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君は恋だった
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「ハル」
伸ばしかけの彼女の髪に手を伸ばす。やわらかなはずの春の日射しは、僕の目にはほんの少しだけ眩しすぎて、僕は思わず目をつむってしまう。
「 」
何か言いながら、彼女が僕の方を振り向く。今にも儚く溶けてしまいそうな声は、まるで本物の雪のようで。
洗い立ての髪の甘い香りがふわっと広がり、僕の胸の奥にあの頃の記憶を蘇らせた。
*
西暦22XX年4月。第三東京コロニーは壊滅した。直接的なきっかけは、前世紀から続く大規模な気候変動の結果としての海面上昇だった。
大幅な海面上昇は国家間の領土問題を深刻にし、それがきっかけで各地で戦争が頻発した。次第にエスカレートしていったそれはやがて世界大戦へと発展し、《戦略的に》使用された核兵器によって、僕たちの街は今後数世紀に渡り住むことができないほどの放射能汚染の被害を受けた。
政府は秘密裏に建設を進めていた大規模な地下都市である新東京コロニーを設立、全市民の三分の二がそこへ移住した。
「……なんて言われても、ピンとこないよね」
カフェテリアの丸テーブルに肘をつき、ため息を吐くのは僕の幼馴染のハルだ。
いつでも伸ばしかけのセミロングの髪は、学校ではきちんとゴムでまとめていて、透明感のある白い肌に、儚く溶けてしまいそうな高い声。
クラスメイトからは『白雪姫』なんてあだ名がついているけれど、よくわからない。
だって僕たちは、『雪』なんて、見たことがないからだ。
「ねえ、ユキはどう思う?」
「何が?」
ぶっきらぼうに、僕は答える。
「もう、全然話聞いてないんだから。さっきの歴史の授業の話」
「聞いてたよ。でも、そんなのもうずっと聞かされてきた話じゃん。僕たちが住んでる第四新東京コロニーは、ずーっと昔にご先祖様が作ったでっかい地下シェルターの中にあるってこと」
「うん、わかってるよ、それは。……でも、いまいちよくわからなくて、その、人工太陽? の仕組みっていうのが」
「ああ、ハルは物理苦手だもんね。ちょっとノート貸して……」
僕はハルのノートに簡単な計算式を走り書きしていく。
「まあ、だからつまりこれは、現在の科学の限界なんだ。人工太陽を維持するためには、《生命エネルギー》が必要だから……」
「うーん」
ハルは僕の説明にまだ不服そうだったけれど、下校時刻のチャイムが鳴ったから、僕たちは学校を後にする。
学校の外には『桜並木』があり、薄い色の花びらが舞っている。もちろんこれも人工物で、季節によってこの校門前の飾りは変化する。
今は『春』だから、春といえば『桜』だと、大昔の偉い人が決めたんだそうだ。
「ねえ、ちょっとだけ寄り道していかない?」
「いいけど、どこ行くの?」
「内緒。……いいから、ついて来て!」
ハルはそう言って走り出す。僕は慌てて彼女を追いかける。彼女はいつもこうなのだ。思いついたらすぐ行動、のおてんば娘。けして学校の皆んなが思っているような可憐な女の子なんかではない。
「ここって……」
走っていた彼女が突然止まった場所に近づくと、赤色のホログラムが現れて、警告文が表示される。あと一歩先に出れば、警報音が鳴り、僕らのIDからすぐ学校に通報されてしまうだろう。
「……わかってる。立入禁止区域だよね。ここから先は」
わかっていて、なんでこんなところに連れてくるんだろう。
そう思っているとハルは、僕が疑問を口にするよりも先に答える。
「でも、ここの木が一番、好きなんだよね」
頭上を指さしてそう言うけど、同じようにプログラムされているものに個体差んてあるものか、と僕は疑問だった。だけど指さす先にあったそれは、なるほど確かに、学校の桜並木のものよりも、ひと回り大きくて立派に感じた。
