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王領にて
第52話
しおりを挟む王侯貴族の社交界に関心はないリツェルだが、晩餐会の食卓にならぶ料理の数々に興味を示した。
「リツェルくん?」
「グレリオといっしょなら、おれ、行ってもいいかも……」
「そう……。では、発つ日の連絡を待ちたまえ。ゆく先がむずかしいとしても、後悔しないようにね」
「ん……?(なんだって? うまく聞き取れなかった……)」
ふたたび歩きだす辺境伯にしたがって庭を散策するリツェルは、厭な夢だけでなく、グレリオの腕に抱かれて悦がる自分の姿を想像して当惑した。賢く澄みやかな青年に育ってほしいと願うグレリオと、リツェルの気持ちには少し距離がある。風が疾りすぎてゆく庭を、ふたりは黙々と歩いた。
「グレリオ、また弁当を持ってきてもいいか? ときどき、こうしていっしょに食べようぜ」
「私の躰が空くときはね」
「……うん。突然きて、ごめん。次からは連絡する。騎士団の宿舎に伝書鳩がいるんだ。グレリオのところまで、おれの手紙を運んでくれるかな?」
帰巣本能という特性を活かして利用されるカワラバトは、人間が訓練をして改良した歴史をもち、重要な報せを遠隔地へ運ぶことができた。薄い紙に書いた通信文を足に括りつけて飛ばし、長距離を短時間で移動する。グレリオの邸宅にも鳩小屋があり、ジョセフが世話をしていた。伝書鳩が運搬するものは書状だけとはかぎらず、廃止されるまで通信手段として活躍した。
グレリオの邸宅は高台にあり、山裾の起伏にそってつづく緑濃い林野と、遠くには町の家並みが見える。騎士団の宿舎は、その町の先にあるため、残念ながら目視で確認することはできない。
「なあ、グレリオ。ベルナルド領は冬になると雪がふるのか?」
「ああ。屋根に積もるほどだよ」
リツェルの生まれた土地は温暖な気候につき、四季折々の変化は見られなかった。いっぽう、険しい山脈が連なる国境地帯の冬は厳しい寒さに見舞われるため、村人たちは夏のうちに薪割りを始める。騎士団の宿舎にも、大きな煖炉がそなわっていた。
「おれ、ここに来れてよかった。知らない景色がたくさんあって、毎日があっという間に過ぎていく」
「充実しているようでなによりだよ」
「……ほんの少し、足りないものがあるけれど」
「なにかな」
「云ったら、呉れる?」
「常識の範囲でたのむよ」
「常識? おれの常識は、グレリオには通用しないかも……」
「それは悩ましいな」
なにもかも、相手が望むものをあたえるだけが辺境伯の役目ではない。思案顔になるグレリオに、リツェルは思いきって飛びついた。正面から受けとめてくれる腕にすがりつき、しばらくグレリオの胸もとへ顔を埋めた。安定した息づかいと心臓の音に耳を澄ませるうち、ふれるだけでは満足できない欲がでた。首をのばすリツェルの唇を避ける余裕はあったが、グレリオは顔を背けなかった。それどころか、青年の腰を引き寄せ、口づけの主導権を奪う。
「……グ……レリオ……! んっ、んぁっ!」
「足りないものとは、いったいなにかな。云ってご覧」
「……っ!? な、なんで今……それを……、あっ! グレリオ! やっ……!(やばい! すげぇ、気持ちいい!)」
軽く唇を浮かせてリツェルの呼吸をさまたげないグレリオは、ふれるだけの接吻をくり返した。頭がクラクラして躰を支える力が抜け落ちるリツェルは、グレリオに抱きかかえられて草むらの上に寝そべった。
「……も……う……終わり……?」
リツェルの期待に応えるかたちで、グレリオが顔を近づけてくる。こんどは、互いに舌を絡めて深い口づけにおよぶ。しあわせなぬくもりをあたえられたリツェルは、恍惚の表情を浮かべてグレリオと見つめ合った。
「どうかな。これで不足は補えたかい」
「……じ、じゅうぶんすぎるほど」
「それはよかった」
「グレリオ……、なんで……」
「きみを助けたいと思うのは、私の勝手だからね」
「……助け……?(それだけの理由?)」
手足に力がはいらないリツェルは、昂ぶった感情をおさめようとして、青空をながめた。グレリオの接吻を受けた直後の躰は、反応を示す寸前だ。ひとりだけ興奮しても意味がない。グレリオの冷静な横顔が眸にうつると、リツェルは話しかける糸口を見失った。……こんなことされたら、おれは!
グレリオに望むものは、ただひとつ。手にはいりそうもないと断念するには、まだ早い。
《つづく》
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