下級武士の名の残し方 ~江戸時代の自分史 大友興廃記物語~

黒井丸

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1652年 商人の名の残し方と吉岡妙林尼

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 1651年に将軍家光が死亡し、同年に由比正雪の乱が計画実行の直前で露見して未然に防がれた。

「幕府が大名を改易しすぎて自活できないものが増えすぎたためじゃな」

 と杉谷は思った。
 政治とは民を食わせ、育てることである。
 自分たちの将来を安定させるために他者を切り捨てるような政治では、徳川の幕府も先がないのかもしれない。

 そう心配したが、もはや戦で一旗揚げるには衰えすぎた。
 世の中がどう変わろうが、もはや己の生き方を変えずに生きていくしかないのだと覚悟する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 年が明けて翌年の正月。
 このころには15巻の執筆もほぼ終わり、後半の話もかなり調査が進んでいた。
 杉谷も60歳を超え、20巻程で終わらせようかと算段をしていた。
 そして神棚に向かって一礼すると
「祖母岳大明神様、惟重様。どうか、無事頂戴いたしました御使命を果たすその時まで、この痩躯をどうかお守りくださいませ」
 と心の底から願った。
 早く完成させたくはあるが、拙速に早って内容が疎かになっては本末転倒もいい所だ。
 年に一冊の刊行を目指し、杉谷は筆を取ろうとした。そこへ

「杉谷様。明けましておめでとうございます」
 そういって新年の挨拶にきたのは甚吉だった。
 この瀬戸内を又にかける商人は武士をやめた杉谷の事をなにかと目をかけ、年末年始には贈り物まで届けさせていた。
 そして、たまにこうして顔まで出すのだ。
「おお、甚吉。あけましておめでとう」
 杉谷も深々と頭を下げる。
 杉谷と甚吉は今まで通り、いやそれ以上の付き合いが続いていた。

 生活に困った物はないか?
 現地で調べたい物はないか?
 本を出たなら自分が仲介して届けましょう。
 
 と色々支援をしてもくれた。
 不思議なほどに親切なので、豊後に戻った一年目に
「甚吉よ。ワシはもう、佐伯様が亡くなられた時点で大友興廃記は終わったし、何かを書くのもやめようと思うた人間じゃ。楽しいこともなければ儲け話にもならん。何かを期待しても無駄じゃぞ」
 と釘を刺しておいた。しかし、
「そうなさりたいのなら、そうなさるがよいでしょう」
 と笑いながら酒を勧めてきた。
「私は商人として、成功してきた人も、失敗してきた人も何人もみてきました」
 自分の人生を振り返るように虚空を眺めて
「金だけが目的なら、調子の良い時だけの付き合いになるでしょう。しかし、損得だけで生きていたら人生面白くないではないですか」
 猪口に並々酒を注ぐと、ぐっと杯を空にして
「物書きって人種は成功しようが失敗しようが書かずにはいられない人間ばかりでしたよ。売れても依頼が気に入らなければ書かない人はいても、書くなと言われて止めるような素直なお方は皆無。息を吸うように思いついたことを書かないと死ぬ病にでもかかってるんでしょうなぁ」
 笑いながら言う。

「だから旦那が書きたくないと言うなら、その病が治ったってことですよ。病気が治ったのなら結構な事じゃないですか」
 
そんな事を言われて翌年には文書を再び書きだしたのだから、確かに物書きと言うのは病のようなものなのだろう。
「実はですな。今日は津久見、それに野津に行こうと思うのですが、ご一緒にいかがですか?豊後と薩摩の合戦跡地が色々と残っておりますよ」
 と言う。願ってもない申し出なので杉谷は乗ることにした。

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「これは見事な島要害じゃな」
 津久見の南部に張り出した四浦半島を見て杉谷は感嘆の声を漏らした。
 ここは久保泊城。
 天正14(1586)年10月に三重の松尾山を本陣に定めた島津右馬頭と中務丞家久の侍大将が攻めてきた場所である。
 11月上旬に家久は使者を度々差しよこし、とち河原(太刀ヶ浦)に船を寄せて、この3方を海に囲まれてそびえ立つ高さ40m程度の大岩の城にこもる兵士を討とうとしたが果たせなかったという。
 広さで言えば臼杵城の20分の1程度しかない小さな丘だ。
 豊後兵は約200。
 そこに島津は200艘の船・約2000人の兵で攻め込んだが攻め落とせず退却したと言う。
 話には聞いていたが、現地を見て何故勝てなかったかを杉谷は理解した。
「これはどれだけ大勢で攻めても入れんわい」 
 海に面した部分は断崖絶壁で登る場所がなく、唯一の入口は一人でしか登れないほど狭い。
「おまけにここに籠った兵士は皆、鉄砲上図でしたから陸に上がる事すらできなかったそうです」
 ここで島津兵は使者を次々と送り和睦を勧めてきたが、城内の侍は『細々と使者が来るのは物見をする為だ』と、湾の入り口に樽を浮かべ城から鉄砲で打つ練習をして『再び来たら物も言わせず撃つべし』と、やって来る島津の船の乗員を問答無用で撃ち殺したという。
「鬼島津よりも鬼ではないか?」
 そう思ったが、そこまで徹底しないと勝てなかったのだろう。
 攻めよせてくる島津軍も同様の運命を辿り、ついには撤退した。
 あまり知られていない豊後の勝者である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「次は津久見の大友宗麟公の御墓にお参りに行きましょうか」
 そう言われて四浦を後に西進すると青々とした山々と、小さな集落が見えてくる。
 胡麻柄山と彦岳の体積物で平地が出来た津久見である。
 商売品を卸す手伝いとして上陸した杉谷たちは真砂土だらけの沼地を避け、南側の川をさかのぼる。
 その少し小高い山際に大友宗麟の墓が鎮座している。
 昔は天徳寺という西洋風の寺があったそうだが1614年に火災で焼失したと言う。
「ここは元々キリシタン式の墓があったそうですが、バテレン追放令を受けて仏式の墓に立て替えられたそうです」
 かつては豊後の有力者が集まって死を悼まれた大名の墓。
 今ではその静けさに無常を感じた。
 この墓は次第に荒廃し、現在の墓は寛政年間(1789-1801)に大友家臣の末裔 臼杵城豊により改葬されたものと言われている。
「名を残しても、守る者がいなければこの有様か…」
 杉谷は苔むし始めた墓を見てそう思った。