「それと、ここなら……誰にも見られないから」
彼女はそう続ける。薄茶色の瞳をきらきら輝かせて。
そんな風に真っ直ぐ見つめられると、顔が熱くなる。
「仕方ないな、もう」
甘い香りのする髪をよけ、目をつむる彼女の頬に手を当てて。
僕はいつものように、唇を落とした。
彼女と僕がそんなふうになったのは、まだ中学に入ったばかりの、やっぱり春のことだった。ハルは校庭の桜の木の下にわざわざ僕を呼び出して、僕に小さな紙を手渡してきた。
それは手紙だった。今まで聴いたことがないくらい小さな消えてしまいそうな声で、ハルは手紙と共に僕に想いを伝えてくれた。
なんだかすごく恥ずかしくて、その後はすぐに家に帰ってしまったのだけれど、僕もきちんと手紙に返事を書いた。しっかりと想いを込めて。
今思うと、隣同士の家に住んでいる僕たちがそんなことをするのも馬鹿げていると思うのだけれど、ハルとはその後もしばらく手紙でやりとりをしていた。
一日おきに、お互いの靴箱にこっそり手紙を忍ばせて。
どこで知ったやり方なのかわからないけれど、ハルがそうしたいと言ったのだ。
単にメッセージのやりとりなら、全市民に配布されている端末で簡単にできるけれど、IDと会話記録が全て残ってしまうから、確かに少しだけ恥ずかしい。
こういうとき、他の人たちがどうしているかなんてわからなかったけれど、とにかく僕たちは、貴重な紙資源をお互いの想いを伝えるためだけに消費していた。
中学一年の間は、そんなふうに人目を気にして手紙のやり取りをしていたけれど、中二の夏休みに入る頃には、ちらほらと僕たちみたいな関係の二人組を見かけるようになったから、僕たちも周りを気にせずに二人で行動できるようになった。
それ以来、特に冷やかされることもなく、孤立するわけでもなく、なんとなく僕たちはそういうものとして、周りからも扱われるようになっていた。
まるでずっと昔から約束していたみたいに、僕たちは惹かれあった。そう感じていた。
だけどその頃の僕にはまだ、ひとに『恋』をするということの意味がわかっていなかった。
いや、今だって、わかっていないかもしれない。
今も覚えているのが、夏のある日の夕方のことだ。今年十五歳になる全市民を対象に行われる《適性考査》を前に控えた大切な時期だからと、僕たちの学校では普段の授業にプラスして、特別授業がおこなわれていた。
将来を決めるための大事なテストを前に、そのことで頭がいっぱいの僕は、一緒に帰るハルが浮かない表情をしていることに気が付かなかった。
苦手な語学の勉強が気がかりで、うわの空の返事になっていた僕の手を、ハルは急に引っ張った。
「ハル……?」
「もう、ユキのばか! にぶちん!」
そう言って、ハルは僕の手に自分の指を絡めて、きゅっと握った。
急に怒られたことよりも、その熱い手の感触に僕は驚いた。
だけど。
「……もう、知らない!」
そう言ってハルはすぐに手を離してしまい、その後はほんのちょっとだけ離れて歩いた。
まだハルの体温が残っているせいか、離れているのに、僕の右手は熱かった。
「ハル」
しばらく離れて歩いて、家に着く直前の最後の曲がり角の前で、今度は僕がハルの手を取った。
「ごめんね」
そう言うとハルは歩みを止めて。
見ればハルの瞳は濡れて、いつも以上にキラキラしていて。
「目、つむって。眩しいから」
そんな言葉に頷きながら、素直に目を閉じたハルに、僕はそっと口付けた。
「……ユキ。大好きだよ」
いつのまにか目を開けたハルはそう言って、僕に抱きついてきて、そんな彼女の身体も、やっぱり熱かった。
暗くなり始めた空には、大きな音と共にカラフルな花がいつまでも咲き続けていて、胸の中がうるさいのも、きっとそのせいなんだと思った。
