和ませ屋仇討ち始末

志波 連

文字の大きさ
37 / 72

高すぎる山

しおりを挟む
「では行って参ります」

 咲良の声に苦虫をかみつぶしたような顔をした久秀にニヤッと笑った柴田が言う。

「では参ろうか、さ・く・ら」

 今にも掴みかかりそうな勢いの久秀を、柴田の妻が笑いながら宥めている。
 並んで歩き出す二人の背を見送った久秀に、柴田の娘である彩音が声を掛けた。

「安藤先生、大丈夫ですか?」

「あまり大丈夫じゃないかも……思っていたより辛い……」

 プッと吹き出す新之助を睨んでから久秀が立ち上がった。

「三人は奥へ。私は道場にいる」

 頷いた柴田の妻が子供たちを連れて奥へ下がった。
 しばらくは神棚の前で正座していた久秀だったが、ふっと目を開けて木刀を持った。

「きえぇぇぇぇぇ!」

 流派特有の劈くような掛け声とともに、ダンッと踏み出して一気に中央へ躍り出る。
 その目には命のやり取りをする相手が見えているのだろうか、一人稽古とは思えないほどの殺気が漲っていた。
 右下から流れるように切り上げ、返す刀で胴を薙ぎ払い、勢いのまま小手を落とす。
 まるで神仏に捧げる舞のようなその動きに、襖の隙間からのぞき見をしていた彩音と新之助は息をのむ。
 それを何度も何度も繰り返す久秀を見ながら新之助は拳を強く握りしめていた。

 新之助にとってあの日見た光景は悪夢そのものだ。
 実際にあったことだと頭では理解しているが、心のどこかでそれを拒否しているのだろう。
 夢なら早く醒めてくれと何度考えたことだろうか。

 母が兄が、そして父までもが命を落としたあの日。
 学問所で友と笑い、道草を食いながら家路を歩き、季節外れの蟻の行列を眺めていた自分。

 江戸に来たばかりの頃は、自分も屋敷にいれば一太刀なりともと思い悔し涙を流したが、久秀と柴田という剣士の本気に触れてからは、そんな驕りなど消え去った。
 今の自分にできること……そしてこれからの自分が為さねばならぬこと……

「あれは足を止めて胴を払い、気を削いだところで腕を落とすという流れですね。致命傷を与えるものではありません」

 彩音の言葉に、新之助は改めて久秀の覚悟を思った。

「致命傷を……奴に引導を渡すのは私の役目ですから」

 何も知らない彩音は不思議そうな顔をしたが、新之助の目に宿った焔を見て口を噤んだ。
 その言葉を聞いた柴田の妻が、押し入れから縫いかけの着物を取り出す。
 
「これを咲良様からお預かりしています。もし自分に何かあった時にはよろしく頼むと仰いました」

 それは胸から下に細かく刺し子模様が縫いこまれた紺色の着物と袴、そして額部分に薄鉄を縫いこんだ純白の鉢巻だった。
 よく見ると鉢巻の端には三沢家の家紋である左三つ巴紋が縫いこまれている。
 大人なら着物の下に帷子を着こむこともできるが、子供の新之助にとってそれは重く、動きが鈍くなることは避けられない。
 それを懸念した咲良が、何重にも布を重ね、刺し子で強化することで、少しでも切っ先が肌に触れることを防ごうとして仕立ててくれたものだろう。

「母上……」

 世を欺くためとはいえ、家臣である久秀を父と呼び、侍女である咲良を母と呼ぶことに、わだかまりがあったのは確かだ。
 しかし、久秀の放った一言が心にズンと響き、新之助の迷いは払拭された。

「大事の他はすべて小事」

 呼び名など関係ないのだ。
 自分が目指すべきものは、憎き正晴の命ひとつ。
 それ以外のことは取るに足らぬ塵のごときこと。

「死ぬ以外ならかすり傷」

 稽古でボコボコにやられて泣いて帰った日、咲良に言われたこの言葉を胸に、新之助は腕を磨いた。
 何度転がされても、突き飛ばされても、新之助はへこたれない。
 年上とはいえ女子の彩音に負け続け、兄弟子たちに揶揄われても笑顔で受け流してきた。
 
「……怖い」

 彩音の言葉に新之助が頷く。

「うん、凄いね。本当に凄い……私は辿り着けるのだろうか」

 あれからどのくらいの時間が経ったのだろう。
 久秀がいる道場中央の板だけ飛び散った汗で変色している。
 
「まだまだ私には覚悟が足りていないようです」

 新之助の言葉に彩音の目が潤んだ。
 まだ春は浅く、夜ともなるとかなり寒い。
 道場の板戸を取り払ったまま木刀を振り続けている久秀の体から、蜃気楼のような湯気が立ち上っていた。

