45 / 72
剣術と柔術
しおりを挟む
権左が立ち上がった。
「では私は戻ります。お迎えに行かれるのでしょう?」
「うん、今から行ってくる。ああ、そうだ権さん、一緒に行かないか? 柴田は権さんと同じ北辰派の使い手だ。仲良くなって損は無いし、例のあれを見せてくれよ」
「例のあれ? ああ、袖釣り込み腰ですか? 私が久さんを投げても良いので?」
「うん、投げてくれ。でも俺も本気で抗っちゃうよ」
「それは楽しみですね」
二人は連れだって歩き出した。
途中で柳屋に寄り、お嶋に留守を告げる。
柴田道場に行くと言ったら、仕出しに入れる和菓子を包んでくれた。
「料理もあるし、子供達への菓子もある。柳屋様々だねぇ」
柴田道場につくと、夕食を共にと言われた。
持ってきたものを妻女に渡し、その前にやりたいことがあるからと柴田を誘って道場に向かう。
久秀は柴田の道着を借りて、竹刀を振り体をほぐした。
「この人はね、島田宿で知り合った岩本権左という人だよ。剣はお前と同じ北辰一刀流だが、柔術が本道らしいんだ。今日は技を見せてもらおうと思ってね」
久秀の言葉に、柴田が笑顔を浮かべた。
「ご同流ですか。どちらの道場で?」
権左が答える。
「私は水戸の藩邸で習いました。と申しましても未熟なうちに浪人となりましたので、お恥ずかしい限りですが」
「水戸……水戸なら水府流ですね? あそこはなかなか他流試合をしないから、実際に見たことは無いのですよ。いやぁ楽しみだなぁ。是非お手合わせを願いたい」
剣士たちは互いにその力量を推し量っている。
権左は久秀と柴田はほぼ互角だと嗅ぎ取った。
「いやぁ……お二人には勝てる気がしません。むしろ私は柔術の方でお相手させて戴きたい」
「では私から」
柴田が立ち上がる。
久秀が審判として中央に立つと、一瞬で空気が張り詰めた。
「互いに礼……始め!」
柴田が気合を入れるために声を出す。
劈くようなその声に、奥にいた女たちは体を震わせた。
一方それに呼応する様に野太い声を一度だけあげた権左は、竹刀の先が触れないぎりぎりの距離を保っている。
誘うように柴田が踏み出すと、鍔の下に潜り込んだ権左がその腕を捻りあげた。
たまらず左手を離したその瞬間、柴田の左袖口が権左の右手に制圧される。
振り解こうとすれば胴ががら空きになると察した柴田は、左手を諦めて右手だけで応酬を試みた。
「まだまだ!」
柴田が声を出す。
権左が左を更にねじり込み、柴田の体制を崩そうとしている。
竹刀を握っている自分の右手をぐいと引き、権左の体を引き寄せた柴田が、竹刀ごと体をぶち当てた。
そのあまりの勢いに、溜まらず後退った権左だが、柴田の袖口を離すことは無かった。
「凄まじい握力だな」
柴田が言うと、権左が答える。
「生命線ですからね」
もう一度柴田が押し込むと、権左の体が横にずれた。
「それまで!」
久秀の声がかかり、二人は正座をして互いに礼を交わした。
「いやぁ……凄いな。どうにも体が動かんから焦ったよ」
柴田がそう言うと、照れくさそうに鬢をかく権左。
「いえいえ、これが真剣であれば私の指などとっくに転がっています。竹刀で助かりました」
謙遜する権左に久秀が言う。
「しかしきれいに舞ったなぁ。柴田が背中から叩きつけられたのを見るのは二回目だ」
柴田が笑いながら言い返した。
「お前なぁ……まだ幼い頃の話だろ。それに相手が悪かったよ。なんせ天才剣士宇随義正だもの」
「ああ、そういえば宇随さんが江戸に来るよ。お市さんという女性も一緒だ。俺の家に泊まってもらおうと思っているんだ。ここにも連れてくるよ」
「江戸に? あの事件以来国許に戻られたのではなかったのか?」
「うん、今は島田で道場を預かっておられる。あの事件のカタをつけるための江戸入りだ」
権左が横から口を挟んだ。
「お市さんと言うのは、芸者のお市さんですか?」
久秀が頷いてやると、権左がポツリと言った。
「安藤さんといい柴田さんといい、宇随さんまでもだ。どうしてそれほどまでに美人と縁があるんです?」
久秀と柴田が同時に笑った。
「さあ権さん、息が整ったら今度は俺の相手を頼むよ」
久秀がそう言うと、柴田が続けた。
「おう! お前も床に叩きつけられろ! 権さん、手抜きは無しだぜ」
三人が立ち上がると、襖の隙間から覗いていた柴田の妻女が溜息を洩らした。
「こうなると終わりませんよ。今日は泊って下さい」
「いえ、今日は旦那様も一緒ですし戻ります」
「そうですか? では夕食の支度をしましょうか」
二人は立ち上がって台所に向かった。
座敷では子供達……といっても、年が明けて十一と十三になった新之助と咲良が背比べをしている。
