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第9話:レウシア、山を案内する

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 鬱蒼と生い茂る森の中、緩やかな山道をレウシアたちが登っている。

 傾斜は急ではないとはいえ、普段は人の入らぬ獣道である。
 足元に転がる石や這い伸びる木の根にときおり躓きそうになりながら、白い神官服姿の少女――聖女エルは興味深げに辺りを見回した。

 いままで王都の教会で半ば監禁されるように暮らしていた彼女にとって、こうして人の手の入っていない自然に触れるのは初めての経験だ。
 こんな機会を与えてくれたことについてだけは、あの迷惑な勇者に感謝するべきだろう――エルはそんな感想を密かに抱いていた。

 ――意識してはいなかったが、もしかすると自分は、現在の状況に心を躍らせているのだろうか?

 ふと気づき、そう自問する。
 元邪竜であるレウシアの正体を連れの神官たちに黙っているのも、それが理由なのかもしれない。
 彼女と行動を共にしていれば、なにか特別な出来事が起こりそうな予感がする。

 なぜなのかは自分でもよくわからないが、その〝特別〟を彼らに邪魔されたくはない。そんな気がしていた。
 
「なんか意外と余裕そうすね。聖女サマ」

 少女たちの先頭で剣を抜き、樹木の枝を切り払っていた赤毛の女性――サーシャが振り返ってそう呟く。

 彼女はそれから視線を遠くへ向けて、呆れ顔で言葉を続けた。

「あっちの神官サマたちは、ひぃひぃ言ってるみてぇっすのに」

 サーシャの視線の先では、肩で大きく息をするマーティスと、いまにもその場に座り込んでしまいそうな様子のニミル。男の神官二人がふらつきながら山道を登ってきている。

 邪竜の洞窟へと続くこの道を進むにあたり、最初はレウシアが先導しエルたちを案内していた。

 しかしエルとレウシア、小柄な少女二人と違い、サーシャの背丈ではしばしば枝葉が邪魔になる。

 それについては男たちも言わずもがなで、彼らはサーシャを先頭に立たせて枝葉や藪を取り除くことを命じたのだが――それでも二日酔いの彼らには、どうにもこの山道は辛いようだった。

「あら? エル、と気軽に呼んでくださっていいんですよ? サーシャ。聖女が二人では、その呼び方はややこしいでしょう?」

 少々足元が危なっかしくはあるが息一つ切らしていないエルの言葉に、サーシャは肩を竦めながら苦い表情で返答する。

「いや、んなことしたらあっちでへたってる神官サマたちに、また睨まれちまいますって。……それにその、レウシア、様? は聖女ではありやせんでしょう?」
「聖女ですよ?」

 エルはにっこり微笑むと、遠くでへたばる男たちをぼんやり眺めているレウシアへと視線を向ける。

「私が聖女だといえば、レウシアさんは聖女なのです」
「そ、そういうもんすかね……?」

 ――そういうものだ。だってそのほうがきっと面白いから。

 普段であれば思いつかないことではあるが、いまのエルはそう考えた。
 自分がレウシアを聖女だといえば、村人たちが邪竜を聖女と間違えたことに対するお咎めも必要ないはずだ――と、もっともらしい言い訳を頭の片隅で捻りだす。

 そんなエルを訝しげに見やりサーシャが曖昧に頷くと、ふいにくるっと振り返ったレウシアが、進行方向とは別の藪道を小さな手でぴっと指し示した。

「……川、ある、よ? やすむ?」
「ほら、これが慈愛の心です。まさしく聖女ではありませんか。――レウシアさん、偉いです」
「っ!?」

 他の人間を配慮したのであろうレウシアの提案を聞き、エルがその頭を撫でようと手を伸ばす。
 途端に、竜の聖女はさっと手近な木の裏に身を隠した。

「……える、びりびり、だめ」
「そう、ですね。ごめんなさい。……なんか残念です」

 レウシアが木の裏からぴょこりと顔だけ覗かせて文句を言うと、エルは僅かに唇を尖らせ肩を落とした。

 レウシアの提案に乗り、道を外れて少し進んだ先。
 生い茂る木々が途切れるように視界が開け、流れる水のせせらぎが少女たちの耳を撫でる。

「おいレウシア、我を川に落とすなよ?」

 苔むした岩肌に腰かけたレウシアが背中のリュックから魔導書を引っ張り出すと、書は緊張した声で持ち主に注意を促した。

 その様子にくすりと笑みをこぼしながら、エルがしゃがんで川の流れを覗き込む。

「わぁ……! 王都の中にも川はありましたけれど、ここはぜんぜん違う感じです」
「そりゃあ、そうでしょうね。――ありゃ、ただの用水路っすから」
「あっ! いいですね」

