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竜がいた国『パプリカ王国編』
号外だぁ! 第三王子殺害!? 英雄死す
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「号外だぁ! パプリカ王国を救った英雄マルコ王子が賊に殺されたァ!」
翌日、号外がパプリカ王国の全土に広がる。新聞屋の男は、道行く人たちに号外新聞をバラ撒いている。新聞の見出しには大きくこう書かれていた。
『第三王子殺害!? 英雄死す』
どうやら新聞を読んだ国民たちは大騒ぎしている様子だ。
「なんということだああああああああ! 我らが救世主、マルコ様がああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
「誰が! 誰がオレたちの英雄を……!」
「必ず捕まえろ! 下手人は即刻ギロチン送りだあああああああぁぁ!!」
膝をつき、涙を流して悲しむ者や、怒りを露わにして武器を手に取っている荒々しい者もいる。するとそこに、フードを目深に被った男が新聞屋に声をかけた。
「オレにも一つくれ」
「あいよ、一五〇ゼニーだ」
フードの男は金を払い、そのまま路地裏に姿を消した。
そして男は裏路地の角を曲がって歩いていく。その先には別の大通りに出る出口から真っ白な光が差し込んでいるのが見えた。男は出口の横に目を向ける。そこには壁に寄りかかっている女がいた。男は女に話しかけた。
「さすがは情報屋、国中が大騒ぎだ」
路地裏の壁に寄りかかって腕を組んだ女に、フードの男は顔を新聞を出して言った。すると女も言う。
「こういう依頼は今回限りです。私は情報を『売って』稼いでるんですよ。情報は信憑性が命なんです。偽情報を流してほしいなんて、あなたが初めてですよ」
「どこの馬の骨ともわからねぇ野郎の噂話じゃあ、酔っ払いの酒の肴にしかならねぇしな。その国で信頼されてる情報屋からってなれば話は別だろ?」
情報屋の女は頬を膨らませてプンプン怒って言う。どうやら情報屋の女はフードの男から、とある情報を国中に流してほしいと依頼されたらしい。
情報屋から情報を買いに来る者は多種多様だ。裏社会の者、王国の兵士たち、一般人では記者なんかも情報を買いに来る。新情報は誰よりも先に知りたいという人間は一定層は必ずいる。そういう連中に情報を流した結果、現在パプリカ王国は大騒ぎになっているのだ。
ファサッ……。
すると男が頭部のフードを上げた。そこから現れたのは、金髪くせ毛で猫顔の少年、キールだった。キールが女を見て言う。
「まさかマルコの専属メイドが情報屋もやってるとはな。最初に知ったときは驚いたよ。ミルルさん」
「王国で働いてると色んな情報がただ同然で手に入っちゃうんですよ。それが高値で売れるんだからやめられませんよ」
「ってかそれ、王国にバレたらマズいんじゃねぇのか?」
「大丈夫大丈夫、王国にとって敵になりそうな人には基本的に売りませんから。どうしてもってときは逆にデマ情報でも掴ませて返り討ちにしちゃいます」
「可愛い顔してエグイことすんだな、アンタ」
ミルルは笑顔で言うと、キールが顔を引きつらせる。そして財布からお札のお金を取り出してキールが言う。
「んじゃ、これは残り半分の報酬だ。前金と合わせてキッチリ一〇万ゼニー」
キールがミルルに金を渡すと彼女は「毎度あり~」と受け取って慣れた手つきでペラペラペラっとお金を数えだす。数え終わると情報屋の女が立ち去りながら言った。
「それじゃ、私はお城の仕事が残ってるのでこれで失礼させていただきます」
「本当にいいのか?」
キールがミルルを呼び止めるように言う。するとミルルが聞き返す。
「……何がですか?」
「マルコと別れることになるんだぞ」
「………………」
ミルルが数秒ほど沈黙してから口を開いた。
「いいんです。それが、マルコが望んでいることですから」
「旅人は危険がつきものだ、いつ帰れるかもわからない。最悪の場合、旅の途中で命を落とすことだって日常茶飯事だ」
「………………」
「最後の別れになるかもしれないんだぞ?」
「……大丈夫です。マルコは逃げ足だけは天下一品なんですから!」
そう言ってミルルはガッツポーズをした。そこから両手を下してつぶやいた。
「マルコのこと、よろしくお願いしますね」
「ああ、任せろ」
それを聞いたキールが真剣な表情で言う。ミルルは寂しそうだったが、どこか少し安心しているようにも見えた。
*
「どうして、ボクを殺さなかったんですか?」
──パプリカ王国の噴水がある中央公園。黒い前髪で片目を隠した少年が訊ねた。すると隣で座り、草団子を食べている緑髪の旅人が答える。
「ボクはちゃんと、依頼通りに殺したよ」
「ボクは死んでないですよ!」
黒髪の少年が否定する。しかし緑髪の旅人は平然としており、お茶をすすって「熱ちちっ!」と言っている。再度、黒髪の少年が訊ねる。
「真面目に答えてください! ミドさん!」
「パプリカ王国の第三王子、マルコ・パプリカは死んだよ。国中で大騒ぎになってるでしょ?」
「アレはキールさんが流した偽情報で……」
「嘘じゃないよ。だって今のマルコはもう“パプリカ王国第三王子”じゃないもん」
「意味が分かりませんよ。何を言ってるんですか?」
マルコと呼ばれた黒髪で片目を隠している少年が問いつめる。しかし、ミドと呼ばれた緑髪の少年は飄々と言う。
「忘れたの? あのときボクが言ったこと」
「え……?」
ミドがマルコの部屋に最初にやってきた夜、マルコはそれを思い出そうと記憶を辿っていった。徐々に薄ぼやけた記憶が瞼の裏に映し出される。マルコは慎重に記憶を思い出していった。
× × ×
「ミドさん……信じていいんですよね??」
「………………」
「ミドさん!」
「――大丈夫。緑髪の死神は必ず、パプリカ王国第三王子を殺しにくる」
× × ×
「あ」
マルコは思わず声を漏らしてしまう。するとミドがヒョコっと顔を近づけて言う。
「ね? “マルコを殺す”なんて一言も言ってないよ」
「そんなの、屁理屈ですよ」
マルコは頬を膨らませて不機嫌になる。するとミドが草団子を食べ終わり、お茶をすすって一息ついてから言う。
「まだ……死にたいと思ってるの?」
ミドがいつになく、真剣な表情で訊ねた。するとマルコが少し緊張しながら言う。
「分かりません」
「分かんないなら、別に今すぐ死ななくてもいいんじゃない?」
ミドがいつもの飄々とした態度で言う。マルコは俯いて声を漏らすようにつぶやいた。
「そうですよね……自殺なんて、良くないですよね……」
ミドはマルコのつぶやきを聞いて言う。
「え? 自殺って、そんなにダメかな?」
「でもミドさんは、自殺否定派なんですよね」
「そんなことないよ」
マルコはミドの発言の意図が理解できず困惑している。ミドは続けてマルコに言った。
「そりゃあ、せっかく知り合えたのに死なれたら悲しいな~って思うけどね~。でもボクは、その人の“人生最期の選択”を否定したくないだけなんだ~」
「最期の、選択……」
ミドはヘラヘラ笑いながら言った。
あなたは、一度でも自殺を考えたことがありますか?