「新之助様、いったい何を食べたらそんなに背が伸びるの? もうこんなに違ってるもの」
彩音と新之助の背はいつからか逆転し、今では新之助の耳辺りが彩音の頭だ。
「何を食べたら? どうでしょう。毎日食べているのは豆腐と納豆ですね。ご飯は朝夕三杯いただきます。後は……何だろう」
「お豆腐と納豆なら私も毎日いただきますが、ちっとも背が伸びません」
「じゃあ違うのかな? なんでしょうね。それより彩音様はお裁縫の腕は上がりましたか?」
新之助の声にプイっと横を向く彩音。
道場では何度目かのダンッという音が響いている。
咲良がポロっと言った。
「あんなことがどうして楽しいのでしょうね。痛いでしょうに」
柴田の妻女が肩を竦める。
「子供だからじゃないですか? うちの旦那様は偉そうにしてますけれど、熱いものと辛い物が苦手なんですよ。子供でしょ?」
咲良が笑いながら返す。
「うちの旦那様は、酸っぱいものがお嫌いですよ。あと、魚の食べ方がとても下手なんです」
妻たちにコテンパンなことを言われているとも知らず、三人の男たちは楽し気な声をあげていた。
「では私は戻ります。お迎えに行かれるのでしょう?」
「うん、今から行ってくる。ああ、そうだ権さん、一緒に行かないか? 柴田は権さんと同じ北辰派の使い手だ。仲良くなって損は無いし、例のあれを見せてくれよ」
「例のあれ? ああ、袖釣り込み腰ですか? 私が久さんを投げても良いので?」
「うん、投げてくれ。でも俺も本気で抗っちゃうよ」
「それは楽しみですね」
二人は連れだって歩き出した。
途中で柳屋に寄り、お嶋に留守を告げる。
柴田道場に行くと言ったら、仕出しに入れる和菓子を包んでくれた。
「料理もあるし、子供達への菓子もある。柳屋様々だねぇ」
柴田道場につくと、夕食を共にと言われた。
持ってきたものを妻女に渡し、その前にやりたいことがあるからと柴田を誘って道場に向かう。
久秀は柴田の道着を借りて、竹刀を振り体をほぐした。
「この人はね、島田宿で知り合った岩本権左という人だよ。剣はお前と同じ北辰一刀流だが、柔術が本道らしいんだ。今日は技を見せてもらおうと思ってね」
久秀の言葉に、柴田が笑顔を浮かべた。
「ご同流ですか。どちらの道場で?」
権左が答える。
「私は水戸の藩邸で習いました。と申しましても未熟なうちに浪人となりましたので、お恥ずかしい限りですが」
「水戸……水戸なら水府流ですね? あそこはなかなか他流試合をしないから、実際に見たことは無いのですよ。いやぁ楽しみだなぁ。是非お手合わせを願いたい」
剣士たちは互いにその力量を推し量っている。
権左は久秀と柴田はほぼ互角だと嗅ぎ取った。
「いやぁ……お二人には勝てる気がしません。むしろ私は柔術の方でお相手させて戴きたい」
「では私から」
柴田が立ち上がる。
久秀が審判として中央に立つと、一瞬で空気が張り詰めた。
「互いに礼……始め!」
柴田が気合を入れるために声を出す。
劈くようなその声に、奥にいた女たちは体を震わせた。
一方それに呼応する様に野太い声を一度だけあげた権左は、竹刀の先が触れないぎりぎりの距離を保っている。
誘うように柴田が踏み出すと、鍔の下に潜り込んだ権左がその腕を捻りあげた。
たまらず左手を離したその瞬間、柴田の左袖口が権左の右手に制圧される。
振り解こうとすれば胴ががら空きになると察した柴田は、左手を諦めて右手だけで応酬を試みた。
「まだまだ!」
柴田が声を出す。
権左が左を更にねじり込み、柴田の体制を崩そうとしている。
竹刀を握っている自分の右手をぐいと引き、権左の体を引き寄せた柴田が、竹刀ごと体をぶち当てた。
そのあまりの勢いに、溜まらず後退った権左だが、柴田の袖口を離すことは無かった。
「凄まじい握力だな」
柴田が言うと、権左が答える。
「生命線ですからね」
もう一度柴田が押し込むと、権左の体が横にずれた。
「それまで!」
久秀の声がかかり、二人は正座をして互いに礼を交わした。
「いやぁ……凄いな。どうにも体が動かんから焦ったよ」
柴田がそう言うと、照れくさそうに鬢をかく権左。
「いえいえ、これが真剣であれば私の指などとっくに転がっています。竹刀で助かりました」
謙遜する権左に久秀が言う。
「しかしきれいに舞ったなぁ。柴田が背中から叩きつけられたのを見るのは二回目だ」
柴田が笑いながら言い返した。
「お前なぁ……まだ幼い頃の話だろ。それに相手が悪かったよ。なんせ天才剣士宇随義正だもの」
「ああ、そういえば宇随さんが江戸に来るよ。お市さんという女性も一緒だ。俺の家に泊まってもらおうと思っているんだ。ここにも連れてくるよ」
