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(38)咲夜15歳 『鬼に頼むこと』
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咲夜は男だ。
もう15歳の男だ。
しかも、そういう年頃の兄ちゃんたちに囲まれて暮らしているいわゆる思春期の男だ。
翡翠様の前ではずっと純粋無垢なふりをしているけれど、本当は月の無い夜に翡翠様がどういう状態になっているのか、蓮次郎に頼んでいたという『恥ずかしいこと』がいったい何なのかも、知りたくはないけど知ってしまっていた。
咲夜は早く大人になりたい。
翡翠様と結婚をして、過去のものを全部、全部、上塗りしてやりたい。
いつもそんなことばかり考えてしまっているのに……。
「くそ……」
せっかく翡翠様からキスをしてくれたのに、咲夜は棒立ちのままでまったく動けなかった。それに、中途半端な召喚のせいで、匂いも味も感触も分からなかった。
「悔しい……」
「さ、咲夜。今の……」
後ろから大牙の声が聞こえてきて、咲夜はちょっと驚く。
翡翠様に集中するあまり、大牙の存在を忘れてしまっていた。
「い、今の、もしかしてファーストキ……」
「ノーカンだ」
「え?」
「こんなのノーカンだよ。翡翠様の唇の柔らかさとか温かさとか、なーんにも分かんなかったし」
「そ、そうかな。ノーカンにするの惜しくない?」
いつも元気で屈託のない大牙が、なぜかもじもじと顔を赤くしている。
「なんで?」
「さっきの……すげぇ良かったっつうか、すげぇうらやましかった……。翡翠様って、めちゃくちゃ咲夜のことが好きなんだなって」
「お、おう」
咲夜はにへらっと崩れそうな顔を何とか整えて、ちょっと間をおいて短く答えた。
「まぁね」
「婚礼の儀式、絶対に参加する!」
「はは、気が早いよ」
「で、でも、あんなに思いあっているんだもん。俺、応援する」
「サンキュ」
咲夜はふっと笑い、それからぐっと背筋を伸ばし、気合を込めてパチンと両頬を叩く。
「っしゃ、やるか! 紙と墨と筆、用意して」
アルファやベータがさっと動いて、速やかに絵を描く準備を整える。
「何描くの?」
「探し物の妖精100人」
「100人? え、でも妖精は役に立たないって」
「『きさら堂』に100人突っ込ませるわけじゃないよ。時津彦の故郷でちょっと探し物……。あのさ、大牙。あのクソ鬼ってまだ木更津にいるの?」
「蓮次郎のおじちゃん? うちの若い衆と一緒にいるはずだけど?」
「ふうん、そっか……」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
蓮次郎は毎日、証城寺の本堂の掃除を手伝い、庭の手入れも買って出ているそうだ。
陽気な狸の若い衆らともすぐに馴染み、御殿の修繕なども良く手伝っている。鬼の怪力は使い勝手が良くて、重宝されているようだった。
「よう、クソ鬼」
雑巾で床を拭く蓮次郎に声をかけると、すくっと大きな体が立ち上がる。
「なんだ、クソガキ」
「あんた、いつまでここにいる気?」
咲夜も身長が伸びたが、まだまだ蓮次郎には届かない。
大柄な蓮次郎が上から咲夜を睨んでくる。
「鬼の角を傷つけておいてよくそんなことが言えるな。養生ぐれぇゆっくりさせろ。角が治るまでは、力の半分も出ねぇんだ」
「自業自得でしょ。俺の大事な翡翠様を悲しませたんだから」
蓮次郎は痛いところを突かれたような顔をした。
「……翡翠は……その、元気なのか」
「元気じゃないよ。時津彦に殴られて頭に怪我をしたんだ」
「は? 時津彦? 戻って来たのか? いやそれより殴られただと?」
「やっぱり何も聞いてないんだ」
「どういうことだ。『きさら堂』で何かあったのか?」
咲夜は『きさら堂』に時津彦が戻ったこと、たかむらという青年を連れていること、髪と瞳の色が変わった翡翠様が偽物として追い出されそうになったことを手短に説明した。
「あんた、たかむらってやつと会ったことある?」
「いや、ないな。誰なんだそれは」
「多分、翡翠様のモデル」
「モデル?」
「絵を描く時に参考にした人、時津彦が心に思い描いた人」
「じゃぁ時津彦の……」
「うん。モトカレとか、初恋の人とか、まぁそんな感じ?」
「そんな存在がいるとは知らなかったな……。聞いたことは無い」
「そっか」
男性同士の恋愛が今よりもずっと受け入れられなかった時代だから、時津彦は誰にも言わなかったのか?