想像してみてほしい。
毎朝ベッドから起きた瞬間、あなたの目の前にSFのような液晶ヴィジョンが空間に現れたとする。そこから「今日を生きますか? それとも死にますか?」という機械的な音声が流れる。
自殺を考える人の脳内には、このような選択肢が毎日、酷い場合は数分に何度も訪れる。常に『死という選択肢』が頭の中で反芻思考のようにグルグル繰り返し表示され続ける。まるで無限に開かれるポップアップ広告のようにである。
生活のありとあらゆる場所で『死』を連想させる選択肢が脳内に現れる。大抵の場合「生きます」を選択して人生の続きが始まるのだ。
人生が辛くても自殺しない人たちは、なぜ自殺を選ばないのだろう。もしかしたら『自殺という選択肢』が彼ら彼女らの中に存在していないだけなのではないか。
朝起きて、無意識に呼吸を繰り返し、とりあえず朝食を食べて、仕事や学校に出る。疲れて家に帰って、一日のストレスを発散するために遊び、夕食を食べて、眠くなったら寝る。
彼らは明確に「生きる!」と毎日選択をしているわけではない。考えずに生活するということが、無意識に『死にたくない』を選択していることになる。むしろ、それでいいのかもしれない。知る必要のないことは知らなくていい。
学を絶てば憂い無し。学問するのをやめてしまえば、心配ごとはなくなる。
知らなくてもいいような世間の声を知るから悩まされて『憂い』が生まれる。
自殺という選択肢があることを知らなければ、自殺という発想すら思いつかない。実際に自殺のニュースが報道されるほど、世間の自殺率が上昇すると言われている。自殺という『学』を知ってしまったが故の悲しい現実だ。
だが絶望している者にとって『死』には甘い誘惑の香りが付きまとうものなのだ。
暗闇の中、希望の灯のように『死』には安楽の可能性という甘い香りが漂っており、光り輝いて見える。そして誘惑に負け、勢いで「死にます」を選択したときに自殺という現象が発生する。言い方は良くないが、まさに飛んで火にいる夏の虫だ。
自殺に必要なのは、その日の『気分』の状態と、勇気を出して一歩だけ前に踏み出す『勢い』だけだ。
有能な者ほど人生を価値あるものにしようと真面目に『学』と努力を惜しまず、やるべきことを明日に先送りしない。そして高い能力のせいで目立ってしまい、無能な多数派の誹謗中傷を浴びせられ、イジメられ易い。
どうせなら無能になってしまえばよいのだ。明日できることは、明日やればいい。
世間の人は「明日やろう」は馬鹿野郎と言うかもしれない。だが、それでもいいじゃないか。「もう自殺しようかな……。でも面倒くさいから明日でいいや……」そうやって明日、明日、また明日、と先送りにしてしまえばいい。
無用の用。役に立たないくらいで丁度いいんだ。助けられるくらいでバランスが取れる。むしろ助けた側は、人の役に立ったことによる快感で満足するようにできている。ボランティアがなくならないのはそういうことだ。
元々人生に高い低いの価値など存在しない。どこかの誰かが勝手に正義や常識を定義したように、価値も勝手に定義されただけの思い込み、幻に過ぎないのだ。
正義という概念を、どこかの誰かが勝手に定義して大衆を扇動した。その結果、反対の悪という概念が生まれてしまった。知らぬ間に悪にされた一般市民は迫害と虐殺の対象にされてしまった。
価値という概念を、どこかの誰かが勝手に定義して大衆に刷り込ませた。その結果、同じ石でも価値の高い石と、価値の低い石が生まれ、奪い合いの争いが始まった。
人は需要が多くて供給が少ないものを、希少価値と呼んでありがたがる。それで言ったら人類は増えると価値が下がり、減ると価値が上がるのだろうか。
それならば人口が減れば減るほど絶滅危惧種として注目され、国民たちの人生はさぞかし価値が高いものになるだろう。その国の民が最後の一人になったとき、その者は世界最高峰の希少価値になれるはずだ。唯一無二の価値の高い人生を手に入れたのだから喜んでいることだろう。
ここで質問する。
──あなたは、最後の一人になりたいですか?
人生の価値など幻想だ。増えようが減ろうがすべての人生は同じのはずだ。
テクノロジーが発達して膨大な情報を得られたとしても、必要な情報とは限らない。
文明が発達して生まれた概念は幻想だ。価値や正義という幻を信じても振り回されるだけだ。
『学』は少ない方がいい。どうしてもと言うなら取捨選択は必須だ。
他人の決めた価値や正義を信じ過ぎてはいけない。人生を振り回されるだけだ。
だから私の戯言も信じてはいけない。通りすがりの旅人がつぶやいてた意味不明な独り言だと思ってほしい。
もし、それでも自殺したいなら……それでもいい。ボクはそれを否定しない。選ぶのはあなた自身なのだから。
するとマルコがミドに問いかけた。
「ミドさんは、天国と地獄はあると思いますか?」
「うん、あると思うよ」
「自殺したら、やっぱり地獄行きでしょうか?」
「かもしれないね~」
「地獄って、怖いところ……ですよね」
「………………」
突然ミドが沈黙。マルコはミドの返答がないことに困惑している。するとミドが口を開いた。
「マルコ。神様はどうして、この世界の理不尽や不条理を黙って見ていると思う?」
「え……いきなり何ですか?」
「迫害、虐殺、自然災害。この世界には悲しい現実が数えきれないほどあるけど、どうして神様は救ってくれないんだろうね?」
「分かりませんよ……」
「でも仮に、神様がボクたちを救わないのは“当然のこと”だったとしたら……どう考える?」
「神様が人を救わないことが、当たり前ってことですか?」
「神様がボクたちの味方とは限らないってこと」
マルコはミドの言っていることに理解が及ばず困ってしまう。ミドは続けて言う。
「要するに神様はさ、ボクたちに苦しんでほしいんじゃないかな。この世界を救ってくれないんじゃない。元々救ってはいけない世界だから」
「救ってはいけない世界……それって、つまり……」
マルコが察したようにつぶやく。するとミドが言う。
「この世界が『地獄』そのものだったとしたら、つじつまが合うと思わない?」
「?!」
マルコは目を見開く。ミドが言う。
「ボクたちが地獄に住んでるなら、神様がボクたちを救う理由がないよね。むしろボクたちが苦しんでくれた方が嬉しいはずだよ。だって苦しんでもらうために地獄に堕としたんだから」
「確かに……」
「ボクの爺っちゃんが言ってたんだけどね~。この世界は重力という鎖に繋がれた檻の中で、寿命は刑期の長さなんだってさ~」
「え、ボクたちは囚人ってことですか?」
「だから自殺したらまた地獄に堕とされるかもね~。自殺は脱獄みたいな扱いなのかな?」
ミドは何が面白いのか笑いながら言った。マルコは情報の量で頭がこんがらがっている様子だ。そしてマルコが言う。
「ボク……地獄はやっぱりイヤですよ」
「じゃあ一緒に天国に行く?」
「どうやってですか?」
「ボクが目指している場所になら、行く方法が見つかるかもよ~」
「本当ですか?!」
「うん」
「どこですか?」
マルコが訊ねると、ミドが一呼吸おいてから言う。
「──生きている大陸」
ミドの一言で一瞬だが空気が変わったような気がした。するとマルコが思い出すように言う。
「古代文明が残された幻の大陸ですよね。少しだけなら聞いたことがあります」
「天国に一番近いって言われてる場所だよ」
マルコは考えるように俯いた。するとミドが口角を上げて言う。
「あれ、興味湧いてきた?」
「ちょっとだけ」
「それは良かった。好奇心は人生に欠かせないスパイスだからね~」
ミドは嬉しそうに微笑んで言う。マルコもつられて笑った。するとミドが目線を落としてマルコに背を向けながらつぶやく。
「もし──」
するとミドは静かにマルコに言った。
「もしこの先、マルコどうしても死にたくなったら……ボクが責任をもって、本当に殺してあげるよ。だから心配しないで」
ミドはそう言って、悲しそうな顔を浮かべた。
それは人の死という責任を一人で背負うという宣言である。マルコはミドが死神と呼ばれていることの意味を分かったような気がした。
「この約束は、嘘でも屁理屈でもないよ」
「……分かりました。約束ですよ」
「うん、約束」
マルコはミドに殺してあげると言われて不思議と恐怖を感じず、むしろ安心している自分に驚いていた。
「ん? この先って、一緒にいないと実現しなくないですか?」
「そうだね~、この先“ボクと”一緒にいないと約束守れないね~」
「あ!」
ここでマルコはようやくミドに嵌められたことに気づく。いつか殺してあげるという約束は、一緒にいなければ不可能である。一緒にいることを約束したということは、マルコがミドと旅に出ることを了承したことになるのだ。
「ん〰〰〰〰〰〰! ミドさん!」
「言質は取ったからもう遅いよ~」
ミドは腕を組んでマルコに言う。
マルコは嵌められたことに不機嫌の様子を見せたが、内心では少し嬉しかったのか。それ以上抗議することはなかった。するとミドが言う。
「それじゃあボクはちょっとやることがあるから」
「やること? 何ですか?」
「ちょっと“アレ”を元通りにしないといけないからね~」
そういってミドは指さした方向を見る。マルコも目を向ける。その先には放火魔が燃やした街路樹の燃えカスが見えた。真っ黒焦げになっているものや、折れて倒れているものもある。
ミドはフィオがやった責任取るために一本一本丁寧に街路樹を再生させるつもりのようだ。女神の絵本による森羅の力を使えば半日ほどで可能だろう。
マルコは諦めて言った。
「分かりました。それじゃあ、ボクはフィオさんとキールさんのところに行ってきます」
「うん。いってらっしゃ~い」
ミドはマルコを見送った。──その時だった。
ドクン!