「江戸に? あの事件以来国許に戻られたのではなかったのか?」
「うん、今は島田で道場を預かっておられる。あの事件のカタをつけるための江戸入りだ」
権左が横から口を挟んだ。
「お市さんと言うのは、芸者のお市さんですか?」
久秀が頷いてやると、権左がポツリと言った。
「安藤さんといい柴田さんといい、宇随さんまでもだ。どうしてそれほどまでに美人と縁があるんです?」
久秀と柴田が同時に笑った。
「さあ権さん、息が整ったら今度は俺の相手を頼むよ」
久秀がそう言うと、柴田が続けた。
「おう! お前も床に叩きつけられろ! 権さん、手抜きは無しだぜ」
三人が立ち上がると、襖の隙間から覗いていた柴田の妻女が溜息を洩らした。
「こうなると終わりませんよ。今日は泊って下さい」
「いえ、今日は旦那様も一緒ですし戻ります」
「そうですか? では夕食の支度をしましょうか」
二人は立ち上がって台所に向かった。
座敷では子供達……といっても、年が明けて十一と十三になった新之助と咲良が背比べをしている。
「新之助様、いったい何を食べたらそんなに背が伸びるの? もうこんなに違ってるもの」
彩音と新之助の背はいつからか逆転し、今では新之助の耳辺りが彩音の頭だ。
「何を食べたら? どうでしょう。毎日食べているのは豆腐と納豆ですね。ご飯は朝夕三杯いただきます。後は……何だろう」
「お豆腐と納豆なら私も毎日いただきますが、ちっとも背が伸びません」
「じゃあ違うのかな? なんでしょうね。それより彩音様はお裁縫の腕は上がりましたか?」
新之助の声にプイっと横を向く彩音。
道場では何度目かのダンッという音が響いている。
咲良がポロっと言った。
「あんなことがどうして楽しいのでしょうね。痛いでしょうに」
柴田の妻女が肩を竦める。
「子供だからじゃないですか? うちの旦那様は偉そうにしてますけれど、熱いものと辛い物が苦手なんですよ。子供でしょ?」
咲良が笑いながら返す。
「うちの旦那様は、酸っぱいものがお嫌いですよ。あと、魚の食べ方がとても下手なんです」
妻たちにコテンパンなことを言われているとも知らず、三人の男たちは楽し気な声をあげていた。
25
あなたにおすすめの小説
剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末
松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰
第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。
本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。
2025年11月28書籍刊行。
なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。
酒と肴と剣と闇
江戸情緒を添えて
江戸は本所にある居酒屋『草間』。
美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。
自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。
多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。
その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。
店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
徳川慶勝、黒船を討つ
克全
歴史・時代
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
尾張徳川家(尾張藩)の第14代・第17代当主の徳川慶勝が、美濃高須藩主・松平義建の次男・秀之助ではなく、夭折した長男・源之助が継いでおり、彼が攘夷派の名君となっていた場合の仮想戦記を書いてみました。夭折した兄弟が活躍します。尾張徳川家15代藩主・徳川茂徳、会津藩主・松平容保、桑名藩主・松平定敬、特に会津藩主・松平容保と会津藩士にリベンジしてもらいます。
もしかしたら、消去するかもしれません。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
花嫁
一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる