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4章 勇者の姉の意地
墓地での襲撃
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ちょうど鉄柵の門を抜けるところで、白壁の内側に広がる庭園が見える。その合間に白い柱がいくつも立っている。
やがて馬車が止まった。
扉を開けてもらった伊織は、傍にいたフレイの手を借りて馬車から降り立つ。そのまま息をのんで、辺りをぐるりと見回した。
「王様のお墓って、広いのね……」
何百メートルあるのだろう。遙か前方に白い教会みたいな建物がある。さきほど通った門までも同じくらいだ。一面同じような庭園になっていて、等間隔に並んだ白い柱がどこかの遺跡みたいな雰囲気を感じさせる。
「あの奥にある聖堂が王家の陵墓。この柱の一本一本が、王家に仕えた者のための墓です」
「柱が?」
フレイが説明をしてくれる。
つないだままだった手を、フレイが一瞬握ろうとしてすぐに離した。
「ここに眠ることを許されたのは、王国を支え続ける礎を築いた者。その意味を込めて柱を作るのです」
見上げても、フレイの表情は変わっていなかった。今のはなんだったのだろうと首を傾げながら、伊織は視線を戻した。
「母のお墓は?」
「あちらになります」
先導してくれるフレイは、いつも以上に淡々としている気がした。が、とりあえず母の事を優先する。
アルヴィンや他の騎士達に囲まれた伊織は、一本の柱の前に立つ。
太陽の向きから考えて南に正面を向けた聖堂。そこに向かって左側。その列には他に柱がないことから、母の墓が一番新しいものなのだということがわかる。
自分の身長の何倍もある柱の足下には、なめらかな白い石のプレート。掘られた文字は、母が教えてくれたこの世界の文字だった。
『異世界へ渡り勇者を育んだミア・サクラ・エクダールここに眠る』
元の世界では佐倉深亜と名乗っていた母。
幼い頃から、故郷のことを語ってくれた。いつかは帰りたい。そして自分が帰れなかったとしても、子供達が訪れる事もあるかもしれないからと、異世界の文字を教えてくれた。
「ずっと、夢だったもんね」
どんなに父が愛してくれていても、母にとってあの世界は生きにくい場所だったようだ。今この世界に来てしみじみとわかる。ここと、伊織たちの世界は違い過ぎるのだ。文化も。考え方も。
きっと故郷の土に帰れて、母はほっとしているだろう。
でも。もうほんの少しでもいい。もっと故郷の空気を吸って、懐かしい人達と笑い合って、この世界が初めてだった悠樹を見守っていられる時間を過ごしてほしかった。
自分が、きちんと話していさえすれば……。
伊織は唇を噛みながら、ルヴィーサの渡してくれた花輪を手向ける。そのついでに、母の名前が刻まれたプレートに手を触れた。
大理石みたいなつるりとした感触。
手を当てた場所に自分の体温が移るのを待たず、伊織は立ち上がった。
「もういいのか?」
まだゆっくりしていてもいい。アルヴィンの声には、そんなニュアンスが込められている気がした。
伊織はうなずく。
「いいの。今はそれほどゆっくりしていられないでしょう? 何も心配がなくなった頃に、悠樹にお願いして呼んでもらうつもりなの。その時にもう一度……」
不意に指先が寂しくて、首にかけていたお守りの青い石を握る。そのとたんに、伊織は言葉を止めた。
脳裏をよぎった、地面ににじむ血のイメージ。
――まさか。
そう思った時には、もう遅かった。
大きな羽ばたきが聞こえたかと思うと、空から降り注いでくるものがある。
それが矢だと認識できたのは、自分の腕を矢がかすった後だ。
「イオリ!」
傍にいたアルヴィンが庇い、そして有無を言わせず走らされる。
周りは大騒ぎだった。地上の敵が相手ならば、ここにいる護衛の誰もが自信を持って対応できたに違いない。しかし相手は空だ。
太陽の下を飛び回る影は三つ。地上の騎士達は、敵を見上げて右往左往するしかない。
「早く乗れ!」
目の前にせまる馬車の入り口。伊織は背中を押されるまま、飛び込むように中へ潜り込んだ。すぐに馬車の扉が閉じられる。
「いった……」
馬車の床に倒れ込んだ伊織は、ステップの段に打ち付けた足をさすろうと起き上がった。
が、馬車が急発進してもう一度転がる。
「……くぅっ」