 何とも言えない気持で墓から離れると、その下に同じようなお墓があった。
「これは吉岡の妙林尼様の御墓と言われております」
 甚吉はおごそかに手を合わせる。杉谷も同じように合掌する。

 津久見から臼杵へ行く道すがら、杉谷は妙林尼について甚吉に尋ねた。
「豊後一の女傑ですね」
 と甚吉は言う。

 吉岡妙林尼。

 彼女は大分郡高田、今の鶴崎地区を含む中洲一帯の領主 吉岡鑑興の妻だったという。
 夫は1578年の日向合戦で討死し、寡婦となった彼女は竹田の志賀氏から養子を迎えながら地域を切り盛りした。
 そして、1587年に島津の兵が豊後に押し寄せた時、養子の吉岡甚吉は臼杵丹生島に籠っており、母が鶴崎に城を構え抵抗することになったらしい。
「彼女は自ら堀の縄張りをして、薬研堀や落とし穴を掘らせたり柵をはったそうで、城には鶴崎と高田300町の武士や民百姓が籠ったそうです」
 甚吉によると11月12日に島津の伊集院美作守(久宣)・野村備中守(文綱)・白浜周防守(重政)ら島津勢3000人が押し寄せ柵に押しかかると多数が穴に落ち、杭にぬかり人馬ともに死んだという。
 さらに城中から280の鉄砲で撃てば敵は引き、その後も17度戦ったが城は落ちなかったという。
「結局、妙林は和睦を結び島津の兵を城の中に入れたそうです」
 その後すっかり油断をさせた妙林は、豊臣秀吉の応援が来た際に島津が撤退する段になって『旅路を祝おう』と酒宴を開けば大将は正体なく酔って帰り、妙林は前から示しおいたように付近の乙津川に兵を伏せ、島津勢が切所を通ると兵を起こし大河に追い込んだ。
 そして伊集院・白浜を討ち取り、野村は深手を負い日向・高城で死んだと後に聞く。
 その日の首を臼杵まで送れば宗麟は「尼の身で手柄を挙げた事、古今比類なし」と感じ入り、重ねて子息の甚橘じんきちに恩賞を与えた。という。
 
「豊前でこの話を聞いた秀吉は感心し「この尼に会いたい」と言われたそうですよ」と甚吉は言った。
「壮絶な女性もいたものだな」
 まだ見知らぬ豊後の豪傑に宗重は感心した。そして
「その妙林殿の御養子は甚橘殿というのか…。ふふ、奇しくもお主と同じ名前じゃのう」
 と言った。すると甚吉は天気の話でもするかのように

「そりゃそうですよ。

 と言った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

武士を止めて商人になった家は多い。
濁り酒に偶然灰を入れて清酒を発見した鴻池家は元々武士だったし、豊後では玖珠の武士から戸次庄に移住して酒屋を始めた帆足本家。国東半島の武士だった如法寺家が改名して最終的に日田に移住した草野本家などがある。

「吉岡家は鶴崎の港を元に船輸送が盛んでして、大分崩れのあとに商人として転身した後、佐伯様のひいきにより津での商いを斡旋してもらいまして、このようにやっております」
 とのことだった。

 10巻で豊後商人の仲屋宗悦という人物を書いたが、彼も甚吉の祖先に当たるらしい。
 まるで他人事のように語っていたが、彼から貰った情報は彼が世話になった人間や何らかの形で付き合いのある者の祖先だったのだろう。

――商人は10年20年を見据えて投資をすると言うが、これがそうか。

 その凄さと気の長さを見せつけられた気分である。
 今までの恩に報いるまでもなく、杉谷は佐伯・四浦に続く劣性続きの豊後で活躍した英雄として吉岡妙林尼の活躍を書く事を約束した。
 18巻収録の『妙林一城を持事』『津久見四ケ浦合戦』がそれである。
 
「ついでと言っては何ですが、もうお二人程、劣勢続きの豊後で活躍された面白い方が豊後には御座いまして」
 と甚吉は憎めない笑顔で言う。
「ああ、乗りかかった船じゃ。誰でも書いてやろう」
 降参とばかりに杉谷は言った。
 ここまで恩を受ければ、もう断る理由もない。それに負け戦ばかりで暗い話ばかりが続く豊後の記録である。
 劣勢でも勝つような話があるならもっと書いて置きたい。

 ――ここまできたら何でも書いてやろう

 そう思い
「で、誰を書けばよいのかね?」
 と問えば
「我が祖先の兄、志賀親善様とその友人、柴田礼農様です」
「それは無理じゃろ」
 杉谷はさっきまでの決意を反故にした。

 この豊後の危機を救った二人はだったのだ。
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