なんとなくの短編

無名まい

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壊れた歯車とあたし

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君が好きだ。僕にあるものはただそれだけ。青空に広がる黒い雲がいつか全部を覆ってしまう日が来るなら、僕はその青を自分で黒く塗りつぶすことに決めていたんだ。今から話すのは僕の初恋の話。

「葉月君」
瑠璃色の灰がかかった瞳がのぞき込む、紀久子ちゃんだ。
「葉月君…、おきな?先生怒ってるよ」
はっと気が付いた時には仁和の視線が自分にいたいくらいに突き刺さっていた。
「おい、葉月。おまえこのごろ寝てばっかだな。いい加減やる気出せよ。みんなお前に期待してるんだぞ。」
先生がため息の延長のような落胆した声で言った。なんで、先生が一生徒にここまで気を掛けるかって?それは先生だから当然のことともいえるが、僕がナンバーワンの称号をほしいままにするこの学校のエース葉月くんでもあるからだ。しかし…無理です。先生。だって僕の前には…
「葉月君、あたしも期待しているよ。」
「紀久子ちゃん…。」
この前の席替え以来今までにまして僕の頭はパンク寸前。今日の朝は君の机に水仙を備えておいた。いたずらな君のまなざしに僕はゾッコンなのさ。ドキドキして起きていることもままならないよ。


「あ“ぁ”…。だめだぁ。」
図書館でうなり声をあげる。
「うるさい。」
佐伯に怒られた。こいつは僕の友達だ。
「紀久子ちゃん。君のことしか考えられない。僕は君の歯車なのさ。もう、戻れっこないのさ。」
“歯車”の部分を佐伯がハモってくる。
「おまえ、もうその話そろそろ聞き飽きたんだけど。」
佐伯がばさりと本を置く。いつもと同じ一連のパターン。真っ青な空。急に近くをヘリコブターが音を立てて横切る。ザワザワと葉がこすれた。
「紀久子は死んだだろ。」
佐伯が言い放つ。そして今日はそのいつもと違う日。
「お前記憶がおかしくなっているのか。」
佐伯は聞いた。紀久子ちゃんは今日の朝死体で見つかったのだ。紀久子ちゃんは長く長くいじめられていた。理由はいたって明白だ。この葉月君のお気に入りだったからだ。紀久子ちゃんはいつも一人だった。でも、誰かのせいにすることなんかなくていつも笑顔だった。それはまるで透き通った空みたいにどこまでも純情で僕のただ一つの芸術品だ。
「失いたくなかった。」
と僕は言う。
「なにもお前のせいではないさ。」
佐伯は言う。
「僕は知っていたんだ。彼女がいじめられていること。でも、知らないふりをした。」
大好きだったから。壊れかけた君のそのはかない灰色の笑顔が。最初はただ単純に可愛いと思った。けれど僕が愛を注げば注ぐほど、おいつめられ、君は弱っていった。美しかったのだ。善だけを大切に守る君のその小さな姿が。だが、ある日君は変わった。君はいじめっ子たちに自我を突き返すようになった。それと同じ時期君は佐伯とつるみだした。いじめっ子たちと同様にエゴを突き返すようになった紀久子ちゃんは本当に無様だった。笑っちゃうよ。君もやっぱりそこらへんい転がる人間と一緒だったんだね。
「僕は失いたくなかったんだ。」
頬を涙がつたった。
「やっぱりおまえも、紀久子のことが…。」
佐伯は僕と目を合わせない。お前には僕の気持ちなんて分からないだろうな。だから、僕はあの日、言ったんだ、あの子に。紀久子ちゃんを屋上から突き落とした、あの子に。
話しかけてきたのはあの子だった。
「ねぇ、葉月。わたし、葉月のこと好きだよ。私と付き合って。」
胸焼けするような甘い声。いつもとはまるで別人だ。
「嫌だよ、僕は紀久子ちゃんが好きなんだ。」
半ば、優越に浸るように僕はいつもこう答える。もしかすると僕のほうもまんざらでもないのかもしれない。
「あの子より私のほうが好きだよ。」
しかし、このセリフにうんざりする。本心を隠すように僕はいかにも優し気に問うた。
「じゃあ、ぼっくのためになら何でもできる?」
あの子はいつもとは違うやり取りに目をリスのように丸めた。本当に顔だけなら可愛い。
「うん!」
元気に答える。
「あのさ…紀久子ちゃんを、壊してきてくれない?」
常識を欠いたあの子にはそれで十分だったようだ。青い空に雲がかかりだす。遠くで何かかが軋む音が聞こえる。美術室の椅子を揺さぶったような不可解な音だった。あの子がやたら愉快に走り出した後、僕はモノクロの教室で一人本の続きを読むわけでもなく読みだしたが、ざわめく心に蓋をして、そっと息をした感覚が今も染み付いている。
そして今日紀久子ちゃんはグラウンドで赤く染まっていた。違和感の塊だった。シンッと図書室は静まり返る。もうヘリコブターは遠くに行ったみたいだ。
「これ、紀久子から」
佐伯から薄ピンクの封筒が一枚渡された。予想外の展開だった。僕は佐伯のほうを見る。
「何?これ」
「おれ、紀久子から相談受けてたんだ。」
「…いじめられてたことか?」
「違う、紀久子もお前のことが好きだったってこと。」
外はすっかり暗くなっていた。僕はそのまま佐伯の言葉がなかったみたいに黙って封筒を開けた。内容はこうだった。
「葉月君
改めて手紙となると、照れるね。あたし葉月君のこと好きです。一度はあきらめようと思ったの。葉月君は人気者であたしなんかじゃ不釣り合いだから。でも、あたし、頑張ってみようと思う。葉月君いつも優しくしてくれてありがとう。辛いとき助けてくれるのはいつも葉月君です。葉月君がいるからあたし、毎日学校に来れてると思うの。あたし、これからはもっとちゃんとするし、出来るだけ迷惑をかけないように頑張る。だから、お付き合いしていただけませんか?葉月君が大、大、大、大好きです。
紀久子」

読み終わったころ合いを見計らって佐伯が口を開けた。
「紀久子、相当悩んでたんだ。あたしにやさしくすることでお前に迷惑がかかってないかって。この手紙も何度も書き直してたよ。ま、その途中のやつなんだけど。」
僕は何往復かして手紙を封筒にしまうことに成功した。今、思えば、僕としたことが、何とも不自然な行動であった。それから、佐伯に何も言えずに、ただ黙って図書館を出た。紀久子ちゃんは佐伯ではなく、僕のために“がんばって”くれていたのだ。君は壊れてなんかなかったんだ。そそくさと帰る道のりで頭の中をいろんな考えが駆け巡る。それなのに僕は、…君を…、思考が上手くまとまらない。家に着くとポストには予想通りというのだろうか、ピンクの手紙が入っていた。そこにはさっきと同じかわいらしい文字がかかれている。
「葉月君
今日の夜学校に来てください。
紀久子」
もちろん、切手は貼ってない。僕は道路に立ちすくんだ。
「ごめんね、紀久子ちゃん、僕は君を…」
足が地面に張り付くような脱力感で動けなかった。
「僕は君を壊しってしまったね。」
今朝の違和感の正体、グラウンドの紀久子ちゃんの顔は不自然にぐちゃぐちゃだった。僕は愚かだ。

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