× × ×
『お願い、ミドさん……! ボクを“人として”死なせてください……!!』
× × ×
ミドの脳内にフラッシュバックのような光景が広がる。それは醜い異形の物に変わったマルコが涙を流してミドに助けを求めている姿だった。
ミドが鋭い目つきでつぶやく。
「──やめろ、女神」
「そんなに怒んないでよ~。ミ~ド~くん❤」
すると、ミドの精神が深いところに落ちていく。そこは真っ暗な世界でミドともう一人の少女しかいない世界。少女に向けてミドが言う。
「久しぶりだね。森羅の女神」
「もう~ホントだよ~。ミドくんったら全然私のこと呼んでくれないんだも~ん。嫌われたのかと思って心配しちゃった❤」
「できれば女神を覚醒させたくなかったよ」
「遠慮しなくていいのに~。ミドくんが望むなら、い~っぱい私の身体に甘えていいんだよ。あの頃みたいに❤」
「それは勘弁だな……せっかく自由になれたのに」
女神の言葉に、ミドが冷や汗をかきながら言った。明らかに恐怖による反応である。女神はパッと姿を消したと思うと、ミドの背後から左耳元に唇を近づけて甘噛みしながら囁いた。
「もう旅なんか止めて、また私と一つになろうよ❤」
「──ッ!」
するとミドの左耳から始まって左半身が一瞬で樹木に変わってしまう。左足が地面に根を張る前に動かして、女神と距離を取ってミドが叫ぶ。
「触るな!」
「もう~照れ屋さんなんだから~❤」
ミドは女神から離れて睨みつける。女神はミドの反応に喜んで興奮している様子だ。そしてミドが言う。
「さっきのマルコの姿。アレはなんだ?」
ミドがさきほどの醜い姿のマルコの映像について女神に訊ねた。すると女神が笑顔で答える。
「数ある可能性の内の一つを見せただけだよ」
「マルコがあんな姿になると?」
「私は『生きている大陸』出身の女神だよ。ミドくんが知らないこと、な~んでも知ってるの。彼を怪物にする方法は“叡智の図書館”にはいくらでもあるんだよ」
「叡智の図書館ねぇ。エッチな図書館なら興味あるんだけどな……」
「や~ん❤ ミドくんのエッチ~❤」
女神はニタニタ笑いながらミドを見つめて言う。すると女神が言う。
「ミドくんってどうして『生きている大陸』に行きたがるの? 叡智の図書館で何か探すつもり?」
「うちの痴呆老人が深夜俳諧中でね。迎えに行ってあげないといけないんだ」
「………………わかってると思うけど、私と別れるつもりじゃないよね?」
ミドが何も言わずに女神を睨む。すると女神が豹変して叫んだ。
「女神の呪いを解くなんて……絶対許さないからッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!」
衝撃波のような威圧感がミドを襲う。しかしミドは臆することなく言う。
「……もし、別れると言ったら?」
「その時は──、一緒に心中するなら許してあげる❤」
そう言うと、森羅の女神はミドの中の暗闇の中に消えて行った。ミドは一人になってから左半身を確認する。左手の小指がパキパキッと音を立てて木の枝のようになっている。
ミドはすぐに呼吸瞑想を繰り返した。鼻から四秒息を吸って、口から息を八秒かけて吐き出す。何度か繰り返すと小指が徐々に人の指に戻っていった。ミドは一安心という風に息を吐いて、小さな声でつぶやく。
「やれやれ、モテる男は辛いね……」
*
「はい、確かに。それでは内門を開きますので少々お待ちください旅人さん」
キールが見せた出国許可証を入国した時と同じ審査官の男がチラっと確認して言った。
パプリカ王国に滞在して早数日。ついにローグリー一味の出国の日がやってくる。
出国の手続きを無事に完了して、ミド、キール、フィオ、そして新しい仲間であるマルコの四人で内門を抜けて広い通路を歩いていく。
マルコはパプリカ王国では死んだことになっているため、大きめのフードを被って姿を隠しながら同行する。
カツカツカツ。コツコツコツ。
四人の足音だけが空しく通路全体に響き渡る。すると通路の途中で歩きながらミドがマルコに言う。
「マルコ、お別れはちゃんと済ませた?」
「はい、大丈夫です」
マルコは元気に答えた。すると今度はキールがマルコに言う。
「頼むから、いきなりホームシックにはならないでくれよ」
「なりませんよ! ボクはもう子どもじゃなりませんから!」
「少し前まで、お母さんお母さんって言ってたじゃねぇか」
「ボクはもう親離れしたんです!」
マルコは頬を膨らませてキールに反論する。するとミドがキールに言う。
「親の干渉を嫌がってプライベートな時間や空間を持ちたがる。思春期だね~。そういえば、マンボウ号に使ってない部屋ってあったっけ? マルコの部屋も必要だよね?」
「使ってない部屋ならあるはずだ。たぶん物置になってるけど片づければ大丈夫だろ」
マンボウ号の部屋は物置になってる部屋と使ってない客室を含めると、後四つか五つほどあるそうだ。マンボウ号自体がそれほど大きな飛行船ではないため、部屋一つ一つは広くはない。四畳半よりちょっと狭いくらいだ。
ミドが安心したようにマルコに言う。
「良かったね~マルコ。あるってさ。それなら心置きなくエロいヤツ観れるね」
「み、観ませんよ! ボクは硬派な漢を目指すんです!」
「またまた~本当は好きなくせに~。ボクが持ってるやつ貸してあげるよ? 『母乳人妻シリーズ ~一皮剥けた大っきな息子~』とか『どすけべメガネっ娘委員長 ~あの子のお眼鏡にかなったボク~』とかあるから貸してあげるよ。どっちがいい?」
「だ、だから観ませんって! そういうことを外で言わないでください!」
「あ、意外と黒ギャルとかの方が良かったりする? お客さん、イイのが入ってるよ~。黒ギャルの肌を真っ白に染めるヤツで──」
「き、キールさん! 助けてください!」
マルコは顔を真っ赤にしながら両手をワタワタと動かして抵抗の態度を示してキールの助けを求める。ミドはマルコの反応を見てヘラヘラ笑っている。
キールは「諦めろ~」と完全に助ける気がない。フィオに助けを求めようとしたが、目を逸らされた。マルコは諦めてミドの耳元で小さい声で何かを言っているようだ。
するとミドは怪しい商人のような口調で言う。
「オ~客さん、お~目が高いネ~。母乳に興味があるなら、授乳手コキのイイヤツが入ってるヨ~、濡れ濡れでいっぱいおっぱいで、お~すすめネ~」
「何で言っちゃうんですかあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
マルコはミドにあっさり性癖をバラされて膝をつき、頭を抱えて叫んでいた。さすがにキールとフィオも同情の色を隠せない様子だ。対してミドは自分と同じ性癖仲間が見つかって嬉しいのかニッコニコである。
その時だった。
ビ───────────────────────────────────!
突然、警報が鳴りだした。
「申し訳ありません。旅人さんを出国させるわけにはいかなくなりました」
通路の中に先ほどの入国審査官の男の声が響き渡った。
「どういうことだ!?」
「そうっスよ! さっきはOKしてくれたのに! 意味わかんないっス!」
キールとフィオが突然のことに怒りを露わにする。ミドは周囲を警戒している。マルコも不安そうに周りを見渡した。
すると九〇メートルほど離れた内門が開き始める。そこには大勢の人影のシルエットが見えた。するとその中の男たちがミドたちを指さして叫んだ。
「見つけたぞ! マルコ様の仇だああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
「マルコ様の無念を晴らすぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
そう言って走ってきた。ドドドドドと地鳴りのような音を響かせて大勢の人たちが武器を手にミドたちを捕まえようとしているようだ。
「な、ちょ!? もしかしてマルちゃんの性癖バラしたから怒ってるっスか!? ならミドくんの責任っス! おとなしく自首するっスよ!」
「それはどうかな~。そうでもなさそうだよ~」
フィオに責められたミドが言う。すると怒りの大衆からさらに怒号が聞こえてきた。
「あ! あの女、街路樹を燃やして回ってた放火魔女だ!」
「あの女も賊の仲間だったんだあああああああああああああああああああああああああああああ!!」
「捕まえろおおおおおおおおおおおおおおおおおお! 全員火あぶりだあああああああああああああああああああ!!」
するとミドが言う。
「どうやらフィオにも責任ありそうだね~」
「何でっスか! ちゃんとあの木はミドくんが生やして治したっスよ!」
フィオがミドの胸ぐらを掴んで揺らしながら叫び、ミドがヘラヘラ笑っている。するとキールが言う。
「んなこと言ってる場合か! さっさと逃げるぞ!」
キールはそう言って先に外門に向かって走り出した。そしてミドが言う。
「じゃあ逃げるよマルコ~!」
「は、はい!」
ミドに言われて反射的に一緒に走るマルコ。
「どうして、いつもいつもこうなるっスかああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
フィオは不満を漏らしながら必死で走る。マルコが先頭を走り、キール、マルコ、フィオ、ミドの順で通路を駆け抜ける。それほど長い通路ではないため急げば逃げ切れるはずだ。
しかしそのときキールが叫んだ。
「おいおいおいおい! 外門が閉まっていくぞ!?」
およそ一〇〇メートルほど先にある外門が徐々に両脇から閉じていくのが遠めにも分かった。このままでは外に出る前に門が閉じられてしまうだろう。そうなったら袋のネズミである。
「ど、どうするんですか!? もうボクが顔を出してみんなにマルコは生きてるって証明するしかありませんよ!」
「ん~、それだとマルコはパプリカ王国に引き留められちゃうからな~。できればマルコは死んだままでいてほしいんだよね~」
「でもこれじゃあ逃げ切れませんよ!」
「大丈夫大丈夫~だってマルコは才能あるから~」
「え?」
「ボクらの仲間になるなら逃亡生活は日常だよ~。だから見せてよ、マルコなら逃げきれるでしょ。どんな状況でもさ……!」
ミドはふざけて言っているわけではない様子だ。マルコならどんな状況でもローグリー一味を逃がしてくれると本気で信じているのだろう。
「ボクはマルコの後についていくよ」
「……分かりました!」
ミドの一言でマルコの顔つきが変わる。
するとマルコの前髪で隠れた顔に黄金の竜の鱗が浮かび上がり、左目の瞳孔は紫色の竜の瞳に変化して、オッドアイのようになっている。そして全身から金色のオーラが湯気のように噴き出してきた。
そしてマルコは紫の瞳で通路の観察していく。外門が閉まるまで約七秒前後。到着する頃には外門はとっくに閉じているだろう。普通に走っていては到底間に合わない。するとマルコが言う。
「皆さん、ついて来てください!」
そういってマルコは走り出す。ミド、キール、フィオの三人もついていく。するとマルコは徐々に通路の左側に寄って行った。そしてマルコが壁に近づいて壁に手を触れた瞬間である。通路の壁が回転扉のようになっており、その先に隠し通路があった。それを見たキールが言う。
「隠し通路か!?」
「非常用の通路です。ここから外に通じてるはずです!」
マルコが先に非常通路に入る。そしてミド、フィオ、キールの順で入っていく。通路はとても狭く、人が一人が通れるほどである。長い間使っていないのか、蜘蛛の巣が張っていたり、虫が壁に大量に蠢いている。
「んぎゃあ!? なんかゴキブリっぽい虫踏んじゃったっスぅ!!」
「皆さん! 出口です!」
フィオが虫に騒いていると、マルコが言った。
通路の先に白い日の光が見えた。マルコたちは白い光の中に飛び込んでいく。すると、パプリカ王国の外門からそれほど離れていない場所に出たようだ。
すぐ近くの視界の範囲を見渡すと、まんまるマンボウ号が目に入った。それを見たキールが言う。
「さすがだマルコ! 行くぞ!」
キールが全員に呼びかけ、マンボウ号に向かっていく。
「賊を見つけたぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「奴ら船に乗って逃げる気だ! 絶対に逃がすなあああああああああ!」
すると遠くの外門方面から大勢の男たちの声が聞こえる。外門から出てミドたちを見つけたようだ。こちらに気づくと、大騒ぎしながら走ってくるのが分かる。
ミドが地面に手を触れて「森羅万象 ──人食い花──」とつぶやく。すると地面から巨大な花が咲いてくる。その花は「ギャオ! ギャオ!」と鳴き声を上げている。
「ボクが足止めするからマンボウ号のエンジンかけて!」
「了解っス! マルちゃん、手伝ってほしいっス!」
マルコはフィオと先にマンボウ号の中に入って、フィオの指示通りに操作をするために先に行く。
ミドの人食い花を見た人たちは驚いて逃げたり、武器で応戦しようとしている。人食い花は「ギャア! ギャア!」と威嚇するだけで実際に食べてはいないようだ。
その間にキールがマンボウ号が風に飛ばされないように止めていた碇を上げる。マンボウ号の中ではフィオが息を切らせながら操作すると、エンジンがかかった。
「ミド、もういい! 早く来い!」
マンボウ号が上昇を始めて、キールがミドに叫ぶ。
「よしよし、偉いぞ~」
「キュ~、キュ~」
ミドが撫でると人食い花は独特の鳴き声をして喜んでいる様子だ。そして指をパチンと鳴らすと人食い花は、ぱふんとピンクの花弁になって消えていく。
「今行くよキール!」
そしてミドはキールの声を聞いて走り出した。もう三〇メートルほど上昇しているマンボウ号からキールが鬼紅線をミドに飛ばして引き上げる。ミドはキールに引き上げられてマンボウ号の中に入っていった。大衆たちはマンボウ号に向かって大声を張り上げていた。
船内でフィオが舵取りをしながら言う。
「いや~、ファインプレーだったっスよ。マルちゃん!」
「いえ……」
マルコが振り返って言う。そしてすぐにマンボウ号の窓の外を眺める。大勢の大衆とパプリカ王国、そして城の方をじっと見つめた。
──パプリカ王国の城のマルコの部屋。
ガチャリと扉を開ける者がいた。女王カタリナである。彼女は誰もいなくなったマルコの部屋の中に入る。そしてマルコが使っていた机の上に目を向けた。
「!」
そこには王家のブレスレットがポツンと置かれていた。王家の人間であることを示す大切なものである。それを見た女王カタリナがすべてを察したようにつぶやく。
「いってらっしゃい……マルコ──」
そしてカタリナは窓の外に広がる青い空を見つめた。
マンボウ号はどんどんパプリカ王国から離れていき、パプリカ王国が小さくなっていく。離れていくパプリカ王国をマンボウ号の窓からマルコがずっと、ずっと見続けていたマルコが、誰にも聞こえないように口の中で小さくつぶやいた。
「行ってきます。カタリナ姉さん、お母さん……」
こうしてマルコは外に飛び出していった。まだ見ぬ世界を知るために──。
*
パプリカ王国が完全に見えなくなってから数分が経過している。キールとミドが船内に入ってくる。
「あ~疲れた。いつものことだが、逃げるのも楽じゃねぇな」
「まぁ、ボクとキールは凶状持ちだから仕方ないよ~」
キールはとりあえず椅子にドカッと座る。ミドは冷蔵庫から冷たいお茶を出して飲んでいる。するとキールがミドに言う。
「そういえばミド、ココナリ村の男の金はどうした?」
「ココナリ村?」
それはマルコに依頼されてミドたちが迷宮に向かう途中の村でのことである。
迷いの森の抜け道を木こりの男から教えてもらう代わりに、生きてマルコを必ず連れてくると約束していた。そうすれば、五〇〇〇万ゼニーを返してもらうはずだったのだ。
本来はローグリー一味の金庫の管理を任されているキールがマルコを連れて回収するはずだった。しかしミドがマルコと大事な話があると言って連れて行ってしまった。ミドはキールの代わりに後でマルコとココナリ村に行くと言っていたため、キールはミドを信じて金の回収を任せていたのだ。