けれど、17歳の時に二人で一緒に家出をしたはずなのに、時津彦が『きさら堂』の五代目の主人になった時、たかむらは連れていなかった。
途中で別れたのか、それとも……。
「蓮次郎、翡翠様を助けたい?」
「当たり前だ」
「じゃぁ、あんたに汚名挽回の機会をあげる」
「挽回するのは名誉だろ。汚名を挽回してどうする」
「あ……! ちょ、ちょっと間違えた。今まだ勉強中なんだよ!」
少し赤くなりながら、咲夜が言い訳をする。
「とにかく! 名誉挽回、汚名返上の機会をやるって言ってんの」
「しまらねぇな」
蓮次郎がくっくっと喉で笑う。
「笑ってないで答えて。やるの? やらないの?」
「やるよ」
「じゃぁこれ」
「なんだ?」
「探し物の妖精100体。ロケス・ピラトス・ゾトアス・トリタス・クリサタニトス各20体ずつ。名前を呼んで、探してほしいものを言うと飛び立つから」
風呂敷に包まれた絵の束を受け取って、蓮次郎が不思議そうにそれを見下ろす。
「へぇ……。これで何を探すんだ?」
「まずは時津彦が戦争のときに疎開した先に行って、時津彦が親戚のところから家出した後の消息をたどって欲しいんだ」
「それで?」
「井筒篁を見つけてきて」
「たかむら? そいつは今『きさら堂』にいるんだろ?」
「あそこにいるのは『されこうべ』らしいから。探してほしいのは首から下の死体。なくても、何かしらの痕跡」
「何かしらって……」
「時津彦につながるものがあれば」
「分かった。お前はどうするんだ?」
「翡翠様の絵を描く」
蓮次郎がよく分からないというように、きょとんとする。
「翡翠の絵を描いてどうする?」
「ほんとはさ、時津彦の足元に血で線を引いたら、それで終わらすこともできるんだ。メイドのとうと同じように、あいつを地獄に引きずり込むことが出来るから。でも、翡翠様はそれを望んでいない……。殺さないって約束したんだ」
「翡翠は優しいやつだから」
「うん。だから俺は」
咲夜はスッと息をして、背筋を伸ばす。
「俺は、天才絵師・時津彦に真っ向勝負を挑む。翡翠様を俺の絵に宿らせるんだ」
「はぁ? そんなこと出来るわけが……」
「出来たよ、さっき。三分くらいだったけど」
「まさか」
「知らなかった? 俺だって、天才と呼ばれてるんだよ」
咲夜は好戦的な顔を作って、ニヤッと口を吊り上げた。
「『きさら堂』の門を開ける方法もだいたい見当がついてる。でも、無策で突っ込んで行っても、時津彦に翡翠様の絵を破かれれば終わりだ。だから、あっちの絵とは完全に縁を切ってもらって、翡翠様には俺の絵に移ってもら……ううん、翡翠様にはこちらにお移りいただかなくてはならない」
蓮次郎ははぁーっと大きく息を吐いた。
「なるほど。翡翠がお前みたいなクソガキに惚れた理由がちょっとだけ分かった」
「じゃぁ、俺達を認める?」
「俺が二人を認めるかどうかなんて、別に気にしねぇだろ」
「翡翠様は未だにあんたを友達だと思ってるみたいだからさ」
不意を突かれたように蓮次郎が驚いた顔をする。
しかし、急にくるっと背を向けて雑巾とバケツを片付け始める。
「何だよ、急に黙っちゃって」
「すぐに準備して出発する」
「う、うん」
片づけを終えると、蓮次郎はスタスタと歩き始めたが、途中で足を止めた。
「咲夜」
「なに?」
「あの時……俺は鬼の本性を現して翡翠に襲いかかった」
「あぁ、そうだったね」
「あの時、鬼になった俺の中で渦巻いていたのは性欲よりも食欲だった。あのままだと俺は、翡翠を頭からばりばり喰っちまうところだったんだ。だから……」
振り向かないままで、聞こえるか聞こえないかというほどの小さな声で、蓮次郎が呟く。
「ありがとう」
そして咲夜が何も答える前に、足を速めて若い衆の宿舎の方へ行ってしまった。
咲夜はしばらくその後姿を眺めていたが、「うん」と小さくうなずいて少し笑った。
もう15歳の男だ。
しかも、そういう年頃の兄ちゃんたちに囲まれて暮らしているいわゆる思春期の男だ。