文句は言えない。とにかく自分は戦えるわけでも、すばしっこく逃げられるわけでもないのだ。
再度起き上がって、座席に落ち着く。
足を確認すると、案の定打ち身になっていた。と、自分の腕を伝う赤い筋にようやく気づく。矢がかすった場所から血が流れてきてる。何か巻いて血止しなくては。
しかしその暇すらなかった。
「………っ!」
震動と共に馬車の天井を貫いて顔を出した鉄の矢じり。
次いで息を飲んだ伊織を乗せたまま、馬車ががくんと左側に傾き、何かにぶつかった。
衝撃で馬車の前方座席に跳ね飛ばされる。
今度は肩を打った。傷口にも響く。痛い。
立て続けに怪我をして、馬車のなかでシェイクされ、伊織は頭が真っ白になっていた。だからアルヴィンが来てくれなければ、そこから逃げ出すことさえ思いつかなかっただろう。
「イオリ! 来い!」
声に振り向けば、差し伸べられた手とアルヴィンの真剣な顔が見えた。
伊織は無我夢中で彼に向って手を伸ばした。引き寄せられ、馬車から出ようとしたところで足が持ち上がる。
着地と共に、アルヴィンが伊織を抱えたままその場に伏せた。
アルヴィンの肩越しに空を見上げた伊織は、羽ばたく大きな白い翼と、持ち上げられていく馬車の姿を見つけて声も出なかった。
大きな鳥の足に掴まれて、馬車が宙に浮いてる……。
呆然とした伊織だったが、すぐに「立て!」と促され、ひきずられるように林の中へと移動した。
背後で大きな音が聞こえた。建物を壊す時みたいな、おそらくは馬車を落とした音。
逃げ出した伊織を見て、標的が乗っていない馬車など必要なくなったのだ。
アルヴィンはなおも林の奥へ走り続ける。
いつの間にかフレイも傍にいて、もっと向こうには騎馬の姿も見えた。
「フレイ、伏兵はまだか!」
「申し訳ありません、もう少し先に配置しております。この騒ぎを聞けばすぐに移動してくるはずですが……」
アルヴィンの焦りの滲む問いに、冷静に答えるフレイ。
その時、再び幻影が伊織の目の前をよぎった。
急に視界が広がって、林の中を広く俯瞰する。その先には複数の人影。
十人ぐらい?
さっきまで護衛してくれていた近衛騎士とは違う服装だ。彼らに囲まれて、防戦一方になったフレイとアルヴィンの姿が見える。
「止まって!」
思わず叫んだ伊織は、自分が足を止めかけていたことに気づいていなかった。アルヴィンにひっぱられて転びそうになる。
危ういところでアルヴィンに受け止められながら、急いで告げた。
「この先に敵が……」
「まさか、先日のように見えたのですか?」
驚くフレイが周囲に視線を走らせる。
その緊張した面持ちを見て、息が切れて咳き込みそうになったが、伊織はぐっとこらえた。
アルヴィンは何も言わず、伊織を近くの木にもたれさせてくれた。そして剣を抜く。
「フレイ」
アルヴィンにフレイがうなずく。
「包囲されるのだけは避けられたようです。イオリ殿はそこを動かれませんように」
その声を合図に、前方から走ってくる者達の姿が見えた。
さっきの幻の通り、少なくとも十人はいる。よれた朽葉色の胴衣を着て、剣を手にしている。
生身の人間が、抜き身の剣を持って迫ってくる威圧感に、伊織は声を無くした。無意識に身体が震える。
フレイは向かってきた相手を横凪ぎの一閃で切り裂いた。
血しぶきに伊織が思わず目をそらすと、アルヴィンがそこにいた。アルヴィンもまた向かってきた一人の剣をはじき、相手の懐に飛び込んで倒す。
剣がぶつかり合う音、相手のうめき声。
思わず耳をふさいでしまったが、目だけは開けていた。
何も見たくなかった。けど、自分のために戦っているのだと思うと、見届けなければならない気がした。でないと自分を守るために戦っているアルヴィンやフレイに、顔向けできない。
血の色が空中を舞う。
その時、三度目の妙な感覚が伊織の脳髄を震わせる。
空から振る銀の筋。陽光を反射する矢じりが、フレイに突き刺さるイメージ。
――危ない。
伊織はパニックになりながらも、何か無いかと手を地面に彷徨わせた。石と木の枝を掴んで、名前を呼ぶ。
「フレイさん避けて!」
フレイは振り向きもせず右に立ち位置をずらした。その間を埋めるように伊織は石を投げつける。自分のへなちょこ遠投では敵に当たらない。けれどそれでもよかった。
フレイをめがけて飛んできた矢が、伊織の石を避けた敵の足に突き刺さった。
呻く敵をフレイが屠る。
地面に倒れた敵は、目を見開いたままだ。その視線が自分に向いた気がして、体が震えた。