お互いに触れることの心地よさを知った僕たちは、それからまた、ほんの少しだけ、そばにいることが増えた。
適性考査で振り分けられて進学した先の高校でも、僕たちはやっぱり二人でいることが多かったけれど、やっぱりそれだけでは足りなくて。
たとえば今みたいに、人気のない場所を無理やり探して、こんなことをしたりして。
「ユキ、あのね」
何度目かの長い口づけのあとで、ハルは僕に手紙を渡してきた。
あのとき、みたいに。
「久しぶりだね。……今は読まないほうがいい?」
「ううん、今、読んでほしい」
それなら口で言ったらいい、などと思いそうになるけれど、それでもあえて書いたということは、ハルが口に出しにくいことなんだろう。
そう思って封を切り、中身を開く。パッと読んで僕はその意味に言葉をなくした。
心臓が、まるで氷の矢で貫かれたように、冷やっとした汗が流れ、息が止まりそうになる。
「これって……」
「うん、わたしね、《Amare》になるの。……見て」
そう言うとハルは、着ていた服の前ボタンをはだけさせる。
「ちょ、ちょっと……」
普通なら目につくはずの白い下着なんてどうでもよくなるほど目立つそれは、彼女の胸の中で光を放っていた。
その光はほんのり色づいた明るいピンク色で、ちょうど僕たちの頭上にある桜の花びらのようだった。
《Amare》–– 人工太陽。
僕たちの暮らす第四新東京コロニーの心臓と呼ばれるその機関は、この巨大な地下シェルターと汚染された地上のちょうど間にある。
もう誰も住んでない地上世界を見つめながら、地下の世界を明るく照らすエネルギーを作り出す存在。
その実態は、ヒトが持つ《生命エネルギー》の力を変換して、数千万人が住むこの第四新東京コロニーの電力を賄う装置だった。
《生命エネルギー》の生産者は誰でもいいわけではない。機械に組み込むために改造を施されるための元の肉体は、若く健康でなければならない。
まだ生殖をおこなわない年齢の、かつ、もう子供ではない年齢の人間が、その生産者として《適性考査》の結果で選ばれるのだ。
数百年にたった一人の犠牲者の力を借りて、数百万の命を生き永らえさせる。僕たちの世界はそういう仕組みになっている。
数百年に一人。そう、その一人に選ばれたのが、ハルなのだと言う。
「なんで……ハルなの」
僕は感情を抑えきれず、その場に膝をつく。
「わかんないよ、そんなの……」
ハルの目も潤んでいた。
「ハル……っ」
僕はハルを強く抱きしめる。
そして衝動のままに、再び彼女に口づけた。
長すぎる口づけは、身体を芯から熱くさせたけど、その先に踏み出す勇気を僕は持てなかった。
もし持てていたなら、この物語の結末は変わったんだろうか。
それも今となってはわからない。
僕がハルに手を出さなかったのは、それは別に僕が、ハルに欲望をぶつける勇気がなかったから、というわけじゃない。
結局のところ、僕は、この世界の数百万人の命を犠牲にする勇気がなかっただけだ。
『まだ生殖をおこなわない年齢の、かつ、もう子供ではない年齢の人間』、それが《Amare》の適合者になれる条件。
生殖行為をおこなうようになると、生命エネルギーを無駄に消費してしまうようになるから、というのがその理由らしい。
つまり、逆にいえば生殖行為をおこなってしまえば、ハルは《Amare》にならなくて済むということだ。
だけど、適合者はそうそう見つかるものではない。もしも現在の《Amare》が機能停止してしまう前に適合者が見つからなければ、それはつまり、このコロニーの数百万人が生命を維持できなくなる、ということを意味する。
僕はそれを、政府の決めたルールを、世界からの圧力を跳ね返す力もなければ、そうする意志を持つことすらできなかった。
どんな顔をしてハルを『好き』だなんて言えただろう。
結局のところ僕は、たった一人の大切な人すら守れない、臆病者でしかなかったのだ。
