三鏡草紙よろづ奇聞

み馬下諒

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第二章

帝都あやし

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 良妻賢母りょうさいけんぼに基づく女性の立場は、まさに大任を有している。女性は家を治め、夫を助け、さらには子をりっぱに育てあげる役割があるという。

 明治時代、カタカナまじりの漢文で、活版印刷にて編集された雑誌がいくつかある。この時期に編集責任者として[帝都あやし]を創刊した日和見ひよりみは、部下の編集者たちと、次なる特集について、話し合っていた。


人面魚じんめんぎょなんて、どうかね。なんでも、易居寺やくいでらの池に、人の顔をもつこいがいるとか、いないとか」

 鼻筋に細ぶちの丸眼鏡をかけている日和見ひよりみ室長しつちょうは、同社の情報紙を片手に、記事の提案をした。室長の机の横で「却下します」という青年は、わざとらしく深い溜め息を吐く。タレ目が特徴的で、物怖ものおじしない性質の持ち主である。

桜木さくらぎくんの云うとおり、人面魚そんなもので世間の興味など引けやしませんよ」

 姿勢を正して墨を高尾たかおは、年長者らしく室長にも堂々と意見した。あい紫の着物を身につけた、ざっと四十ばかりの男である。

「なんだい、桜木くんも高尾くんも、ずいぶんひねくれて、、、、、いるね。いったい、どうしたと云うのだ」

 日和見は前髪をゆらして椅子の背もたれに寄りかかり、つまらなそうな顔をした。すずりに水滴の水をこぼす高尾は、ちらッと、窓へ視線を向けた。高尾のほうを見ていた桜木も、つられて窓をふり返る。明るい曇り空は、通り雨を予感させた。

 まぶたを閉じて風の音を聞く日和見は、「ああ、そうだったね」と、なにかを思いだし、フッと笑った。

「室長、ぼんやりしている暇があるならば、代筆をお願いできますか。あ、これ、蔵持くらもち旅籠はたごを取材したときの紙片メモです」

「蔵持か……。たしか、旅籠の女将おかみが客の男と水中に投身したという、心中事件だね」

「はい。なんでもその女将は、もともとは旅籠の下働きで、蔵持家とは縁もゆかりもない他人らしく、大旦那におもねって、息子の若治わかじさんと夫婦めおとになられたそうです」

 試し書きをする高尾は、筆をもつ手を動かしながら、室長と桜木の会話に耳をかたむけている。

「それはまた、たいそうな出世をした女中だね。しかしなぜ、その女将は客の男にかれたのだろうね。……若治の旦那だんなは、余程の甲斐性かいしょうなしだったのか、それとも逆に、愛人ばかり囲っていたのか」

「室長、朝から下手な勘ぐりはやめてください。断じて、そのように不埒ふらちな事件ではありません」

「では、どのような経緯いきさつがあったのか、詳しく説明してみたまえ」

「ですから、こうして代筆をお願いしています。そちらの紙片メモに色々書いてありますから、ご自身で、おたしかめください」

 桜木は資料室に用があるといって、帝都あやし編集室を退出した。あとに残された日和見は、机に置かれた紙片を手に取り、蔵持家の事情に目をとおした。ひろげた巻紙に筆をおこす高尾は、いったん手をやすめて席を立ち、窓ぎわへ移動した。

 雨がふっている。黒色の蝙蝠傘こうもりがさをさして歩く人影が、出版社の前で立ちどまった。高尾は、無意識に顔をしかめた。洋傘の着用を禁止する法令がある。傘をもつ姿が明治維新で禁止された、帯刀たいとうとまちがいやすいことが理由だ。法治国家である以上、庶民はしたがうしかない。だが、ときとして時代の常にさからう者があらわれる。


〘つづく〙
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