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悩ましい夜明け
しおりを挟む歯を磨いても口のなかが甘い。そんな気がして落ちつかない山吹は、何度も携帯電話の画面を確認したが、フルーツパーラーで番号を交換した相手から連絡はない。
(こんな時間まで忙しいのか……、それとも忘れたか……)
ランチのとちゅうで席をはずした旭は、その後、どこでなにをしていたのか。時刻はまもなく深夜である。
(こっちから、かけてみるか?)
画面をスクロールして新しい番号を見つめる山吹は、シャワーを浴びて、パジャマ姿である。できればベッドで横になりたい気分だが、そのまま寝落ちして着信に気づかない可能が高いため、座椅子にもたれて連絡を待ちつづけた。
「ユウタでよくね?」
「ユウタってさ」
「ユウタ、発見」
旭は、山吹の名前を「ユウタ」と略して呼び捨てる。わずかな交流でしかないうちに距離感が近すぎる気もするが、双子の祖母である藤咲楓と新規契約を結ぶことに成功した山吹は、彼らとの関係も捨て切れないだろうと思った。
(旭くんに、茜くんか。双子の兄弟とは、これから長いつきあいになりそうだな)
まだ若いふたりに、無理やり保険加入をすすめる必要はない。万が一の備えに興味があれば、向こうから質問をしてくるだろう。何事もタイミングが重要なのだ。
その晩、ひまわりの切り花を抱えて笑う旭が夢に登場した山吹は、冴えない頭で会社へ出勤した。
(結局、あれから音沙汰なしか。……まあ、いいさ。きょうは、茜くんのハンカチを返しにいこう。そのとき、なにか聞けるだろう)
私用の携帯電話をショルダーバッグのなかへしまい、事務所のホワイトボードの名前の横に[外出]のマグネットをつけると、会社支給の端末(携帯電話)を手にとり、近くのバス停から花屋へ向かった。
入社五年目の夏、灼けるような太陽の日射しに汗をかきながら外まわりの仕事をこなす山吹は、町はずれにあるフラワーショップ・フルブルームを訪ねるようになった。暑さに弱い植物を管理する花屋では、空調設備によって常に適温が保たれている。
「ごめんください」
山吹が到着したとき、道路に面する窓に[準備中/WELCOME]のプレートが吊りさげてあった。一瞬(どっちだ?)と首を傾げたが、出入口の鍵はあいており、片側をスライドして顔をだす。
「ユウタロウさん、こんにちは」
作業台で仕入れ伝票の整理をしていた茜は、いつもぶかぶかのシャツを着ている。店内に兄の姿はない。はいってすぐ視線を泳がせた山吹に、「兄にご用ですか?」と訊く。山吹は作業台へ近づき、「ちがうよ」と小さく首をふった。
「きょうは、きみに用事があってきたんだ」
「ぼくに?」
「ああ、これを。遅くなってすまない」
ショルダーバッグから無地のハンカチを取りだして「どうもありがとう」と持ち主へ手渡す山吹に、茜は、くすッと笑ってみせた。
「もしかして、わざわざ届けにきてくださったんですか? かえでおばあちゃんなら、きょうはデイサービスの日なので、夕方まで留守にしていますが……」
「そうか。では、よろしく伝えてくれ。なにかあれば、いつでも相談に乗りますと」
「はい、わかりました。かならずお伝えします」
クーラーの風で、何枚かの伝票がひらりと足もとへ落ちた。山吹が拾うと、茜は申しわけなさそうな顔をして受けとり、なにか云い澱んだ。
「どうかしたのかい」
「……い、いえ、べつに」
「遠慮せずに云ってご覧」
会話を促されて「はい」とうなずく茜は、少し考えてから山吹を見据えた。
「きのう、兄と外食されたそうですね」
「ああ、駅前のフルーツパーラーでランチの約束をしたんだ(なんだ、そのことが気になるのか?)」
「兄のことだから、ユウタロウさんの都合などお構いなしで、強引に誘われたりしませんでしたか?」
「そうでもないよ。旭くんには、お得意さま用の花束をつつんでもらったとき、おれの不手際があって、迷惑をかけてしまったんだ。そのお詫びもかねて、ランチをごちそうする予定だった」
旭は、注文した料理をほとんど食べずに退出したが、そのあたりの説明は省略しておく。相手の事情が不明瞭につき、旭とも話がしたいと思った山吹は、奥の階段へ目を留めた。
(やけに静かだな。旭くんは、家にはいないのか……)
店内に音楽は流れておらず、二階の居住空間から物音は響いてこない。不在の人物を探して視線が落ちつかない山吹を見た茜は、ほんの少し眉を寄せた。気を悪くしたようすでうつむき、「変ですね」とつぶやく。
「変とは?」
「兄は、週に三日、よそでアルバイトをしているんです。きのうはシフトがはいっていたはずなのに、ユウタロウさんとランチだなんて、そんなこと、急にできるものでしょうか……」
(なんだって? そいつは初耳だぞ)
なにも知らず、店員に案内されて窓ぎわの席に坐った山吹は、ようやく、旭が逃げるように店を出ていった理由に合点がいく。おそらく、目撃されては困る関係者が、舗道を歩いていたのではないか。
(バイトをサボってランチとは、さすがに見つかったらまずいだろうしな)
現在、高齢の祖母は年金暮らしである。花屋の仕入れや管理を担当する茜とはべつに、生活費を稼ぐ目的でアルバイトを始めた旭は、週に三日ほど働きにでていた。のちに判明するが、イケメンのシェフがいる高級レストランである。
(まさか、なにかトラブルが発生したのか? なにも知らなかったとはいえ、おれにも関係ある話だから心配だな。だいじょうぶだろうか、旭くんは……)
社会人として少なからず責任を感じる山吹は、旭の現状を懸念した。ひとまず、茜にバイト先の情報を教わり、花屋をあとにした。
❃つづく
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