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第66話:レウシア、愛玩奴隷に扮する

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 空は快晴。
 掴み取って食べてしまえるような、ふわふわの雲が浮かんでいる。
 船着き場にはたくさんの船が停泊しており、辺りには積み荷を降ろす喧騒が響く。

 商業船【ムエット・ノアール】号の甲板にて、聖女エルは黒い日傘を差して佇んでいた。
 彼女の銀髪はふわりと編み纏められ、その服装もひらひらとしたジャボつきの白いブラウスに、紺色のティアードスカートへと変わっている。

 海にいる間にすっかり着慣れたズボン姿から一転して、貴族の令嬢のような格好だ。
 本人がどう思うかは別として、彼女の普段の所作からすると、やはりこちらのほうが様になっていた。

「……なんだか落ち着かないですね。やっぱり私も、積み荷のチェックぐらいは手伝ったほうがよいのでは?」
「やめとけよ。お前の仕事は〝看板〟だ。ふんぞり返って茶でも飲んでろ」
「あら? そうですか。じゃあ、お茶を用意してくださいますか? 執事さん」
「ざけんな。てめぇでやれ」

 エルの後方に控えた男――白髪混じりの金髪をオールバックに纏めたヴァルロは、令嬢姿の少女の要求を吐き捨てるように一蹴する。
 彼の服装も黒い燕尾服に変わっており、無精髭は剃られ、いつもの粗野さは感じられない。

 エルは物憂げに溜息を吐いて、そっと視線を傍らに落とした。

「……?」

 ぺたんと座り込んだレウシアが、視線に気づいて首を傾げる。
 彼女の首につけられた、首輪の金具が微かに揺れた。

 その光景にエルは「ぅ……」と声を漏らして、さっと視線を海へと逸らした。

「――気分はよくねぇだろうが、いまのうちに慣れとけよ? ここらの〝亜人〟はみんな奴隷だ。首輪なしがほっつき歩いてたら、すぐに衛兵がすっ飛んできやがる。てめぇの希望で鎖は外してやったんだ、それで我慢しとけ。……レウシア、てめぇも〝飼い主〟の傍を離れるんじゃねぇぞ?」
「……ん。わかっ、た」
「うぅ……。だって、だって鎖までつけてしまったら、その、そのぅ……あの、レウシアさん……?」
「……な、に?」
「えと、ごめんなさい。正直――」
「……?」

 ごにょごにょとエルが何事か呟き、赤くなった彼女の顔を、レウシアは不思議そうな表情で見上げる。――堪りません。という伴侶の小さな呟きが、聞き取れたのかはわからなかった。

「あうぅ。でもこの格好、かなり恥ずかしいですよぅ」
「……そう、なの?」

 レウシアの隣でへたり込み、両手で胸を隠しながら、巻き角少女が涙目で嘆く。
 愛玩奴隷に扮しているので、彼女らの纏う布の面積はかなり少ない。

 翼をぱたぱた動かしながらレウシアがメメリのほうへ振り向くと、エルもそちらをちらりと見やり、冷めた声音で吐き捨てた。

「あなたが恥ずかしいのは、その体です」
「ひどいっ!?」
「え? あ、あら……? ごめんなさい、つい」

 無意識に言ってしまったらしいエルは、ハッとして謝罪の言葉を述べる。
 そしてメメリが両手で隠そうとして失敗している胸を、冷ややかな目で見下ろした。……これも無意識だったのだが、メメリはびくりと体を震わせ、さっと視線を甲板へと逃がす。

「ハッ! サマになってんじゃねぇか。しっかりと、愛玩奴隷とその飼い主って様子だぜ? そろそろ行かなきゃなんねぇからな。向こうでもその調子で頼むわ。お嬢様よ」
「……本当に、私で大丈夫なのでしょうか?」
「あん? いまさら泣きごと言うんじゃねぇよ。まあ、許可証はあるんだ。なんとかなるだろ」

 ヴァルロがにやりと笑って告げ、エルは不安げに港を眺めた。

   *   *   *

 市場付近のとある酒場にて。

 扉がぎぃと軋む音を立てて開き、黒い燕尾服姿の執事らしき男が顔を見せると、テーブルについて酒を飲んでいた客たちの視線が一斉にそちらへと集まった。

 執事の男は恭しく扉を押さえて道を空け、続いて銀髪の少女が店へと入る。
 そして奴隷らしき亜人の娘が二匹、最後に扉を抜けて壁際に控えた。

 銀髪の少女は服装からしてどこかの貴族の令嬢だろう。
 そう推測し、店の客たちは不快そうに眉を顰める。――亜人の愛玩奴隷なんぞを連れているあたり、あまり好ましい趣味の人間ではないようだ。

