ある面倒くさがりな勇者が珍しく頑張るしかなくなった話

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過去と向き合うこと

それは違うと思うのに

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 キーアから、詳しい歴史の内容は後日にして、せっかくだから城下町の様子を見てきてはどうかと言われ、私たちはその言葉に甘えて城下町まで出てきた。
 初めてルーンサイトの城下町に辿り着いた時は着いてすぐ、城に呼ばれたから、まじまじと町並みを眺めるのはこれが初めてだった。
 武器屋よりも果物屋、品種をブレンドした小麦を売る店、肉屋、野菜を取り扱っている店なんかも多くあり市場が道の大半を占めていた。
 果物を加工して、それを販売している店もある。
 茶葉も採れるようで、紅茶屋さんもあった。
 市場は活気があって、兵士も市場に食材を買いに来ているのか、鎧を着た人たちが並んでいる。
 デイスターニアとはそんな所にも違いがあった。

「凄いね…こんなに食べ物屋さんがいっぱい…」

 メイが驚いて呟く。
 そうだね、と返そうとした私は振り返って、口をあんぐりと開けることになった。

「あら、お兄さんこれ見るの初めてかい?」
「…はじめてだ」
「じゃあほら、せっかくだから一個、持っておいきよ」
「…良いのか」
「良いんだよ、せっかくこのルーンサイトに来てくれたんだから!」

 果物売りをしているおばさんが、頬を赤らめて小ぶりのプラムを一つ、リオンに渡していた。
 デイスターニアではダークエルフを忌み嫌い、人がリオンに近寄ろうとはしていなかったが、ルーンサイトはそうではないらしい。
 一緒に旅をするよりも前からリオンの事を知っていて忘れそうになるが、リオンは、ダークエルフだ。
 そう、堕ちた、はぐれだと言われても、エルフなのだ。
 その整った顔立ちに、周囲のおば様たちは次々とリオンに「あれは知っているかい?」「これは食べた事がおあり?」と果物を持たせようとしていた。

「な、何か凄いね、リオンさん…」
「リオンが変な目で見られないのは良いけど、それにしたって扱いの差が凄すぎるわよ…」

 私とメイが呆気にとられていると、両手いっぱいに果物を抱えたリオンと目が合った。
 初めて見るもの、食べて良いと言われたものに、目が輝いている。

「いっぱい、貰った」
「見ればわかるわよ!」

 いつもより、若干だがリオンの声が弾んでいた。
 おば様たちは満足そうにリオンと私たちを見ていたけど、またすぐに、お客さんの相手に戻っていく。
 ダークエルフが珍しいというより、リオンの顔の良さに思わずあげたくなったんだろうけど、それにしたって。

「あら、サイトゥルじゃない。今日はいいのかい?外回り」

 進行方向すぐの店前から、そんな言葉が聞こえてきて、はっとして視線を向ける。

「昨日山賊を捕まえてくれた勇者がいるからな。今日は構わん」
「それって、彼女たちかい?」

 店番をしている、やや若い婦人が私たちを指さす。
 サイトゥルは私たちに気付いていなかった様で、婦人の指先につられる様にして、私たちに視線を向けた。

「…ああ、そうだな。これを一つ貰おう」

 サイトゥルはまたすぐ並んでいる品物に視線を戻して、大きめの果物を一つ手に取る。
 そして会計を済ませると、また、私たちに視線を向けた。

「大きくなったな、メイ、ハイシア」

 あの、雷の様な怒号からは想像がつかない程穏やかな声で、サイトゥルはそう言った。

「あ、あ、えっと、お、お久しぶりです」

 メイが慌ててお辞儀をする。
 リオンは、貰ったプラムにかじりつきながら、私たちをぼんやりと眺めた。

「少し、話さんか」

 サイトゥルの言葉に、私は目を見開く。
 心臓が嫌な音を立てて、どうしてか、この場から逃げ出したいと思えた。
 別に、嫌だった剣術の稽古をしろと言われているわけじゃない。
 剣術の稽古もシーアラのおかげで嫌じゃなくなったはずなのに、私は一体、何から逃げ出したいんだろうか。

「あ、あ、えっと、あの、はい!は、ハイシア、いい、よね…?」

 メイが私に気を使って、問いかけてくる。
 私はただ一言「良いんじゃない」と返すので、精一杯だった。



   ***



 サイトゥルに案内されたのは、城下町の広場だった。
 ベンチがあり、そこでは市場で購入した果物にかじりついている人も居れば、子供が遊んでいるスペースもある。
 荷馬車を止めて、物を売っている人もいた。
 デイスターニアは軍事で経済を回している国だが、ルーンサイトは、物の売買で経済を回している国なんだという事を表している様だった。

