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第2話 歓楽街の凶刃

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 そして、時は進み、時刻は夜の10時を回ったところだった。駅前の飲み屋街は明日が日曜ということもあり賑わいを見せていた。幸せそうな赤ら顔の人々が通りを行き交っている。サラリーマンやOLやおっさんや若者の集団。皆、日常のうっぷんまたは愉快なことを肴に週末を謳歌しているのだ。酒を飲んで、理不尽だらけの日常を少しでも紛らわせているのである。いや場合によってはその飲みの席こそが理不尽の場になるのだろうが。
 そんな風な幸せなんだか殺伐としているんだか分からない景色の中を女は歩いていた。
 『怪異狩』、戸木紅葉。
 つい先ほどまで、郊外の高架下で怪物退治をしていた彼女は、一仕事終えてここに来ていた。
 まさしく、赤ら顔のおっさんたちと同じ目的で、一杯やりに来たのである。
 彼女にとってこの繁華街は見知った場所で、彼女の趣味は飲み屋巡りなのだ。
 なので、彼女は仕事を終えると、自宅マンションでさっと汗を流し、お気に入りの赤のジャケットを羽織って、そのままこの繁華街へやってきたわけなのだ。
 その目は穏やかに、しかしどこか真剣な色で今日入る店を品定めしていた。
 今日の気分との相性、今の季節による食材の旬、時刻による客の入り、それぞれの店の酒の種類、それらを紅葉は大体把握している。その長年で培われた知識と感覚を元に、最適な店を選ぶのだった。
 これが、紅葉の数少ない楽しみのひとつであり、日常で仕事の次くらいに力を入れている事柄である。
 真剣そのもの。そういった感じである。
「魚かな。それで焼酎かな....」
 小声で紅葉は独り言を呟いた。大体、今日求めているものが定まり、そして店を選ぶだけだった。
 紅葉の頭の中に繁華街の地図が浮かび、その中から行くべき店をピックアップした。
 目指すは寿司居酒屋、ここから三本向こうの通りを右に曲がった先にある。紅葉は足早に向かう。行き交う赤ら顔のおっさんや若者たちの間を綺麗にすり抜けていく。紅葉の頭の中は新鮮なネタの乗った寿司と、お気に入りの銘柄の芋焼酎のことしか無かった。
 これから紅葉の至福の時間が始まるというわけなのだった。
 そして、紅葉は繁華街を歩き歩き、二本目の通りを越えたところだった。
 ふいに呼び止められたのだった。
「よう、アンタ。戸木紅葉だろ」
 紅葉は聞き間違いだろうと思った。いや、正直はっきり聞こえたがそういうことにして無視したのだった。今紅葉は居酒屋に向かっているのである。それを阻むものに気を向けるつもりはまったく無かった。
「おい、おいって。無視すんなよな」
 しかし、その聞き間違いのハズの声は諦めることはなく、実体を持って紅葉の肩に手を伸ばしたのだった。
 紅葉は仕方なく、本当に仕方なく振り向いたのだった。
 そこに居たのは二十歳そこそこの少女だった。金のメッシュの入った黒のショートヘア、ブランドらしき半袖のシャツにだぼっとしたバギーパンツ。見た目を一言で言いあわらすならチンピラっぽいといった感じだった。
 その柄の悪い少女を紅葉はじっとりとねめ付けた。
「何か用ですか?」
 一言だけそっけなく返す紅葉。正直さっさと立ち去りたいのだ。
 明らかに拒絶の姿勢の紅葉。少女は少したじろぎながらも答える。
「いやぁ、こんなところで『あけの紅葉』に会えるとは思わなかったぜ。この街に来たかいがあるってもんだ」
 少女は紅葉に付いた異名のことを口にする。『朱の紅葉』、怪異狩の世界での紅葉の通り名だ。それを知っているということはつまり、
「オレも怪異狩なんだ。まだ半分見習いだけどな」
 少女はニヒヒと笑った。どことなく含みのあるような、なんとなく悪意のあるような笑い方だった。紅葉はその笑顔を見ただけで今後の対応について決定した。すなわち、関わり合いにならない、である。
「そうですか、頑張ってください。では」
「お、おいおい。待ってくれよ。せっかく会ったんだ。お近づきに一杯だけでもさぁ、どこかの店で話でも聞かせてくれよ」