ただでさえ凹んで傷ついたマンボウ号の簡易的な修理費用で一八〇万ゼニーほど使ってしまっている。人手を借りたり、壊れた部品を買ったりと決して安いものではない。だから少しでも回収できるお金は喉から手が出るほど欲しい。五〇〇〇万となれば尚更である。
するとキールが言う。
「あの木こりの野郎に一時的に預けてた金だよ。ミドが行くって言ってただろうが。だからマルコと一緒に行動してたんだろ?」
「あ」
「『あ』じゃねぇよ! まさか、ミドお前……」
「……すみません。すっかり忘れてました」
ミドはそこでやっと思い出して声を漏らすように言う。するとキールが一瞬固まり、フィオに言った。
「フィオ! 今すぐ戻れえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!」
「無理言わないでほしいっスよ! ココナリ村にも追手がいるに違いないっス。ノコノコ戻って捕まるなんて御免っス!」
さらにミドが申し訳なさそうにキールに言う。
「マルコは“死んだ”ことになってるから……たぶん行っても……」
「クソったれえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」
キールの悲痛な叫びがマンボウ号の船内に木霊した。
結局、ローグリー一味は次の国まで、キール鬼軍曹の厳しい食事制限と節約生活を強いられることになった。
一日二食、食パン二枚とミニトマト一個、貯水槽の雨水のみで飢えをしのいだという。
*
──???。
「必ず儂の下に連れて帰ってくるのじゃ。よいなゾイ」
「ええ、分かってるわ。ママ」
真っ赤な和服を着た銀髪の少女が言うと、ゾイと呼ばれた女が返答する。
彼女の名は『ゾイ・ゲルヴィラ』、世界の清掃業者の掃除屋の一人である。ゾイは、目の前に座っている真っ赤な着物の銀髪の少女の前に立っている。すると銀髪の少女が口を開いた。
「ミドは……あの子は儂の子じゃ。やっと見つけた……」
「任せてママ」
銀髪の少女は嬉しそうに言う。ゾイと呼ばれた女は言うと、踵を返してドアの向こうに歩いて行った。そして豪華絢爛な廊下を歩きながらゾイが震えながら言う。
「ああ、また会えるなんてゾクゾクしちゃう//// 私のこと覚えてるかしら……緑髪の死神さん。いいえ、先輩──」
白い刺客『ゾイ・ゲルヴィラ』。再びミド一味を狙って動き出す──。
翌日、号外がパプリカ王国の全土に広がる。新聞屋の男は、道行く人たちに号外新聞をバラ撒いている。新聞の見出しには大きくこう書かれていた。
『第三王子殺害!? 英雄死す』
どうやら新聞を読んだ国民たちは大騒ぎしている様子だ。
「なんということだああああああああ! 我らが救世主、マルコ様がああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
「誰が! 誰がオレたちの英雄を……!」
「必ず捕まえろ! 下手人は即刻ギロチン送りだあああああああぁぁ!!」
膝をつき、涙を流して悲しむ者や、怒りを露わにして武器を手に取っている荒々しい者もいる。するとそこに、フードを目深に被った男が新聞屋に声をかけた。
「オレにも一つくれ」
「あいよ、一五〇ゼニーだ」
フードの男は金を払い、そのまま路地裏に姿を消した。
そして男は裏路地の角を曲がって歩いていく。その先には別の大通りに出る出口から真っ白な光が差し込んでいるのが見えた。男は出口の横に目を向ける。そこには壁に寄りかかっている女がいた。男は女に話しかけた。
「さすがは情報屋、国中が大騒ぎだ」
路地裏の壁に寄りかかって腕を組んだ女に、フードの男は顔を新聞を出して言った。すると女も言う。
「こういう依頼は今回限りです。私は情報を『売って』稼いでるんですよ。情報は信憑性が命なんです。偽情報を流してほしいなんて、あなたが初めてですよ」
「どこの馬の骨ともわからねぇ野郎の噂話じゃあ、酔っ払いの酒の肴にしかならねぇしな。その国で信頼されてる情報屋からってなれば話は別だろ?」
情報屋の女は頬を膨らませてプンプン怒って言う。どうやら情報屋の女はフードの男から、とある情報を国中に流してほしいと依頼されたらしい。
情報屋から情報を買いに来る者は多種多様だ。裏社会の者、王国の兵士たち、一般人では記者なんかも情報を買いに来る。新情報は誰よりも先に知りたいという人間は一定層は必ずいる。そういう連中に情報を流した結果、現在パプリカ王国は大騒ぎになっているのだ。
ファサッ……。
すると男が頭部のフードを上げた。そこから現れたのは、金髪くせ毛で猫顔の少年、キールだった。キールが女を見て言う。
「まさかマルコの専属メイドが情報屋もやってるとはな。最初に知ったときは驚いたよ。ミルルさん」
「王国で働いてると色んな情報がただ同然で手に入っちゃうんですよ。それが高値で売れるんだからやめられませんよ」
「ってかそれ、王国にバレたらマズいんじゃねぇのか?」
「大丈夫大丈夫、王国にとって敵になりそうな人には基本的に売りませんから。どうしてもってときは逆にデマ情報でも掴ませて返り討ちにしちゃいます」
「可愛い顔してエグイことすんだな、アンタ」
ミルルは笑顔で言うと、キールが顔を引きつらせる。そして財布からお札のお金を取り出してキールが言う。
「んじゃ、これは残り半分の報酬だ。前金と合わせてキッチリ一〇万ゼニー」
キールがミルルに金を渡すと彼女は「毎度あり~」と受け取って慣れた手つきでペラペラペラっとお金を数えだす。数え終わると情報屋の女が立ち去りながら言った。
「それじゃ、私はお城の仕事が残ってるのでこれで失礼させていただきます」
「本当にいいのか?」
キールがミルルを呼び止めるように言う。するとミルルが聞き返す。
「……何がですか?」
「マルコと別れることになるんだぞ」
「………………」
ミルルが数秒ほど沈黙してから口を開いた。
「いいんです。それが、マルコが望んでいることですから」
「旅人は危険がつきものだ、いつ帰れるかもわからない。最悪の場合、旅の途中で命を落とすことだって日常茶飯事だ」
「………………」
「最後の別れになるかもしれないんだぞ?」
「……大丈夫です。マルコは逃げ足だけは天下一品なんですから!」
そう言ってミルルはガッツポーズをした。そこから両手を下してつぶやいた。
「マルコのこと、よろしくお願いしますね」
「ああ、任せろ」
それを聞いたキールが真剣な表情で言う。ミルルは寂しそうだったが、どこか少し安心しているようにも見えた。
*
「どうして、ボクを殺さなかったんですか?」
──パプリカ王国の噴水がある中央公園。黒い前髪で片目を隠した少年が訊ねた。すると隣で座り、草団子を食べている緑髪の旅人が答える。
「ボクはちゃんと、依頼通りに殺したよ」
「ボクは死んでないですよ!」
黒髪の少年が否定する。しかし緑髪の旅人は平然としており、お茶をすすって「熱ちちっ!」と言っている。再度、黒髪の少年が訊ねる。
「真面目に答えてください! ミドさん!」
「パプリカ王国の第三王子、マルコ・パプリカは死んだよ。国中で大騒ぎになってるでしょ?」
「アレはキールさんが流した偽情報で……」
「嘘じゃないよ。だって今のマルコはもう“パプリカ王国第三王子”じゃないもん」
「意味が分かりませんよ。何を言ってるんですか?」
マルコと呼ばれた黒髪で片目を隠している少年が問いつめる。しかし、ミドと呼ばれた緑髪の少年は飄々と言う。
「忘れたの? あのときボクが言ったこと」
「え……?」
ミドがマルコの部屋に最初にやってきた夜、マルコはそれを思い出そうと記憶を辿っていった。徐々に薄ぼやけた記憶が瞼の裏に映し出される。マルコは慎重に記憶を思い出していった。
× × ×
「ミドさん……信じていいんですよね??」
「………………」
「ミドさん!」
「――大丈夫。緑髪の死神は必ず、パプリカ王国第三王子を殺しにくる」
× × ×
「あ」
マルコは思わず声を漏らしてしまう。するとミドがヒョコっと顔を近づけて言う。
「ね? “マルコを殺す”なんて一言も言ってないよ」
「そんなの、屁理屈ですよ」
マルコは頬を膨らませて不機嫌になる。するとミドが草団子を食べ終わり、お茶をすすって一息ついてから言う。
「まだ……死にたいと思ってるの?」
ミドがいつになく、真剣な表情で訊ねた。するとマルコが少し緊張しながら言う。
「分かりません」
「分かんないなら、別に今すぐ死ななくてもいいんじゃない?」
ミドがいつもの飄々とした態度で言う。マルコは俯いて声を漏らすようにつぶやいた。
「そうですよね……自殺なんて、良くないですよね……」
ミドはマルコのつぶやきを聞いて言う。
「え? 自殺って、そんなにダメかな?」
「でもミドさんは、自殺否定派なんですよね」
「そんなことないよ」
マルコはミドの発言の意図が理解できず困惑している。ミドは続けてマルコに言った。
「そりゃあ、せっかく知り合えたのに死なれたら悲しいな~って思うけどね~。でもボクは、その人の“人生最期の選択”を否定したくないだけなんだ~」
「最期の、選択……」
ミドはヘラヘラ笑いながら言った。
あなたは、一度でも自殺を考えたことがありますか?