そして何度目かの背筋を駆け上るような感覚。
今度は地面に吸い込まれる血の幻影と共に、伊織の意識は暗転していった。
やがて馬車が止まった。
扉を開けてもらった伊織は、傍にいたフレイの手を借りて馬車から降り立つ。そのまま息をのんで、辺りをぐるりと見回した。
「王様のお墓って、広いのね……」
何百メートルあるのだろう。遙か前方に白い教会みたいな建物がある。さきほど通った門までも同じくらいだ。一面同じような庭園になっていて、等間隔に並んだ白い柱がどこかの遺跡みたいな雰囲気を感じさせる。
「あの奥にある聖堂が王家の陵墓。この柱の一本一本が、王家に仕えた者のための墓です」
「柱が?」
フレイが説明をしてくれる。
つないだままだった手を、フレイが一瞬握ろうとしてすぐに離した。
「ここに眠ることを許されたのは、王国を支え続ける礎を築いた者。その意味を込めて柱を作るのです」
見上げても、フレイの表情は変わっていなかった。今のはなんだったのだろうと首を傾げながら、伊織は視線を戻した。
「母のお墓は?」
「あちらになります」
先導してくれるフレイは、いつも以上に淡々としている気がした。が、とりあえず母の事を優先する。
アルヴィンや他の騎士達に囲まれた伊織は、一本の柱の前に立つ。
太陽の向きから考えて南に正面を向けた聖堂。そこに向かって左側。その列には他に柱がないことから、母の墓が一番新しいものなのだということがわかる。
自分の身長の何倍もある柱の足下には、なめらかな白い石のプレート。掘られた文字は、母が教えてくれたこの世界の文字だった。
『異世界へ渡り勇者を育んだミア・サクラ・エクダールここに眠る』
元の世界では佐倉深亜と名乗っていた母。
幼い頃から、故郷のことを語ってくれた。いつかは帰りたい。そして自分が帰れなかったとしても、子供達が訪れる事もあるかもしれないからと、異世界の文字を教えてくれた。
「ずっと、夢だったもんね」
どんなに父が愛してくれていても、母にとってあの世界は生きにくい場所だったようだ。今この世界に来てしみじみとわかる。ここと、伊織たちの世界は違い過ぎるのだ。文化も。考え方も。
きっと故郷の土に帰れて、母はほっとしているだろう。
でも。もうほんの少しでもいい。もっと故郷の空気を吸って、懐かしい人達と笑い合って、この世界が初めてだった悠樹を見守っていられる時間を過ごしてほしかった。
自分が、きちんと話していさえすれば……。
伊織は唇を噛みながら、ルヴィーサの渡してくれた花輪を手向ける。そのついでに、母の名前が刻まれたプレートに手を触れた。
大理石みたいなつるりとした感触。
手を当てた場所に自分の体温が移るのを待たず、伊織は立ち上がった。
「もういいのか?」
まだゆっくりしていてもいい。アルヴィンの声には、そんなニュアンスが込められている気がした。
伊織はうなずく。
「いいの。今はそれほどゆっくりしていられないでしょう? 何も心配がなくなった頃に、悠樹にお願いして呼んでもらうつもりなの。その時にもう一度……」
不意に指先が寂しくて、首にかけていたお守りの青い石を握る。そのとたんに、伊織は言葉を止めた。
脳裏をよぎった、地面ににじむ血のイメージ。
――まさか。
そう思った時には、もう遅かった。
大きな羽ばたきが聞こえたかと思うと、空から降り注いでくるものがある。
それが矢だと認識できたのは、自分の腕を矢がかすった後だ。
「イオリ!」
傍にいたアルヴィンが庇い、そして有無を言わせず走らされる。
周りは大騒ぎだった。地上の敵が相手ならば、ここにいる護衛の誰もが自信を持って対応できたに違いない。しかし相手は空だ。
太陽の下を飛び回る影は三つ。地上の騎士達は、敵を見上げて右往左往するしかない。
「早く乗れ!」
目の前にせまる馬車の入り口。伊織は背中を押されるまま、飛び込むように中へ潜り込んだ。すぐに馬車の扉が閉じられる。
「いった……」
馬車の床に倒れ込んだ伊織は、ステップの段に打ち付けた足をさすろうと起き上がった。
が、馬車が急発進してもう一度転がる。
「……くぅっ」
文句は言えない。とにかく自分は戦えるわけでも、すばしっこく逃げられるわけでもないのだ。
再度起き上がって、座席に落ち着く。
足を確認すると、案の定打ち身になっていた。と、自分の腕を伝う赤い筋にようやく気づく。矢がかすった場所から血が流れてきてる。何か巻いて血止しなくては。
