大人向け童話の著作箱

森林千花

文字の大きさ
4 / 16
ぽかぽかなお話

とまり湯トコハネ

しおりを挟む
 これはどういった状況だろうか。
 熱い湯に浸かりながら、カンジはここまでのことを思い返しました。
 この日、カンジは仕事を終えた後で、いつものように電車に揺られていました。
「次は終点、トマリユトコハネマエー」
 不意に聞こえてきた車内アナウンス。カンジは聞き覚えのない駅名に思わず立ち上がりました。
 終点ということは、ひょっとして乗り過ごしたのだろうか。
 そう思ったカンジは駅についた瞬間、すぐに電車を降りました。駅員に尋ねようと小走りで運転席へと向かいましたが、驚いたことにそこには誰もいませんでした。
 加えて、自分以外に乗客がいなかったことにも気がつきました。
「どういうことだ……?」
 カンジは混乱していました。するとそこに誰かが声をかけてきました。
「本日のお客様ですね!」
「うわっ!」
 小心者のカンジは驚いたあまり大声をあげてしまいました。
「あら、驚かせたようですみません」
「い、いえ、こちらこそ気づかずすみません」
 互いに謝った後、目の前にいた若い女性はこう言いました。
「お待ちしていました。ご案内しますね!」
「ご案内って、どこに?」
「もちろん『とまり湯トコハネ』ですよ!」
「トマリユトコハネ……?」
 カンジは首を傾げてすぐに、先程聞こえた駅名を思い出しました。どうやら「トマリユトコハネ前」ということだったようです。
 しかしカンジはまだ「トマリユトコハネ」がなんなのか、少しもわかっていませんでした。
「あの――」
 声をかけた瞬間、突然周囲の景色が変化しました。
「はい、着きました!」
「えっ……」
 カンジは状況がうまく飲み込めずにいました。
 それもそのはず。気づけば古めかしい駅のホームから、建物の前に移動していたのですから。
「お客様、『とまり湯トコハネ』へようこそ!」
「あ、そういうことか……」
 カンジは店に掲げられた「とまり湯トコハネ」の看板を見て、ようやくその正体を理解することができました。
「さあさあ、お入りくださいな」
「え、いや、でも――」
「あなたは本日のお客様ですから!」
 強引に背中を押され、カンジは引き戸をカラカラと開けました。するとそこには一人の女性が立っています。
「ようこそお越しくださいました。どうぞごゆっくりお楽しみください」
 その女性はとびきり美しく、カンジはつい見惚れてしまいました。背後から先程の若い女性が言います。
「お客様、鼻の下伸びてますよ。いくらうちの女将が美人だからって、みっともないですよ?」
「こらマユミ、お客様に失礼なことを言ってはいけませんよ」
「はぁい」
 女将にたしなめられたマユミは、顔に出ていることを指摘され動揺しているカンジに言いました。
「改めましてお客様、こちらへどうぞ」
「あ、はい」
 こうしてカンジは今、湯に浸かっているわけです。
「ふぅ……」
 漂う樹木のような匂いを嗅ぎながら、深い息を吐きました。
「こんなにゆっくり湯に浸かるのって、久々かもしれないな」
 毎日ヘトヘトで仕事から帰ってくるカンジは、風呂を沸かす気力も残っておらず、シャワーだけで済ませる日が増えていたのです。
「はぁ……」
 カンジは湯気と一緒に日々の疲れが消えていく気がしました。 
「本日はお越しいただきありがとうございました」
「いえいえ、すっかり長居しちゃって」
「いいんですよ。時は止めてありますから」
「え?」
「それでは、駅までお送りしますね!」
「あ、えっと、ちょっと――」
 そこでカンジは、はっと目を覚ましました。
 ここは最寄り駅のホームの中、どうやら夢でもみていたようです。
 あれはなんだったのだろうか。
 不思議に思いつつ鞄からスマートフォンを取り出そうとして、身に覚えのない匂い袋が入っていることに気がつきました。
「これって……」
 思わず取り出して嗅いでみると、覚えのある樹木のような匂いがしました。
「また、行けるといいな」
 カンジは匂い袋を見つめながら、静かに呟きました。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ぼくのだいじなヒーラー

もちっぱち
絵本
台所でお母さんと喧嘩した。 遊んでほしくて駄々をこねただけなのに 怖い顔で怒っていたお母さん。 そんな時、不思議な空間に包まれてふわりと気持ちが軽くなった。 癒される謎の生き物に会えたゆうくんは楽しくなった。 お子様向けの作品です ひらがな表記です。 ぜひ読んでみてください。 イラスト:ChatGPT(OpenAI)生成

極甘独占欲持ち王子様は、優しくて甘すぎて。

猫菜こん
児童書・童話
 私は人より目立たずに、ひっそりと生きていたい。  だから大きな伊達眼鏡で、毎日を静かに過ごしていたのに――……。 「それじゃあこの子は、俺がもらうよ。」  優しく引き寄せられ、“王子様”の腕の中に閉じ込められ。  ……これは一体どういう状況なんですか!?  静かな場所が好きで大人しめな地味子ちゃん  できるだけ目立たないように過ごしたい  湖宮結衣(こみやゆい)  ×  文武両道な学園の王子様  実は、好きな子を誰よりも独り占めしたがり……?  氷堂秦斗(ひょうどうかなと)  最初は【仮】のはずだった。 「結衣さん……って呼んでもいい?  だから、俺のことも名前で呼んでほしいな。」 「さっきので嫉妬したから、ちょっとだけ抱きしめられてて。」 「俺は前から結衣さんのことが好きだったし、  今もどうしようもないくらい好きなんだ。」  ……でもいつの間にか、どうしようもないくらい溺れていた。

神ちゃま

吉高雅己
絵本
☆神ちゃま☆は どんな願いも 叶えることができる 神の力を失っていた

童話短編集

木野もくば
児童書・童話
一話完結の物語をまとめています。

まぼろしのミッドナイトスクール

木野もくば
児童書・童話
深夜0時ちょうどに突然あらわれる不思議な学校。そこには、不思議な先生と生徒たちがいました。飼い猫との最後に後悔がある青年……。深い森の中で道に迷う少女……。人間に恋をした水の神さま……。それぞれの道に迷い、そして誰かと誰かの想いがつながったとき、暗闇の空に光る星くずの方から学校のチャイムが鳴り響いてくるのでした。

ローズお姉さまのドレス

有沢真尋
児童書・童話
*「第3回きずな児童書大賞」エントリー中です* 最近のルイーゼは少しおかしい。 いつも丈の合わない、ローズお姉さまのドレスを着ている。 話し方もお姉さまそっくり。 わたしと同じ年なのに、ずいぶん年上のように振舞う。 表紙はかんたん表紙メーカーさまで作成

生贄姫の末路 【完結】

松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。 それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。 水の豊かな国には双子のお姫様がいます。 ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。 もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。 王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。

夜明けの一歩

辻堂安古市
絵本
「弱さを噛み砕き、一歩を刻もう。今の私が、私自身の誇りになるために。」

処理中です...