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第41話:レウシア、もじゃげを採取する
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白い石階段が、緩く螺旋を描いて家々の間を伸びている。
岩山を削り、くり抜いて造られた住居の群れは、元となった大岩の名残を色濃く残し、一つとして同じ形のものはないようだ。
その脇に点在する樹から木漏れ日が影を躍らせており、欠けた白煉瓦の石垣には大きなトカゲがのそりと這い上がっている。
近くを通っても逃げる気配のないトカゲに興味を持ったのか、レウシアが足を止めてじっとその生き物の顔を覗き込んだ。
「……どな、た?」
不思議そうにレウシアが訊くが、もちろんトカゲは答えない。やがて大きなトカゲはのそりとどこかへ歩き去り、竜の少女は首を傾げてお腹を鳴らす。
「……おにく、だ」
「えっ? あの、レウシアさん的には、あの子は食べても平気なのです……?」
彼女の様子を微笑ましく眺めていたエルが驚いて問いかけると、階段の先を歩いていたヴァルロがひょいと肩越しに振り返り告げる。
「あん? この島じゃよく料理に出るぞ、あのトカゲ」
「……おにく」
「え、えええ……?」
その言葉を特に気にしたふうもなく、ぼんやりとトカゲの消えた先を見つめる元邪竜。
エルが困惑していると、さらに犬獣人のジヌイが気楽な調子で意見を述べる。
「お嬢のことを気にしてるんだったら、別に人族がウシ食うようなもんじゃねぇか? 問題ねぇよ」
「そ、そういうもの、ですか……?」
さらに困惑を深めるエルの様子に、レウシアの右手に揺られながら、魔導書がぼそぼそと所感を述べた。
「……わかる。その気持ち、我はわかるぞ聖女よ……」
「え? は、はい。そう、ですか……?」
唯一の理解者が食事をしない存在であることに、エルが戸惑いの表情を浮かべる。――もしかすると、自分が気にし過ぎなだけなのだろうか?
エルが常識というものについて答えの出ない考えを巡らせているうちに、一同は目的地へと辿り着く。
他の家屋よりいっそう大きな岩を削って造られた建物の前で、ドワーフの少年がぴょんぴょん跳ねて手を振っていた。
「可哀そうな剣のおじちゃん! こっちだよこっち! 爺ちゃんが待ちくたびれてるよ!!」
「あん? 相変わらず気の短ぇジジイだな」
「つるつるのお姉ちゃんたちもはやくはやく!」
「…………」
忙しない様子のドワーフの少年は、名前をビトゥルというらしい。どうやらこの里の長である、ドゥブルの孫にあたるそうだ。
ともすればヴァルロよりも年老いて見える彼であるが、実はエルよりも年下だった。――なので〝つるつるのお姉ちゃん〟呼ばわりも子供の言うことだから仕方がないなと、聖女エルはにっこり笑う。
「ビトゥルくん? 次に〝つるつる〟って言ったら、おヒゲを引っこ抜きますからね?」
「ひぃっ!?」
「おいおい、ガキを脅すなよ……」
ヴァルロが呆れて溜息をつくと、エルはじろりとそちらを見据える。
「あなたがそれを言いますか。……だいたい、どうして私だけがつるつる呼ばわりなのですか? ヴァルロさんは汚い無精ヒゲが生えてますけど、レウシアさんとジヌイさんだってヒゲは生えていないじゃないですか?」
「……汚いは余計だろが」
「お嬢は竜人だから羽と尻尾があるし、俺だって耳と尻尾が生えてるぞ?」
「なんですか、その基準は……」
自らの顎を撫でて呻くヴァルロの代わりにジヌイが暢気な声で答える。
人族の聖女は納得いかない顔のまま、ちらりとレウシアの背中を見やった。