「お、お姉ちゃんから、目が覚めたって聞いて…あの、サイトゥル様は、ルーンサイトが故郷なんですか?」

 メイが口を開くと、サイトゥルは、近くのベンチに腰を降ろしてから「そうだ」と言葉を返した。

「眠っていた間の事を、聞かせてくれないか」
「え?えっと…」
「なんでも構わん」

 大佐をしていた頃の影もない。
 サイトゥルは、いたって穏やかな口調でメイに問いかける。
 メイは少し、緊張した面持ちで「それじゃあ」と話し出した。
 村にシーアラが来た事や、私とチャーリーの決闘の事、セフィアと私の決闘の事、シーアラが来てから私が剣術の稽古も座学も頑張っていた事…
 メイがチョイスする話題は、どうしてか、自分の事ではなく私の事だった。
 メイ自身の事だって話題には事欠かないはずなのに。
 サイトゥルは時々相槌を打ちながら、メイの話に聞き入っていた。

「それで、今は三人で、旅を、してるんです」
「そうか…本当に、でかくなったもんだな」

 何処か遠い記憶を懐かしむ様な目で、サイトゥルは私を見た。
 その視線を受けた瞬間に、もやもやとしたものが心の中を渦巻いていく。
 どうしてそんな目で私の事を見るのか、と。

「は、ハイシア~…」

 メイが困り果てて、私に小声で、何か話さないのかと催促をしてくる。
 それでも、私は言葉に出来なかった。
 何を話せば良いのかも分からない。
 いつもの憎まれ口さえ出て来やしない。
 まるで止まってしまったみたいに、何も、出てこない。
 もやもやとしたものが心の中に溜まっていくだけで、それを言葉に出来るだけの、形がないみたいだった。

「良いんだ。メイ」
「あ、あの、」

 私たちの様子に、サイトゥルは軽く首を振る。

「その様子だと、知っているのだろう。お前たちが十歳の時、どうしてハイシアを、あの場所に連れて行ったのか」
「え、えっと…?」

 メイが困惑した様に、サイトゥルへと視線を向ける。
 サイトゥルは目を細め、そして視線を下げた。

「新しい魔王が即位すると知らせがあった時、先代の王は、わしとヘントラスの村長に命じた。ハイシアを連れ出し、あわよくば、魔族に殺させろと」
「――え…?」

 メイの目が、見開かれた。

「生き残ればそれでよい。死ねば勇者として責務を果たしたと言える。どっちに転んでも、真実を知る者は、わしと村長だけだからな。多くの命のために、一人の命を差し出せと、先代のデイスターニア国王は、そう言っていた。だからな、わしらが眠ったのは、罰が下ったんだろう。いや、それでもまだ慈悲があったのかもしれん。大衆のために、未来ある、まだ齢十の子供を差し出そうとしたんだ。死んでいても可笑しくなかろう。ハイシア、すまなかったな」

 絞り出された様な謝罪に、私は目を見開いた。
 ぐるぐるとして、何を言って良いのか分からない。
 頭の中が熱くなって、次第に拳を握る。
 手が、足が、震えていた。
 大人が私に謝罪をするなんて事ないに等しかったから、ざまあみろぐらいの一言だって言ってやればいいと分かっているのに。
 そう思うと同時に、こうも思う。

「っ…違うでしょ、そうじゃない」

 私の声は、自分で思うよりもずっと弱々しく、震えていた。
 私を殺そうとした事は知っていた。
 知っていたというよりは予想が出来ていた。
 だからサイトゥルの話にショックを受けたわけじゃない。
 平然と聞いていられた。
 もやもやとしたのは、サイトゥルが私にだ。
 どうしてそんな事を言うの、なんで謝るの。
 なんで、あんたが謝んの。
 思っても、思っても、言葉は出てこない。
 けど、多分、私は怒っているんだと思う。

「すまんな、今日は、帰ろう。まだルーンサイトに居るなら、また顔を見せにくると良い」

 そう言ってサイトゥルは立ち上がると、買った果物を半分にして、リオンが抱えた果物の山に置いて帰ってしまった。

「果物、増えた…」

 呑気なのかと思ったが、リオンの目は、言葉ほど穏やかではなかった。



   ***



 キーアの家に戻って夕食を終えた後、私は夜の中庭に足を運んだ。
 中庭は地面のすぐそばに魔術式のランタンが均等に配置され、足元を照らす。
 キーアが気を使って点けてくれたんだろうかと思いながら、暫く、歩いていた。
 ぐるぐると何往復もして、疲れたら、ガーデンテーブルとセットになっている椅子に腰かけて、遠くを眺める。
 部屋の窓とは反対の位置に、とびぬけて空に近い、大きな樹が一本、あった。
 方角は多分、エルフの森の方だ。
 世界でたった一本、この世界が出来たころからありますと言われても何ら不思議じゃない程、背の高い大きな樹が、闇夜に紛れて影になり、浮かび上がっている。
 あれは、だろうか。

