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第72話:レウシア、図書館へ行く

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 赤茶けた煉瓦の屋根の家々が、規則正しく、見渡す限り並んでいる。
 建物の色は淡黄、藤色、薄紅色――淡いパステルカラーの街並みは、どの建造物も背が高い。

 見上げれば、立ち並ぶ建物たちの屋根には鳥や聖女の像が飾りつけられている。
 いっとう目立つ朱華色はねずいろの時計台では、金色の文字盤が輝いていた。

 道行く人々は足早で、ざわざわと喧騒が耳を打つ。
 貨物の馬車が、ゆっくりと群衆の波間を縫っていく。

「……人間さん、いっぱい、だ」
「そうですね。はぐれないように気をつけましょう」

 きょろきょろと辺りを見回すレウシアの言葉に、エルは相槌を打ちながら、密かにきゅっと下唇を噛みしめた。
 エルの視線の先、レウシアの右手はサーシャの左手に握られている。

「あれあれぇ? エル様ぁ、どぉしたんですかぁ?」
「……いえ、どうもしませんが、なにか?」

 エルの隣、改造修道服姿の少女が揶揄うように尋ね、聖女は表情を取り繕う。
 エインはにたりと口の端を歪めると、エルの耳元に顔を寄せ、囁くように言葉を続けた。

「わかりますよぅ? 可愛いですもんねー? レウシアちゃん」
「っ!? え? な、なにが――」
「あれれ? 可愛くないです?」
「っ!? ッッ!? か、可愛いですよっ!」
「にへへー」

 笑いながら、エルの腕に自らの腕を絡めるエイン。
 聖女は顔をしかめたが、振り払おうとはしなかった。

「なんか、いつにも増してご機嫌っすね? 気味が悪ぃっす」
「あ、わかりますー? じつはボク夢だったんですよね。聖女サマとお話するのっ! それにほら、いまって姉妹みたいじゃないですかぁ?」

 サーシャが尋ねると、前下がりボブの金髪を揺らし、エインは嬉しそうにそう答えた。
 腕を取られてよろめくエルの髪は、現在は《変装魔法》でエインと同じ金色に染められている。

「あー……ノーコメントっす」
「そこは否定してください……」

 嫌そうに呟くエルの服装は、以前に購入した白地の民族衣装である。
 幾何学模様のエスニックな織布と、きわどい改造修道服では趣が違い過ぎるのだが――こうして並んで歩いているぶんには、趣味の違う姉妹と言われても、まあ頷けなくはない。

「……さー、しゃ、みかん、売ってる、よ?」
「へ? ああ。【ヴェルトプラージュ】のやつっすね。……ちゃんと、こっちまで流通するようになったんすね」
「え? ほんとですかっ!? わぁ、よかったです! レウシアさん、一つ買っていきましょうか?」
「いや、あんま新鮮じゃねぇですし、やめといたほうがいいっすよ」

 感慨深げにエルが提案し、嘆息混じりにサーシャが却下する。

「ハッ! 果物の鮮度なんざ気にするたぁ、さすが〝勇者〟サマは、普段食ってるもんが俺らとは違ぇってことなのかね」
「……そっすね。違いやしたね」

 斜め後ろを歩くヴァルロからの皮肉に対し、鬱陶しげに返答しながら、サーシャは半眼で振り返る。
 彼女の過去を知らない元船長は、白髪混じりの金髪をオールバックに纏め、今日も執事に扮した姿であった。

「……つーか、アンタがついてくるとは意外っすね。てっきりトンズラこくのかと」
「あん? 俺ぁ金づるを手放したくねぇだけだよ。聖女サマの後ろ盾がありゃぁ、商売もやり易いからな」
「……正直っすね」
「違いますよ。この人は優秀な会計士と、あの船の船長キャプテンであるレウシアさんが心配なだけです」