司祭アドルから贈られた白いケープは幽霊船での騒ぎで失くしてしまい、今の彼女は背中の開いたシンプルなワンピースのみの格好である。
自由になった翼と尻尾はレウシアが歩く度にぱたぱたゆらゆらと元気に動き、エルの視線は先ほどから頻繁に彼女の後ろ姿を追っていた。
「――とにかく〝つるつる〟はもう禁句ですっ!」
「う、うん」
エルが片手を腰に当てて身を屈め、目の前に指を一本ぴんと立てて言いつけると、ビトゥル少年は髭をもごもご頭をこくこく頷いてみせる。
「そんな気になるもんかね? あー、でもそういやハゲの野郎は、絶対にこの島には降りたくねぇって――」
「くぉらお前らッ! いつまでそんなとこで喋っとる気だッ!!」
ふいにばたんと扉が開き、家の中から腕の太いドワーフが飛び出す。
ジヌイが話していた言葉を途中で止め、ヴァルロはひょいと肩を竦めた。
ビトゥル少年は祖父の怒鳴り声に驚いて尻もちをつき、額に青筋を立てる老ドワーフを恐々と見上げている。――なるほど、見比べてみれば体格や髭の量がかなり違う。エルは納得してこっそり頷いた。
「よお、ドゥブル。久しぶりだな」
「なんじゃ! お前らがチンタラやっとる間にもう剣の手入れは終わったぞ!! そんで今回はなにを持ってきた? 鉄か? 鉄はちゃんと持ってきたか?」
「落ち着けよ。今回は鋳潰せるようなもんは積んできてねぇよ」
「なんじゃつまらん。ならさっさと海へ帰れ」
「あん? おいおい待てよ」
すげなく言い放ち踵を返すドゥブルの肩を、ヴァルロがぐいと掴んで止める。
「てめぇに見てもらいてぇもんがあんだよ。エレーヌ、ちょっとこいつに見せてみろ」
「え、えと、わかりました……」
僅かに戸惑った表情を浮かべながら、エルが〝聖剣の欠片〟をポケットから取り出し、そっとドゥブルの前へ差し出してみせる。
老ドワーフはギロリとヴァルロを睨んでから、少女の掌に乗せられた銀の指輪に視線を落とした。
「――なんじゃこれは? 見たところカザドの作ったもんのようじゃが……」
ふむ、と小さく唸りながら、ドゥブルはエルの手から指輪を取り上げた。
「……あの、カザドさん、という方がそれの作成者なのですか?」
片目を閉じて睨みつけるように銀の指輪を検める老ドワーフに、銀髪の少女がおそるおそる尋ねる。ドゥブルはじろりとエルを睨んで、ふん、と鼻で息を鳴らした。
「え、えっと……?」
「〝カザド〟ってのは俺らのことだよ! つるつ――姉ちゃん!」
「……そうですか」
なにも言わないドゥブルに代わって、孫のビトゥルが元気に答える。
聖女の瞳に一瞬だけ剣呑な色が混じったが、幸いにして少年の髭が引っこ抜かれることはないようだ。
「……ぬぁっ!? なんじゃこの気持ちの悪いもんはッ!」
急にドゥブルの怒鳴り声が響き、一同の視線がそちらに集まる。
彼は何事かに気づいた様子で、豊かな髭の上からでもわかるほど思いっきり顔をしかめると、手に持った指輪を力いっぱい地面に叩きつけた。
「えっ!? あ、わ、わわわっ!」
「不愉快じゃ! とっとと帰れ!!」
地面を跳ねて転がる指輪を慌ててエルが追いかける。
老ドワーフはその後ろ姿に吐き捨てるように怒鳴ってから、今度こそ家に戻ろうと踵を返した。途端にぶちん! と音がする。
「ぬぅあッ!? の、ぬ、ぬ――」
痛みと驚きに目を白黒させながら、自らの顎に手を添えて、口をぱくぱく動かすドゥブル。
その隣で、いましがた抜けたもじゃもじゃを片手に握りしめながら、静かな声でレウシアが告げた。
「……えるのぴかぴか、投げちゃ、ダメだ、よ?」
「ぬ、ぬ――ぬぅん」
ドゥブルががくりと膝から崩れ落ち、ヴァルロは肩を竦め、ジヌイは天を仰ぎ見る。