想像してみてほしい。
毎朝ベッドから起きた瞬間、あなたの目の前にSFのような液晶ヴィジョンが空間に現れたとする。そこから「今日を生きますか? それとも死にますか?」という機械的な音声が流れる。
自殺を考える人の脳内には、このような選択肢が毎日、酷い場合は数分に何度も訪れる。常に『死という選択肢』が頭の中で反芻思考のようにグルグル繰り返し表示され続ける。まるで無限に開かれるポップアップ広告のようにである。
生活のありとあらゆる場所で『死』を連想させる選択肢が脳内に現れる。大抵の場合「生きます」を選択して人生の続きが始まるのだ。
人生が辛くても自殺しない人たちは、なぜ自殺を選ばないのだろう。もしかしたら『自殺という選択肢』が彼ら彼女らの中に存在していないだけなのではないか。
朝起きて、無意識に呼吸を繰り返し、とりあえず朝食を食べて、仕事や学校に出る。疲れて家に帰って、一日のストレスを発散するために遊び、夕食を食べて、眠くなったら寝る。
彼らは明確に「生きる!」と毎日選択をしているわけではない。考えずに生活するということが、無意識に『死にたくない』を選択していることになる。むしろ、それでいいのかもしれない。知る必要のないことは知らなくていい。
学を絶てば憂い無し。学問するのをやめてしまえば、心配ごとはなくなる。
知らなくてもいいような世間の声を知るから悩まされて『憂い』が生まれる。
自殺という選択肢があることを知らなければ、自殺という発想すら思いつかない。実際に自殺のニュースが報道されるほど、世間の自殺率が上昇すると言われている。自殺という『学』を知ってしまったが故の悲しい現実だ。
だが絶望している者にとって『死』には甘い誘惑の香りが付きまとうものなのだ。
暗闇の中、希望の灯のように『死』には安楽の可能性という甘い香りが漂っており、光り輝いて見える。そして誘惑に負け、勢いで「死にます」を選択したときに自殺という現象が発生する。言い方は良くないが、まさに飛んで火にいる夏の虫だ。
自殺に必要なのは、その日の『気分』の状態と、勇気を出して一歩だけ前に踏み出す『勢い』だけだ。
有能な者ほど人生を価値あるものにしようと真面目に『学』と努力を惜しまず、やるべきことを明日に先送りしない。そして高い能力のせいで目立ってしまい、無能な多数派の誹謗中傷を浴びせられ、イジメられ易い。
どうせなら無能になってしまえばよいのだ。明日できることは、明日やればいい。
世間の人は「明日やろう」は馬鹿野郎と言うかもしれない。だが、それでもいいじゃないか。「もう自殺しようかな……。でも面倒くさいから明日でいいや……」そうやって明日、明日、また明日、と先送りにしてしまえばいい。
無用の用。役に立たないくらいで丁度いいんだ。助けられるくらいでバランスが取れる。むしろ助けた側は、人の役に立ったことによる快感で満足するようにできている。ボランティアがなくならないのはそういうことだ。
元々人生に高い低いの価値など存在しない。どこかの誰かが勝手に正義や常識を定義したように、価値も勝手に定義されただけの思い込み、幻に過ぎないのだ。
正義という概念を、どこかの誰かが勝手に定義して大衆を扇動した。その結果、反対の悪という概念が生まれてしまった。知らぬ間に悪にされた一般市民は迫害と虐殺の対象にされてしまった。
価値という概念を、どこかの誰かが勝手に定義して大衆に刷り込ませた。その結果、同じ石でも価値の高い石と、価値の低い石が生まれ、奪い合いの争いが始まった。
人は需要が多くて供給が少ないものを、希少価値と呼んでありがたがる。それで言ったら人類は増えると価値が下がり、減ると価値が上がるのだろうか。
それならば人口が減れば減るほど絶滅危惧種として注目され、国民たちの人生はさぞかし価値が高いものになるだろう。その国の民が最後の一人になったとき、その者は世界最高峰の希少価値になれるはずだ。唯一無二の価値の高い人生を手に入れたのだから喜んでいることだろう。
ここで質問する。
──あなたは、最後の一人になりたいですか?
人生の価値など幻想だ。増えようが減ろうがすべての人生は同じのはずだ。
テクノロジーが発達して膨大な情報を得られたとしても、必要な情報とは限らない。
文明が発達して生まれた概念は幻想だ。価値や正義という幻を信じても振り回されるだけだ。
『学』は少ない方がいい。どうしてもと言うなら取捨選択は必須だ。
他人の決めた価値や正義を信じ過ぎてはいけない。人生を振り回されるだけだ。
だから私の戯言も信じてはいけない。通りすがりの旅人がつぶやいてた意味不明な独り言だと思ってほしい。
もし、それでも自殺したいなら……それでもいい。ボクはそれを否定しない。選ぶのはあなた自身なのだから。
するとマルコがミドに問いかけた。
「ミドさんは、天国と地獄はあると思いますか?」
「うん、あると思うよ」
「自殺したら、やっぱり地獄行きでしょうか?」
「かもしれないね~」
「地獄って、怖いところ……ですよね」
「………………」
突然ミドが沈黙。マルコはミドの返答がないことに困惑している。するとミドが口を開いた。
「マルコ。神様はどうして、この世界の理不尽や不条理を黙って見ていると思う?」
「え……いきなり何ですか?」
「迫害、虐殺、自然災害。この世界には悲しい現実が数えきれないほどあるけど、どうして神様は救ってくれないんだろうね?」
「分かりませんよ……」
「でも仮に、神様がボクたちを救わないのは“当然のこと”だったとしたら……どう考える?」
「神様が人を救わないことが、当たり前ってことですか?」
「神様がボクたちの味方とは限らないってこと」
マルコはミドの言っていることに理解が及ばず困ってしまう。ミドは続けて言う。
「要するに神様はさ、ボクたちに苦しんでほしいんじゃないかな。この世界を救ってくれないんじゃない。元々救ってはいけない世界だから」
「救ってはいけない世界……それって、つまり……」
マルコが察したようにつぶやく。するとミドが言う。
「この世界が『地獄』そのものだったとしたら、つじつまが合うと思わない?」
「?!」
マルコは目を見開く。ミドが言う。
「ボクたちが地獄に住んでるなら、神様がボクたちを救う理由がないよね。むしろボクたちが苦しんでくれた方が嬉しいはずだよ。だって苦しんでもらうために地獄に堕としたんだから」
「確かに……」
「ボクの爺っちゃんが言ってたんだけどね~。この世界は重力という鎖に繋がれた檻の中で、寿命は刑期の長さなんだってさ~」
「え、ボクたちは囚人ってことですか?」
「だから自殺したらまた地獄に堕とされるかもね~。自殺は脱獄みたいな扱いなのかな?」
ミドは何が面白いのか笑いながら言った。マルコは情報の量で頭がこんがらがっている様子だ。そしてマルコが言う。
「ボク……地獄はやっぱりイヤですよ」
「じゃあ一緒に天国に行く?」
「どうやってですか?」
「ボクが目指している場所になら、行く方法が見つかるかもよ~」
「本当ですか?!」
「うん」
「どこですか?」
マルコが訊ねると、ミドが一呼吸おいてから言う。
「──生きている大陸」
ミドの一言で一瞬だが空気が変わったような気がした。するとマルコが思い出すように言う。
「古代文明が残された幻の大陸ですよね。少しだけなら聞いたことがあります」
「天国に一番近いって言われてる場所だよ」
マルコは考えるように俯いた。するとミドが口角を上げて言う。
「あれ、興味湧いてきた?」
「ちょっとだけ」
「それは良かった。好奇心は人生に欠かせないスパイスだからね~」
ミドは嬉しそうに微笑んで言う。マルコもつられて笑った。するとミドが目線を落としてマルコに背を向けながらつぶやく。
「もし──」
するとミドは静かにマルコに言った。
「もしこの先、マルコどうしても死にたくなったら……ボクが責任をもって、本当に殺してあげるよ。だから心配しないで」
ミドはそう言って、悲しそうな顔を浮かべた。
それは人の死という責任を一人で背負うという宣言である。マルコはミドが死神と呼ばれていることの意味を分かったような気がした。
「この約束は、嘘でも屁理屈でもないよ」
「……分かりました。約束ですよ」
「うん、約束」
マルコはミドに殺してあげると言われて不思議と恐怖を感じず、むしろ安心している自分に驚いていた。
「ん? この先って、一緒にいないと実現しなくないですか?」
「そうだね~、この先“ボクと”一緒にいないと約束守れないね~」
「あ!」
ここでマルコはようやくミドに嵌められたことに気づく。いつか殺してあげるという約束は、一緒にいなければ不可能である。一緒にいることを約束したということは、マルコがミドと旅に出ることを了承したことになるのだ。
「ん〰〰〰〰〰〰! ミドさん!」
「言質は取ったからもう遅いよ~」
ミドは腕を組んでマルコに言う。
マルコは嵌められたことに不機嫌の様子を見せたが、内心では少し嬉しかったのか。それ以上抗議することはなかった。するとミドが言う。
「それじゃあボクはちょっとやることがあるから」
「やること? 何ですか?」
「ちょっと“アレ”を元通りにしないといけないからね~」
そういってミドは指さした方向を見る。マルコも目を向ける。その先には放火魔が燃やした街路樹の燃えカスが見えた。真っ黒焦げになっているものや、折れて倒れているものもある。
ミドはフィオがやった責任取るために一本一本丁寧に街路樹を再生させるつもりのようだ。女神の絵本による森羅の力を使えば半日ほどで可能だろう。
マルコは諦めて言った。
「分かりました。それじゃあ、ボクはフィオさんとキールさんのところに行ってきます」
「うん。いってらっしゃ~い」
ミドはマルコを見送った。──その時だった。
ドクン!
