龍と疾走れ!カズヤ  (1987年の熱い日)

ケイ・ナック

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アパートに帰り、加寿也はため息をつきながら考えた。

謎の声のせいで頭がどうにかなりそうだ。

やはり誰かに相談してみようか。

未菜に言っても解決しそうにないが、少しは気持ちが晴れるかもしれない。

そう思い、加寿也は未菜に電話をした。

「はーい」
電話に出たのは、未菜よりも少しトーンの低い声だった。

未菜と同居している真砂子だ。

「あの、鈴野だけど、未菜はいる?」

「あら、加寿也君。久しぶりね。未菜なら今ちょっと外出してるわ。何か用があるなら伝えておくけど」

「ああそう。いや、別にそういうわけでもないので、また今度かけるよ」

「うん。分かった。それはそうと、加寿也君、未菜とはうまくいってるの? 未菜、最近ちょくちょく誰かと遊びに行ってるみたいだけど」
と真砂子は気になることを言った。

「誰かって?」

「さあ、わたしは知らないわ。職場の人かもしれないけど。今日もおそくなりそうだし」

「ふうん、そうなんだ。あいつけっこう交友関係が広そうだからな。案外、ほかにもつきあってるやつがいたりしてな。ははは」
と加寿也は笑いながら答えた。

笑ったものの、何かが心に引っかかるような感じがした。

「もう、笑ってていいの? 加寿也君、本当は心配なくせに」
と真砂子が言うと、
「い、いや、別に心配なんてしてないよ」
と加寿也は答えた。

「本当に? 未菜にれてるんじゃないの?」

「そりゃまあ、好きは好きだけど、あいつは俺とは違って、もっと派手ではなやかな世界が合いそうだしな」

「うん。確かにそうね。もっともっと華やかな人と知り合って、いろんな世界をのぞいてみたい女かもね」

「やっぱり君もそう思う?」

「うん。ちょっとね。加寿也君はもう少し保守的な女性の方が合うかもしれないわね」

「保守的ねえ。そんな人、まわりにはちょっと思い当たらないなあ」

「あら、そんなことないんじゃない? わたしはけっこう保守的よ。ふふふ」

この真砂子という女は、職場の中年男と不倫していると未菜から聞いていた。

未菜のように活発な女よりも、こういう一見、保守的な女ほど、不倫というかたちにおちいりやすいのかもしれない。

加寿也はそう思った。





真砂子は未菜よりも小柄で地味だけど、笑顔で話しかけられると、誰もが心をなごませるほがらかな女の子だった。

「そう、真砂子ちゃんは保守的なんだね」

「うふ。たぶんね。けっこう加寿也君とは話が合うと思うけど」

確かに、未菜よりも話しやすい。

未菜は人の話を聞くよりも、自分の話を一方的にまくし立てるタイプだけど、真砂子はちゃんとこちらの話を聞いてから自分の意見を言う。

特に電話ではそれが顕著けんちょだった。

加寿也の無言を肯定こうていとらえたのか、
「ねえ、加寿也君。今度わたしと遊びに行かない?」
と真砂子は言った。

「ううん。遊びに行くっていっても、ただお茶したりするだけよ。ふふ」
笑い声からは、あの優しそうで朗らかな笑顔が浮かんでくる。

加寿也は真砂子の大胆な発言に驚いた。

そして、
「ええと、ああ、そうだね。じゃあ、いつか時間が合えば、そうするかい?」
と返事をしてしまった。

しかし、もし真砂子が未菜にしゃべってしまったら。

そう心配した加寿也の気持ちを察したのか、
「大丈夫。未菜には黙っていれば分からないわよ」
と真砂子は明るく言った。




そのあと数分間、他愛たあいもない話をして加寿也は受話器を置いた。

てのひらに汗をかいていた。

心臓が大きくはずんでいた。

あの言葉は。

真砂子は俺を誘っているのか?