指輪を拾ったエルが振り返り、あまりの出来事に二度見してから、再び視線をそっと逸らした。
岩山を削り、くり抜いて造られた住居の群れは、元となった大岩の名残を色濃く残し、一つとして同じ形のものはないようだ。
その脇に点在する樹から木漏れ日が影を躍らせており、欠けた白煉瓦の石垣には大きなトカゲがのそりと這い上がっている。
近くを通っても逃げる気配のないトカゲに興味を持ったのか、レウシアが足を止めてじっとその生き物の顔を覗き込んだ。
「……どな、た?」
不思議そうにレウシアが訊くが、もちろんトカゲは答えない。やがて大きなトカゲはのそりとどこかへ歩き去り、竜の少女は首を傾げてお腹を鳴らす。
「……おにく、だ」
「えっ? あの、レウシアさん的には、あの子は食べても平気なのです……?」
彼女の様子を微笑ましく眺めていたエルが驚いて問いかけると、階段の先を歩いていたヴァルロがひょいと肩越しに振り返り告げる。
「あん? この島じゃよく料理に出るぞ、あのトカゲ」
「……おにく」
「え、えええ……?」
その言葉を特に気にしたふうもなく、ぼんやりとトカゲの消えた先を見つめる元邪竜。
エルが困惑していると、さらに犬獣人のジヌイが気楽な調子で意見を述べる。
「お嬢のことを気にしてるんだったら、別に人族がウシ食うようなもんじゃねぇか? 問題ねぇよ」
「そ、そういうもの、ですか……?」
さらに困惑を深めるエルの様子に、レウシアの右手に揺られながら、魔導書がぼそぼそと所感を述べた。
「……わかる。その気持ち、我はわかるぞ聖女よ……」
「え? は、はい。そう、ですか……?」
唯一の理解者が食事をしない存在であることに、エルが戸惑いの表情を浮かべる。――もしかすると、自分が気にし過ぎなだけなのだろうか?
エルが常識というものについて答えの出ない考えを巡らせているうちに、一同は目的地へと辿り着く。
他の家屋よりいっそう大きな岩を削って造られた建物の前で、ドワーフの少年がぴょんぴょん跳ねて手を振っていた。
「可哀そうな剣のおじちゃん! こっちだよこっち! 爺ちゃんが待ちくたびれてるよ!!」
「あん? 相変わらず気の短ぇジジイだな」
「つるつるのお姉ちゃんたちもはやくはやく!」
「…………」
忙しない様子のドワーフの少年は、名前をビトゥルというらしい。どうやらこの里の長である、ドゥブルの孫にあたるそうだ。
ともすればヴァルロよりも年老いて見える彼であるが、実はエルよりも年下だった。――なので〝つるつるのお姉ちゃん〟呼ばわりも子供の言うことだから仕方がないなと、聖女エルはにっこり笑う。
「ビトゥルくん? 次に〝つるつる〟って言ったら、おヒゲを引っこ抜きますからね?」
「ひぃっ!?」
「おいおい、ガキを脅すなよ……」
ヴァルロが呆れて溜息をつくと、エルはじろりとそちらを見据える。
「あなたがそれを言いますか。……だいたい、どうして私だけがつるつる呼ばわりなのですか? ヴァルロさんは汚い無精ヒゲが生えてますけど、レウシアさんとジヌイさんだってヒゲは生えていないじゃないですか?」
「……汚いは余計だろが」
「お嬢は竜人だから羽と尻尾があるし、俺だって耳と尻尾が生えてるぞ?」
「なんですか、その基準は……」
自らの顎を撫でて呻くヴァルロの代わりにジヌイが暢気な声で答える。
人族の聖女は納得いかない顔のまま、ちらりとレウシアの背中を見やった。
司祭アドルから贈られた白いケープは幽霊船での騒ぎで失くしてしまい、今の彼女は背中の開いたシンプルなワンピースのみの格好である。
自由になった翼と尻尾はレウシアが歩く度にぱたぱたゆらゆらと元気に動き、エルの視線は先ほどから頻繁に彼女の後ろ姿を追っていた。