「ハイシア、隣、いい?」

 メイが肩に羽織を引っかけて私を見下ろしていた。

「どーぞ」

 言うと、メイは笑みを浮かべてからもう一脚ある椅子に腰を降ろして、私と同じ方を見る。
 影を見つけたのか「大きな樹だねぇ」と、そんな感想を述べた。

「…ハイシア、大丈夫…じゃ、ないよね…サイトゥル様と会ってから、ちょっと、変」
「…そうかもね」

 自分がどうしてこんなに変なのか、自分でも分からない。
 メイは私を責めるでも、憐れむでもなく、ただ、心配気に私に視線を向けた。

「びっくりしちゃった…前の王様が考えてた事…村長さんと、サイトゥル様の事。ハイシアは、知ってたの…?」
「知ってたっていうか…そうだろうなって、結構前から気付いてたわよ。じゃなかったら、まともに剣の稽古もしてない様なお荷物、戦場に立たせるわけないでしょ」

 そう、気付いてた。
 だから当事者の口から語られても、ショックでも何でもなかった。
 ただ、気付いていた事が現実だっただけの話だ。

「…あの…あのね、ハイシア…どうして、怒らなかったの?」
「怒ってるわよ」
「…殺されそうになったこと…?」
「違う。そうじゃない。別にそこは、怒ってない」

 メイが目を丸くすると、ぱっちりとした目が吊り上がっていく。

「どうして?怒るところだよ!殺されそうになったんだよ?!」
「怖かったっていうのが正直なところだったからだと思う。怒る暇も、悲しむ暇もなかった。ただ怖かっただけで、実際に私はこうして生きてる。だから、予想してた事の答え合わせをしたに過ぎないの。私にとってはね」
「ハイシアが怒らないなら…私が怒る。人の命を守るための騎士がそんなことしちゃダメって、私が、怒る!」
「えっと、メイ?」

 唐突に息巻いて、がたんと立ち上がるメイを見上げた。
 メイの目は本気だ。
 本気で怒っていて、いつもは優し気な目が、今は怒りに溢れて吊り上がっている。
 けど、そんなメイを見てもモヤモヤとしてしまう。
 違うんだって。

「怒るのは、違う気がするのよ」
「何で?!」
「何でって…」

 どうしてそう思うのかを、考えてみる。
 どうしてって、そんなの、問いかけられても分からない。
 ただもやもやとした感情が渦巻いているだけで、その正体を知ろうとしても、やっぱり上手く言葉に出来なかった。

「ムカつく」
「ほら、やっぱりハイシアだって――」
「殺されそうになった事じゃない。サイトゥルが謝ってきた事がムカつくの。でも、なんでそう思うのかは、わかんない…わかんないけど…なんか、違うって思っちゃう」

 自分の感情を手繰り寄せて、なんとか言葉にしてみようと思った。
 それでも、出てこない。

「なんだか、自分の中にある天秤が、揺れてるみたい」
「感情、天秤、はかれない。俺は、そう、思う」

 後ろから、リオンがやってきて、メイとは反対隣りに腰を降ろした。
 どこから話しを聞いていたのか知らないが、リオンなら、何なら全部聞いていそうだと思う。
 そして、私が抱えている、このモヤモヤの正体もリオンは知っているんじゃないかと思えた。

「あいつは、あいつの、したいように、した。なら、ハイシア、オマエ、したいように、すれば良い。天秤、関係ない」
「したい様にって…」

 サイトゥルに対して、私がしたい事なんてない。
 謝る気だってなかったし、本当は、これでおあいこだとも言ってやりたかった。
 けど、なにがなんでもそう言いたいわけじゃない。
 わざわざこの町で、もう一度サイトゥルを探して言うほどでもない。
 目覚めたと聞いて、ほっとした様な気がした。
 どこかで生きていれば良いと。
 故郷に帰ったんなら、せいぜいのんびり過ごせばいいとも思った。
 会う事もないだろうとさえ思っていた。
 それなのに。

「わかんない、そんなの。わかんないわよ」

 自分がどうしたいなんて。
 初めてかもしれない。
 勇者になりたくない、友達を殺したくない、だから勇者としてなんて言われないように、期待されないように、反抗して生きてきた。
 そのうち誰もが私を見放してくれれば良いとさえ思っていた。
 そうすれば、スライムたちと、ランと、ずっと、一緒に遊んで暮らしていけるとさえ思っていた。
 良い夢を見ていたにすぎない。
 ランが魔王だと知って、それでも倒したくないと思って抗った。
 それは次第に、魔王を倒さない勇者になるというものへ変わっていった。
 シーアラやメイが示してくれた道だ。
 必ず、なりたい自分になるために何をすれば良いのか、わかって、行動していた。
 でもそれが今は、ない。
 自分の中にしかない答えで、誰にも指し示す事が出来ない道だ。
 誰も教えてくれない事だ。
 迷えば誰かが指し示してくれた。
 指し示してくれそうな人が居たし、あった。
 こんなに自分の感情がわからないのは、初めてかもしれない。

「どうしろっての…」
「自分にしか、答え、ない」
「わかってるし…」

 だからこそ、
 サイトゥルに、ムカつくと叫ぶのも違う気がして、どうしていいか、分からなかった。
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