翡翠様の前ではずっと純粋無垢なふりをしているけれど、本当は月の無い夜に翡翠様がどういう状態になっているのか、蓮次郎に頼んでいたという『恥ずかしいこと』がいったい何なのかも、知りたくはないけど知ってしまっていた。
咲夜は早く大人になりたい。
翡翠様と結婚をして、過去のものを全部、全部、上塗りしてやりたい。
いつもそんなことばかり考えてしまっているのに……。
「くそ……」
せっかく翡翠様からキスをしてくれたのに、咲夜は棒立ちのままでまったく動けなかった。それに、中途半端な召喚のせいで、匂いも味も感触も分からなかった。
「悔しい……」
「さ、咲夜。今の……」
後ろから大牙の声が聞こえてきて、咲夜はちょっと驚く。
翡翠様に集中するあまり、大牙の存在を忘れてしまっていた。
「い、今の、もしかしてファーストキ……」
「ノーカンだ」
「え?」
「こんなのノーカンだよ。翡翠様の唇の柔らかさとか温かさとか、なーんにも分かんなかったし」
「そ、そうかな。ノーカンにするの惜しくない?」
いつも元気で屈託のない大牙が、なぜかもじもじと顔を赤くしている。
「なんで?」
「さっきの……すげぇ良かったっつうか、すげぇうらやましかった……。翡翠様って、めちゃくちゃ咲夜のことが好きなんだなって」
「お、おう」
咲夜はにへらっと崩れそうな顔を何とか整えて、ちょっと間をおいて短く答えた。
「まぁね」
「婚礼の儀式、絶対に参加する!」
「はは、気が早いよ」
「で、でも、あんなに思いあっているんだもん。俺、応援する」
「サンキュ」
咲夜はふっと笑い、それからぐっと背筋を伸ばし、気合を込めてパチンと両頬を叩く。
「っしゃ、やるか! 紙と墨と筆、用意して」
アルファやベータがさっと動いて、速やかに絵を描く準備を整える。
「何描くの?」
「探し物の妖精100人」
「100人? え、でも妖精は役に立たないって」
「『きさら堂』に100人突っ込ませるわけじゃないよ。時津彦の故郷でちょっと探し物……。あのさ、大牙。あのクソ鬼ってまだ木更津にいるの?」
「蓮次郎のおじちゃん? うちの若い衆と一緒にいるはずだけど?」
「ふうん、そっか……」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
蓮次郎は毎日、証城寺の本堂の掃除を手伝い、庭の手入れも買って出ているそうだ。
陽気な狸の若い衆らともすぐに馴染み、御殿の修繕なども良く手伝っている。鬼の怪力は使い勝手が良くて、重宝されているようだった。
「よう、クソ鬼」
雑巾で床を拭く蓮次郎に声をかけると、すくっと大きな体が立ち上がる。
「なんだ、クソガキ」
「あんた、いつまでここにいる気?」
咲夜も身長が伸びたが、まだまだ蓮次郎には届かない。
大柄な蓮次郎が上から咲夜を睨んでくる。
「鬼の角を傷つけておいてよくそんなことが言えるな。養生ぐれぇゆっくりさせろ。角が治るまでは、力の半分も出ねぇんだ」
「自業自得でしょ。俺の大事な翡翠様を悲しませたんだから」
蓮次郎は痛いところを突かれたような顔をした。
「……翡翠は……その、元気なのか」
「元気じゃないよ。時津彦に殴られて頭に怪我をしたんだ」
「は? 時津彦? 戻って来たのか? いやそれより殴られただと?」
「やっぱり何も聞いてないんだ」
「どういうことだ。『きさら堂』で何かあったのか?」
咲夜は『きさら堂』に時津彦が戻ったこと、たかむらという青年を連れていること、髪と瞳の色が変わった翡翠様が偽物として追い出されそうになったことを手短に説明した。
「あんた、たかむらってやつと会ったことある?」
「いや、ないな。誰なんだそれは」
「多分、翡翠様のモデル」
「モデル?」
「絵を描く時に参考にした人、時津彦が心に思い描いた人」
「じゃぁ時津彦の……」
「うん。モトカレとか、初恋の人とか、まぁそんな感じ?」
「そんな存在がいるとは知らなかったな……。聞いたことは無い」
「そっか」
男性同士の恋愛が今よりもずっと受け入れられなかった時代だから、時津彦は誰にも言わなかったのか?