「――とにかく〝つるつる〟はもう禁句ですっ!」
「う、うん」
エルが片手を腰に当てて身を屈め、目の前に指を一本ぴんと立てて言いつけると、ビトゥル少年は髭をもごもご頭をこくこく頷いてみせる。
「そんな気になるもんかね? あー、でもそういやハゲの野郎は、絶対にこの島には降りたくねぇって――」
「くぉらお前らッ! いつまでそんなとこで喋っとる気だッ!!」
ふいにばたんと扉が開き、家の中から腕の太いドワーフが飛び出す。
ジヌイが話していた言葉を途中で止め、ヴァルロはひょいと肩を竦めた。
ビトゥル少年は祖父の怒鳴り声に驚いて尻もちをつき、額に青筋を立てる老ドワーフを恐々と見上げている。――なるほど、見比べてみれば体格や髭の量がかなり違う。エルは納得してこっそり頷いた。
「よお、ドゥブル。久しぶりだな」
「なんじゃ! お前らがチンタラやっとる間にもう剣の手入れは終わったぞ!! そんで今回はなにを持ってきた? 鉄か? 鉄はちゃんと持ってきたか?」
「落ち着けよ。今回は鋳潰せるようなもんは積んできてねぇよ」
「なんじゃつまらん。ならさっさと海へ帰れ」
「あん? おいおい待てよ」
すげなく言い放ち踵を返すドゥブルの肩を、ヴァルロがぐいと掴んで止める。
「てめぇに見てもらいてぇもんがあんだよ。エレーヌ、ちょっとこいつに見せてみろ」
「え、えと、わかりました……」
僅かに戸惑った表情を浮かべながら、エルが〝聖剣の欠片〟をポケットから取り出し、そっとドゥブルの前へ差し出してみせる。
老ドワーフはギロリとヴァルロを睨んでから、少女の掌に乗せられた銀の指輪に視線を落とした。
「――なんじゃこれは? 見たところカザドの作ったもんのようじゃが……」
ふむ、と小さく唸りながら、ドゥブルはエルの手から指輪を取り上げた。
「……あの、カザドさん、という方がそれの作成者なのですか?」
片目を閉じて睨みつけるように銀の指輪を検める老ドワーフに、銀髪の少女がおそるおそる尋ねる。ドゥブルはじろりとエルを睨んで、ふん、と鼻で息を鳴らした。
「え、えっと……?」
「〝カザド〟ってのは俺らのことだよ! つるつ――姉ちゃん!」
「……そうですか」
なにも言わないドゥブルに代わって、孫のビトゥルが元気に答える。
聖女の瞳に一瞬だけ剣呑な色が混じったが、幸いにして少年の髭が引っこ抜かれることはないようだ。
「……ぬぁっ!? なんじゃこの気持ちの悪いもんはッ!」
急にドゥブルの怒鳴り声が響き、一同の視線がそちらに集まる。
彼は何事かに気づいた様子で、豊かな髭の上からでもわかるほど思いっきり顔をしかめると、手に持った指輪を力いっぱい地面に叩きつけた。
「えっ!? あ、わ、わわわっ!」
「不愉快じゃ! とっとと帰れ!!」
地面を跳ねて転がる指輪を慌ててエルが追いかける。
老ドワーフはその後ろ姿に吐き捨てるように怒鳴ってから、今度こそ家に戻ろうと踵を返した。途端にぶちん! と音がする。
「ぬぅあッ!? の、ぬ、ぬ――」
痛みと驚きに目を白黒させながら、自らの顎に手を添えて、口をぱくぱく動かすドゥブル。
その隣で、いましがた抜けたもじゃもじゃを片手に握りしめながら、静かな声でレウシアが告げた。
「……えるのぴかぴか、投げちゃ、ダメだ、よ?」
「ぬ、ぬ――ぬぅん」
ドゥブルががくりと膝から崩れ落ち、ヴァルロは肩を竦め、ジヌイは天を仰ぎ見る。
指輪を拾ったエルが振り返り、あまりの出来事に二度見してから、再び視線をそっと逸らした。
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