「今日は友人と会食するんです。申し訳ありませんがあなたとお酒は飲めません。大体あなた未成年でしょう」
「オレンジジュースでも場酔くらいできるぜ」
 少女はなかなかのしつこさだった。あからさまに紅葉が不機嫌な対応をしても引く気配がない。しかし、このしつこさの理由も紅葉には見当がついていた。
 だが、とりあえず一言言う。
「しつこいですよ、あなた。ひと仕事終えて、今から私は至福の時間を過ごすんです。誰にも踏み込めないプライベートな時間なんですよ。あなたに付き合うつもりはありません」
「そ、そこをなんとか」
「なんともなりません。そもそも、会ってまだ数分しか経っていない相手とおいそれと食事出来るわけないでしょう。私はあなたの名前すら知らないんですよ」
「し、敷島陽毬ひまりだ。よろしく頼むぜ」
 陽毬と名乗る少女は恐る恐るといった感じでピースして見せた。そんな仕草は紅葉の苛立ちを加速させるだけである。
 紅葉の言う通りで、会ってすぐの人間に飲みに誘われて「喜んで!」などというやつは普通いない。とんでもないパーリーピーポーでもなかなか居ないのではないか。
 しかし、紅葉も陽毬の気持ちがまったく分からないでもないのだ。
 この少女がここまでしつこいのも、ひとえに怪異狩という仕事のためがゆえである。
 怪異狩は基本的にフリーランスの自営業だ。こうして、仲間内の繋がりを増やすのは必要な事である。なんなら、生命線そのものとも言えるかもしれない。金払いの良い、人数の必要な大仕事は仲間内で声を掛け合うのが基本になるのだ。陽毬は強引だが、チャンスをものにしようと必死なのだろう。紅葉は自分と知り合いになっても良い仕事が増えるとは思えないのだが、なんなら割りに合わない仕事ばかり増えると思うのだが。周りから見ると彼女はチャンスの塊に見えるのだった。
 なので、苛立ちを覚えはするものの、手ひどくあしらう気にもなれず、紅葉は大きく溜息を吐いた。そして、これで最後と一言。
「本当に付き合う気は無いので。お引き取りください」
 はっきりと、強い口調で、この上ない拒絶の感情を混ぜて言った。
 それを聞いてようやく陽毬は本当に、まったく脈無しなのだと気付いたらしい。「あ、ああ...」と力なく言うとそれ以上紅葉に絡んでくることはしなかった。
 そのまま、歩き始める紅葉。
 チラリと後ろを見ると、ひどくがっかりした様子でうなだれている陽毬の姿があった。可哀想だが仕方が無い。紅葉は付き合う気など毛頭ないのだから。
 それに、そんな風に付き合いを持とうと誘うににしたってやり方というものもある。少なくとも、相手の都合を無視して押せや押せやの一辺倒では相手に対して失礼というものだ。礼儀というものはこんな荒っぽい生業でも忘れてはならないと紅葉は思うわけである。
 相手によっては本気で怒り出すものも居るであろうし。
 駆け出しの怪異狩、まだまだ分からないことだらけなのだろう。
 もう少しいろいろ身につけていって、上手くやっていってもらいたいななどと、他人ながら思う次第の紅葉だった。
 もう一度チラリと見るが、陽毬は雑踏の向こうでまだうなだれていた。
 罪悪感がチクリと胸を刺したが、紅葉はそのまま目的地の寿司居酒屋へと向かった。
 通りはあと一本。そこを曲がれば目的の店だ。
 ちょっとしたいざこざもあったが、ようやく酒を飲めるというものだ。
 このまま楽しく飲んで食べて、そして明日の日曜は街の散策でもしようなどと紅葉は思っていた。
 その時だった。
―カチリ
 目の前で音が鳴った。それは、紅葉にとっては馴染みの音だった。
 仕事に赴く時、自分の腰で良く鳴る音だった。
 すなわち、金属の留め具の鳴る音。
 すなわち、刀が鞘に当たる音。
 ああ、この人の刀も随分使い込まれているのかな、などと紅葉は思い。はた、となんで今そんなことを思っているのだ、とその違和感を理解した。
 紅葉は視線を上げる。その音のした方へ。刀を腰に下げている何者かへ。
 そして、紅葉は戦慄した。
 そこに居たのは侍だった。青い羽織に灰色の袴。腰には今鳴っていた刀が大小二本。頭は手入れされていないと現代人が見ても分かるマゲ。
 時代劇でしか見ないような姿の、壮年の侍が、現代の飲み屋街に唐突に存在していた。
