もしてこなかったあなたに言われたくはない。たかだか一年弱、真面目にやってきただけのあなたに何がわかるんです」

 彼女に言われて、初めて気づく。
 あれからもうすぐ、一年になるんだと。

「わかんないよ。一年経ってもわかんない事だらけだよ。だけどさ、今のあんた、あの時のランよりタチが悪いってことはわかるよ」

 手に持っていた盾から、ヒビが入る様な嫌な音がした。
 その次には、ばりぃっと激しい音を立てて、盾が真っ二つに割れた。

「は…?」

 信じられない出来事に、口元が引きつった。
 いや、怖いよ、これ。
 持ってる盾が、手を引っかける部分だけになってしまった。

 その威力は、セフィアがどれだけ努力を続けてきたのかを物語っている様だった。
 割れて地面に落ちた盾の残骸に、視線を向ける。

 無残にばらけた盾を見ていると、あの時のサイトゥル達は、どうだったかな、と、そんな疑問を抱いた。
 何のために境界線ぎりぎりの、森の最奥にいたんだろうかと考える。
 サイトゥルも兵士たちも、どうして、命のやり取りをすると分かっていながら、あの場所に立っていられたのかを、今更ながらに、考える。

「もう降参したらどうです?」

 改めて、私に剣先を向ける彼女の目は、つり上がっていた。
 まるで憎いものでも見る様な目で私を見ている。
 彼女に視線を向け、そして、もう一度、彼女によって壊された盾の残骸に視線を向ける。
 ランを前にしたサイトゥル達は、果たして、そんな、憎いものを見る様な目でラン達を見ていただろうか。
 思い返してみれば、少なくとも、私に遠回しに死にに行けと言っていた目とは違うように思う。

――ああ、そうか。

 一つの答えに辿り着いた私から思わず出たのは、恐怖でも、当惑でもなく、それはもう、深い、深いため息だった。

「はぁ…あ~…面倒くさいな」

 呟いたつもりがどうにも声が大きすぎた様で、一瞬、外野をしていた兵士たちがざわめいた。
 当然彼女にも聞こえていた様で、憎いものを見る様な目はとうとう殺気立った目に変わり、容赦なく踏み込んでくる。
 今までよりも僅かに俊敏さが増したのが分かった。
 動きを目で追って、私も腕を振り上げると、セフィアの剣を弾いた。
 シーアラよりも一撃だった。
 彼女の手を離れた剣が宙を舞い、まんまるの目と視線が合う。
 ずかずかと彼女の元まで大股で歩いていき、私の持つ訓練用の剣を地面に突き刺した。

「あのさ、騎士になりたいって思ってるんだったら、サイトゥル達がやろうとしてたこと、勘違いしちゃダメじゃん」

 宙を舞っていた彼女の剣が、かこーんと軽い音を立てて地面に落ちた。
 まだ手に持っている盾の存在を忘れたかのように、彼女は目を見開いたままだ。

「今でもわかんないのは本当だけどさ、きっと、サイトゥル達は守りたかったんだと思うんだよね、村の人たちの事。だから、あんな境界線ギリギリのところまで命かけて足を運ぶことにしたんでしょ」

 今でも、サイトゥル達がランの事を誤解したままなのも、魔族は人間にとって危険で、害があるから倒さなければならないという考えにも、納得はいっていない。
 勇者だからという理由で、殆ど一般人とそう変わらない私を、最前線に出したことも、当然、許してない。
 だけど、サイトゥル達がどうしてあんなに焦っていたのか、命をかけて最前線に立ったのか、それは何となくだけど、今なら想像はつく。

「あんたの中の『騎士』っていうのがどういうのかは知らないけど、少なくとも、サイトゥル達にとってのそれって、『みんなを守る人』だったんじゃないの?守るために剣を持ったんじゃないの?」

 地面に転がった、彼女が使っていた訓練用の剣を拾い上げる。
 よく見れば、ブレイドにあたる部分は傷だらけで、グリップの部分も、指の形の跡がついている。
 それほどこの剣で、たった一人で稽古を続けてきた証拠だろう。