「「は?」」

 エルが微笑んでヴァルロの心情を代弁すると、元船長と元傭兵、二人の疑問の声が唱和した。

「おいエレーヌ? 優秀な会計士ってなぁ、一体どこに――」
「いや、レウシア様が船長って、一体どういう――」
「あ、着きましたよー!」

 二人の言葉を遮るように、エインの暢気な声が響く。
 いつの間にやら、歩いているうちに目的の場所に着いたらしい。

「……ここに、我が保管されていたのか。――それも〝白紙の魔導書〟として……」

 薄水色の建物に設えられた豪奢な扉をレウシアが見上げ、その手の中で、魔導書はぼそりと呟いた。

   *   *   *

【王立図書館】一階フロア。

 広々とした空間に、ドーム型の高い天井。
 大きな本棚が通路のように立ち並び、そこには検閲済み、もしくは改稿済みの写本たちと、大量の聖書が並んでいる。

 多くの本には盗難防止の鎖が取りつけられており、貸し出しなどはやっていない。

 棚で構成された通路の入り口には、半円型のカウンターが設えられている。
 図書館に入ってすぐ、そこに待機する二人の男の姿に気づき、サーシャは思わず顔をしかめた。

「うげ……嫌な顔がいるっすね」

 そこにいたのは、過去【ヴェルトプラージュ】の街にて〝偽の聖剣〟を陸路で運ぶために別れた、マーティスとニミルだった。
 気だるげな様子でカウンターに頬杖をつく神官二人の顔を見据えて、サーシャは忌々しげに吐き捨てる。

「……つーか、思い出したくもねぇ奴らっす。生きてたんすね」

 彼らもまた、サーシャの姿に気付いたようだ。
 白い神官服姿の男たちは嫌悪の表情を浮かべると、立ち上がり棍棒を手に取った。――恐らく、二人の仕事は図書館の受付……いや、むしろ〝門番〟に近い役割だろうか。

「なんだ女? キサマまだ野垂れ死んでいなかったのか。……まあいい。ここはキサマのような下賤の輩が足を踏み入れてよい場所ではないぞ。さっさと去れ!」
「……というか女の傭兵なんざ、文字を読めるかどうかすら怪しいな。本を盗みに来たんじゃないのか? マーティスさん、衛兵を呼んだほうがいいんじゃないですかね?」

 勝手な見解を述べながら、手にした棍棒で自らの肩を叩くマーティスとニミル。
 サーシャの右手が、腰に帯びたファルシオンの柄を撫でる。

「えっとぉ、お二方はここの〝司書官〟ですよねぇ? ご苦労さまですー」

 いまにも鞘から剣を抜きそうな元傭兵の背後から、とててっとエインが前に進み出て、甘ったるい作り声で神官たちに話しかけた。

「む? なんだお前は――」
「へぇ? ボクのこと知らないです? じゃあこれを」

 黒いレースの袖に手を入れて、改造修道服姿の少女が書簡を取り出す。
 彼女がそれをカウンターの上に広げると、そこに記された文面と押印を見た神官二人は、さっと顔を青褪めさせた。

「ッ!? し、失礼しました! なにぶん我々、このお役目を頂いてから日が浅く……」
「そういうのいいですよぉ。じゃあ、通ってもいいですね?」
「は、はいっ!」
「もちろんでございますとも! ――あ、いや、お待ちください!」
「……なんですかぁ?」

 通り過ぎようとするエルたち一行を呼び止めて、マーティスがぎろりとサーシャを睨む。
 面倒そうに眉をひそめるエインの背に向かい、白い神官服姿の男は嘲るような笑みを浮かべた。

「貴女サマが、大臣様より《禁書庫》の閲覧を許されているのは確認しましたが、あくまでそれは貴女サマだけの特権のようです。なのでそちらの――傭兵くずれと、妙な服を着たご令嬢とその召使い、そしてトカゲの亜人奴隷はご遠慮願いたい」
「……ふーん。そうですかぁ」

