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第28話:エル、船の会計士に任命される

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 どぱん、と乾いた轟音が晴天に響き渡り、エルはその身を竦み上がらせた。
 突然の大きな音に驚いて、船の周囲を飛んでいた鳥の群れが離れていく。

 この船の船長キャプテン――枯れ木のような初老の男が、細く煙を吐き出す鉄筒の先を甲板へと下ろし、自嘲げに頬を歪めた。

「――なんだ、外したか。まだ練習がいるみてぇだな」

 がちゃりと筒が折れ曲がり、初老の男は中の空薬莢をからんと甲板に落とす。
 耳を覆っていた手を外し、エルが訝しげに男を見据えて問いかけた。

「……それは、杖なのですか?」

 鉄筒には木製の持ち手が取り付けられ、薄っすらと唐草模様が刻まれている。
 魔導士の持つワンドに見えなくもないが、その趣はかなり異なるようだ。

 男はなにかの種子に似た金属の塊を筒に込めてから、がちゃりとその形を元に戻した。
 にやりと口の端を歪めて筒の先を肩に乗せ、エルのほうへと向きなおる。

「ハズレだよエレーヌ。こいつぁ〝銃〟って道具だ。吐き出すのは火球でも氷の矢でもねぇ。ただの鉛玉さ。――だが魔法なんぞ使えなくても、これなら俺らにも扱える」
「やはり、音を鳴らすための道具ではないのですね……」
「そりゃあそうだ」

 初老の男は哄笑でもするかのように口角を上げ、しかして笑わず手にした銃を差し出した。
 目の前のそれに視線を向けて、エルの両肩がびくりと強張る。

「こいつの使い方を覚えろ。それと、お前がこの船の会計士をやれ」
「……なぜ、新参の私が?」
「ああん? 算術くらいできんだろうが? てめぇがそれなりの教育を受けてたことなんざ見りゃわかる。お前さんのそりゃ、お貴族サマの目だ」
「…………」
「それがどうしてこんな場所でぷかぷか浮いてたかは知らねぇがな。この船に乗っている限り、やれる仕事はやってもらうぞ」
「……私、は」

 エルは長銃を受け取ろうとはせず、視線を逃がすように目を伏せた。
 男は深々と息を吐いて銃を欄干へと立て掛ける。

 俯いたまま黙り込む少女の肩にぽんと手を乗せ、船長の男は諭すように言葉を続けた。

「お前が内心、俺らの仕事が気に喰わねぇのはわかってる。……だが船に乗っている以上、なにもしねぇのは認めねぇ。身の安全は保証してやったが、飯の食いぶちの話となりゃあまた別だ」
「……今日はじゃがいもを剥いたのですが」
「ハッハー! そんなもんその辺のガキにだってできらぁ!」
「……むぅ」
「まあ会計士なら戦わなくても他の奴に角は立たねぇ。あの竜人ドラゴニュートの嬢ちゃんも、同じ扱いにしといてやる。もったいねぇがな」

 レウシアのことを引き合いに出されて、エルの目が鋭く細められる。

 彼女の体に竜の尻尾と翼があることは、この船に拾われたその日のうちにバレてしまっていた。
 素性の知れない途中乗船者の身を検めないほど、海賊たちも馬鹿ではない。

 男はエルに睨まれて、ぱっとその肩から手を退けると、おどけた仕草で大袈裟に肩を竦めてみせる。

「おお怖え、このキャプテン・ヴァルロがちびりそうだ。――なんだよ? そんなにあの娘が大事か?」
「っ、それは――」
「正直モンのツラだな。他じゃどうだか知らねぇが、ここじゃ損だぞ? まあいい、いまから船長室に来い。帳簿の付け方を教えてやる。……おっと、金を誤魔化してくれるなよ? 船を降りてもらわなきゃならなくなる。
「……わかり、ました」