 川の水を手で掬ってひとくち飲んでからサーシャがエルに向きなおり、エルもそれを真似しようと、川に手を挿し入れてみる。

「わっ、冷たいです! では私も……」
「っと!? 待った待った! 聖女サマはやめたほうがいいっすよ?」
「え? なぜです?」

 触れた水の冷たさに目を細め、楽しげに川の水を口に運ぼうとしたエルを、慌ててサーシャが制止する。
 エルは水を飲みかけた姿勢で手を止めて、ぱちくりと両目を瞬いた。

「いや、あたしゃ慣れてるから気にしなかったっすけど、ほんとは一度沸かすかなんかしねーと生水は危ねぇっすよ? 腹壊すかもしんねっす」
「そうなんですか? えっと、では、あれは……?」

 不思議そうに尋ねるエルにサーシャが頭を掻きながら答えると、エルの視線がその向こう、二人の神官に向けられる。

 マーティスとニミルは随分と疲れ切った有様で、倒れ込むように川に直接口を付け、水をゴクゴクと飲んでいた。

「あー、やべぇすね……。まあ魚もいるような川みてぇですし、死にゃあしねぇと思うっすけど……」

 困り顔でそちらを眺めてサーシャが再び頭を掻くと、エルはふふっと口元を押さえて、いたずらっぽい笑みを見せる。

「まあ、いざとなったら〈回復魔法〉でどうにかするでしょう。彼らは神官なのですし」
「……改めて思うすけど、神官サマはすげぇんすね。――あれ? そういやもしかして、その回復魔法って疲れとかにも効果あるんで?」
「私はありますよ? あの二人がどうかは知りませんけど」
「へぇぇ、それで聖女サマは疲れてないんすね」
「ええ。主に感謝しなくてはなりませんね」

 エルはしれっと答えるが、もちろんマーティスとニミルにそんな便利な力はない。
 あるならここまで登ってくるのに、とっくに使っていたことだろう。

 王都にいる高位の神官というものは家柄と寄付金で男がなるもので、女性で高位の神官――聖女となるのは稀な存在である。

 それには生まれつき備わった神の加護、〝神気〟と呼ばれる白い属性のを持っていなければならず、白の魔力を宿した赤子は百五十年に一度ほどの周期で、大抵はどこかの村の女児として生まれるらしい。

 教会ではそういった赤子を、奇跡を起こす〝聖女〟として育てているのであった。

 なので彼らに自らの腹痛を治せる力はないのだが、ただの傭兵であるサーシャには教会の事情など知るよしもない。

 エルの言葉を信じ込み、それなら放っておいても平気だろうと、彼らが川の水をがぶ飲みするのを気にしないことにしたようだった。

「それにしても、魚ですか……。生きて泳いでいるのは初めて見ましたが、なんだか不思議な感じですね」
「そうっすか? あたしとしちゃ、美味そうとしか思わねっすけど……捕まえて塩焼きにして食いてぇっすね」
「……おさかな、食べる、の?」

 エルとサーシャが話していると、岩から降りたレウシアがてくてくと近寄ってきて、川を覗き込んで首を傾げる。

 流れに揺らぐ魚の影は、じっとその場に留まっているかと思えば、ときおりすっと岩場の陰に滑り込む――動きは速く、警戒心もありそうだ。

 手で捕まえるのは無理そうだなとエルがその様子を眺めて考えていると、ぼんやりした表情で川の中を覗いていたレウシアが振り返り、また首を傾げて意見を述べた。

「……おさかなは、飲み物、だよ?」
「へ?」
「えっ? ――あ、ああ! そういうことですか。なるほどです。ふふっ」

 言葉の意図が読み取れず、ぽかんと口を開いて固まるサーシャ。
 一方のエルは少し考え、その意味に気づいて笑みをこぼす。

 魔導書が少し呆れたような声で、

「そりゃあ、竜が川で水を飲んだらそうなるだろうよ。……ん? ありゃなんだ?」
「ああ、そういう――げッ!? ありゃオークの足跡っぽいっすね」
「……え」

 言葉の最後につけ足された疑問を受けて、サーシャが川の対岸を見やる。
 そこにはなにか、大きな動物の足跡が残っているようだった。

 目を凝らしてよく観察してみると、大柄な足跡は複数あった。
 河原の砂利を踏み荒らし、森の奥へと続いている。

 サーシャの見立てにレウシアは小さく声を漏らし、ぽとりと手に持った魔導書を取り落とす。

 その拍子につい先ほど、彼女が岩に座って書いていたであろうページがぱたんと開いた。




 きょうは にんげんさんが おうちに きます

 にんげんさんを おもてなし するのは とても たのしみです

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