しかしその暇すらなかった。
「………っ!」
震動と共に馬車の天井を貫いて顔を出した鉄の矢じり。
次いで息を飲んだ伊織を乗せたまま、馬車ががくんと左側に傾き、何かにぶつかった。
衝撃で馬車の前方座席に跳ね飛ばされる。
今度は肩を打った。傷口にも響く。痛い。
立て続けに怪我をして、馬車のなかでシェイクされ、伊織は頭が真っ白になっていた。だからアルヴィンが来てくれなければ、そこから逃げ出すことさえ思いつかなかっただろう。
「イオリ! 来い!」
声に振り向けば、差し伸べられた手とアルヴィンの真剣な顔が見えた。
伊織は無我夢中で彼に向って手を伸ばした。引き寄せられ、馬車から出ようとしたところで足が持ち上がる。
着地と共に、アルヴィンが伊織を抱えたままその場に伏せた。
アルヴィンの肩越しに空を見上げた伊織は、羽ばたく大きな白い翼と、持ち上げられていく馬車の姿を見つけて声も出なかった。
大きな鳥の足に掴まれて、馬車が宙に浮いてる……。
呆然とした伊織だったが、すぐに「立て!」と促され、ひきずられるように林の中へと移動した。
背後で大きな音が聞こえた。建物を壊す時みたいな、おそらくは馬車を落とした音。
逃げ出した伊織を見て、標的が乗っていない馬車など必要なくなったのだ。
アルヴィンはなおも林の奥へ走り続ける。
いつの間にかフレイも傍にいて、もっと向こうには騎馬の姿も見えた。
「フレイ、伏兵はまだか!」
「申し訳ありません、もう少し先に配置しております。この騒ぎを聞けばすぐに移動してくるはずですが……」
アルヴィンの焦りの滲む問いに、冷静に答えるフレイ。
その時、再び幻影が伊織の目の前をよぎった。
急に視界が広がって、林の中を広く俯瞰する。その先には複数の人影。
十人ぐらい?
さっきまで護衛してくれていた近衛騎士とは違う服装だ。彼らに囲まれて、防戦一方になったフレイとアルヴィンの姿が見える。
「止まって!」
思わず叫んだ伊織は、自分が足を止めかけていたことに気づいていなかった。アルヴィンにひっぱられて転びそうになる。
危ういところでアルヴィンに受け止められながら、急いで告げた。
「この先に敵が……」
「まさか、先日のように見えたのですか?」
驚くフレイが周囲に視線を走らせる。
その緊張した面持ちを見て、息が切れて咳き込みそうになったが、伊織はぐっとこらえた。
アルヴィンは何も言わず、伊織を近くの木にもたれさせてくれた。そして剣を抜く。
「フレイ」
アルヴィンにフレイがうなずく。
「包囲されるのだけは避けられたようです。イオリ殿はそこを動かれませんように」
その声を合図に、前方から走ってくる者達の姿が見えた。
さっきの幻の通り、少なくとも十人はいる。よれた朽葉色の胴衣を着て、剣を手にしている。
生身の人間が、抜き身の剣を持って迫ってくる威圧感に、伊織は声を無くした。無意識に身体が震える。
フレイは向かってきた相手を横凪ぎの一閃で切り裂いた。
血しぶきに伊織が思わず目をそらすと、アルヴィンがそこにいた。アルヴィンもまた向かってきた一人の剣をはじき、相手の懐に飛び込んで倒す。
剣がぶつかり合う音、相手のうめき声。
思わず耳をふさいでしまったが、目だけは開けていた。
何も見たくなかった。けど、自分のために戦っているのだと思うと、見届けなければならない気がした。でないと自分を守るために戦っているアルヴィンやフレイに、顔向けできない。
血の色が空中を舞う。
その時、三度目の妙な感覚が伊織の脳髄を震わせる。
空から振る銀の筋。陽光を反射する矢じりが、フレイに突き刺さるイメージ。
――危ない。
伊織はパニックになりながらも、何か無いかと手を地面に彷徨わせた。石と木の枝を掴んで、名前を呼ぶ。
「フレイさん避けて!」
フレイは振り向きもせず右に立ち位置をずらした。その間を埋めるように伊織は石を投げつける。自分のへなちょこ遠投では敵に当たらない。けれどそれでもよかった。
フレイをめがけて飛んできた矢が、伊織の石を避けた敵の足に突き刺さった。
呻く敵をフレイが屠る。
地面に倒れた敵は、目を見開いたままだ。その視線が自分に向いた気がして、体が震えた。
そして何度目かの背筋を駆け上るような感覚。
今度は地面に吸い込まれる血の幻影と共に、伊織の意識は暗転していった。
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