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1幕
1-8
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杞憂だった。何事もなく外に出るエレベーターの前まで来ることができた。部屋は防音のはず。エレベーターの可動音は聞こえないはず。自分に言い聞かせていた。ひとつしかないボタンを押すとすぐに開いた。
乗り込むと寝ている人を運ぶだけあって、ひとりで乗ると落ち着かない広さだった。どこか消毒液のような臭いがした。扉を閉めてから上にあがるボタンを押した。軽く押さえつけられる感覚を受け、じわじわと心が解放されていく。
どこに逃げても無駄かもしれない。どこに隠れ住んでも見つけられる。だけどそれでもいい。ただここから離れたかった。
目の前の扉が開く。
天井LEDが明々と光っている。通路の先に防火扉に似たドアがあった。ここも記憶と同じだ。色も覚えている。同じだ。
一歩一歩進むごとに足取りが軽くなっていく。取手に手をかける。ここを開けたら外だ。
ふと診断のときに目が合った女性を思い出した。あの女もここに来てるかもしれない、目の奥に憐憫の色を滲ませた。だがすぐに、俺には関係ない、とかぶりを振って自分に言い聞かせた。だが、脱出ボーナスが入ることを思い出し再び暗い気分に戻った。
帰る方法を考えながら、ゴイチは扉を開けた。
目に飛び込んできた景色は、記憶と違うものだった。
どうも時間は朝方らしいということは理解した。日光で痛む目を細めて、そのまましばらく呆然としていた。おそらく数秒くらいだろう。目の前に広がる光景は癪に障るほどの美観だった。うっすら霧がかかっているせいもあるだろう。覆うような白を基調としたアーチ状の屋根の下には木製のベンチがあり、綺麗に刈られた、やや茶色がかった芝が敷かれていた。計算された自然さで植えられている紅葉交じりの庭木。気温は寒く、緩やかな風で芝の枯れかかった湿度のある匂いがゴイチの鼻腔をくすぐった。
流れる霧を見ながらゴイチは、カナミに車内で手を握られた感触を思い出した。
「なんで……?」
以前のことだった。
ゴイチとカナミは話を盗聴されていることに気が付き、相手を欺くために合図を決めていた。それは、手を握っているあいだは違うことを言おう。というものだった。最初から最後まで嘘だったら相手に気づかれる可能性があった。嘘をつくときは真実を混ぜよう。これはカナミが提案したことだった。
だが、ゴイチは疑問に思う。その時の状況は思い出したが、その前後は思い出せない。まるでそこだけ切り取って、貼り付けたかのような記憶だった。全部覚えておくことは不可能だ。それこそ天才、または脳の障害とも言われることだ。しかし、おぼろげながらその前後くらいは覚えているはずだ。
よほどのトラウマやショックな出来事なら、自己防衛のためにすっぽり記憶がなくなることもある。
ゴイチは思い出そうとした。だが、思い出せず癇癪を起し、扉の横のコンクリート壁に頭突きをした。
目には火花が散り、額から血が垂れた。血は額、鼻、口の端を通り、ポタッと落ちた。口元に垂れた血を舐めた。
鉄の味はしなかった。
だが大分冷静になれた気がする。おそらく極度の緊張で味覚がマヒしてるのだろう。ゴイチはそう解釈した。
きっと、思い出せないのも自分が思っている以上の精神的負担を味わっていたのだろう。そして今もそうなんだろう。違和感が起こってもしょうがない。
ゴイチは無理やり自分に言い聞かせた。
それよりもカナミのことだ。
カナミはまだ何か言おうとしていた。覚えていることはカードのことと、外に出れば……、確かもう安全と言っていたはずだ。
ということはここは安全ではないことになる。
だが今のところは何もない。しかし危険と思って間違いはないはずだ。だが外に何があるというのだろう?
外にまで何か仕掛けがあるのか?
今まで番組を視てきたが、外の様子まで放送されたことはない。
そうこう考えていると、一瞬ほこりっぽい匂いが鼻をかすめた気がした。その瞬間よぎった。もしかしてここも室内なのではないだろうか?
