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スーツの下の化けの皮
第18話
しおりを挟む「そんなに、泣くほどのことかい?」
幸田がハンカチを差しだすと、姫季は「ごめん。オーバーだよな」と云って受け取り、涙を拭いた。幸田のほうから交際宣言をした以上、何事も親身に寄り添うべきである。男と付き合った経験はないが、姫季に好感を持てる幸田は、微笑した。
「それで? 仮縫いを見せてもらったわけだが、これから俺は、どうすればいいんだ」
「……あ、それじゃあ、こっちのシャツだけど、好きな布地を選んで」
生地のサンプルカットを渡された幸田は、実際の手触りをたしかめた。
「……どれも大差がない気もするが、きみの意見を聞いてもいいか」
「オーケー。今、幸田さんがジャケットの下に着てるシャツは、この前といっしょでブロードだよな。それって、比較的細い糸で織ってあるんだけど、朱子織とかは、通常経糸が多く表にでるから、シャツに光沢がでるんだ」
姫季の説明を元に、シャツとパンツの生地を選んだ幸田は、腕時計へ視線を落とした。長話に及び、昼食の時間が、とうに過ぎている。互いに空腹だったが、そんなことに気を取られる余裕は生じなかった。今さらのように幸田の腹が鳴ると、姫季が顔をあげた。
「もう、こんな時間? ごめん、昼飯、なにも用意してないや……」
「出前でもとるか」
「いいね。ハンバーガーとか?」
「それでは味気ないだろう」
「幸田さんって、ジャンクフードはきらい?」
「きらいではないが、きょうは寿司にしよう。記念日だからね」
「記念? ……なんの」
幸田が口の端を浮かせて笑みをつくると、姫季は「あ」といって、壁掛けのカレンダーへ目を留めた。
「そうか……。きょうは、おれと幸田さんが付き合うことになった、特別な日だった。さすがに、最初の食事がハンバーガーじゃ、味気ないよな。じゃあ、寿司を注文するから、ちょっと待ってて」
「会計はすべて俺にまわすこと。きみは俺の恋人なのだから、割勘はなしだ」
「……わ、わかった。そうする」
恋仲へと発展した幸田の口調は、いくらか強気に変化している。姫季は、自ら望んで手に入れた結果でありながら、大人の男性が無自覚のうちに醸しだす適応能力に、心が揺さぶられた。
✰つづく
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