 船を降りるのはむしろエルの望むところではあったが、この場合その意味はきっと穏便な方法ではないはずだ。

 エルが渋々といった様子で頷くのを確認すると、船長ヴァルロは銃を拾ってさっさとその場をあとにした。

   *   *   *

 ――ヴァルロに続いて、エルの姿も船長室へと消えていく。
 少々の間を置き、隠れてじっと事の成り行きを見ていた船員たちは物陰からひょこりと顔を出した。

「……おい、どうするよジヌイ? 部屋に連れ込まれちまったぜ?」
「だからなんだよ? 帳簿の付け方を教えるって、船長キャプテンが言ってただろうが?」
「それだけで済むかねぇ……」
「ぶ――なんッ!? いや、え、エレーヌの奴には、まだそういうのは早えだろッ!? あんなにちっこいんだぞ!?」

 禿頭の男がぼそりと呟き、食堂に続きまたも片犬耳の男が噴き出した。
 騒がしい片犬耳男に唾を飛ばされた禿頭男は、嫌そうに顔をしかめながら呆れ混じりに言葉を返す。

「ジヌイ、お前それ本人の前で言ってやるなよ? そんなだから袋の中身を毟られるんだぞ?」
「そ、それとこれとは関係ねぇだろうがッ!?」
「……なにが、はやい、の?」
「ッ――!?」

 ふいにかけられた少女の声にジヌイが背後を振り返る。
 いつの間に現れたのか、魔導書を抱いたレウシアが彼を上目遣いに見つめていた。
 途端にいたたまれない気持ちにでもなったのか、片犬耳のジヌイは視線を激しく泳がし始める。

「なんだ新入り、わかんねぇのか?」
「……ぅ?」

 禿頭の男がにやにやと笑う。
 レウシアの視線がそちらへ移り、男は自らの毛のない頭をするすると撫でまわした。

「そりゃお前、男と女が一緒の部屋でヤることっつったらアレしかねぇだろうが?」
「……あれ?」

 レウシアがこてんと首を傾げると、禿頭の男はやれやれとばかりにかぶりを振った。
 そして人差し指と親指で輪を作り、もう片方の手の指を輪に通しながらレウシアに説明を始める。

「ああ? だからアレっつうのはだな、こうやって――」
「ちょおッ――!? おいおいおいッ!? なにを教えようとしてんだよッ!?」
「あん? なんで焦ってんだジヌイ?」
「いいからてめぇは黙ってろッ! いいかレウシア、アレってのはアレだ。ええっと、のことだ!」
「……つがい?」

 さらに理解できていない顔でレウシアが赤い瞳をしぱしぱ瞬きすると、ジヌイはもごもごと口元を動かし、次いで少女の体を見やった。――丈の長いケープの裾から、鱗に覆われた尻尾の先が見えている。

 そういえば、この娘は珍しい竜人族だったな。――そう思い至ったのか、ジヌイは片犬耳をぴょこりと動かし、教師にでもなったかのような口調で語りかけた。

「んん、オホン。あー、つがいってのはアレだ。一緒に卵を温める相手のことだ。……お前にもいつか、そうしたいと思える相手ができる日がくる。そしたらわかる」

 ――彼にとっては子供に聞かせてもよい、健全で会心の解説であったのだろう。
 少し得意げに尻尾が動き、禿頭男が呆れたような、げんなりした顔でそれを見やった。

「……たま、ご、温める、の?」
 
 レウシアがふいっと視線を巡らし、思案するように黙り込む。
 竜の少女は言われたことをよく反芻し、やがてこくりと頷いた。

「……じゃあ、える、かな」
「へっ!? お、おい、一応訊くが、なにがだ?」
「……たまご、温め、る、あいて?」
「なんでそうなるッ!?」

 空を仰いで絶叫するジヌイ。
 先ほど離れていった鳥たちが戻ってきており、のんびりと船の周りを飛んでいる。

「――あいつら、ガキになにを教えてんだ。まったく……」

 甲板で鳥を眺めていた片足ニックが額を手で押さえ、なんともいえない表情で嘆いた。
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