59 / 66
第四部
雪のように⑷
しおりを挟む共同体において重要なものは、道徳意識であり、法に反して他の利福を奪おうとする者は、統制にそむく行為につき、厳罰に処す必要がある──。
離宮にて、首を長くして待つアセビは、帝国の観念体系について、真面目に考えた。
(……こんなふうに悩むのは、皇宮に未練があるせいか? ……それもそのはず、グレンを置いて、本当に去れるのだろうか。いくら温厚なルリギクとて、無責任な国母だと、わたしを軽蔑するだろう)
渋い顔つきになるアセビの隣に座るクオンは、くすッと笑った。
「リュンヌは、女にしておくのはもったいない気性だな。そう思わないか、ミュル」
行儀よく「はっ!」と返事をするミュルはシナ国の女騎士で、アセビより歳上に見えた。
「そういえば、クオンは、どこへ行っていたのだ? 今朝、わたしのところに膳を持ってきたのは、見慣れぬ女官だったが……」
「ああ、ミュルから書状が送られてきたからな。緊急を要する内容だった故、夜のうちに片付けてきた」
「書状とは、どんな?」
アセビが問い返すと、クオンはミュルに目配せをした。すると、ミュルはガタンと椅子を立ち、アセビの脇まで歩み寄り、短甲の内側から書状を取りだした。
「どうぞ、寵主さま。こちらをご覧ください」
頭をさげて差しだされたアセビは、怪訝な顔をして受け取った。書面の文字は達筆すぎて難読だが、部分的に内容を読み取ることはできた。
(……賄賂……不正、……これは、密告の類か?)
アセビが書状から顔をあげると、兵士のエルツと目が合った。サッと、すぐに向こうから顔を背けたが、なんとなく厳しい視線を送られていたような気がした。寵主の立場は、誤解を招きやすい。皇帝に色仕掛けで取り入って、贅沢な生活を送っている。そんな陰口も聞こえてきた。もっとも、アセビは容姿端麗といえる見栄えの持ち主ではない。実際にその外見とふるまいを知る者は、根も葉もない流言だと承知していた。
「クオンよ、書状はなんだ? おぬしは、地方の高官を取り締まってきたとでも云うのか?」
「少しちがうが、似たようなものだな。小国の監視役に配置された姫君から、定期的に文が送られてくるが、人命にかかわる件は無視できないだろう? おれは皇帝の特使として、各地に赴くことができる」
ふつう、各地域を訪ねる場合、身分にかかわらず通行料金を払う必要があり、商人など、移動する者は限られている。クオンは皇帝による委任状を所持しており、必要とあらば現地へ駆けつけ、問題の早期解決に尽力していた。そこで重要な役割を果たすのは、姫君の存在である。
「……まさか……そんな」
ある推論にたどり着いたアセビは、書状を持つ指が微かにふるえた。真実を見出すことに成功した寵主に、クオンは静かに告げた。
「ようやく、ここまできたな。アセビ・バジよ」
✓つづく
応援ありがとうございます!
1
お気に入りに追加
24
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる