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続・Hな雰囲気
しおりを挟むアルバイト先のレストランで、石蕗紫信というシェフに肉体関係を迫られる旭は、一刻も早く好きなひとに抱かれ、既成事実を手に入れたかった。むろん、相手は誰でもいいわけではない。そんなとき、山吹と出逢って心が動いたのは、旭だけの特別な感情である。
「ユウタ……ユウタ……、んぁぁっ」
「どんな夢をみているんだろうか」
アパートでひとり暮らしをする山吹は、顔を洗ってカミソリで髭を剃ったあと、ベッドの上で囈言のような息を洩らす旭を見おろした。
(無邪気な寝顔だな。こっちは神経がすり減って、おまけに肩まで凝っている……)
ようやく連絡をよこしたかと思えば、会社の駐車場で待ち構え、さらには部屋へ泊まりこんだ挙句、全裸で歩きまわり「ユウタが好き」と告白した。
山吹は小さく溜め息を吐くと、台所で朝食の準備を始めた。パンの焼けるにおいで目をさました旭は、ごそごそと起きあがり、トイレに向かう。アパートの室内はひろくないので、間取りは覚えやすかった。洗面台で顔を洗い、ぼんやりとした頭でもどってくると、「おはよう」という山吹を見て、「げっ」と声をあげた。
「ちょっとやばいンだけど」
「やばいとは?(朝からまた、妙なことを云いだしたな)」
食器棚から皿を取りだす山吹は、細縁の眼鏡をかけている。早速、旭に指摘された。
「なんだよ、その眼鏡。今まで、かけてなかったじゃん。反則だぞ」
「ああ、これかい? いつもはコンタクトレンズなんだ。今朝はまだ、仕度前で……(旭くんにとって、眼鏡は反則なのか。以後、気をつけるとしよう)」
両手に皿を持つ山吹は、裸足で歩み寄る旭へ躰を向けると、首筋に腕をまわされて前傾姿勢になった瞬間、むにゅっ、と唇を押しつけられた。
(うっ、またか。いきなりは心臓に悪いな。しかし、きのうも思ったが、旭くんはキスが下手だな……)
「ん……、ユウタ……。おれ、きのうよりもっと、ユウタのことが好きになってる、どうしよう、とまらない……」
「そう急がなくても、時間なら充分あるだろう。おれは、どこへも行かないよ」
受け身でありながら、旭は積極的な態度を示す。いわゆる、誘われていると感じる山吹は、自制が要された。至近距離で見つめあう旭は、山吹の黒い眼に映るじぶんの物欲しげな表情を見て、ほんの少し眉をひそめた。
「……時間の問題じゃない。おれは、好きな男に抱かれてみたいって、そう思うだけだ。ユウタとエッチしたら、どんなふうに感じるのか、それが早く知りたくて、こんなキスだけじゃ、物足りないんだよ」
「旭くんは、欲求不満のようだね。その件に関しては、返事に猶予をもらっているはずだ。……さあ、パンが焦げてしまうよ。椅子に坐ってくれ」
旭は、本気で男に抱かれたいと思っている。朝から無遠慮な話題だが、彼の好意を拒絶するほど、山吹は軽率ではいられない。仕度を整えると、部屋の合鍵をテーブルの端へ置いた。
「ゆっくり話せず、すまない。電車に乗り遅れてしまうから、おれは先に行くよ。着がえは洗濯してあとで届けるから、きみは、おれの服を着て帰るといい」
「オーケー。これって、スペアだよな。玄関の鍵を締めたあと、どこに返せばいいんだ?」
「しばらくきみに預けておくよ」
「え、マジで?」
「失くさないようにね」
財布からタクシー代の紙幣を抜きとる山吹は、旭に手渡すと会社へ出勤した。合鍵をながめる顔がニヤけてしまう旭は、山吹との関係が進展した現実に大満足した。
「やったぜ。合鍵さえあれば、いつでもユウタの部屋にはいれる!」
山吹の生活空間でくつろいだ旭は、ルームウェアを拝借して部屋をでた。云われたとおり、タクシーを呼んで花屋へ帰宅する。弟の茜は一階にいて、切り花に新しい水を差していた。
「兄さん、おかえりなさい」
「……よ、ただいま」
「その服、誰の?」
「べつに誰のでもいいだろ」
「よくないよ。きのうは、どこに泊まったの。もし、危険な遊びをしていたら、今すぐやめて」
「なにも危険じゃねぇし、おれが、おまえに迷惑をかけたことあったかよ」
「……ないけど、ぼくは兄さんが心配なんだ。朝帰りするなんて、まるで不良じゃないか」
「うるせぇなぁ。きのうは、ユウタのアパートに泊まったンだよ。このルームウェアも、あいつのだ」
「ユウタって……、まさか、保険会社のユウタロウさん?」
「そのまさかだよ。ほら、あいつの部屋の合鍵も持ってるぜ」
「嘘だ……、兄さんとユウタロウさんが、いつからそんな関係に……」
愕然となる弟の反応は、少し意外だった。旭は、「おまえも、ユウタが好きなのか?」と訊く。わかりやすく青ざめて当惑する茜は、小さく首をふった。
「ふうん、そうなんだ。……おれ、近いうちにユウタとセックスする予定だけど、そんなに好きなら、おまえも誘惑してみれば? おれらって双子だし、両手に花ってのも悪くないかもな」
「や、やめて。なんてこと云うの」
「おとなしくしてたって、あいつは手にはいらないって教えてやったンだ。おれは、おまえの気持ちに遠慮なんかしない。ほしいものは、ずっと昔から、なにも変わっちゃいねぇんだ」
「兄さん、ぼくは……」
「じゃあな、店番よろしく」
合鍵をちらつかせて階段をのぼる旭は、会話を中断して姿を消した。突然の状況に驚きの表情を隠せない茜は、山吹の気立てのよさを認めている。
「……ユウタロウさんは、まじめでやさしいひとだから、兄さんが傷つかないように、うまくつきあってあげているんだ。きっと、そうにきまってる。……かえでおばあちゃんがお世話になっているのに、困らせないでほしいや」
今すぐ身内の非礼を詫びたい気分になる茜だが、芽生えたばかりの感情を指摘され、うろたえた。
「ぼくだって、ユウタロウさんのこと……」
偶然か必然か。花屋の双子は、ひとりの男に心がゆさぶられていた。
❃つづく
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