 エインがくるりと振り返る。
 聖女エルの目は鋭く細められ、レウシアはこてんと首を傾げてマーティスを見た。

 ――わなわなと肩を震わせながら、エルが口を開く。

「……髪色と服装が違うだけで、私だとわからないのは、この際置いておきましょう。レウシアさんのことも忘れているのは、一体どういうことなのでしょうかね?」
「レウ……? ん? むっ!? その声は、まさか聖女エル様ですかッ!?」
「ええ、そうですよ。なにか申し開きはありますか?」
「馬鹿なッ!? だとすると……いや、あの亜人は処理を命じ――ぐ、ぬぬ。いえ、失礼しました。では聖女エル様、エイン様のみ、お通りください……」

 苦々しげにマーティスが返答し、続けて懲りずに言葉を続ける。

「あとの方々は、外でお待ちください。神聖な図書館が汚れますので」
「……サーシャは、この国の〝勇者〟に任命されましたよ」
「ッ!? な、はぁッ!?」
「こいつがッ!?」

 もはや口をあんぐりと開けて、二人の神官は赤毛の勇者を凝視した。
 次いで、その目が疑わしげに細められ、マーティスが低い声音で問いかける。

「どのような事情があるのかは存じませんが、〝勇者〟を騙るような真似は、いかに聖女エル様といえども犯罪ですよ? 衛兵を呼んでもよろしいですかな?」
「……めんどくせぇ奴っすね。ほら、証拠っすよ」
「――ッ!?」

 サーシャがポケットから剣の刻印が入った金のペンダントを取り出して見せると、いよいよマーティスは言葉を失い、俯いて小刻みに震えだした。
 赤毛の勇者は嘆息しながら、がりりと頭に手をやった。

「あー、そういや、アンタらの持ち帰った〝勇者の剣〟。ありゃいまどこに?」
「………王城の宝物庫だ。チッ、キサマのような者のために苦労して運んだのだと思うと反吐が出るわ」
「そっすか。んじゃその剣なんすけど、宝物庫から出してもらっていいすかね?」
「我々は小間使いではない。自分で行け」
「いや、あたしゃいま忙しいんで。……そっすね、宝物庫から出したら、アンタらどっちかの家の〝家宝〟として、あの剣を保管しといて欲しいんすけど」
「なッ!?」

 がばりと伏せていた顔を上げ、マーティスが目を見開いてサーシャを窺う。
 その隣で立ち竦み、ニミルが握った拳を震わせる。

「どっちが剣を家宝にするかは……まあ、先に手に入れたほうでいいっす。じゃあ頼んました」

 金のペンダントを見せながら赤毛の勇者が話を締めると、やおら神官たちはカウンターから出て、無言のまま――物凄い勢いで外へと駆け出した。

【王立図書館】の豪奢な扉がバタン! と閉まり、サーシャは〝勇者の証〟をポケットへ仕舞う。

「……あの、宝物庫から〝勇者の剣〟を取り出して自分の物にするって……もしかしなくても、彼らがやるぶんには普通に窃盗になってしまうのでは……?」
「さあ? あたしゃ知らねぇっす」

 聖女がおずおずと勇者に尋ね、サーシャは両手を上げて伸びをする。

「なーんにも」

 ぼんやりと扉のほうを眺めるレウシア、くくっと笑いを噛み殺すヴァルロ、困ったように眉根を寄せるエルを順に見やり、エインが通路の先を指し示す。

「じゃあ、邪魔者はいなくなったので、さっさと調べものを済ませちゃってくださいなー。そのあとはちゃあんと、政治犯のデニスさん探しに協力してもらいますからねん?」
「……いよいよか。……確かに、この場所は我にも見覚えが――いや、しかし……」

 竜の少女の手の中で、魔導書がぶつぶつと呟き続ける。
 前任の〝勇者〟と同じその声からは、焦燥感が滲み出ていた。
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