 そんなもの、居るはずが無かった。
 それは異常だった、理から外れていた。
 すなわち、
―ブーン、ブーン
 紅葉のスマホが通知を告げた。一般的なアプリのそれとは違う。業務用の怪異発生を告げるアプリの通知だった。そして、紅葉は画面を見なくても、その通知がなんの怪異の発生を知らせているか分かりきっていた。
 間違いなく、
「八重雲!」
 紅葉は手元から印籠を出すと叫んだ。瞬時にその中から紅葉の刀が現れた。怪異狩の武器を収納する印籠、符術のひとつだ。
 紅葉は刀を手に取り、即座に抜いた。切っ先が向かう先はもちろん侍だ。
 そして、紅葉はありったけの大声で周囲に呼びかけた。
「怪異が発生しました!! 一般の方は直ちに避難してください!!! 直ちにこの侍から離れてください!!! 繰り返します!! 怪異が発生しました!! 皆さん避難してください!!!」
 紅葉の声に、周囲の人々はすぐには何が起きたのか理解出来ないようだった。酔っ払っているのだからなおさらだ。諦めず紅葉は叫び続ける。すると、おずおずと数人がなんとなく道の端に寄り、そこから釣られるように他の人々も離れ始めた。
「なになに、なんだって? なんでみんな道開けてるの?」
「怪異だってよ、ほらあれ。あの侍」
「ああ、本当だ。ヘンなのが居るよ」
 口々に酔っ払った口調で人々は話している。ザワザワと、群衆がどよめいていた。
 その割れた人の流れの中心には紅葉、そして侍が居るのだった。
 紅葉は油断無く刀を侍に構えた。
 どういう怪異か、どれだけ危険なのか。さっぱり分からない以上、最大限に警戒する。
 いや、どういう怪異かはともかく、危険性についていえばある程度の予想はつく。
 なので、紅葉は周囲の人々の緊張感の無さが堪らない。
 なにせ、目の前の怪異は完全な人型なのだから。
 それがなにを意味するのか、怪異狩なら嫌でも知っているのだから。
「おや、久々に現界しましたね」
 そして、侍は言った。
 紅葉のこめかみを一筋汗が伝った。一言も発さずに、ただ侍を睨む。
「景色が随分変わっている。300年は経過したんでしょうか。前の現界は昭和3年とかいう時代だったはずですが。いやはや、どんどんワケの分からない事になっていきますねぇ、浮世は」
 侍はぐだぐだと独り言を話す。その言葉は本当にただの戯れ言であり、そこからこの侍がどういう怪異なのかを推測することは出来なかった。
 しかし、紅葉は怪異の性質はともかく、それ以外の部分でなら感じ取るものがあった。それはもうはっきりと。そのたたずまいを見るだけで分かったのだ。
 この侍が間違いなく達人の域に達している剣士であると。
「しかし、どれだけ時代が進んでも。いやはや喜ばしい。あなたのようにアタシに剣を向けるものがあるというのは」
 そして、侍の眼は紅葉を捉えたのだった。嫌に穏やかな、この場にはあり得ない目だった。
 紅葉は答えない。動くこともない。
「さて、綺麗な剣士さん。どうやらあなた随分お強いようですね。アタシは蕨平、蕨平諏訪守綱善わらびだいらすわのかみつなよしと申します。しがない人斬りをやっている人外です」
 そして、怪異はその手を己が刀の柄にかけた。
「あなたと斬り合いをしようと思うんですが、よろしいか?」
 その一言で、紅葉は目の前の怪異が自分が関わってきた中でも指折りの危険性を持っていると確信した。
 紅葉は瞬間、懐から符術の札を取り出す。
 しかし、その時紅葉の後ろに強烈な光源が発生した。それは怪異の向こう側にも。そして、二人の居る通りの両脇にある店の屋根の上からも発生した。
 それはライトだった。ライトの後ろにいるのは耐衝撃、そして対怪異の術が施されたベストを着込んだ人間達だった。手にはライオットシールド、そしてライフル。完全武装した集団だった。
 彼らは紅葉と蕨平を取り囲むように繁華街の一角に集結していた。
 ライフルの銃口は全て蕨平を向いていた。
 怪異対策でマジックミラーになったフェイスシールドの向こうの表情は読み取れない。
「金甲警備? もう来たんですか」
 紅葉はこの集団の名を口にした。
 怪異は周囲をぐるりと見回す。ふむ、とアゴに手を当てて。
 余裕綽々。全ての銃口から弾が放たれれば瞬時に肉塊になるというのに、まるで恐怖というものは無いようだった。