「ユキ、今までありがとう。もうこれで終わりにしなきゃ」
最後に僕の腕の中から出てきたハルがそう言って、空中で何かのサインをおこなうと、立入禁止区域へ続くゲートが開錠された。
中からは作業着姿の複数の人間が出てきて、ハルを連れて行く。
僕たちには、初めから逃げ場なんてなかったのだ。
こうしてハルは、齢十七歳にして、地上でたった一人でエネルギーを生み出し続ける、僕たちの《Amare》になった。
「大好きだよ、ユキ」
最後に発されたその言葉だけが今も、耳に残っている。
彼女は行ってしまった。
僕の胸に、永遠に解けない想いだけを残して。
*
それから一体どれくらいの日々を重ねただろうか。
科学技術の発展により、人類の寿命は大幅に伸びた。
人工臓器を何度も入れ替えた僕は、少なくともあれから三百年間は生き永らえている。
あの日からあらゆる努力を重ねて政府の中枢に近づき、この三百年、ひたすら研究に没頭した僕は、ついに《Amare》に代わる次のエネルギーシステムを生み出すことに成功した。
そして今日、用済みとなった《Amare》は、ついに解体される。
《Amare》の最先端、地上へと続く重い扉を開けると、そのあまりの眩しさに僕の目は途端に焼けついてしまった。
……もう何も視えない。
だけど、僕はそこにハルがいるのを感じた。
「ハル」
そう呼びかけると、空から冷たい何かが降ってきて、僕の頬は濡れた。
「これが、『雪』か……」
出会ってすぐに溶けて消えちゃうなんて恥ずかしがり屋、まるで誰かみたいだ。
手を伸ばすと、あの日の記憶が溢れ出す。
「待たせて、ごめんね」
『外の世界』は生身の僕にはあまりに冷たくて、凍えてしまいそうだったけど。
ハルがそこにいるから、不思議と平気だった。
「ユキ」
三百年の間、彼女のことだけを考えていた。
ありがとう。《Amare》。この地上でたった一人の、僕の恋人。
「大好きだよ」
微かに聴こえたその声で、凍りついていた心は、静かに解けていった。
伸ばしかけの彼女の髪に手を伸ばす。やわらかなはずの春の日射しは、僕の目にはほんの少しだけ眩しすぎて、僕は思わず目をつむってしまう。
「 」
何か言いながら、彼女が僕の方を振り向く。今にも儚く溶けてしまいそうな声は、まるで本物の雪のようで。
洗い立ての髪の甘い香りがふわっと広がり、僕の胸の奥にあの頃の記憶を蘇らせた。
*
西暦22XX年4月。第三東京コロニーは壊滅した。直接的なきっかけは、前世紀から続く大規模な気候変動の結果としての海面上昇だった。
大幅な海面上昇は国家間の領土問題を深刻にし、それがきっかけで各地で戦争が頻発した。次第にエスカレートしていったそれはやがて世界大戦へと発展し、《戦略的に》使用された核兵器によって、僕たちの街は今後数世紀に渡り住むことができないほどの放射能汚染の被害を受けた。
政府は秘密裏に建設を進めていた大規模な地下都市である新東京コロニーを設立、全市民の三分の二がそこへ移住した。
「……なんて言われても、ピンとこないよね」
カフェテリアの丸テーブルに肘をつき、ため息を吐くのは僕の幼馴染のハルだ。
いつでも伸ばしかけのセミロングの髪は、学校ではきちんとゴムでまとめていて、透明感のある白い肌に、儚く溶けてしまいそうな高い声。
クラスメイトからは『白雪姫』なんてあだ名がついているけれど、よくわからない。
だって僕たちは、『雪』なんて、見たことがないからだ。
「ねえ、ユキはどう思う?」
「何が?」
ぶっきらぼうに、僕は答える。
「もう、全然話聞いてないんだから。さっきの歴史の授業の話」
「聞いてたよ。でも、そんなのもうずっと聞かされてきた話じゃん。僕たちが住んでる第四新東京コロニーは、ずーっと昔にご先祖様が作ったでっかい地下シェルターの中にあるってこと」
