龍と疾走れ!カズヤ  (1987年の熱い日)

ケイ・ナック

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一ヶ月後の五月初旬、鈴野加寿也は再びサーキットにいた。

真っ白いヘルメットをかぶり、その時間を待っていた。

太陽が真上までのぼり、よごれのないアスファルトをじりじりりつける。

加寿也の黒いレーシングスーツも太陽熱が直接当たり、それが背中にも伝わってくる。

開幕からの三戦目。

ピットレーンに並んだマシンが、緑の旗を合図に一台ずつコースインしていく。

予選がスタートしたのだ。

加寿也は背中に汗をかいていたが、それは太陽のせいではなく、しびれるような緊張感からだった。

今日の加寿也は、かなり緊張していたものの、なぜか不安感がほとんどなかった。

なぜだろう。

なぜか、今日はうまくいきそうな気がする。

説明できない確信に後押あとおしされ、ゼッケン79がコースインしていった。

前を走っているマシンに離されない程度にスピードを乗せ、各コーナーはゆるやかに立ち上がる。

そして最終コーナーをクリップした瞬間、加寿也はアクセルを全開にした。

ストレートを乾いた金属音とともに、ぐんぐん加速していく。

白いマシンと加寿也は、コントロールラインを通過していった。

レース参戦、三度目のタイムアタックが今、始まったのだ。

加寿也は、十メートルほど離れた、前を走る黒いマシンに照準を合わせた。

少しずつ、少しずつ、各コーナーでタイムをかせぎ、黒いマシンについていく。

少しずつ、少しずつ、距離をめながら、リズム良くついていく。 

加寿也は計算していた。

最終コーナーを立ち上がる時、三メートルほどの差でいることを。

今回の予選では、その計算がぴたりとはまった。

ストレートで真後まうしろについた加寿也のマシンは、コントロールラインを越えた時、黒いマシンの横に並んでいた。

「よし! やったぜ!」

その瞬間、加寿也は、はっきりとした手応てごたえを感じたのだった。





雲が流れ、乾いた風が吹いている。

太陽はパドックを照りつけ、各チームのパラソルが咲いていた。

第三戦の予選が終了し、予選順位がボードに貼り出された。

加寿也は、予選通過四十台中、三十五位だった。

「あのポンコツマシンで予選が通過した! それどころか、前回よりもタイムが二秒も縮まった!」

マシンには何も手を加えていない。

前回とまったく同じ状態だった。

それなのに、信じられないほど速くなっていた。

「どうだ? 俺の言ったとおりだろう? くっくっく」
謎の声は囁いた。

「ああ、お前の言うとおりだ。俺もやっと本当のレーサーになれた」
加寿也は、本心からそう言った。

これまで散々苦労していただけに、本当に嬉しかったのだ。

「ようし、分かればそれでいい。これからも俺の言うとおりにしろよ」

「分かった。そうするよ。今回は、お前に感謝すべきなのかな?」

「いやいや、この程度で礼を言ってもらってもな。これからまだまだいいことがあるぜ。くっくっく」

これからも、もっともっと幸運が続くのか。

加寿也は少し不安がよぎったが、この先に何が待っているのか、期待に胸をふくらませた。

一月ひとつき前に真砂子を抱いたことも、この幸運につながっているのだろうか。

それは良く分からない。

しかし、加寿也の目は引き締まり、体の中から自信が湧き上がっていた。





この日の加寿也のレースは、下位グループでありながらも、他のマシンと抜きつ抜かれつのバトルを演じた。

これまでの弱気が嘘のように、堂々とした走りだった。

最終結果は三十三着。

加寿也のマシンを押しながら丸井が言った。
「よし。デビュー戦にしては、まずまずじゃないか、鈴野。この次もこの調子でいけよ」

丸井は頭にまだ包帯を巻いていたが、深く帽子をかぶっていたので、あまり目立たなくなっていた。

タオルでひたいの汗をぬぐいながら加寿也は、
「ええ、これまでの鬱憤うっぷんを晴らさなければなりませんからね。今後もどんどんめていきますよ」
と答えた。

この日は未菜と真砂子も観戦に来ていた。

「どうしたの? 急に強くなっちゃって」
きょとんとした表情で未菜が言うと、
「俺にもやっと運がめぐってきたのさ。でも俺はまだまだこんなもんじゃないぜ、未菜」
と加寿也は自信たっぷりで言った。

しかし、未菜の横で加寿也の目を見つめる真砂子には、目を合わせることはできなかった。





その日の全レースは終了し、加寿也は小型トラックに、赤と黒のラインが入ったマシンを乗せていた。

白のボディは薄汚れていたが、今日ばかりはゼッケン79がほこらしく思えた。

帰ったら綺麗きれいにしてやるよ。

もう、ポンコツマシンとは呼ばない。

だから次もよろしく頼むぜ。


目の前を、未菜と真砂子を乗せ、丸井が運転するワンボックスのバンが通り過ぎる。

かたむき、乾いた風が吹いている。

加寿也はマシンを乗せ終え、ロープで固定し、スロープを荷台に乗せた。

そして、トラックのドアを開けた時、薄曇りの空に何か光るものを見つけた。

雷か?

いや、空はそれほど暗くない。

雨雲らしきものも見当たらない。

あまり気にせずトラックに乗り込もうとした時、光るものはさらに大きくなった。

何だ? あれは。

太陽に反射した黒い光。

それが上下に波打ちながら動いている。

加寿也は以前にもこのような状況になったことを思い出した。

あれは、前回のレース。

予選落ちでくさっていて、丘の上にいた時だ。

そうだ。

あれは確か!