× × ×
『お願い、ミドさん……! ボクを“人として”死なせてください……!!』
× × ×
ミドの脳内にフラッシュバックのような光景が広がる。それは醜い異形の物に変わったマルコが涙を流してミドに助けを求めている姿だった。
ミドが鋭い目つきでつぶやく。
「──やめろ、女神」
「そんなに怒んないでよ~。ミ~ド~くん❤」
すると、ミドの精神が深いところに落ちていく。そこは真っ暗な世界でミドともう一人の少女しかいない世界。少女に向けてミドが言う。
「久しぶりだね。森羅の女神」
「もう~ホントだよ~。ミドくんったら全然私のこと呼んでくれないんだも~ん。嫌われたのかと思って心配しちゃった❤」
「できれば女神を覚醒させたくなかったよ」
「遠慮しなくていいのに~。ミドくんが望むなら、い~っぱい私の身体に甘えていいんだよ。あの頃みたいに❤」
「それは勘弁だな……せっかく自由になれたのに」
女神の言葉に、ミドが冷や汗をかきながら言った。明らかに恐怖による反応である。女神はパッと姿を消したと思うと、ミドの背後から左耳元に唇を近づけて甘噛みしながら囁いた。
「もう旅なんか止めて、また私と一つになろうよ❤」
「──ッ!」
するとミドの左耳から始まって左半身が一瞬で樹木に変わってしまう。左足が地面に根を張る前に動かして、女神と距離を取ってミドが叫ぶ。
「触るな!」
「もう~照れ屋さんなんだから~❤」
ミドは女神から離れて睨みつける。女神はミドの反応に喜んで興奮している様子だ。そしてミドが言う。
「さっきのマルコの姿。アレはなんだ?」
ミドがさきほどの醜い姿のマルコの映像について女神に訊ねた。すると女神が笑顔で答える。
「数ある可能性の内の一つを見せただけだよ」
「マルコがあんな姿になると?」
「私は『生きている大陸』出身の女神だよ。ミドくんが知らないこと、な~んでも知ってるの。彼を怪物にする方法は“叡智の図書館”にはいくらでもあるんだよ」
「叡智の図書館ねぇ。エッチな図書館なら興味あるんだけどな……」
「や~ん❤ ミドくんのエッチ~❤」
女神はニタニタ笑いながらミドを見つめて言う。すると女神が言う。
「ミドくんってどうして『生きている大陸』に行きたがるの? 叡智の図書館で何か探すつもり?」
「うちの痴呆老人が深夜俳諧中でね。迎えに行ってあげないといけないんだ」
「………………わかってると思うけど、私と別れるつもりじゃないよね?」
ミドが何も言わずに女神を睨む。すると女神が豹変して叫んだ。
「女神の呪いを解くなんて……絶対許さないからッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!」
衝撃波のような威圧感がミドを襲う。しかしミドは臆することなく言う。
「……もし、別れると言ったら?」
「その時は──、一緒に心中するなら許してあげる❤」
そう言うと、森羅の女神はミドの中の暗闇の中に消えて行った。ミドは一人になってから左半身を確認する。左手の小指がパキパキッと音を立てて木の枝のようになっている。
ミドはすぐに呼吸瞑想を繰り返した。鼻から四秒息を吸って、口から息を八秒かけて吐き出す。何度か繰り返すと小指が徐々に人の指に戻っていった。ミドは一安心という風に息を吐いて、小さな声でつぶやく。
「やれやれ、モテる男は辛いね……」
*
「はい、確かに。それでは内門を開きますので少々お待ちください旅人さん」
キールが見せた出国許可証を入国した時と同じ審査官の男がチラっと確認して言った。
パプリカ王国に滞在して早数日。ついにローグリー一味の出国の日がやってくる。
出国の手続きを無事に完了して、ミド、キール、フィオ、そして新しい仲間であるマルコの四人で内門を抜けて広い通路を歩いていく。
マルコはパプリカ王国では死んだことになっているため、大きめのフードを被って姿を隠しながら同行する。
カツカツカツ。コツコツコツ。
四人の足音だけが空しく通路全体に響き渡る。すると通路の途中で歩きながらミドがマルコに言う。
「マルコ、お別れはちゃんと済ませた?」
「はい、大丈夫です」
マルコは元気に答えた。すると今度はキールがマルコに言う。
「頼むから、いきなりホームシックにはならないでくれよ」
「なりませんよ! ボクはもう子どもじゃなりませんから!」
「少し前まで、お母さんお母さんって言ってたじゃねぇか」
「ボクはもう親離れしたんです!」
マルコは頬を膨らませてキールに反論する。するとミドがキールに言う。
「親の干渉を嫌がってプライベートな時間や空間を持ちたがる。思春期だね~。そういえば、マンボウ号に使ってない部屋ってあったっけ? マルコの部屋も必要だよね?」
「使ってない部屋ならあるはずだ。たぶん物置になってるけど片づければ大丈夫だろ」
マンボウ号の部屋は物置になってる部屋と使ってない客室を含めると、後四つか五つほどあるそうだ。マンボウ号自体がそれほど大きな飛行船ではないため、部屋一つ一つは広くはない。四畳半よりちょっと狭いくらいだ。
ミドが安心したようにマルコに言う。
「良かったね~マルコ。あるってさ。それなら心置きなくエロいヤツ観れるね」
「み、観ませんよ! ボクは硬派な漢を目指すんです!」
「またまた~本当は好きなくせに~。ボクが持ってるやつ貸してあげるよ? 『母乳人妻シリーズ ~一皮剥けた大っきな息子~』とか『どすけべメガネっ娘委員長 ~あの子のお眼鏡にかなったボク~』とかあるから貸してあげるよ。どっちがいい?」
「だ、だから観ませんって! そういうことを外で言わないでください!」
「あ、意外と黒ギャルとかの方が良かったりする? お客さん、イイのが入ってるよ~。黒ギャルの肌を真っ白に染めるヤツで──」
「き、キールさん! 助けてください!」
マルコは顔を真っ赤にしながら両手をワタワタと動かして抵抗の態度を示してキールの助けを求める。ミドはマルコの反応を見てヘラヘラ笑っている。
キールは「諦めろ~」と完全に助ける気がない。フィオに助けを求めようとしたが、目を逸らされた。マルコは諦めてミドの耳元で小さい声で何かを言っているようだ。
するとミドは怪しい商人のような口調で言う。
「オ~客さん、お~目が高いネ~。母乳に興味があるなら、授乳手コキのイイヤツが入ってるヨ~、濡れ濡れでいっぱいおっぱいで、お~すすめネ~」
「何で言っちゃうんですかあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
マルコはミドにあっさり性癖をバラされて膝をつき、頭を抱えて叫んでいた。さすがにキールとフィオも同情の色を隠せない様子だ。対してミドは自分と同じ性癖仲間が見つかって嬉しいのかニッコニコである。
その時だった。
ビ───────────────────────────────────!
突然、警報が鳴りだした。
「申し訳ありません。旅人さんを出国させるわけにはいかなくなりました」
通路の中に先ほどの入国審査官の男の声が響き渡った。
「どういうことだ!?」
「そうっスよ! さっきはOKしてくれたのに! 意味わかんないっス!」
キールとフィオが突然のことに怒りを露わにする。ミドは周囲を警戒している。マルコも不安そうに周りを見渡した。
すると九〇メートルほど離れた内門が開き始める。そこには大勢の人影のシルエットが見えた。するとその中の男たちがミドたちを指さして叫んだ。
「見つけたぞ! マルコ様の仇だああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
「マルコ様の無念を晴らすぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
そう言って走ってきた。ドドドドドと地鳴りのような音を響かせて大勢の人たちが武器を手にミドたちを捕まえようとしているようだ。
「な、ちょ!? もしかしてマルちゃんの性癖バラしたから怒ってるっスか!? ならミドくんの責任っス! おとなしく自首するっスよ!」
「それはどうかな~。そうでもなさそうだよ~」
フィオに責められたミドが言う。すると怒りの大衆からさらに怒号が聞こえてきた。
「あ! あの女、街路樹を燃やして回ってた放火魔女だ!」
「あの女も賊の仲間だったんだあああああああああああああああああああああああああああああ!!」
「捕まえろおおおおおおおおおおおおおおおおおお! 全員火あぶりだあああああああああああああああああああ!!」
するとミドが言う。
「どうやらフィオにも責任ありそうだね~」
「何でっスか! ちゃんとあの木はミドくんが生やして治したっスよ!」
フィオがミドの胸ぐらを掴んで揺らしながら叫び、ミドがヘラヘラ笑っている。するとキールが言う。
「んなこと言ってる場合か! さっさと逃げるぞ!」
キールはそう言って先に外門に向かって走り出した。そしてミドが言う。
「じゃあ逃げるよマルコ~!」
「は、はい!」
ミドに言われて反射的に一緒に走るマルコ。
「どうして、いつもいつもこうなるっスかああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
フィオは不満を漏らしながら必死で走る。マルコが先頭を走り、キール、マルコ、フィオ、ミドの順で通路を駆け抜ける。それほど長い通路ではないため急げば逃げ切れるはずだ。