「うん、わかってるよ、それは。……でも、いまいちよくわからなくて、その、人工太陽? の仕組みっていうのが」
「ああ、ハルは物理苦手だもんね。ちょっとノート貸して……」
僕はハルのノートに簡単な計算式を走り書きしていく。
「まあ、だからつまりこれは、現在の科学の限界なんだ。人工太陽を維持するためには、《生命エネルギー》が必要だから……」
「うーん」
ハルは僕の説明にまだ不服そうだったけれど、下校時刻のチャイムが鳴ったから、僕たちは学校を後にする。
学校の外には『桜並木』があり、薄い色の花びらが舞っている。もちろんこれも人工物で、季節によってこの校門前の飾りは変化する。
今は『春』だから、春といえば『桜』だと、大昔の偉い人が決めたんだそうだ。
「ねえ、ちょっとだけ寄り道していかない?」
「いいけど、どこ行くの?」
「内緒。……いいから、ついて来て!」
ハルはそう言って走り出す。僕は慌てて彼女を追いかける。彼女はいつもこうなのだ。思いついたらすぐ行動、のおてんば娘。けして学校の皆んなが思っているような可憐な女の子なんかではない。
「ここって……」
走っていた彼女が突然止まった場所に近づくと、赤色のホログラムが現れて、警告文が表示される。あと一歩先に出れば、警報音が鳴り、僕らのIDからすぐ学校に通報されてしまうだろう。
「……わかってる。立入禁止区域だよね。ここから先は」
わかっていて、なんでこんなところに連れてくるんだろう。
そう思っているとハルは、僕が疑問を口にするよりも先に答える。
「でも、ここの木が一番、好きなんだよね」
頭上を指さしてそう言うけど、同じようにプログラムされているものに個体差んてあるものか、と僕は疑問だった。だけど指さす先にあったそれは、なるほど確かに、学校の桜並木のものよりも、ひと回り大きくて立派に感じた。
「それと、ここなら……誰にも見られないから」
彼女はそう続ける。薄茶色の瞳をきらきら輝かせて。
そんな風に真っ直ぐ見つめられると、顔が熱くなる。
「仕方ないな、もう」
甘い香りのする髪をよけ、目をつむる彼女の頬に手を当てて。
僕はいつものように、唇を落とした。
彼女と僕がそんなふうになったのは、まだ中学に入ったばかりの、やっぱり春のことだった。ハルは校庭の桜の木の下にわざわざ僕を呼び出して、僕に小さな紙を手渡してきた。
それは手紙だった。今まで聴いたことがないくらい小さな消えてしまいそうな声で、ハルは手紙と共に僕に想いを伝えてくれた。
なんだかすごく恥ずかしくて、その後はすぐに家に帰ってしまったのだけれど、僕もきちんと手紙に返事を書いた。しっかりと想いを込めて。
今思うと、隣同士の家に住んでいる僕たちがそんなことをするのも馬鹿げていると思うのだけれど、ハルとはその後もしばらく手紙でやりとりをしていた。
一日おきに、お互いの靴箱にこっそり手紙を忍ばせて。
どこで知ったやり方なのかわからないけれど、ハルがそうしたいと言ったのだ。
単にメッセージのやりとりなら、全市民に配布されている端末で簡単にできるけれど、IDと会話記録が全て残ってしまうから、確かに少しだけ恥ずかしい。
こういうとき、他の人たちがどうしているかなんてわからなかったけれど、とにかく僕たちは、貴重な紙資源をお互いの想いを伝えるためだけに消費していた。
中学一年の間は、そんなふうに人目を気にして手紙のやり取りをしていたけれど、中二の夏休みに入る頃には、ちらほらと僕たちみたいな関係の二人組を見かけるようになったから、僕たちも周りを気にせずに二人で行動できるようになった。
それ以来、特に冷やかされることもなく、孤立するわけでもなく、なんとなく僕たちはそういうものとして、周りからも扱われるようになっていた。
まるでずっと昔から約束していたみたいに、僕たちは惹かれあった。そう感じていた。
だけどその頃の僕にはまだ、ひとに『恋』をするということの意味がわかっていなかった。