「さあさあ、子供たちはもう床に入りなさい」

 柴田の妻が声を掛けるが、彩音の新之助も動く気配を見せない。
 久秀はまだ同じ型を繰り返している。
 小さく溜息を吐いて肩を竦め、柴田の妻は湯の用意に向かった。

「帰ったぞ」

 道場の表門で柴田の声がした。
 殺気をおさめた久秀が縁側まで出ると、柴田の後ろに咲良とお嶋の姿がある。

「はぁぁぁ……無事に戻ってくれたか……でもなんでお嶋さんまで?」

 お嶋が片眉をあげて久秀を睨んだ。

「悪うござんしたねえ。そういう態度なら口を噤んじまおうかねぇ、咲良さん」

「いや、そういう意味ではない。すまん」

 お嶋と初対面の挨拶を交わした柴田の妻が気を利かせたのだろう、子供たちと共に奥の部屋へと入っていった。
 久秀と柴田が道場の板戸を繰っている間に、咲良とお嶋は普段着に着替える。

「どうだった?」

 台所に続く板の間で待っていた久秀が声を掛ける。

「今日はどうということもございませんでした。お集まりになったのは五人で、富士屋の若旦那と大番頭、三河屋のご隠居とそのお連れ様、そして山名正晴でございます」

 久秀が目を見開いた。

「あやつが来たのか……咲良も顔を合わせたのか?」

「はい、お酌もしましたよ。三沢家に仕えていた侍女の顔など覚えているはずもございませんから」

 ホッと息を吐く久秀。
 柴田が咲良の度胸に驚嘆している。
 その横でお嶋が静かな声を出した。

「ねえ久さん、あんたが言えないことを聞くつもりは無いが、言えるところだけでも教えちゃくれないかい?」

 久秀がギュッと目を瞑った。
 お嶋が続ける。

「咲良さん一人に背負わせるには胡散臭すぎる連中だ。できる事なら助けになりたいんだよ。きっとこれからも同じように呼ばれると思うよ」

「うん、わかった。ありがとうお嶋さん。肝のところは言えないけれど、俺と咲良と新之助のことを話そう」

 お嶋が頷いた。
 久秀がぽつぽつと語りだす。
 柴田と咲良は口を挟まずじっと聞いていた。
 
「そうかい……そんなことがあったのかい。では二人は本当の夫婦ではないんだね?」

 久秀が頭を搔いた。

「うん……残念ながらね」

「新ちゃんは大名家のご家老様の息子さんだったのか。どうりで幼いながらも人品が違うわけだ。ではあんた達が狙っているのが今日来ていたうちの一人なんだね? あの偉そうな若造かい? えっと……山名? だっけ?」

 久秀が困った顔をした。

「山名正晴。新之助の仇という事なら奴で間違いない。でも俺はそれだけでは無いんだよ」

 柴田が口を挟む。

「こいつが本気で命をとりに行くなら、その男の首などとっくに胴と泣き別れしているさ。まだ生かしているということは……何を目指している?」

「もちろん奴の命は必ず貰うさ。トドメは新之助にやらせる。でもね、奴を消すだけじゃダメなんだよ。それだけじゃ安すぎる」

 久秀の顔は青褪めていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末

松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰 第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。 本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。 2025年11月28書籍刊行。 なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。 酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】

naomikoryo
歴史・時代
名家に嫁いだ若き妻が、夫の失踪をきっかけに、江戸の奥向きに潜む権力、謀略、女たちの思惑に巻き込まれてゆく――。 舞台は江戸中期。表には見えぬ女の戦(いくさ)が、美しく、そして静かに燃え広がる。 結城澪は、武家の「御寮人様」として嫁いだ先で、愛と誇りのはざまで揺れることになる。 失踪した夫・宗真が追っていたのは、幕府中枢を揺るがす不正金の記録。 やがて、志を同じくする同心・坂東伊織、かつて宗真の婚約者だった篠原志乃らとの交錯の中で、澪は“妻”から“女”へと目覚めてゆく。 男たちの義、女たちの誇り、名家のしがらみの中で、澪が最後に選んだのは――“名を捨てて生きること”。 これは、名もなき光の中で、真実を守り抜いたひと組の夫婦の物語。 静謐な筆致で描く、江戸奥向きの愛と覚悟の長編時代小説。 全20話、読み終えた先に見えるのは、声高でない確かな「生」の姿。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

高遠の翁の物語

本広 昌
歴史・時代
時は戦国、信州諏方郡を支配する諏方惣領家が敵に滅ぼされた。 伊那郡高遠の主、諏方頼継は惣領家家族のうち、齢十一歳の姫君を、ひょんなことから保護できた。 頼継は豪傑でもなければ知将でもない。その辺の凡将だろう。 それでも若き姫を守りながら、滅びた惣領家の再興を叶えるため、死に物狂いで強大な敵に立ち向かっていく歴史物語。

もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら

俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。 赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。 史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。 もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

処理中です...