「あんたの『これ』って、誰かを傷つけたりするためにあるもんじゃないでしょ」

 拾い上げた訓練用の剣を差し出すと、見開いていた目は、やっぱり、次第にきつくなっていく。
 それでもさっきの様な、殺気立ったものは感じなかった。
 やや乱暴に私の手から訓練用の剣をとり、彼女はぐっと下唇を噛む。

「ごめん。けど、サイトゥル達がしようとしてたことも、ここに居る兵士たちがやってる事も、捻じ曲げて見ちゃだめだよ」

 持ち手の部分だけになったままの盾を手から外して、地面に突き刺した訓練用の剣を抜き取ると、踵を返す。
 何に対しての『ごめん』なのかは、言わなかった。
 今まで事を見ていたシーアラと目があったものの、前髪が整った状態だったから、特に声もかけなかった。
 訓練用の剣をスタンドに戻して、建物の中に入る。
 盾の持ち手を引っかけていた手のひらを見ると、すっかり腫れていた。
 血は出ていないが痣になって真っ青だ。

「…強かったな~…やっぱ…」

 シーアラを相手にした時の様な悔しさは全くない。
 誰かに教わることもせずに一人で訓練してあの強さを手に入れたのかと思うと、背筋に悪寒が走る。
 彼女の強さを舐めていたわけではないけど、確かに私は、彼女の『努力』を舐めていた。
 痛む手の平を握り、息を吐き出す。
 出入り口から、何やらばたばたと騒がしい足音が複数聞こえてきて、今度は一体何なのかと振り返った。

「セフィア、セフィア!」
「お姉ちゃん、どこ?!」

 額に冷や汗を滲ませる男の人と、焦りを隠せないと言うようにきょろきょろとあちこちを見ている女の人。
 それから、不安のあまり泣き出しそうなメイが広間に入ってきた。
 軍の敷地は、基本的に一般の村人は入ってこないんじゃなかったけ?と聞きたくなる。

「あ、ハイシア!お姉ちゃんは?!」

 のんびりとした印象が強いメイが、私を見つけると焦って駆け寄ってきた。
 その後ろから、大人二人も駆けてくる。
 大人二人は私を見下ろすと、何かを言いたそうに顔を歪めた。

「訓練所にいるよ」
「え?!く、訓練所…?どうして?」
「色々ありすぎて説明するのが面倒くさい…」

 メイの目にじわりと涙が浮かんで、ぎょっとする。

「ああああ、ごめんって、泣かないでよ。けど本当に色々あったばっかで、私もなんて説明したら良いかわかんないんだって」

 慌てて『面倒くさい』の部分を訂正し、両手を顔の前でふると、今度はメイが目を見開いて、動く私の腕を掴んだ。

「ハイシア、怪我してる!どうしたの?」
「え、いやぁ…そのー…まあ…」

 今君が探している張本人にやられたんだよとは、メイの様子から見るに言えそうもない。
 言ったとしても、後ろの大人二人がどんなリアクションをするのかまでは想像がつかず、心の中で、もう一度、面倒くさいなぁと呟いた。

「何をしている」

 このどうにもならない空気が一瞬にして、冷たいものへと姿を変えた。
 訓練所の出入り口から、彼女を連れたシーアラがやってきて、メイとその後ろの大人たちに、氷柱の様な冷たい視線をむけた。
 出たよ、氷風特一級。
 視線をむけられた大人二人は、はっとして深々と頭を下げる。
 メイもそれに倣って慌てて頭を下げた。
 狼狽えないのは、さすが、元冒険者の父親と薬師として様々な相手をしている母親といった具合だ。

「娘がご迷惑をおかけし、大変申し訳ございませんでした」

 代表して父親が、頭を下げたまま口を開く。
 セフィアは、そんな家族の姿を見て目を見開く。
 今日この人、驚きっぱなしだな、と他人事の様な感想が出てきた。

「頭をあげると良い」

 シーアラの言葉を合図に、三人がゆっくりと顔をあげる。
 メイは不安そうなままだ。

「もう戻れ」

 特に何も説明するつもりがないのか、シーアラは、セフィにそう言うと、彼女の背中を軽く押した。
 彼女はぐっと下唇を噛み、三人のもとに戻る。
 薬師の母親が彼女の表情を見て、そっと、彼女を抱き寄せた。
 もやっとしたものが胸の奥から薄く湧いた気がした。