あれは確か、うろこではなかったか。

そうだ。

黒い光は鱗だ。

黒い鱗をくねらせて、ゆっくり空を泳いでいるところは、前回見たものと全く同じだった。

それに、大きな目と白い牙。

そう、あれは確かに龍。

百五十メートルほどの長い体をくねらせて、空を優雅に泳いでいる。

これほど大きな生き物を見ても、加寿也はなぜか恐怖感はなかった。

それどころか、神々こうごうしく思えた。


しばらくして、黒い鱗は雲の中に消えていった。

加寿也は、まわりを見渡したが龍に気づいた者はいない。

腕時計を見ると五十分ほど経過していた。

それも前回と同じだ。

なぜ俺にしか見えないのか。

そして、なぜ時間は飛んでしまうのか。

加寿也は、ぼうっとしたままキーをひねり、トラックのエンジンをかけた。

龍はいったい何を伝えたいのか。

何か特別なメッセージでもあるのだろうか。

ギアを入れ、加寿也はゆっくりとトラックを走らせた。






五日後、加寿也は仕事の帰りに丸井のガレージ、MMSに寄っていた。

丸井から連絡があったからだ。

何の用事なのか、丸井は言わなかったので、マシンに不具合ふぐあいでも見つかったのかと、少し気になっていた。

半開きになったMMSのシャッターをくぐり、加寿也はガレージ内に入っていった。

いくつかのレース用バイクがメンテナンスされており、加寿也のマシンもホイールが外された状態で置かれていた。

加寿也は自分のマシンの様子を見てみた。

何年もレース活動で使用された中古バイクなので、古いパーツと新しいパーツが入りじった、つぎはぎマシンだ。

しかし、これまでとは違う思いで、このつぎはぎマシンを加寿也は見ていた。

それは、いとおしいという感情だ。

自分の努力にこたえてくれた者への感謝の気持ちだった。

この前はありがとうな。

これからも一緒に戦っていこう。

加寿也は、そういう思いでマシンをひととおり見てみたが、どこも悪いところはなさそうだった。

市販バイクに比べて、あまりにも単純に作られているだけに、メカニックでなくとも使用者であれば分かるはずである。

エンジンなのかな?

加寿也はそう思い、MMSの事務所に向かった。

そしてドアを開けて入っていくと、丸井の他にもう一人の男がソファに座っていた。

丸井と笑顔で話していた。





「こんにちは」
加寿也が挨拶あいさつすると、二人の男はこちらを見て微笑ほほえんだ。

もう一人の男は、あざやかなブルーのジャンパーを着た、五十代と見られる太った男だった。

「おっ、鈴野。来たか」
丸井は、加寿也がタイムアップしてから上機嫌じょうきげんだ。

「こちらは、モモタオイルの桃田ももた一郎さんだ」

きっとマシンの不具合だと思っていた加寿也は、丸井の笑顔を見て拍子抜ひょうしぬけした。

「あ、どうも。鈴野加寿也です」
少し照れながら加寿也が言うと、
「やあ、君が鈴野君だね。この前のレース見ていたよ。いい走りだったね。あれがデビュー戦だったなんて、あとから聞いて驚いたよ」
と桃田は笑顔で加寿也をめた。

「桃田さんは、鈴野のマシンにオイルを提供してくれるそうだ。喜べ鈴野!」

これは、加寿也にスポンサーがついたことを意味する。

俺にスポンサーが?

まだ、たった一戦しかレースに出場していない俺に、オイルのスポンサーが。

信じられない。

「本当ですか? 俺にモモタオイルを?」
加寿也の胸は熱くなった。

またしても運がめぐってきた。

「ありがとうございます。これからも一生懸命走りますので、よろしくお願いします」
加寿也は桃田に頭を下げて礼を言った。

「ああ、期待しているよ。鈴野君」
桃田は出っ張った腹をらしながらそう言った。





MMSのガレージを出る時、加寿也の手にはブルーのジャンパーがにぎられていた。

鮮やかなブルーに、MOMOTAのバックプリント。

桃田が着ていたのと同じジャンパーを、帰りぎわに加寿也に手渡してくれたのだ。

とてもほこらしい気持ちだった。

その時、またあの声が囁いた。
「どうだ? 素晴らしいだろう」

夢見ゆめみ心地ごこちで心がふわふわ浮いていた加寿也は、内側から響く声にびくっとした。

しかし、もう声に慣れてしまったのか、すぐに平常心に戻った。

「ああ、本当に素晴らしい。これもお前の、いや聞くまでもないな。ありがとうよ」
と加寿也は言った。

「くっくっく。それでいい。俺を信じてさえいれば、何もかもうまくいくのだ」

「分かっているよ」

「さあ、またあの女を抱きにいけ、加寿也。くっくっく」





薄明かりの中、うごめく二つの物体。

それらが動くたびに、大きな影が壁をう。

二つの肢体したいは、体からの分泌液で、てらてらと光っていた。

真砂子の豊満ほうまんな胸に顔をうずめる加寿也。

おとなしい未菜とは違い、声を荒げ、激しく体をよじりながら加寿也を求める真砂子。

その声によって、さらに欲望の本能をき立てられていく。

自信にあふれた男と、その自信のループをさらに上昇させる女。

お互いの要求が合致がっちした時、もはやおそれるものなど存在しなかった。

この女は俺に運を与えてくれる。

俺はもっともっとのぼめていきたい。

このまま真砂子とつきあっていけば、さらに上昇気流に乗れるだろう。

加寿也はそう思った。


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