いや、今だって、わかっていないかもしれない。
今も覚えているのが、夏のある日の夕方のことだ。今年十五歳になる全市民を対象に行われる《適性考査》を前に控えた大切な時期だからと、僕たちの学校では普段の授業にプラスして、特別授業がおこなわれていた。
将来を決めるための大事なテストを前に、そのことで頭がいっぱいの僕は、一緒に帰るハルが浮かない表情をしていることに気が付かなかった。
苦手な語学の勉強が気がかりで、うわの空の返事になっていた僕の手を、ハルは急に引っ張った。
「ハル……?」
「もう、ユキのばか! にぶちん!」
そう言って、ハルは僕の手に自分の指を絡めて、きゅっと握った。
急に怒られたことよりも、その熱い手の感触に僕は驚いた。
だけど。
「……もう、知らない!」
そう言ってハルはすぐに手を離してしまい、その後はほんのちょっとだけ離れて歩いた。
まだハルの体温が残っているせいか、離れているのに、僕の右手は熱かった。
「ハル」
しばらく離れて歩いて、家に着く直前の最後の曲がり角の前で、今度は僕がハルの手を取った。
「ごめんね」
そう言うとハルは歩みを止めて。
見ればハルの瞳は濡れて、いつも以上にキラキラしていて。
「目、つむって。眩しいから」
そんな言葉に頷きながら、素直に目を閉じたハルに、僕はそっと口付けた。
「……ユキ。大好きだよ」
いつのまにか目を開けたハルはそう言って、僕に抱きついてきて、そんな彼女の身体も、やっぱり熱かった。
暗くなり始めた空には、大きな音と共にカラフルな花がいつまでも咲き続けていて、胸の中がうるさいのも、きっとそのせいなんだと思った。
お互いに触れることの心地よさを知った僕たちは、それからまた、ほんの少しだけ、そばにいることが増えた。
適性考査で振り分けられて進学した先の高校でも、僕たちはやっぱり二人でいることが多かったけれど、やっぱりそれだけでは足りなくて。
たとえば今みたいに、人気のない場所を無理やり探して、こんなことをしたりして。
「ユキ、あのね」
何度目かの長い口づけのあとで、ハルは僕に手紙を渡してきた。
あのとき、みたいに。
「久しぶりだね。……今は読まないほうがいい?」
「ううん、今、読んでほしい」
それなら口で言ったらいい、などと思いそうになるけれど、それでもあえて書いたということは、ハルが口に出しにくいことなんだろう。
そう思って封を切り、中身を開く。パッと読んで僕はその意味に言葉をなくした。
心臓が、まるで氷の矢で貫かれたように、冷やっとした汗が流れ、息が止まりそうになる。
「これって……」
「うん、わたしね、《Amare》になるの。……見て」
そう言うとハルは、着ていた服の前ボタンをはだけさせる。
「ちょ、ちょっと……」
普通なら目につくはずの白い下着なんてどうでもよくなるほど目立つそれは、彼女の胸の中で光を放っていた。
その光はほんのり色づいた明るいピンク色で、ちょうど僕たちの頭上にある桜の花びらのようだった。
《Amare》–– 人工太陽。
僕たちの暮らす第四新東京コロニーの心臓と呼ばれるその機関は、この巨大な地下シェルターと汚染された地上のちょうど間にある。
もう誰も住んでない地上世界を見つめながら、地下の世界を明るく照らすエネルギーを作り出す存在。
その実態は、ヒトが持つ《生命エネルギー》の力を変換して、数千万人が住むこの第四新東京コロニーの電力を賄う装置だった。
《生命エネルギー》の生産者は誰でもいいわけではない。機械に組み込むために改造を施されるための元の肉体は、若く健康でなければならない。
まだ生殖をおこなわない年齢の、かつ、もう子供ではない年齢の人間が、その生産者として《適性考査》の結果で選ばれるのだ。
数百年にたった一人の犠牲者の力を借りて、数百万の命を生き永らえさせる。僕たちの世界はそういう仕組みになっている。