「……注文は?」

 酒場の店主が場違いな客に尋ねると、少女はさっと周囲を見回し、鈴の鳴るような澄んだ声音を響かせる。

「ラムを。ここにいる皆さんに」

 執事が金貨を取り出して、店主の男に無言で差し出す。
 店主はぴくりと口元を動かし、さっと金貨を受け取った。

「ほぉ、ずいぶんと羽振りのいいお嬢サマじゃねぇか! だがまあ、ここはガキが遊びに来るようなとこじゃねぇぞ? たとえ俺らのご機嫌取りをしたとしてもな!」
「……ええ、遊びに来たのではありませんよ」

 酔っぱらった客の一人が大きな声で彼女を野次り、しかし銀髪の令嬢は涼しい顔で再び酒場の中を見回す。
 まるで人形のように整った、小柄なその少女の美しさに気づき、何人かの男が息を呑んで目を奪われた。

「このお店に、商人ギルドの方々がいらっしゃると聞いて、ご挨拶に参りました。……代表の方は、どなたでしょうか?」
「ああ? 俺たちゃみんな代表さ! なあ?」

 一人の男が立ち上がり、両手を広げて声を張り上げる。
 ゲラゲラとした笑い声と、疎らな拍手が鳴り響く。

 少女はすっと目を細め、酒場の喧騒を眺め続ける。
 やがて酒場を占有している商人たちが、訝しげな顔で静かになると、銀髪の令嬢はスカートの裾をつまんで静かに告げた。

「――そうですか。では、私も本日からこの街で商売をさせて頂きますので、どうかよろしくお願いします」
「……おい、お嬢サマよ? 言ってる意味がわかりませんでしたかね?」
「と、言いますと?」
「アンタが一体、どこのお貴族サマのご息女なのかは知らねぇですがね。ここは王都に一番近い港だ。お店ごっこがやりたけりゃ、自分の領地でやるんだな」

 段々とぞんざいな口調になりながら、商人の一人が問いに答える。
 いかに貴族の令嬢であったとて、この港街の領主ではないのはわかっているし、商業権は自分たちが独占していた。

 先ほどのやり取りは「あなたの加わる席はないですよ」という、皮肉のつもりだったのだ。

「許可証は、ありますが」
「ほう。――ッ!?」

 ひらり、と少女が掲げた羊皮紙を見て、男がにわかに目を見開く。
【ロー・ラヴィアハン】――他の街の領主の印はまだいい。そこには〝教会〟の印まであった。

「……で、なにを売るつもりですかい?」
「織布と宝玉を。まあ、石は売れなくてもいいのですが」
「ラヴィアハン……あの石と布か。まあ品を見ねぇとわからねぇが、布は最低でも金貨からにしてもらいます。あの織布をあまり安くされると、他の布まで値崩れしちまう」
「えっ? いえ、その――」

 教会が関わっているのならば市場参入は阻止できないと諦めて、一人の男が即座に交渉へと移る。
 少女が僅かにたじろぐのを見て、この酒場にいる者のなかで最も発言力を持つその商人は、心中ほっと胸を撫でおろした。――この程度の相手なら、特に問題ないだろう。売れなくても構わないような在庫を抱えている辺り、やはりただの道楽だと推察できる。

「詳しい金額は、品を見てから決めさせてもらいます。それと上納金は――」
「えっと、上納金も、あるのですか?」
「おい」
「当たり前でしょう? 儲けの金額にもよりますが、売り上げの――」
「おいコラ! 聞けや!!」
「っ!? ――なッ!?」

 商人の男が捲し立てるように銀髪の令嬢にギルド側の要求を述べていると、ふいに執事の男が腰の鞘から剣を抜き、がつんと大きな音を立てて、その刃をテーブルの中央に突き立てた。

 商人の男はギョッとして、貴族の執事が持つには不釣り合いな、その無骨な剣を見つめる。――海路を使う者たちの間では有名な、ミスリル製の、カトラスだった。

「てめぇよぉ? ちゃんと話を聞いてたのかよ? お嬢サマは〝挨拶〟に来たっつったんだぜ? 挨拶、。俺の言っている意味がわかるか? おい?」
「ッ!? お、おま、お前、いや、アンタ……ヴァ、ヴァル、ッ」
「あん? ほぉ、俺を知ってんのか。そういや、てめぇ海で見たことあんな。――どうも、いつもご贔屓にしてくださって、ありがとさんよ? これからは陸でも、よろしくなぁ?」

 執事はニタリと唇の端を吊り上げて、商人の顔を覗き込む。
 銀髪の令嬢はかぶりを振って溜息を漏らし、そして一瞬静まり返ったのちに、酒場の中に大きな悲鳴が響き渡った。
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