しかしそのときキールが叫んだ。
「おいおいおいおい! 外門が閉まっていくぞ!?」
およそ一〇〇メートルほど先にある外門が徐々に両脇から閉じていくのが遠めにも分かった。このままでは外に出る前に門が閉じられてしまうだろう。そうなったら袋のネズミである。
「ど、どうするんですか!? もうボクが顔を出してみんなにマルコは生きてるって証明するしかありませんよ!」
「ん~、それだとマルコはパプリカ王国に引き留められちゃうからな~。できればマルコは死んだままでいてほしいんだよね~」
「でもこれじゃあ逃げ切れませんよ!」
「大丈夫大丈夫~だってマルコは才能あるから~」
「え?」
「ボクらの仲間になるなら逃亡生活は日常だよ~。だから見せてよ、マルコなら逃げきれるでしょ。どんな状況でもさ……!」
ミドはふざけて言っているわけではない様子だ。マルコならどんな状況でもローグリー一味を逃がしてくれると本気で信じているのだろう。
「ボクはマルコの後についていくよ」
「……分かりました!」
ミドの一言でマルコの顔つきが変わる。
するとマルコの前髪で隠れた顔に黄金の竜の鱗が浮かび上がり、左目の瞳孔は紫色の竜の瞳に変化して、オッドアイのようになっている。そして全身から金色のオーラが湯気のように噴き出してきた。
そしてマルコは紫の瞳で通路の観察していく。外門が閉まるまで約七秒前後。到着する頃には外門はとっくに閉じているだろう。普通に走っていては到底間に合わない。するとマルコが言う。
「皆さん、ついて来てください!」
そういってマルコは走り出す。ミド、キール、フィオの三人もついていく。するとマルコは徐々に通路の左側に寄って行った。そしてマルコが壁に近づいて壁に手を触れた瞬間である。通路の壁が回転扉のようになっており、その先に隠し通路があった。それを見たキールが言う。
「隠し通路か!?」
「非常用の通路です。ここから外に通じてるはずです!」
マルコが先に非常通路に入る。そしてミド、フィオ、キールの順で入っていく。通路はとても狭く、人が一人が通れるほどである。長い間使っていないのか、蜘蛛の巣が張っていたり、虫が壁に大量に蠢いている。
「んぎゃあ!? なんかゴキブリっぽい虫踏んじゃったっスぅ!!」
「皆さん! 出口です!」
フィオが虫に騒いていると、マルコが言った。
通路の先に白い日の光が見えた。マルコたちは白い光の中に飛び込んでいく。すると、パプリカ王国の外門からそれほど離れていない場所に出たようだ。
すぐ近くの視界の範囲を見渡すと、まんまるマンボウ号が目に入った。それを見たキールが言う。
「さすがだマルコ! 行くぞ!」
キールが全員に呼びかけ、マンボウ号に向かっていく。
「賊を見つけたぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「奴ら船に乗って逃げる気だ! 絶対に逃がすなあああああああああ!」
すると遠くの外門方面から大勢の男たちの声が聞こえる。外門から出てミドたちを見つけたようだ。こちらに気づくと、大騒ぎしながら走ってくるのが分かる。
ミドが地面に手を触れて「森羅万象 ──人食い花──」とつぶやく。すると地面から巨大な花が咲いてくる。その花は「ギャオ! ギャオ!」と鳴き声を上げている。
「ボクが足止めするからマンボウ号のエンジンかけて!」
「了解っス! マルちゃん、手伝ってほしいっス!」
マルコはフィオと先にマンボウ号の中に入って、フィオの指示通りに操作をするために先に行く。
ミドの人食い花を見た人たちは驚いて逃げたり、武器で応戦しようとしている。人食い花は「ギャア! ギャア!」と威嚇するだけで実際に食べてはいないようだ。
その間にキールがマンボウ号が風に飛ばされないように止めていた碇を上げる。マンボウ号の中ではフィオが息を切らせながら操作すると、エンジンがかかった。
「ミド、もういい! 早く来い!」
マンボウ号が上昇を始めて、キールがミドに叫ぶ。
「よしよし、偉いぞ~」
「キュ~、キュ~」
ミドが撫でると人食い花は独特の鳴き声をして喜んでいる様子だ。そして指をパチンと鳴らすと人食い花は、ぱふんとピンクの花弁になって消えていく。
「今行くよキール!」
そしてミドはキールの声を聞いて走り出した。もう三〇メートルほど上昇しているマンボウ号からキールが鬼紅線をミドに飛ばして引き上げる。ミドはキールに引き上げられてマンボウ号の中に入っていった。大衆たちはマンボウ号に向かって大声を張り上げていた。
船内でフィオが舵取りをしながら言う。
「いや~、ファインプレーだったっスよ。マルちゃん!」
「いえ……」
マルコが振り返って言う。そしてすぐにマンボウ号の窓の外を眺める。大勢の大衆とパプリカ王国、そして城の方をじっと見つめた。
──パプリカ王国の城のマルコの部屋。
ガチャリと扉を開ける者がいた。女王カタリナである。彼女は誰もいなくなったマルコの部屋の中に入る。そしてマルコが使っていた机の上に目を向けた。
「!」
そこには王家のブレスレットがポツンと置かれていた。王家の人間であることを示す大切なものである。それを見た女王カタリナがすべてを察したようにつぶやく。
「いってらっしゃい……マルコ──」
そしてカタリナは窓の外に広がる青い空を見つめた。
マンボウ号はどんどんパプリカ王国から離れていき、パプリカ王国が小さくなっていく。離れていくパプリカ王国をマンボウ号の窓からマルコがずっと、ずっと見続けていたマルコが、誰にも聞こえないように口の中で小さくつぶやいた。
「行ってきます。カタリナ姉さん、お母さん……」
こうしてマルコは外に飛び出していった。まだ見ぬ世界を知るために──。
*
パプリカ王国が完全に見えなくなってから数分が経過している。キールとミドが船内に入ってくる。
「あ~疲れた。いつものことだが、逃げるのも楽じゃねぇな」
「まぁ、ボクとキールは凶状持ちだから仕方ないよ~」
キールはとりあえず椅子にドカッと座る。ミドは冷蔵庫から冷たいお茶を出して飲んでいる。するとキールがミドに言う。
「そういえばミド、ココナリ村の男の金はどうした?」
「ココナリ村?」
それはマルコに依頼されてミドたちが迷宮に向かう途中の村でのことである。
迷いの森の抜け道を木こりの男から教えてもらう代わりに、生きてマルコを必ず連れてくると約束していた。そうすれば、五〇〇〇万ゼニーを返してもらうはずだったのだ。
本来はローグリー一味の金庫の管理を任されているキールがマルコを連れて回収するはずだった。しかしミドがマルコと大事な話があると言って連れて行ってしまった。ミドはキールの代わりに後でマルコとココナリ村に行くと言っていたため、キールはミドを信じて金の回収を任せていたのだ。
ただでさえ凹んで傷ついたマンボウ号の簡易的な修理費用で一八〇万ゼニーほど使ってしまっている。人手を借りたり、壊れた部品を買ったりと決して安いものではない。だから少しでも回収できるお金は喉から手が出るほど欲しい。五〇〇〇万となれば尚更である。
するとキールが言う。
「あの木こりの野郎に一時的に預けてた金だよ。ミドが行くって言ってただろうが。だからマルコと一緒に行動してたんだろ?」
「あ」
「『あ』じゃねぇよ! まさか、ミドお前……」
「……すみません。すっかり忘れてました」
ミドはそこでやっと思い出して声を漏らすように言う。するとキールが一瞬固まり、フィオに言った。
「フィオ! 今すぐ戻れえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!」
「無理言わないでほしいっスよ! ココナリ村にも追手がいるに違いないっス。ノコノコ戻って捕まるなんて御免っス!」
さらにミドが申し訳なさそうにキールに言う。
「マルコは“死んだ”ことになってるから……たぶん行っても……」
「クソったれえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」
キールの悲痛な叫びがマンボウ号の船内に木霊した。
結局、ローグリー一味は次の国まで、キール鬼軍曹の厳しい食事制限と節約生活を強いられることになった。
一日二食、食パン二枚とミニトマト一個、貯水槽の雨水のみで飢えをしのいだという。
*
──???。
「必ず儂の下に連れて帰ってくるのじゃ。よいなゾイ」
「ええ、分かってるわ。ママ」
真っ赤な和服を着た銀髪の少女が言うと、ゾイと呼ばれた女が返答する。
彼女の名は『ゾイ・ゲルヴィラ』、世界の清掃業者の掃除屋の一人である。ゾイは、目の前に座っている真っ赤な着物の銀髪の少女の前に立っている。すると銀髪の少女が口を開いた。
「ミドは……あの子は儂の子じゃ。やっと見つけた……」
「任せてママ」
銀髪の少女は嬉しそうに言う。ゾイと呼ばれた女は言うと、踵を返してドアの向こうに歩いて行った。そして豪華絢爛な廊下を歩きながらゾイが震えながら言う。
「ああ、また会えるなんてゾクゾクしちゃう//// 私のこと覚えてるかしら……緑髪の死神さん。いいえ、先輩──」
白い刺客『ゾイ・ゲルヴィラ』。再びミド一味を狙って動き出す──。
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