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壱 ハシビロコウ死す
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嘴広 光汰は漠然と受け止めていた。
その日は彼の三十回目の誕生日だった。
しかし、本人すらも忘れてしまうほどに追い込まれている。
肉体も精神も全てが限界に近付いていた。
彼の運命を大きく変える出来事が起きようなどと考えるべくもない。
大学を卒業し、希望に燃える青年だった光汰が入社したのはいわゆるブラック企業である。
無償の残業奉仕は当然のことだった。
休日出勤ではない。
休日そのものが与えられない過酷な職場だった。
朝から晩まで働き詰めの日々が続くうち、光汰はいつしか、考えることを放棄した。
そうでもなしければ、生きていることが辛かったのだ。
これには理由がある。
入社してから、三年後のこと。
たった一人の家族である父・光也が他界した。
光也は分かった時にはもう手の施しようがない末期の癌に侵されていた。
最悪なのは光汰が最愛の父の最期を看取ることはおろか、葬儀にも出られなかったことである。
そして、光汰は考えることをやめた。
光汰は歴史好きな少年だった。
休日には同じ趣味を持つ光也と日本各地の城郭を見て回ることもあった。
戦国時代をテーマとした歴史シミュレーションゲームにはまり、勉強を疎かにしたことで光也にこっぴどく叱られたこともあった。
全ては記憶の彼方へと消えていった。
「光汰先輩、大丈夫ですか?」
「あ、ああ。すまん」
ふと亡き父親のことを思い出し、暫し呆然としていた光汰だったが気遣うような声を掛けられ、我を取り戻した。
今、自分がタクシーの後部座席に座っていることも……。
後輩の新入社員と座っていることも……。
全てを失念していたことにさすがの光汰も焦りを感じる。
「本当に大丈夫です? かなり疲れてません?」
「それはみんな、一緒だろ。そういう君だって……」
「あたしはまだ、若いですから!」
そう言うと新入社員――麻井 菊花は両拳を握り、軽くガッツポーズをとった。
その姿を見て、確かにそれもその通りかと光汰は納得する。
かつての希望に燃える夢を見る青年だった己の姿を見ているかのようだった。
眩しくも感じ、羨ましくも思った。
「それにしたって、酷いですよね。何であたし達が……」
菊花の愚痴が止まらない。
そうだったと再び、光汰は思い出した。
なぜ、自分と菊花がタクシーで相乗りしているのかを……。
上司である課長が取り返しのつかない失態をおかした。
重要な取引先が失われかねない事態にも関わらず、課長は責任を部下に転嫁したのだ。
光汰は考えることを放棄していたが元来の性質までは止められなかった。
見て見ぬ振りは出来ない質だった。
間違っていると分かっていることに口を挟まずにいられないし、勝手に体が動く。
その時も同僚をかばう発言をした。
結果、課長の尻拭いをさせられる羽目に陥った。
謝罪行脚と称し、一日中方々を駆けずり回った。
挙句、深夜であるにも関わらず、新入社員の菊花と取引先の社長が飲んでいるバーへと向かう途中だったのだ。
「麻井くんは先に帰った方がいいだろう。あとは俺一人でどうにか、するさ」
「先輩はいつも、それですね。だから、そんなに目の下にくまがあるんですよ」
「これはだな。最近の話ではない」
父親が死んでから、まともに寝られなくなってからだった。
かれこれ五年は疲れ果てた状態でどうにか生きていた。
「それがおかしいんですよ、先輩。こういう時は助け合いです。ね?」
「あ、ああ。そうだな。だが君は入社してから、まだ、時……」
その時だった。
激しく照らす光のあまりの眩しさに光汰は思わず、目を細め言いかけていた口を噤んだ。
そして、強い衝撃が襲い掛かった。
体を引き裂かれたとしか思えない激しい痛みに襲われ、光汰は意識を手放した。
これでようやく楽になれるとどこか、ほっとした気持ちと共に……。
嘴広光汰。
享年三十。