けれど、17歳の時に二人で一緒に家出をしたはずなのに、時津彦が『きさら堂』の五代目の主人になった時、たかむらは連れていなかった。
途中で別れたのか、それとも……。
「蓮次郎、翡翠様を助けたい?」
「当たり前だ」
「じゃぁ、あんたに汚名挽回の機会をあげる」
「挽回するのは名誉だろ。汚名を挽回してどうする」
「あ……! ちょ、ちょっと間違えた。今まだ勉強中なんだよ!」
少し赤くなりながら、咲夜が言い訳をする。
「とにかく! 名誉挽回、汚名返上の機会をやるって言ってんの」
「しまらねぇな」
蓮次郎がくっくっと喉で笑う。
「笑ってないで答えて。やるの? やらないの?」
「やるよ」
「じゃぁこれ」
「なんだ?」
「探し物の妖精100体。ロケス・ピラトス・ゾトアス・トリタス・クリサタニトス各20体ずつ。名前を呼んで、探してほしいものを言うと飛び立つから」
風呂敷に包まれた絵の束を受け取って、蓮次郎が不思議そうにそれを見下ろす。
「へぇ……。これで何を探すんだ?」
「まずは時津彦が戦争のときに疎開した先に行って、時津彦が親戚のところから家出した後の消息をたどって欲しいんだ」
「それで?」
「井筒篁を見つけてきて」
「たかむら? そいつは今『きさら堂』にいるんだろ?」
「あそこにいるのは『されこうべ』らしいから。探してほしいのは首から下の死体。なくても、何かしらの痕跡」
「何かしらって……」
「時津彦につながるものがあれば」
「分かった。お前はどうするんだ?」
「翡翠様の絵を描く」
蓮次郎がよく分からないというように、きょとんとする。
「翡翠の絵を描いてどうする?」
「ほんとはさ、時津彦の足元に血で線を引いたら、それで終わらすこともできるんだ。メイドのとうと同じように、あいつを地獄に引きずり込むことが出来るから。でも、翡翠様はそれを望んでいない……。殺さないって約束したんだ」
「翡翠は優しいやつだから」
「うん。だから俺は」
咲夜はスッと息をして、背筋を伸ばす。
「俺は、天才絵師・時津彦に真っ向勝負を挑む。翡翠様を俺の絵に宿らせるんだ」
「はぁ? そんなこと出来るわけが……」
「出来たよ、さっき。三分くらいだったけど」
「まさか」
「知らなかった? 俺だって、天才と呼ばれてるんだよ」
咲夜は好戦的な顔を作って、ニヤッと口を吊り上げた。
「『きさら堂』の門を開ける方法もだいたい見当がついてる。でも、無策で突っ込んで行っても、時津彦に翡翠様の絵を破かれれば終わりだ。だから、あっちの絵とは完全に縁を切ってもらって、翡翠様には俺の絵に移ってもら……ううん、翡翠様にはこちらにお移りいただかなくてはならない」
蓮次郎ははぁーっと大きく息を吐いた。
「なるほど。翡翠がお前みたいなクソガキに惚れた理由がちょっとだけ分かった」
「じゃぁ、俺達を認める?」
「俺が二人を認めるかどうかなんて、別に気にしねぇだろ」
「翡翠様は未だにあんたを友達だと思ってるみたいだからさ」
不意を突かれたように蓮次郎が驚いた顔をする。
しかし、急にくるっと背を向けて雑巾とバケツを片付け始める。
「何だよ、急に黙っちゃって」
「すぐに準備して出発する」
「う、うん」
片づけを終えると、蓮次郎はスタスタと歩き始めたが、途中で足を止めた。
「咲夜」
「なに?」
「あの時……俺は鬼の本性を現して翡翠に襲いかかった」
「あぁ、そうだったね」
「あの時、鬼になった俺の中で渦巻いていたのは性欲よりも食欲だった。あのままだと俺は、翡翠を頭からばりばり喰っちまうところだったんだ。だから……」
振り向かないままで、聞こえるか聞こえないかというほどの小さな声で、蓮次郎が呟く。
「ありがとう」
そして咲夜が何も答える前に、足を速めて若い衆の宿舎の方へ行ってしまった。
咲夜はしばらくその後姿を眺めていたが、「うん」と小さくうなずいて少し笑った。
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