「種子島ですかね。また随分妙ちきりんな形になったもんだ。嫌ですねぇ。それと斬り合っても楽しくないんですよねぇ」
 怪異は面倒そうに表情を歪めていた。
 紅葉にとっては僥倖だった。彼らはその性質上怪異狩の商売敵ではあるが、この状況では加勢と言って良かった。目の前の怪異が人型で、自我がはっきりしており、なおかつその能力が分からない以上、加勢は多ければ多い方が良い。
 周囲の一般人も順次退避させている。
 状況は良くなったと言えるだろう。
 あとは、能力。それさえ分かれば打つ手を見いだすことが出来る。 
 ここまでで、蕨平は異能は使っていない。少なくともそう見える。どうにかして、被害を最小限に抑えながら、その能力を引き出さなくてはならないが。
 紅葉は考えた。
 と、
「あなたは怪異狩ですね。ここはもう我々の管轄です。お下がりください」
 後ろの集団の中の一人が紅葉に言った。もう、この怪異を討伐するのは彼らの仕事で、紅葉には出る幕は無い、と言っているらしい。
 紅葉は若干むかっときた。それに彼らは怪異狩も業務のひとつにしているが、それ専門ではない。当然、こういった怪異に対する対処も紅葉の方が一枚上手だ。と、少なくとも紅葉は思っている。
 なので、ここは共闘した方が良いと思い、その旨を伝えようとするが、
「なるほどなるほど、先ずあなたたちが相手というわけですか」
 その言葉に、紅葉に話しかけた男が右手を上げる。全ての銃口が怪異を向き、そしてトリガーの指に力が込められた。一触即発。普通に考えれば最早勝負は決まっている。この先の結果は決まり切っている。
 ライフルから放たれた呪法塗装済みの弾丸の雨が目の前の怪異を瞬く間に消滅させる。
 いつも通りなら、間違いなくそうなる。
 対して、怪異はその刀の柄に再び手をかけた。
鐘薪かねまき一刀流、参る」
 言葉を言うが早いか、上げられた右手が振り下ろされる。鉛玉の暴風が吹き荒れる。しかし、
「なっ.....!」
 声を上げたのは紅葉だった。紅葉一人だった。なにせ、声を出せるのが紅葉だけだったのだから。他の誰も彼もが、声を上げる事さえできなかった。そもそも、もはや立っているのが紅葉だけだった。
 重装備の彼らの銃口が火を噴くことはなかった。
 怪異を取り囲んだ重装備の隊員たちは全員、体をぶった切られ、倒れ伏してしまったのだから。
 十数人に及ぶ彼らは全員がアスファルトに静かに身を横たえ、そして血だまりを作っていった。
 文字通り、瞬く間に事は起きた。
 まったく、理解不能の状況。なぜなのか、倒れているのは重装備の集団、それも全員で、立っているのは怪異の方。
「ふむ、あっさりとしたもんですね。アタシの剣を見れる人は居なかったようだ」
 怪異は、変わらずその手を柄にかけていた。
 紅葉には何が起きたのかまったく分からなかった。
 いや、なにが起きたのかは分かっていた。しかし、なぜそんな事が起きたのかはまったく分からなかった。
 怪異はただ、柄に手を置いていただけだった。にもかかわらず、周囲の全ての人間が、明らかにその剣で切られたのである。それも、一太刀で周囲全てを薙いだのではない。なら、紅葉も切られているはずだ。
 彼らはそれぞれが、それぞれ一太刀ずつ切られたのだ。明らかに怪異の刃圏の外に居るにもかかわらず。
 怪異はまったく同時に離れたところにいる全ての人間を、刀も抜かずに切ったという風にしか見えなかった。
「これが能力....!。でも、まったく見えない....!」
 紅葉は戦慄し、目を見張る。周りの人々にはまだ息があるように見えた。急いで救急車を呼ばなくてはならない。今すぐに手当をすればまだ助かるはずだった。
 しかし、それを許す相手には見えなかった。少しでも隙を見せたなら。その瞬間に一刀両断にされる。その確信が紅葉にはあった。
 出来るとすれば、この怪異を倒すことのみ。紅葉が戦うしかなかった。
「おや、やる気になってくれましたか。けが人のために奮い立つとは、勇敢なお嬢さんだ」
 そんな紅葉の心を見通すように怪異は言った。
 だが、心を読まれていようがいまいがやるしかない。この怪異を少なくとも紅葉が抑え、その間に誰かに周りの彼らを保護して貰う。そうしないと彼らが死ぬ。みすみすそれを見逃すわけにはいかない。