乗車していたタクシーの後部から大型トラックが追突した。
後部座席は原型を留めないほどに無惨な有様であり、運転手を含め乗員三名のうち乗客二人が死亡する惨事となった。
その日は彼の三十回目の誕生日だった。
しかし、本人すらも忘れてしまうほどに追い込まれている。
肉体も精神も全てが限界に近付いていた。
彼の運命を大きく変える出来事が起きようなどと考えるべくもない。
大学を卒業し、希望に燃える青年だった光汰が入社したのはいわゆるブラック企業である。
無償の残業奉仕は当然のことだった。
休日出勤ではない。
休日そのものが与えられない過酷な職場だった。
朝から晩まで働き詰めの日々が続くうち、光汰はいつしか、考えることを放棄した。
そうでもなしければ、生きていることが辛かったのだ。
これには理由がある。
入社してから、三年後のこと。
たった一人の家族である父・光也が他界した。
光也は分かった時にはもう手の施しようがない末期の癌に侵されていた。
最悪なのは光汰が最愛の父の最期を看取ることはおろか、葬儀にも出られなかったことである。
そして、光汰は考えることをやめた。
光汰は歴史好きな少年だった。
休日には同じ趣味を持つ光也と日本各地の城郭を見て回ることもあった。
戦国時代をテーマとした歴史シミュレーションゲームにはまり、勉強を疎かにしたことで光也にこっぴどく叱られたこともあった。
全ては記憶の彼方へと消えていった。
「光汰先輩、大丈夫ですか?」
「あ、ああ。すまん」
ふと亡き父親のことを思い出し、暫し呆然としていた光汰だったが気遣うような声を掛けられ、我を取り戻した。
今、自分がタクシーの後部座席に座っていることも……。
後輩の新入社員と座っていることも……。
全てを失念していたことにさすがの光汰も焦りを感じる。
「本当に大丈夫です? かなり疲れてません?」
「それはみんな、一緒だろ。そういう君だって……」
「あたしはまだ、若いですから!」
そう言うと新入社員――麻井 菊花は両拳を握り、軽くガッツポーズをとった。
その姿を見て、確かにそれもその通りかと光汰は納得する。
かつての希望に燃える夢を見る青年だった己の姿を見ているかのようだった。
眩しくも感じ、羨ましくも思った。
「それにしたって、酷いですよね。何であたし達が……」
菊花の愚痴が止まらない。
そうだったと再び、光汰は思い出した。
なぜ、自分と菊花がタクシーで相乗りしているのかを……。
上司である課長が取り返しのつかない失態をおかした。
重要な取引先が失われかねない事態にも関わらず、課長は責任を部下に転嫁したのだ。
光汰は考えることを放棄していたが元来の性質までは止められなかった。
見て見ぬ振りは出来ない質だった。
間違っていると分かっていることに口を挟まずにいられないし、勝手に体が動く。
その時も同僚をかばう発言をした。
結果、課長の尻拭いをさせられる羽目に陥った。
謝罪行脚と称し、一日中方々を駆けずり回った。
挙句、深夜であるにも関わらず、新入社員の菊花と取引先の社長が飲んでいるバーへと向かう途中だったのだ。
「麻井くんは先に帰った方がいいだろう。あとは俺一人でどうにか、するさ」
「先輩はいつも、それですね。だから、そんなに目の下にくまがあるんですよ」
「これはだな。最近の話ではない」
父親が死んでから、まともに寝られなくなってからだった。
かれこれ五年は疲れ果てた状態でどうにか生きていた。
「それがおかしいんですよ、先輩。こういう時は助け合いです。ね?」
「あ、ああ。そうだな。だが君は入社してから、まだ、時……」
その時だった。
激しく照らす光のあまりの眩しさに光汰は思わず、目を細め言いかけていた口を噤んだ。
そして、強い衝撃が襲い掛かった。
体を引き裂かれたとしか思えない激しい痛みに襲われ、光汰は意識を手放した。
これでようやく楽になれるとどこか、ほっとした気持ちと共に……。
嘴広光汰。
享年三十。
乗車していたタクシーの後部から大型トラックが追突した。
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