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第4話

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 明くる日、公爵は一匹の竜を〝籠〟に持ち込んだ。

「――俺の領地にいる限り、民には全員に仕事をさせる。我が妻であるお前とて、それは例外ではないぞ」
「……はい」
「お前には、この竜の世話を命じよう」
「…………わかりました」

 聖女の足元に擦り寄って、小さな白い竜はクルル――と唸る。

 少女の細腕で抱き上げられる程度の大きさの竜は、それがたとえそれ以上大きく育たぬ種類であるとて、本気で人に噛みつけば大怪我をさせることが可能であった。

 人に慣れ、気性の穏やかな個体だが、万が一にも逆鱗に触れぬとは限らない。竜の世話はとても危険な務めであるのだ。

「名をつけてやるがいい」
「………………では、クルルと」
「そのままだな」
「……はい」

 鳴き声から連想したのだろう。聖女は竜に実に安直な名前を授けた。クルルがその膝に擦り寄ってくるのを、無感情な瞳で眺める。

「抱き上げろ。命令だ」
「…………はい」

 返事はしたが、聖女は竜に触れるのをためらった。自らの仕打ちが功を成したことに悦び、公爵の男がニヤリと哂う。

「どうした? 恐ろしいのか?」
「……はい。傷つけてしまいそうで」
「高慢な女め。小さくとも竜だ。お前程度の力で傷をつけられるものか。早くしろ」
「…………わかりました」
「クククッ」

 白銀髪の少女が白い小竜を膝に乗せると、その様を鑑賞しながら男は満足げに喉を鳴らした。

 クルルは自らの逆鱗を聖女の腕に擦りつけて、ときおり彼女の指に噛みつく。

「痛いか?」
「……いいえ。甘噛みです」
「クククッ、これは愉快な。――まあ指を食われぬよう、せいぜい注意して接するがいい」
「……はい」
「――っ!?」

 薄くではあるが、ふいに聖女が笑った気がして、公爵は息を詰まらせた。

「……どうか、しましたか?」

「いいや、なんでもない。すべて順調だとも」

 計画が順当に進んでいる感触を得て、男は口角を上げほくそ笑む。――教会が彼女に与えた神聖なる教えは、徐々に失われてきているように思えた。

「名を呼んでやれ」
「…………クルル」
「もう一度だ」
「……クルル」

 聖女に呼ばれ、小竜はクルル――と唸りを漏らす。顎をしゃくって恐ろしい竜を指し示し、公爵は聖女に問いかけた。

「そのような小さな生き物にも名はあるのだ。いい加減、お前のまことの名を俺に教えよ」
「…………この子は生き物、私は〝人形〟でございます」
「チッ、強情な女だ。……まあいい、また来る」
「……はい」

 いまだ聖女には抵抗の意思があるようだと結論づけ、次なる計画のために公爵は〝籠〟をあとにする。

 一人と一匹が部屋に残され、聖女はクルルを抱いたまま、虚ろな瞳で鉄扉を見やった。

「…………なまえ」

 少女の微かな呟きに、竜はクルル――と唸りを返した。
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