そう思うと確かめたくなった。さらに上があるのかもしれない。この霧も人工のものかもしれない。
用心深く歩き出した。
乗り込むと寝ている人を運ぶだけあって、ひとりで乗ると落ち着かない広さだった。どこか消毒液のような臭いがした。扉を閉めてから上にあがるボタンを押した。軽く押さえつけられる感覚を受け、じわじわと心が解放されていく。
どこに逃げても無駄かもしれない。どこに隠れ住んでも見つけられる。だけどそれでもいい。ただここから離れたかった。
目の前の扉が開く。
天井LEDが明々と光っている。通路の先に防火扉に似たドアがあった。ここも記憶と同じだ。色も覚えている。同じだ。
一歩一歩進むごとに足取りが軽くなっていく。取手に手をかける。ここを開けたら外だ。
ふと診断のときに目が合った女性を思い出した。あの女もここに来てるかもしれない、目の奥に憐憫の色を滲ませた。だがすぐに、俺には関係ない、とかぶりを振って自分に言い聞かせた。だが、脱出ボーナスが入ることを思い出し再び暗い気分に戻った。
帰る方法を考えながら、ゴイチは扉を開けた。
目に飛び込んできた景色は、記憶と違うものだった。
どうも時間は朝方らしいということは理解した。日光で痛む目を細めて、そのまましばらく呆然としていた。おそらく数秒くらいだろう。目の前に広がる光景は癪に障るほどの美観だった。うっすら霧がかかっているせいもあるだろう。覆うような白を基調としたアーチ状の屋根の下には木製のベンチがあり、綺麗に刈られた、やや茶色がかった芝が敷かれていた。計算された自然さで植えられている紅葉交じりの庭木。気温は寒く、緩やかな風で芝の枯れかかった湿度のある匂いがゴイチの鼻腔をくすぐった。
流れる霧を見ながらゴイチは、カナミに車内で手を握られた感触を思い出した。
「なんで……?」
以前のことだった。
ゴイチとカナミは話を盗聴されていることに気が付き、相手を欺くために合図を決めていた。それは、手を握っているあいだは違うことを言おう。というものだった。最初から最後まで嘘だったら相手に気づかれる可能性があった。嘘をつくときは真実を混ぜよう。これはカナミが提案したことだった。
だが、ゴイチは疑問に思う。その時の状況は思い出したが、その前後は思い出せない。まるでそこだけ切り取って、貼り付けたかのような記憶だった。全部覚えておくことは不可能だ。それこそ天才、または脳の障害とも言われることだ。しかし、おぼろげながらその前後くらいは覚えているはずだ。
よほどのトラウマやショックな出来事なら、自己防衛のためにすっぽり記憶がなくなることもある。
ゴイチは思い出そうとした。だが、思い出せず癇癪を起し、扉の横のコンクリート壁に頭突きをした。
目には火花が散り、額から血が垂れた。血は額、鼻、口の端を通り、ポタッと落ちた。口元に垂れた血を舐めた。
鉄の味はしなかった。
だが大分冷静になれた気がする。おそらく極度の緊張で味覚がマヒしてるのだろう。ゴイチはそう解釈した。
きっと、思い出せないのも自分が思っている以上の精神的負担を味わっていたのだろう。そして今もそうなんだろう。違和感が起こってもしょうがない。
ゴイチは無理やり自分に言い聞かせた。
それよりもカナミのことだ。
カナミはまだ何か言おうとしていた。覚えていることはカードのことと、外に出れば……、確かもう安全と言っていたはずだ。
ということはここは安全ではないことになる。
だが今のところは何もない。しかし危険と思って間違いはないはずだ。だが外に何があるというのだろう?
外にまで何か仕掛けがあるのか?
今まで番組を視てきたが、外の様子まで放送されたことはない。
そうこう考えていると、一瞬ほこりっぽい匂いが鼻をかすめた気がした。その瞬間よぎった。もしかしてここも室内なのではないだろうか?
そう思うと確かめたくなった。さらに上があるのかもしれない。この霧も人工のものかもしれない。
用心深く歩き出した。
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