「あの、いったい何があったのでしょうか」

 恐る恐る問いかける父親に、シーアラは、一瞬だけだが考える様な素振りを見せる。
 そのあと、前髪をくしゃりと崩して、また整えた。
 勤務時間外になろうかどうしようか考えたって事なんだろうか。

「彼女が稽古をつけて欲しいと直談判をしてきた。だから私は、ハイシアに勝てたら考えてやると条件を出した」

 メイの両親が私に視線を向ける。
 悪い大人の誘導にひっかかった善良な両親と、悪い大人に巻き込まれた哀れな怪我人という図の出来上がりだ。
 前髪を崩したのは、勤務時間外モードになろうか迷ったのではなく、一瞬だけ悪人になって物事を考えたからだ。
 してやられたんだが。

「だが、彼女は負けた。とはいえ、筋は悪くない。時期早々だっただけだ。将来は有望な騎士になる可能性を秘めている。彼女が十五になった時、彼女にその意思がまだあり、私がまだこの地にいた場合には、士官学校への推薦状を出しても良いと考える程には優秀な人材だ。努力を続け、騎士という個性の意味を己の中に見いだせればな」

 シーアラは氷柱の様な目のまま、そんな総評を言い渡す。
 言われた彼女は、母親に抱きしめられたまま声をあげて、泣き出した。
 底の見えない、たった一人きりで続ける努力には不安が伴うものなんだろう、きっと。
 その見えない努力に、シーアラの言葉は、少しだけ風を吹かせたのかもしれない。
 まあ、面倒くさい事がまた一つ片付いたかな、と、のんびりそんな事を思う私に、彼女は母親から離れ、涙目のまま向かってくる。

「え、なに、まだ何かあんの…」

 思わず口元が引きつる私に、彼女は、涙で濡れてはいるものの晴れやかな顔を向けた。

「ハイシア・セフィー、私の完敗です。また機会があれば、剣を交えましょう」
「…え、もうやだよ?あの一撃で盾割れたよね?え?まさかまたあれを受けろと?」
「はい」

 いやいや、もうないよ?次なんてないんだよ?と口に出すよりも前に、彼女は私に頭を下げると、両親とメイと共に、軍の施設を後にしてしまった。
 私は彼女の背を見送って、引きつっていたはずの口元が次第に歪んでいく。
 痣だらけの手を睨みつけた。

「負けたのはあいつじゃない。私の方だ」

 まだ残っていたシーアラが、興味ありげに私に視線を向けた。
 前髪は整ったままだ。

「その見解を聞こう。私の下した結果が不服という事か」
「違う、そうじゃない。あの人、多分ずっと、騎士になりたくて努力してたんだ。彼女が使ってた訓練用の剣に指の跡がつくほど。たかが一年ぽっち、何となく悔しいからって理由でサボる事をやめた私とじゃ、わけが違う。彼女がカッとなって我を忘れてたから、たまたま勝てただけだ」
「ほう」
「訓練したい人も、騎士になりたい人も、きっといっぱいいる。気持ちが先走って自分一人で努力を続けて、何とかして現状を変えようとする人がいる一方で、一年前までの私は、何も変えようとしなかった。そんな私が、勝てるわけがない」

 夕日が照らす広場で泣きながら稽古をしていた彼女を見て感じた羞恥心の正体は、これだ。
 そして彼女に告げた『ごめん』の正体。

「口先だけのやつには誰もついてこないって、シーアラ、言ったでしょ」
「そうだな」
「こういう事だったんだって、なんとなく、わかった」

 メイたちが出ていった方にもう一度視線を向ける。
 ただの出入り口だけど、家族四人でこの建物を出ていく後姿が印象的だった。
 私にはないものだと、もやっとした。
 多分これは嫉妬ってやつだ。
 メイの事が好きなチャーリーが、私に対して抱いた感情と、少し似ているかもしれない。

「シーアラ。強くなったら、後ろに誰かはついてくるのかな」
「安易で無意味な強さでは、何も得られんぞ」
「難しいね、強さって」

 彼女は騎士になりたくて、強くなろうとした。
 そして実際、とても強かった。
 騎士になりたいという意思も、力もだ。
 だけど、その強さの引き出し方を間違えた。

 私が求めなければいけない強さとは、一体どんなものなのだろうか。
 そんな事を、考えた。
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