数百年に一人。そう、その一人に選ばれたのが、ハルなのだと言う。
「なんで……ハルなの」
僕は感情を抑えきれず、その場に膝をつく。
「わかんないよ、そんなの……」
ハルの目も潤んでいた。
「ハル……っ」
僕はハルを強く抱きしめる。
そして衝動のままに、再び彼女に口づけた。
長すぎる口づけは、身体を芯から熱くさせたけど、その先に踏み出す勇気を僕は持てなかった。
もし持てていたなら、この物語の結末は変わったんだろうか。
それも今となってはわからない。
僕がハルに手を出さなかったのは、それは別に僕が、ハルに欲望をぶつける勇気がなかったから、というわけじゃない。
結局のところ、僕は、この世界の数百万人の命を犠牲にする勇気がなかっただけだ。
『まだ生殖をおこなわない年齢の、かつ、もう子供ではない年齢の人間』、それが《Amare》の適合者になれる条件。
生殖行為をおこなうようになると、生命エネルギーを無駄に消費してしまうようになるから、というのがその理由らしい。
つまり、逆にいえば生殖行為をおこなってしまえば、ハルは《Amare》にならなくて済むということだ。
だけど、適合者はそうそう見つかるものではない。もしも現在の《Amare》が機能停止してしまう前に適合者が見つからなければ、それはつまり、このコロニーの数百万人が生命を維持できなくなる、ということを意味する。
僕はそれを、政府の決めたルールを、世界からの圧力を跳ね返す力もなければ、そうする意志を持つことすらできなかった。
どんな顔をしてハルを『好き』だなんて言えただろう。
結局のところ僕は、たった一人の大切な人すら守れない、臆病者でしかなかったのだ。
「ユキ、今までありがとう。もうこれで終わりにしなきゃ」
最後に僕の腕の中から出てきたハルがそう言って、空中で何かのサインをおこなうと、立入禁止区域へ続くゲートが開錠された。
中からは作業着姿の複数の人間が出てきて、ハルを連れて行く。
僕たちには、初めから逃げ場なんてなかったのだ。
こうしてハルは、齢十七歳にして、地上でたった一人でエネルギーを生み出し続ける、僕たちの《Amare》になった。
「大好きだよ、ユキ」
最後に発されたその言葉だけが今も、耳に残っている。
彼女は行ってしまった。
僕の胸に、永遠に解けない想いだけを残して。
*
それから一体どれくらいの日々を重ねただろうか。
科学技術の発展により、人類の寿命は大幅に伸びた。
人工臓器を何度も入れ替えた僕は、少なくともあれから三百年間は生き永らえている。
あの日からあらゆる努力を重ねて政府の中枢に近づき、この三百年、ひたすら研究に没頭した僕は、ついに《Amare》に代わる次のエネルギーシステムを生み出すことに成功した。
そして今日、用済みとなった《Amare》は、ついに解体される。
《Amare》の最先端、地上へと続く重い扉を開けると、そのあまりの眩しさに僕の目は途端に焼けついてしまった。
……もう何も視えない。
だけど、僕はそこにハルがいるのを感じた。
「ハル」
そう呼びかけると、空から冷たい何かが降ってきて、僕の頬は濡れた。
「これが、『雪』か……」
出会ってすぐに溶けて消えちゃうなんて恥ずかしがり屋、まるで誰かみたいだ。
手を伸ばすと、あの日の記憶が溢れ出す。
「待たせて、ごめんね」
『外の世界』は生身の僕にはあまりに冷たくて、凍えてしまいそうだったけど。
ハルがそこにいるから、不思議と平気だった。
「ユキ」
三百年の間、彼女のことだけを考えていた。
ありがとう。《Amare》。この地上でたった一人の、僕の恋人。
「大好きだよ」
微かに聴こえたその声で、凍りついていた心は、静かに解けていった。
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