その時、謎の声がささやいた。

「加寿也、真砂子とつきあえよ」

加寿也は体を硬直させると、真砂子との夢想むそうから一気にめたのだった。

「誰にも分かりゃしねえよ。それにお前も知ってるように、真砂子は未菜よりも胸が大きいぞ」

「何だと?」

「お前は真砂子に会った時、いつもちらちらと胸を見ているだろう? くっくっく」

「う、うるさい!」

「お前最近、未菜にはきてきているんじゃないのか? そろそろ新しい女を抱きたいだろう? 真砂子を抱けよ」

「こいつ!」

「いいか? 良く聞け。俺の言うとおりにしろ。そうすれば、金だってレースだって、思うようになるから」

「何? 金もレースも思うように? それはいったいどういうことだ?」

「要するに、俺に心を売れということだ」

「心を?」

「ああそうだ。俺の言うとおりにしていれば、何もかもお前の思いどおりになる」

「俺の思いどおりに。何もかも?」

「とりあえず、やってみるんだな。くっくっく」
笑い声を響かせると、謎の声は静かになった。

本当に何もかも思いどおりになるのか。

真砂子とつきあうことで、俺の人生は好転するのだろうか。

新しい女はともかく、今の俺はレースの資金が欲しい。

加寿也の心はゆららいでいた。





それから数日ったある日、加寿也は仕事から帰ると、未菜がいないと思われる時間に電話をした。

「かけてくれてありがとう、加寿也君」
真砂子は電話に出るなりそう言った。

まるで、加寿也が必ず電話をかけてくると確信していたかのように。

その言葉に少し驚いた加寿也だったが、
「あ、いや今度、君を食事に誘おうと思ってさ」
と言った。

真砂子は全く驚く様子もなく、その誘いを受けた。

「ふふふ。ええ。もちろんいいわよ」
真砂子の朗らかな笑顔が浮かぶ。

「加寿也君とデートするのって、楽しみね」

これは、単なる浮気ではない。

謎の声が言ったことを信じてみたくなったのだ。

本当に、金もレースも思うようになるのか。

それを確かめるには、声が言ったことを実践じっせんするしかない。

とりあえず、真砂子と二人っきりで会ってみよう。

なあに、ただ食事するだけさ。

未菜の友達と会って、ただ食事するだけ。

それだけで、俺の人生に何か変化が起きたら面白いじゃないか。

やってやろうぜ。

ふん。どうせ、何も起きないだろうしさ。

加寿也は、なかばやけくそになった気持ちでそう思った。





そして次の日曜日、加寿也は繁華街のラブホテルにいた。

もちろん今回は未菜ではなく、真砂子とだった。

レストランで真砂子はワインを飲んだ。

軽く自分を酔わせたあと、体を加寿也にあずけてきた。

店を出た後、真砂子は加寿也の腕を取り、自分の胸に引き寄せた。

自分の体の魅力を良く把握はあくしている仕草だった。

腕から伝わるやわらかい弾力。

それを同意の合図ととらえ、加寿也はそのままラブホテルに入っていった。

加寿也と真砂子は、何も迷うことなく、自然にお互いの体を求めた。

まるで、以前からそうしていたかのように。

緊張も恥じらいもなかった。

加寿也は、未菜とは違った肉感的なよろこびを知った。

真砂子は、加寿也との相性の良さを感じた。


一時いっときの欲望を発散した後、加寿也の顔に少しばかりの罪悪感が表れた。

それを見て真砂子は言った。
「ひょっとして、心配してるの? 加寿也君は何も気にしなくていいの。未菜には黙っていればいいだけだから」

「ああ、そうだな。ははは」
真砂子の明るい声を聞くと、加寿也は安心した。


これは謎の声に従ったからなのか、それともおのれの欲望に負けたからなのか、加寿也には良く分からなくなっていた。

自分の人生を好転したい。

しかし、以前から真砂子の体に興味があったことも事実だった。

それにしても、不倫をしている女はこうも大胆なのか。

それとも、もう不倫関係を精算しようと考えているのだろうか。

加寿也の腕枕うでまくらで寝ている真砂子は、目を閉じたまま、
「わたしたち、とても相性がいいと思うの。これからお互い何もかもうまくいきそう。加寿也君、このままわたしとかげでつきあえばいいじゃない?」
と言った。





午後八時、真砂子はマンションに帰った。

未菜はまだ帰宅していない。

真砂子は自分の部屋に入ると、タンスの上に置いてある、奇妙な置物を手に取った。

「ありがとね、わたしのお守りさん」

それは、毛むくじゃらで卵形をした、十センチくらいの黒い人形だった。

目は青白く光り、つり上がっていて、猿のような、ねずみのような、不思議な顔をしていた。

しばらくそれを眺めていた真砂子は、そっとタンスの上に戻すと、
「わたしは、欲しいものをあきらめることができないの。ふふふ」
と呟いた。

すると、どこからか、
「くっくっく」
という笑い声が響いた。




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