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第2話 冥界の女王

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 沈んでいく。
 暗い海の底にゆっくりと沈んでいく。

 思ったよりも苦しくはない。
 ああ、くらい。
 何て、くらいんだろう。

「ポエムですの? おハーブですわ」

 んんん?
 死んだのに変な声が聞こえる。

 鈴を転がすような少女の声だ。
 幻聴……?
 いや、死んでいるのに幻聴はあるんだろうか?

「目を閉じているから、ではありませんの? おハーブ生えますわ」
「は、はい?」

 私は慌てて、目を開けた。
 死んでいるのにおかしな話があったものだ。

 目の前には不思議な光景が広がっている。
 空も大地もどこまでも暗く、まるで暗黒に支配されているようだ。

「暗黒なんて、面白い考え方をなさいますのね」

 声の主は私を見下ろす高い位置にいた。
 目が覚めるような紅のドレスを身に纏っている。
 まるで私を値踏みするように見つめてくる瞳は紅玉ルビーの色で不思議なが輝きを放っていた。
 見ているとまるで魅入られるような瞳にどこか、炎が揺らぐ妙な錯覚を覚える。

「ここがどこか、分かりますかしら?」

 少女が腰掛けている岩を照らすように周囲に燐光が灯っていく。
 目を凝らすと燐光は金属で出来た檻のように囚われているものが放っているようだ。

「分からない……」
「まぁ。それは大変ですわ。おハーブですわ」

 何なんだ?
 少女はさも楽しそうにハーブという単語を口にしているが、意味が分からない。
 これが世代間のギャップなのか!?

「分からないのも仕方ありませんわ。この世界ではまだ、認知されていないんですもの」
「この世界? 認知? 何の話なんだ。君は一体……」
「ここはニヴルヘイム。人間はこうも呼びますわね。私の名を取って、ヘルヘイムと」
「ヘルヘイム……」

 死んだ人間が行き着く場所は二つあると教えられた。

 一つはヴァルハラ。
 勇敢に戦い、名誉ある死を遂げた戦士が招かれる光に満ちた喜びの世界だ。
 戦乙女ワルキューレに導かれ、いずれ訪れる戦いの時に備え、ヴァルハラの館で過ごすのだと言う。

 もう一つがヘルヘイム。
 罪を犯した者が落とされる冥界だ。
 この世の果て、全てがてつく闇の世界。
 闇に支配された監獄のような場所だと信じられていた。
 そんな場所に私は送られたという事実に愕然とした。

「お祖父様もあなたを欲しがってましたのよ? あなたはお祖父様のところの方が良かったのかしら? 本当にそれでよろしくて……?」

 少女――恐らくはこのヘルヘイムを支配する女王ヘルは口許を手で隠しながら、嚙み殺すようにくつくつとした笑い声をあげる。
 伝説ではまるで感情を感じさせない氷の美女とされていたが、そんな印象はまるで受けない。
 十代の年相応の少女と言われても不思議ではない。

 言葉遣いこそ、令嬢のようだが隠し切れない快活な印象も受ける。

「戦士はヴァルハラに行くことこそ、武人のほまれですから」
「あそこはブラック企業ですのよ?」
「ブ、ブラック!? それは何ですか?」

 しかし、ヘルの言葉に出てくる単語の意味が良く分からない。
 彼女の言うところの『認知出来ない』『別の世界』の話ということなんだろうか?

「察しのいい子は長生き出来ますわよ?」
「長生きしてませんけど!?」

 三十四歳は決して、長生きではないはずだ。
 ジェラルド兄さんが病で急死した。
 その死を惜しまれたが、それでも四十一歳。

 兄さんは結婚もして、愛する家族に囲まれていた。
 それに引き換え、私はどうだ!
 結婚どころか、恋の一つすらしていないではないか!!

「ですから、このわたくしがそのチャンスをあげましょう。長生き……したいでしょう? 恋もしたいでしょう?」

 思わず、首を縦に振っていた。
 まるでてのひらの上で転がされている気がしてならない。
 だが、これが夢ではないのなら。
 冥界の女王ヘルが実在するのだ。
 元より、選択肢など私にはない。

「だから、自由に生きなさい。もう縛られる必要はありませんの。あなたが生きたかったように生きれば、よろしいのですわ」
「私の自由……いいんですか?」
「そのチャンスをあげましょう。わたくし、ヘルの名において、認めましょう」

 自由に生きてもいい。
 あの男のように私も生きられる!
 もう男の振りをしなくてもいいのだ。

「やったー!」

 随分と久しぶりに感情を露わにしたせいだろうか。
 何だか、意識が遠のいていく。
 ああ、楽しみで仕方がない。

「あら? 大事なことを言い忘れましたわ。赤ちゃんから、やり直しですのよ? 大丈夫かしら? 記憶も力もそのまま、発揮出来るから……強くて、ニューゲームですわ。失敗してもおハーブが生えるだけですわ」

 そんなヘルの呟きは既に時の流れを遡行したトリスタンには聞こえていなかった。
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