 紅葉は体の力を抜く。懐には札が6枚。果たして取り出す隙を作れるかは疑問だった。
 紅葉は刀を構え、その切っ先を、そして足を、
「は.....?」
 しかし、その刀がふいに、その手から弾かれた。甲高い金属音を響かせながら、刀を跳び、そして左後方にあった焼き鳥屋の提灯に突き刺さった。紅葉は呆然とした。真顔で何も握られていない空の両手を見た。
 あっさりと、紅葉は武器を失った。
 紅葉は戸惑う。まったく、見えなかった。やはり、怪異はその手を柄にかけていただけだった。まったく予備動作はなかった。
「やはり、あなたは強いですね。まったくこちらの手の内なんか分かっていないでしょうに。勘だけで防ぎましたか」
 その通りで、何かひやっとする感覚があり、紅葉は刀を少しだけずらしたのだ。ただ、それだけだった。それ意外には何もない。もし、刀の位置が元のままだったら、紅葉の体も両断されていただろう。
 紅葉の全身から、脂汗が滲む。状況を理解したのだ。今何が起きて、今自分はどうなっていて、そしてこれからどうなるかを。
 武器を失った。それはつまり、
「残念です、あなたほどの相手は中々いないというのに」
 もはや、詰みということだった。
 怪異は相変わらず、その手を柄にかけているだけ。
 だが、その状態からノーモーションで斬撃は飛んでくる。どういった理屈かはさっぱりだ。しかし、それを理解する必要さえもはやない。これから、紅葉はただ死ぬだけなのだから。
「くっ!」
 なんとか、生き残る方法を考える。しかし、答えはなかった。武器を失っては身を守る術はない。護符は懐にあるが、周りを見るに効果があるとは思えなかった。彼らの重装備には、当然のように怪異除けの符術がかけられているはずだ。それも、大企業の財力をふんだんに使った最上級の術が。しかし、それがまったく効果を成していないのだ。それが、この怪異の攻撃なのだ。
 それでも、考える考える考える考える、
 しかし、そんなことをしている間に怪異の攻撃は飛んでくるのだった。
「ダメだ!!!」
 どん、と紅葉の体が弾かれた。しかし、それは怪異の攻撃によるものではなかった。
 押されたのだ。紅葉は誰かに。突き飛ばされ、そして倒れたのだ。ちょうど、今し方感じた、さっきと同じような冷たい嫌な殺気から逃れるように。
 そして、今の声はついさっき聞いたもの。ついさっき、一本後ろの通りで聞いた、
「あなたは、なんでこんなことを....!!!」
 紅葉にやっかいな絡み方をしてきた、怪異狩見習いだった。
 彼女のその背中には大きな一筋の刀傷がついていた。怪異に切られた傷。
 つまるところ、少女は紅葉をかばって怪異の攻撃をその背中に受けたのだ。
 なぜそんなことをしたのか。どうして、こんな死ぬようなマネをしたのか。さっぱりだったが、紅葉は倒れる彼女を紅葉は抱き留める。抱きかかえた少女、その背中の傷から血が溢れてきた。このままではまずかった。血はドクドクと、明らかに失血死する勢いで血は流れていた。
「ああ、もう!」
 紅葉は、怪異の前だということを理解し、覆い被さるようにその傷を押さえた。また、攻撃が飛んできてもかばえるようにだ。
 そんな紅葉と怪異狩見習いの少女を睥睨しながら、怪異は柄からその手を離した。少しだけ残念そうに溜息を吐きながら。
「おや、今夜はここまでですか。やはり、現界したては調子が出ませんね」
 そして、そのまま怪異の姿は薄れていった。ゆっくりと、煙が消えるかのようだった。
「ふむ、今回は『白峰しらみねの霊鏡』ですか。やれやれ、三日以内とは。見つけられるかどうか」
 そして、そのまま怪異は消失した。
 後には倒れ伏した人々、紅葉にもたれる血みどろの少女、そして、それらの中心に紅葉がいた。
 遠くでは救急車、そしてパトカーのサイレン。避難した人々の声、誰かが走り寄る音。
 繁華街の一角はものの十分で惨状と化した。
 これが、危険度ハザードレートSS、特級怪異『刀鬼・蕨平諏訪守綱善わらびだいらすわのかみつなよし』の最初の被害だった。
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